3.『家』前騒動
ラヴに組み敷かれ、なんとか拘束から抜け出そうともがくディナ。
「わはは。……ほっ、まだまだ」
抜け出そうと上体を起こしかけたところで額を抑えられ、機先を制される。
「あうっ、うー……ラヴはなして」
何が目的かわからないが、簡単には逃してくれなさそうだ。
このまま不毛な攻防が続くのかと思った矢先、開け放たれた扉から誰かが出てくるのがラヴの体の脇から見える。
「さー、抜け出してみよー……っと、おぉー?」
不意に額の拘束とお腹の重しが外れ、抑えられていた力が勢いよくディナの上体を跳ねさせる。
「あうっ!」
鈍い音。視界に火花が散り、涙で滲んでいく。
そのぼやけた視界にぷらぷらと宙に浮く両足、これにぶつかったのか。
その先を追って見上げると、ディナの二倍はあろうかという長身が、ラヴを親猫が子猫を咥えて運ぶような格好で両腕にぶら下げている。
その高さに圧倒され、ディナともども半ば呆然としていると、
「おー」
宙に浮いていたラヴが急降下、しゃがんだ体勢からそのまま眼前に突き出され、その後頭部からひょっこりと心配気な翠色の瞳が覗く。
「あ……えっと、その……」
ラヴの背後から、小さなまごついた声と雰囲気。どうしたのかと思っていると、
「ディナごめんなー」
眼前からあっけらかんとしたラヴの謝罪があり、その肩越しにそっと顔が横に並ぶように出てくる。
「……ごめんなさい、ディナ」
続く真摯な謝罪。ぺたりと獣耳が萎れたように伏せられている。
「うー、……リヴ」
額を押さえながら、涙目で痛みの原因を睨みつけるディナ。
身長から大人の女性かと思ったが、少し面長の大人びた印象の少女。白と灰が混じり合った硬めの少し縮れた髪が肩のあたりでぼさっと広がっている。
「あ……、の……」
気遣わしげな表情で、視線がディナの全身を忙しなく精査する。
さらに何かを言おうとしているが、言葉が消えていっているかのように、ぱくぱくと口だけが動いて声にならない。
するとまたしても出ない声の代わりなのかラヴから先に声があがる。
「けがないかー?」
「……いたいところ、ない?」
続いてリヴ。まるで腹話術だ。いやこの場合逆か。
「おでこ、ちょっといたかった」
痛みはすでに引いていそうだが、素直に"大丈夫"とはしたくないディナは涙目で恨み節を訴える。
それを聞いてあたふたするリヴとわははと笑うラヴ。状況が混沌としてきたところで、
「トー姉!こっちこっち!」
「大丈夫だから!そんな引っ張るなって!」
『家』の裏手の方からジールが山盛りの洗濯物が入った桶を片腕に抱えた赤栗毛の女性のもう片方の腕を両手で引っ張って連れてくる。
その騒がしい声を聞き、耳をピンと立てたラヴが、やおらにディナの両肩に手を置く。
ぐっと肩に力がかかると、リヴの拘束からするりと抜けたラヴはディナの両肩を基点に頭上で倒立。
そのまま、とん、と腕の力だけで跳躍、空中で三回転ののち、すとんと着地。
思わず心の中で拍手と『10点』という謎の言葉が浮かぶ。
その場にいた全員が釘付けになり、時が止まったかのような一瞬の静寂。
そして見事な演技を見せた主演はくるりと振り向くと、――疾走!赤栗毛の女性に向かってひた走る!
「トーナっ」
そう言ってラヴは跳躍。
「ラヴ姉!ちょっ、まっ!」
焦った赤栗毛の女性――トーナは逃げ出そうとするが両腕が塞がっており、身動きが取れない。
「どわーっ!!??」
飛びつくラヴ、飛び散る洗濯物、絶望に染まるジール。深まる混沌。
その一帯が雲の形をした白い煙に覆われ、時々手足が飛び出る映像を幻視する。
リヴとディナとでそれをぼんやりと見ていたが、先に我に返ったリヴが事態の収拾に向かうためか、立ち上がる。
しかし、おろおろとした様子で混沌とディナを見比べている。
「もがが!リヴ姉ー!」
洗濯物の下から救助を乞う声にリヴは足が向かいかけるが、逡巡。
ディナに向き直り、しゃがむ。額を何度か撫でた後、やがて救助に向かう。
それを見送って一息。なんだかひどく疲れた心地でディナに問いかける。
(なあ……いつもこうなのか?)
「なにが?」
(いや、いつもこう、うるさいのかなってな)
「……?しずかなときもあるよ?」
(……ああ、そう)
余計に疲れてしまい、聞かなきゃよかったと後悔。
そうして眺めていると、リヴの到着をもって、家前に形成された混沌は一応の解決を見る。
するとすぐに、騒ぎを聞きつけたのか家の中から新たに一人、続いてもう一人出てくる。
先に出てきた、長身の純白の長い髪の女性が、
「イェラ」
いつもみんなのおせわしてくれるいちばんのおねえさん、とディナが補足する。……イェラがてきぱきと指示を出し、それぞれが事態の後処理に動き出す。
イェラに次いで出てきた青灰色の長髪を肩口で一つにまとめた少女が、
「アリス」
いつもトーナといっしょにイェラのおてつだいしてるおねえさん、と再びディナの補足。……アリスが黙々と洗濯物を集め、トーナに渡していく。
リヴは左脇にあっけらかんとしているラヴを、右脇に呆然としているジールを抱え、家の中に入っていく。
ふと疑問が浮かび、ディナに尋ねてみる。
(大人はいないのか?保護者……なんて言えばいいんだ?皆の世話をしてくれる人?)
「?……イェラのこと?」
(ああ、いや、そうじゃなくてだな……)
どう伝えればいいのかと四苦八苦していると、離れたところで地面に座り込んでいるディナに気付いたイェラがぱたぱたと小走りでこちらにやってくる。
「ディナ!どうしたの?大丈夫?」
目の前に来るなり、地面に長髪がつくのも構わずに膝を折ると、灰色の瞳で覗き込んでくる。
「ラヴとリヴにおでこぶつけられたけど、だいじょうぶ」
リヴは不可抗力だ。
「でもちょっといたかった」
「……そう、立てる?」
一瞬、痛まし気に目を伏せるが、すぐに柔らかい笑顔を浮かべるイェラ。
「うん」
返事を受け、ディナの手を優しく引いて立たせる。
「さ、帰りましょ」
イェラも立ち上がるとディナと手を繋いで家に向かって歩き出す。
ディナは繋がれた左手を辿ってそっと見上げる。
身長はリヴよりやや低く、会った中では一番年上に見えるが、大人と呼ぶにはいまひとつ足りない幼さを残している。
そのまま見上げていると視線に気づいたイェラは右の獣耳を少し立ち上げ、にこりと笑顔を向けて前を向いて歩き出す。
その笑顔だけで、ディナの胸の内に安心が広がる。
俺も記憶のない混乱と続く混沌とした状況に疲弊していた心が癒やされたように感じられ、イェラが居ればこの先も大丈夫だと、そう思わせるに充分だった。




