第三十六話:二つの影が近づいてくるの〜
ステファニーが宿へ戻ったのは、ギルドで一年間の成長報告を豪快に語り切った直後のことだった。ギルドの受付嬢は目を丸くし、後ろの新人冒険者たちは「え、あの人……Aランク?」とざわついていたが、本人は特に気にせず、いつもの宿に戻ってきた。
部屋の扉を開けた瞬間、ほわっとした空気が迎えてくる。
一年経っても、部屋はほとんど変わらない。変わったのは、彼女の背丈と鍛え直した筋肉、そして多分……心の密度だった。
ステファニーはベッドへぽすんと腰を下ろし、枕元にそっと置いてあるバックラーを撫でた。
シエラからもらった、大切な、大切なバックラーだ。
「ねぇ、お姉さん。今日はね、ジャガー系の魔物を五匹、まとめて受け流したの〜。ほら、前は一匹いなすのもやっとだったけど、今は五匹! 五匹なの!」
返事がないのは分かっている。
分かっているけれど、言葉は勝手に口から出てしまう。
(お姉さん……今どこにいるの〜? ちゃんと食べてる? みかんばっか食べてない? 回復魔法使えなくて苦しんでない?)
思考がどんどん悪い方向へ転がりそうになり、ステファニーは頬をむにっと押した。
「もーっ、心配かけないって約束したのに〜! 約束破ったら絶交って言ったのに〜!」
言いながら自分でも「絶交なんてできるわけないのに」と分かっている。
シエラを前にしたら、どうせ“ぎゅーっ”って抱きついて終わる未来しか見えない。
気持ちを落ち着けるため、ステファニーは立ち上がり、窓へと歩いた。
外は満月。
月明かりが街道を銀色に照らし、静かな夜をさらに静かにしていた。
ステファニーは窓枠に手を置き、いつものように街道を眺める。
もはや日課だった。
お姉さんが帰ってくるかもしれないと、毎晩のようにこうして遠くを眺め続けてきた。
「早く帰ってこないと、わたし、本当にお姉さんを追い越しちゃうの〜。……そしたら、お姉さんが恥ずかしくて泣いちゃうの〜!」
半分冗談、半分本気である。
シエラが泣く姿は全く想像できない。……できないけれど、泣いたら泣いたで絶対可愛い。
そんなふうに、ぼんやりと光の道を眺めていたときだった。
遠い街道の端に、小さな影が二つ……揺れているのを見つけた。
「……ん?」
目を凝らす。
一人は背が高く、もう一人は少し小柄。
月の光を浴びて、影が細長く引き伸びている。
「こんな時間に旅をしてるなんて、元気なの〜……」
冒険者か、旅商人か。
珍しくもないのに、視線が自然と吸い寄せられる。
(……あれ、お姉さんの背の高さに似てる……?)
ふと胸が跳ねたが、すぐに自分で否定する。
「違うの。お姉さんじゃないの〜……」
決定的な理由がある。
シエラの後ろには必ず“巨大な盾の影”がつきまとう。
地面にまで届きそうなあの圧迫感。
あれがない時点で違う。
それに、シエラは一人で行った。
帰ってくるときもきっと一人だ――そう思っている。
だからステファニーは、その影を深く追わなかった。
(きっと普通の旅人なの〜……)
視線を少しだけ逸らし、背伸びをすると、ふわっと眠気が襲ってきた。
この一年、ほぼ毎日鍛錬漬けだった。
今日もギルドで自慢しまくって全力を使ってきたところだ。
「眠いの〜……。お姉さん、おやすみなの……。明日もバックラーの練習、いっぱいするの〜……」
ベッドに戻り、バックラーを抱きしめたまま、すとんと眠りに落ちた。
寝息がすぐに規則的になる。
幸せそうに頬を緩めて眠る姿は、誰がどう見ても“妹”そのものだった。
――だが。
窓の外。
街道の向こうでは、二つの影が確実に街へ近づきつつあった。




