【22 封印】
ふわり、と浮き上がる感触がして、目を開けると目の前に魔王の顔があった。心配そうにのぞきこむ彼の顔を見て、私は思わず顔をひきつらせた。
笑ってはいけない。しかし、頭からわかめでもかぶっているような姿に、思わず笑いがこみ上げる。このままここで笑い転げるのは困るので、私は震える手を伸ばして髪から藻をどける。
「ああ、すまない」
「いえ。えと、ありがとうございます」
私が礼を言うと、水面に何かが落ちる音がした。おそらく、マッシモが落ちた音だろう。見れば、魔王を襲っていた砂の牛も、ただの砂山と化している。
「いや、礼を言うのは余の方だ。まさか、ここまで自身の力が落ちているとは思わなかった。もう少しで、元の姿に戻るところだった」
悔しそうに魔王はぼやいた。私を支える左腕は、まだ毛むくじゃらのままだ。この腕を持つのが、魔王本来の姿なのだろう。一体、どのような姿をしているのか。見てみたいような気がした。
やがて、魔王は湖の岸に下り立った。私は地面に下ろしてもらい、状況に少し赤面する。良く考えてみなくても、お姫様だっこされたのだ。ちょっと嬉しいが、同時にものすごく恥ずかしい。そこへ、バルトとガーグがやってきて、謝罪をはじめた。
「魔王様、申し訳ありませぬ! お妃さまを守りきれず、かくなるうえは、この命をお取り下され!」
「オレも、守れなくてすみませんっス……どんな罰でも受けるっス」
ひざまずいてうなだれるふたりの落ち込みぶりを見て、私は慌てて魔王に言った。
「わ、私は大丈夫だったんですから、ふたりを罰しないで下さい」
「……罰したりはしない。そもそも、妃を危険な目にあわせてしまったのは、余の力不足だ。それにしても、先ほどお前は何をしたのだ?」
返ってきた言葉にほっとした私は、問われたことについて説明をはじめた。どう言えばいいのだろう。
「あの黒牛の能力は視線で敵を石化することだと聞いたので、それを逆手にとって、逆にあいつに向けてみたらどうなるんだろうって考えたんです。鏡の中に映った目に見られたら、もしかしたら跳ね返せるんじゃないかなあ~って。どうせダメだろうと思ってたんですけど、何か、上手くいっちゃいました」
しどろもどろに説明した後、私は「あはは」と乾いた笑い声をあげる。こんな思いつき作戦上手くいくわけがないと思っていたのに。
「なるほど……そんな方法があるとは考えもしなかった。さすがは余の妃だ」
魔王は心から嬉しそうに笑った。私は思わず小さく呻く。この笑顔、どうやら魔王はそれと意識せずにやっているようなのだが、ハッキリ言ってとことん心臓に悪い。なんだかどんどんほだされてきている気がする。ヤバい。
「まあ、相手が油断しているのが大前提ですけどね。それで、封印はどうすれば……」
私が訊ねると、魔王は「そうだな」と言ってから、ガーグに声をかけた。
「ガーグ、あいつをあの場所からここへ引き上げろ」
「あ、はいっス!」
まだひざまずいていたガーグは慌てて立ち上がり、両手を前方にかざして言う。
「ウェルテ・マラーキオ」
その言葉の後で、ぶわっとつむじ風が巻き起こる。私は思わず顔を覆った。砂ぼこりをあげてつむじ風は進み、湖に半身を沈めたマッシモをすくいあげるように引きずりあげると、こちらへと運んでくる。やがて、風はその勢いを弱め、私たちの前に体半分を石化させたマッシモを転がす。
彼は自分では動けないのか、残った片目でこちらを睨むが、力を使おうとはしない。また鏡を使われたら完全に石化してしまうのがわかっているのだろう。それに、どうやら舌も半分石化しているせいか、喋ることも出来ないようだ。
私は、ふと思ったことを聞いた。
「あの、他の石化させられた魔物たちを戻すにはどうすればいいんですか?」
「それなら、封印すればいい。あれは魔法を一旦完全に無効化する力があるうえ、解放されないかぎり、封じた者の使役下に入る」
「えっと、つまり、使い魔みたいなものですか?」
「そんなところだ」
魔王の返事に、私は想像してみた。この牛にご主人様扱いされる光景を。ありえない。とても言うことを聞いてくれそうな気がしない。けれど、私は湖に彫像よろしく点在している魔物たちを見て、息を大きく吐いた。
あの魔物たちだけは元にもどしてもらわないと。
よし! やるぞっ! 私は覚悟を決めると、ハリセン(※封魔扇)を振り上げて、思いっきりマッシモの後頭部に振り下ろした。その瞬間、ぼふんという音がして、マッシモは輝く金色をした光の粒子になり、黄色い腕輪に吸い込まれた。
次いで、腕輪が輝き、するりと私の腕からはずれると、小さな小瓶の形にもどって砂の上に落ちた。
「……出来た」
私は呆然とつぶやき、砂から瓶を拾い上げると、魔王とバルトとガーグを振り返って訊ねた。