【21 鏡の中の目】
「ちょっと! 離してよ、どこ触ってるのよ!」
「嫌だね。こうしてれば、あの魔王も攻撃出来ないだろ? それに、いずれお前は俺の専属世話係になるんだ、どこ触ろうが所有者の自由さ」
私は彼のもの言いにかなり腹が立った。いくらなんでもモノ扱いはないだろう。私は誰の所有物でもない。というか、モノじゃない。こんなやつの世話なんて、意地でも焼きたくない。
「お断りよ! 私はあなたのモノじゃないし、世話係になんかなりたくない!」
「嫌だろうがどうだろうが、魔王の持っているあらゆるものは俺のものになるんだ。いい加減諦めな」
耳触りの良い声が耳もとをくすぐる。顔を真っ向から見たことはないが、恐らく魔王やガーグと同じで、マッシモも美形のようだ。わざわざ不細工に変身する意味がないためだろう。私は、魔王より遥かに体格の良い彼に向けて、ひじを突きだしたり、暴れたりしたが、全く意味をなさない。
「無駄な抵抗はよせ。大丈夫さ……いずれは俺のとりこになる、そうなれば、魔王のことなんかすぐに忘れて、いい思いをさせてやるさ」
「忘れるも何も、結婚とかしてませんから!」
そう怒鳴りつけると、背後でひゅうっと口笛が鳴る。
「なんだ、まだ手を出してなかったのか。あいつらしいが、それに何の意味があるんだか」
嘲笑うような口調で、マッシモが言う。
「あんたみたいなのよりずっと格好いいわよ!」
いちいちカンにさわる言い方をするマッシモに、私は声を荒げて言う。ちょっと怒鳴りすぎてのどが痛いけど、そんなことはどうでもいい。私はなるべく地面を見ないようにしながら、もがいた。
「ふん、じゃあ俺の姿をよく見てみろよ。人間は大抵外見に騙されるからな」
そういうと、腕の中でぐるり、と回されて私はマッシモと向き合う形となった。間近で見た人間形の彼は、確かにものすごく格好良かった。落ち着いた神秘性のある魔王とはある意味真逆の、どこか危険な雰囲気を持つ美形だ。
乱雑で固そうな髪は茶色みを帯びた黒。口は大き目で、牙がのぞいている。魔王のものより大きめの目は妖しい紫色に輝いている。まとう衣は、ファンタジー風味で、袖のない貫頭衣だ。むきだしの腕には筋肉がつき、肌の色も、やや褐色がかっている。魔王とは違い、日本人風な美形ではない。どちらかというと、外国人俳優を思わせる。
私はその姿を見て、鼻を鳴らした。
「全然騙されない、美形なら魔王様で慣れたわよ」
「へぇ、じゃあもっと別の方面から攻めた方がいいようだな?」
顔が近づいてくる。私は青ざめていっそう激しくもがいた。キスする気らしい。まだ誰ともしたことないのに、牛男なんかに奪われるのは死んでもごめんだ。
ああもう、なんで私はこんなに魔物にばかりモテるんだ。
そう思っていると、足もとの水面が泡立ち、中から魔王が飛び出してきた。そのまま、出てきた勢いのまま殴りかかろうとする。
「おおっ、と」
マッシモは余裕の笑みで攻撃をかわす。魔王は怒りに目をつりあげている。濡れそぼり、髪に緑の藻らしきものをからめた姿には、少し前まで感じられていた威厳がない。その上、腕の一部が人間のものではなくなっている。黒い毛むくじゃらの腕は、犬の前足に似ているような気がした。
私の存在が足手まといになってしまっているのだ。迷惑をかけたくないのに、私は悔し紛れに暴れたが、マッシモの腕はびくともしない。非力な自分が嫌になる。
けれど、と私は疑問を抱いた。魔王がこんなに苦戦するとは、正直思っていなかった。
なにしろ、魔王と呼ばれているのだから、もっと簡単にやっつけられるとばかり思っていたのだ。馬車の中で、心配するなと言った声に不安は感じられなかったし、少し前に言った言葉にも嘘の匂いはしなかったように思う。一体、何があったのだろうか。
そんな私の中の葛藤はよそに、魔王は怒声を放つ。
「妃を離せ、この下郎!」
「やなこった! 中々いい女だからな、ありがたく頂くことにするぜ。あんたは石にしてやる。恨むんなら、年月の経過による弱体化を恨みな!」
マッシモの目が、妖しい銀色に輝き始める。魔王に意識が向かっているせいか、腕の力が弱まり、少しならば身うごきがとれる。私は必要になるかもしれないものを詰めた、小さめのショルダーバッグから手鏡を取りだした。長方形の折りたためるタイプの鏡だ。
「じゃあな!」
銀色の光が強くなる。魔王は避けようとするが、体にまとわりつく藻が自由を奪っているらしく、素早く避けられない。私は、急いでマッシモの顔の前に鏡をかざした。
「なっ!」
驚きの声とともに、胴に絡められた腕から力が一気に抜ける。次いで、鏡が音を立てて割れた。私は突然支えを失い、空中に体が投げ出された。のどがつまったように悲鳴が出ない。一瞬視界に映ったのは、体の半分が石になったマッシモの姿だった。
「水紀!」
魔王の声がした。私は湖に落ちる覚悟をして体を縮める。だが、覚悟していた衝撃はやってこなかった。