【27 現在と過去】
「突然ですまなかったな」
「え、何がですか?」
私は本当にその言葉の意味がわからずに問う。いつも無表情な魔王の顔が、どことなくかげっているような気がする。
「ビビアーナのことだ。正直、あれが戻ってくるとは全く考えていなかった」
「ああ、それは話を聞いていればわかります。大丈夫ですよ、私は気になりませんから」
「気にならないのか?」
真っ直ぐに、私の目を見て訊ねてくる。すぐにそうですね、と言いかけて、私は言葉を飲みこんだ。それを口にすれば、魔王が傷つくような気がしたからだ。
それに、全く気にならないかといえば、ちょっとうそになる。私は、少し考えてから、訊ねた。
「いえ、あの、聞いてもいいなら、聞きますけど、その、今まで、どんな方々と結婚してきたんですか?」
「ああ、そうか、まだ何も教えていなかったな。どうせ他の連中もみんな知っていることだから、構わんさ。今まで迎えた妃は、ビビアーナを除いた8人は、色々だった。まだ余が未熟だったせいで、死なせてしまった妃もいる。だが、本当の意味で、ちゃんと添い遂げられた妃はいない」
魔王は窓から外を眺める。いつもと同じ、夕暮れにしか見えない赤い空。私は、なぜか胸がぎゅっと痛んだ。うまくいかなかったことを思い出しているのだろうか。それはどれほどにつらいのだろう。痛くてたまらなくならないのだろうか。
そう、私のように……。
ふいに、私は思う。今まではただ自分が戻りたい、とか、自分の失敗をなんとかとり戻さなくちゃ、という思いで突っ走ってきた。けれど、ここに来て初めて、私は魔王のことを考えてみた。
「余は魔界の王だ、その妻の座が欲しいだけだった女が最初の妃だ。それも、そのあと4人目までがそうだった。次は人間を選んだ。だが、以前にも言ったように、魔界のものを食べて死んだ」
どこか虚ろな目で、魔王は語る。
私は、彼のつらそうな顔を見て、一瞬やめてくださいと言おうとした。なのに、のどが詰まったみたいに声が出ない。それで、先を知りたいのだという自分の思いに気がついた。
「次は、刺客としてやってきた魔物だ。ほら、お前も見ただろう、あの青い蛇、本来の魔物名はシー・サーペントという。その彼を愛する女だった。それは、余の手で殺した」
魔王は大きく息をついてからつづけた。
「もう魔物を迎えることに疲れた余は、また人間の女を選んだ。だが、呼んだ女は余を恐れた。最初に、本来の魔物の姿を見せてしまったのが良くなかったようだ。彼女は塔から飛び降りて死んだ」
私は思わず息を飲んだ。なんというか、壮絶すぎる。お気の毒すぎて、逆にご愁傷さまですとすら言えない空気だ。魔王は、そんな私のようすを見つつも、まだつづける。
「次にあのビビアーナだ。その頃になると、余の力はかなり落ちていた……そのせいで、余は魔法にかけられてしまった。サキュバスが人間にかける魅了の魔法だ。だが、初夜のはずの夜、彼女は魔界に人間の男を引きずり込み、食事をしていたのだ」
それはつまり、そういうことなのだろう。花嫁が初夜にそんなことしている光景など見たら、完全に女嫌いになってもおかしくない。と考えて、私は首をかしげる。ならなぜ、魔王は私をここへ呼び寄せ、妃になれと迫ったのだろうか。
「それでも、余は彼女から離れられずにいた。しばらくはこの城に置いていたが、男を引きずり込んだところを側近が見つけて追放した。これがすべてだ……」
それで、ガーグやマーラの態度が腑に落ちた。そんなのが戻ってくれば、警戒しても無理はない。
「あの、何というか、何も言えません」
私は正直に言った。すると、魔王は苦笑した。
「まあ、そうだろうと思う。これでわかっただろう、今まで余は一度も、きちんと添い遂げられたことはないのだ」
そう言った魔王は、寂しげだった。ただ、そこまで聞いたら、やはり疑問がわく。私は、この際なので、思いきって聞いてみた。
「でも、それだけくり返してダメ続きだと、もう結婚とか嫌になりませんか? 私だったら、もう諦めてます。なのに、どうして私を連れてきたんですか?」
「ああ……そうだな。それは、説明したように、余の属性ばかり強すぎて、魔界が徐々に乾いてきているからだ。そもそも、魔王が妃を迎えるのは、バランスを整える目的があるのだ」
私は、魔王の説明に聞き入った。そうしないと、理解が追いつけそうにない。
「そもそも、魔王は在任の者の余命が少なくなった時点で、最も強く、かつ魔界を統べる能力のある魔物から選ばれる。子が生まれても、その子に引き継がれる訳ではない。そして、余と魔界は一体だ。魔王となったときに、切り離せないものとなるのだ。余の力が弱っているのは、魔界が悲鳴をあげているのと同じことなのだ」
そう言って、魔王はきっぱりと言った。
「だからどうしても、水の属性の女が必要だった。もう結婚は嫌だから、そんな理由は理由にはならんのだ。だから、お前を連れてきた」
私は、最初に会ったときのことを思い返し、なんとなく納得した。けれど、なぜかその言葉はあのときとは違い、私の心に氷の刃となって突き刺さった。
「なるほど……でも、雨降りませんね。ごめんなさい」
「いや、何か理由があるのだろう。それに、徐々にだが、お前が余の側にいることで、少しずつ、水気が戻ってきている。婚儀をあげれば、もっと強くなるはずだ。水紀、まだ答えは出ないのか?」
ふいに問われ、私は返事に窮した。
あのときは嫌だと即答できた。だけど、今はできない。嫌だ。その言葉が出てこない。私はこうして質問されてみてようやく気づいた。自分が、それでもかまわないと思っていることに。
「あの、もしかしてこのまま弱りつづけたら……」
「そうだな……多分余は死ぬだろうな。むろん、まだ余力はあるから何十年も先になるだろうが」
魔王はそう答えて、私をじっと見る。見ないで欲しいと思った。この場で、いいですと言ってしまいそうだ。けれど、同時に言いたくない気もしていた。
私が、あのとき思ったこと。そんな恋することも、愛もない結婚なんてしたくない。それは今もまったく同じ思いだ。
「……私、恋愛結婚したかったんですよね」
思わず、ぽん、と言ってしまった。