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雨花の花嫁  作者: 蜃
第六話
37/64

【37 バルトの悩み事】


 私は、たった一週間前に起こったあのことを思い返してみた。


 ロレンツィオの城館で見させられた姿見に映っていた映像。そこに浮かび上がっていたジェズアルドの本性。――それを、私は見てしまった。そのことを知ったときから、彼の態度がおかしいのだ。


「まあ、見られたくない姿を見られたら、嫌よね」


 つぶやいて、緑色の鬼火がふよふよと浮遊する中を歩く。


 妃のひとりに怖がられたことがよほどつらかったのだろう。私だって、見られたくない姿や、知られたくない秘密のひとつやふたつはある。ジェズアルドにとってのそれが、あの本性だった、ということなのだろうか?


 私はそんなことを思いながら歩いた。脳裏に、ネガティヴな考えが浮かぶ。もしもジェズアルドが、本性を知った私が恐怖することを恐れて、妃にならなくても良いなどと考え始めていたらどうしよう。


 ――大丈夫。ジェズアルドは、そんなことはしない。きっと。


 自分に言い聞かせながら、さらに廊下を歩く。まだ誰ともすれ違わない。


 空気が重く感じる。相変わらず気温の変化はないが、少しだけ、空気に湿り気がまざってきているのか、肌にまとわりつく空気が重い気がした。彼は良い傾向だと言っていた。


 私はふと、買ってもらったものの中に、温度計と湿度計が一緒になった物を思い出した。その数字をふたりで見ては、一喜一憂していた。湿度は、自分がちゃんと雨女として役に立てていることがわかる唯一の指標だったから、素直に嬉しくて、毎朝確認するのが日課になっている。


 それでも、ジェズアルドは毎日部屋を訪ねてきては針が示した湿度を見て、私に笑いかけてくれたのだ。自分の力も少しずつ戻ってきていると言って、嬉しそうに眺めていた顔。私はその顔を見るのがすごく嬉しかった。


 そんなに前のことじゃないのに、なんだか遠い日のことのようだ。


「私、怖がったりしなかったはずなのにな」


 姿見の映像で凄まじい形相の、犬というより狼に近い鋭い眼光と牙をもつ三つ首の魔物を見ただけでは、恐怖は感じない。映画の中のモンスターを見るようなものだからだ。だけど、と思う。それを実際に目にしたらどう感じるだろう。恐怖を感じるかもしれない。怯えて逃げたくなるかもしれない。


 ――本音を言うと、その姿を見てみたいけど……。


 きっとジェズアルドは嫌がるだろう。そう感じた。だったら、別に見ないままでもいいかなと私は思った。それでも、ちゃんと話をして避ける理由を聞かなくちゃ。私は少し直ってきたものの、まだ痛いお腹を押さえつつ、早足で歩く。


 しばらく行くと、前方から金属が立てるがちゃがちゃという音が聞こえてきた。私は、バルトだろうかと思ったが、この城には彼以外にも鎧姿の魔物が何体かおり、定期的に巡回して警備しているのだ。私は顔あげて、こちらに向かってくる鎧を見た。


 それは他の鎧さんたちではなく、バルトだった。私はすぐに声を掛けた。


「……あ、バルト」


 彼はすぐに私に気づくと、立ち止まって待っていてくれた。その間ずっと、抱えた首の目が私に向いているのがわかる。しかも、いつもだったらすぐに大きな声で「おお、お妃さま!」と言ってくるのに、それがない。私は思わず立ち止まり、訊ねた。


「あの、もしかしてバルトじゃなくて別のデュラハンさんだったり?」


「いえ、我はバルトロメオでございますお妃さま」


 返ってきた声は、妙に沈んでいた。私は初めて見るバルトの様子に、思わず問う。


「あの、何かあったの? 落ち込んでるようだけど……」


「はあ……いや、しかし、お妃さまに聞いて頂くほどのことではありませぬし……」


 何やらやたらと歯切れが悪い。私はジェズアルドのことも気になってはいたものの、ひとまずそれは置いておくことにした。もしかしたら、ガーグやマーラさんが見つけてくれているかもしれないし。そう決めると、訊ねる。


「そんなに沈んでいたら気になるじゃない。私なんかで役に立てるなら相談して、まあ、聞くくらいしか出来ないかもしれないんだけど」


「よろしいのですか?」


「もちろんよ」


 私は大きくうなずいた。バルトはしばらく困ったように黙り込んでいたが、やがてぽつり、ぽつりと語り始めた。


 何でも、ここ最近、城の裏手に女性のゴーストが出るのだという。バルトは巡回中、怪しい者かと思って大声を出して威嚇したのだそうだ。そうしたら、ものすごい速さで消えてしまったという。


 その翌日、また巡回中にゴーストと出くわした。驚かさないよう、今度はそっと近づいてみたのだが、やっぱり逃げられてしまった。けれど、顔は見られたのだという。


「それが……ものすごくお美しい方でして……我は、我は、この冷たいはずの心臓が熱くなったような気がしたのでございます」


「え……っと、それってつまり、そのゴーストに恋をしちゃって困ってる、ってこと?」


「恋! これが恋なのですか? デュラハンとして生まれてこのかた、そのようなことは経験したことがありませぬゆえ、わからないのですが、恋なのですか?」


 ――いや、どう考えたって結論は「恋しちゃった」だと思うんだけど……。


 兜の隙間からのぞく困惑気味の目を見て、私はふむ、とうなる。


「それで、バルトはどうしたいの? まだお話も出来てなさそうよね、その様子だと」


「それは、何しろ相手の女性は我の姿を見るとものすごく怖がるのです。姿をさらして声を掛けることすらままなりませぬ。危害を加える気はないと言う暇すらないのですから」


 バルトは落ち込んだ声色で残念そうに告げた。私は、なんとなく気の毒に思えてきて、女性の幽霊ならもしかしたら、と思って言った。


「じゃあ、試しに私が声を掛けてみようか? それでも逃げだすなら手の打ちようがないけど、同じ女性だし、多少は違うかもしれないわ」


「そんな、お妃さまにそのようなことをして頂く訳には……」


「いいのよ。そうだ、それならちょっと私を手伝って。今ね、ガーグとマーラさんにもお願いしているんだけど……」


 私はそう言って、ジェズアルドを探して、その場所に私が行くまで引き止めておくか、私が居る場所(ただし、妃の部屋以外に)連れてくる役目をお願いした。


 バルトはすぐに請け合ってくれた。


「それでは、我も探しに行きます。その……今日の夜、よろしくお願いいたします」


「ええ、わかったわ」


 私は笑顔でバルトを見送ると、彼とは逆方向に歩きだした。



 ◆



 けれど、その日は結局ジェズアルドを遠目に見ることしかできず、私はバルトが好きになってしまった女性の幽霊とやらを見るべく、支度をはじめたのだった。



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