【25 救援の要請】
「ああっ! 会いたかったわジェズアルドっ!」
ビビアーナは嬉しそうに笑い、魔王の首に抱きつこうとする。が、魔王はさっと避けた。空振りしたビビアーナの両の腕が空を抱く。魔王は彼女をスルーして、部屋に置いたラグの上に座り込んでいる私の側まで来ると、背後に回り込んで肩に手を置く。
え、あの……どういう意味ですかこれ。
「妃の前でそういう行為はやめて欲しい、ここはこの娘のものだ」
私は顔を引きつらせた。どうしたら良いかわからない。私の見ている前で、みるみるビビアーナの目に涙がたまり、やがて、つとこぼれ落ちた。お願いやめて。それじゃあ私が完全に悪者じゃないか。
「そうよね、ごめんなさい。まだ、あなたが新しい片割れを見つけたことを知らなかったから。まだ元に戻れると思うなんて、厚かましいわよね。もしかしたら、妃なら少し無理なお願いでも聞いてもらえるんじゃないかって思ったのがいけなかったのね」
ビビアーナは目もとを指で拭いながら言う。肩に置かれた魔王の手に、力がこもった。私は、魔王の顔をそっと盗み見しながら、どうして彼女と別れたのと訊きたい気持ちでいっぱいになった。肩が痛いのは、まだ彼女に未練があるからじゃないのかな?
そんな私の疑問はよそに、ビビアーナは話をつづける。
「実は、助けを求めに来たの。私の故郷、サキュバスたちが暮らす場所が、ウィンディゴに目をつけられたわ」
彼女の言った魔物の名前に、魔王の顔色が変わった。
サキュバス……ということはやっぱりこの美人も魔物なのか。確か、魅了した人の精気を奪うとかいう魔物じゃなかったかな。私は黙って話を聞きながら考えた。
「あまりにも雪が降らないせいか、住む場所を追われて下ってきたみたいなの……仲間が次々と病になってしまって、もう、あなたに頼むしかないと思って。それに、私たちの里の近くにはガーゴイルたちの暮らす廃墟もある。そこも、少しずつ影響を受けているようよ」
彼女は、ちらりとガーグを見やって言う。ガーグは相変わらず固い表情だ。
「そうか、そんなことがあったのか。そんな弊害が出てくるとはな。わかった、余が出向いて話をしてみよう。どうしてもだめならば、退治するか封印する」
「本当! ああ、良かった……」
魔王の返答に、ビビアーナは心から安堵したように笑った。びっくりするほど魅力的だ。私はつかまれた肩が痛かったが、何も言わなかった。まだ知り合って日が浅いのに、かけられる言葉などある訳もない。
少なくとも、私にとって魔王はまだ友人なのだし。
何にしても、この話には私は関与しなくても済みそうだ。まだ吸血鬼や大きな蛇の魔物は見つかっていないので、城で料理を練習して過ごすことにしよう。私がそう決めてひとり安堵していると、魔王が声を掛けてきた。
「水紀、すまないが、お前にも来てほしい。もしウィンディゴが説得に応じない場合を考慮し、封印の出来る者が必要だ」
「……え」
私は思わずうめき声をあげた。今回は関係ないと思ったのに。視界の隅にひっかかったハリセン(注※封魔扇)を恨めしげに見て、思わずあんなもの捨ててしまいたいという思いに駆られる。
「大変なのはわかる。だが、お前も余の状態は知っているだろう?」
こそっ、と耳打ちするように言ってくる。弱体化のことを彼女には知られたくないらしい。それに、城に帰還後も、魔王には固く口止めされている。私も、その理由が分からない訳ではないので、一応黙っていたが、まさかこんなことになるとは思わなかった。
私は、自身の着ている服や、部屋を見回しながら、息を吐く。
今の私は、魔王の温情で生活している。本来ならば、働いて手にするべきアレやコレを、すべて与えてもらっているのだ。これに報いなければ、なんだか気持が悪い。
「わかりました……仕方ないですね。生活費だと思って働きます」
大体、まだ妻でも何でもないのに養ってもらっているわけなのだ。そのくらいはしてもいいだろう。多分。ただし、前回は魔王に助けてもらえるという安心感があったが、魔王が弱体化していることを知った今、彼の守り期待できない。つまり、危険に身をさらすことになるかもしれないのだ。なので、ホントは嫌だ。
なのに、私がうなずいたのは、横目で見る魔王の悔しげな顔のせいだった。
そんな顔をされたら、手を貸さずにはいられないじゃないか。私は思う。もうすでに、私は魔王にほだされてきているのかもしれない、と。
少なくとも、来たときから魔王に悪い印象を持ったことはない。魔王が嫌いというわけではないのだ。ただ、恋愛感情と好意は別のものだというだけだ。
「すまない」
小さい声が耳元でし、私の心臓がぎゅっと痛む。そんなに苦しまないで欲しい、と思った。
「いいえ、私でお役にたてるなら、ごはん代くらいは頑張ります」
小声で言って、私は後ろの魔王に笑いかけた。魔王は少し驚いたような表情をしていたが、すぐにそれは苦笑に変わり、つづいていつもの無表情に戻った。
「ビビアーナ、明日、サキュバスたちの暮らす山へ向かう。今日はこの城に部屋を用意させるから、休むがいい」
魔王はそう言って、手を鳴らした。すぐにバステトたちが入ってくる。
「彼女を客室へ案内して欲しい」
「……は、はい」
バステトの中で一番偉そうな、マーラ――後で聞いてみたら女官長なのだという――がどこか警戒したような表情でビビアーナを見たことに、私は気づいた。ガーグも、相変わらず固い表情のまま押し黙っている。
ビビアーナはといえば、優雅な動きでバステトにあいさつをすると、言う。
「では、案内してください」
バステトはうなずいて、どこか警告を含んだまなざしを魔王に投げかける。言いたいことがありそうだが、魔王は彼女らから目を反らし、私の肩をつかんだままうつむいている。正直、何があったのが、ものすごい知りたい。
やがて、ビビアーナはマーラに案内されて部屋から立ち去って行った。足音とさやかなきぬ擦れの音、甘やかな花の香りを残して。私は、それらの恐ろしいまでの魅力を何とはなしに感じ取りながら、魔王が何か言うのを待った。