第三十五話:独り立ちから一年が過ぎたよ〜
シエラが「俺にはやることがある」とだけ言い残し、姿を消してから──今日でちょうど一年が経つ。
その一年の間、ステファニーは泣きながら依頼へ行き、泣きながら魔物を倒し、泣きながらご飯を食べ、そして泣きながら眠った。
……最初の三日間だけは。
四日目には、彼女はすっかり森を駆け回る元気な前衛回復士に戻っていた。
「だって、お姉さんの言った『絶対死ぬな』を守るためには、まず死なない強さが必要なの〜!」
言い訳ではなく、本音である。
その結果、一年後の今──
「ステファニーさんだ……」 「今日もバックラー持ってる……」 「ていうか、あの可愛い盾を構えたらAランク魔物が泣くって噂、ホントなんか?」
ギルドに入るだけで視線が集まるようになった。
しかも、なんか怖がられている。
ステファニーは首をかしげながら受付に向かう。
受付嬢はすっかり慣れた笑みを浮かべた。
「おはようございます、ステファニーさん。今日も依頼を確認されますか?」
「するの〜! 今日の運勢は『バックラーの調子良し!』って感じなの〜!」
「そんな占い聞いたことないですよ……」
受付嬢は苦笑しながら掲示板を指差した。
そこには、最近になって追加された中級依頼がずらりと並んでいる。
「今回は難易度Cの依頼が多いですね。……あ、ジャガー系の魔物の討伐もありますよ。とても危険なので、複数パーティを──」
「それなの〜!!」
即決だった。
受付嬢は思わず紙を落としそうになった。
「い、いや、危険って言ったばかりなんですけど……?」
「だってあの子、動きが速いから、バックラーのいなし練習に最適なの〜!」
「何のための危険依頼なんですか、それ……」
本来、ジャガー系魔物の討伐はCランク冒険者が数人で挑む内容だ。
だが、ステファニーは──
「今日は動きのキレがいいの! いなすの〜っ!」
森に入った直後、猛スピードで襲いかかるジャガーをひょいと受け流し、ぺちんとメイスで殴った。
ジャガーは「なんで?」みたいな顔で倒れた。
「はい、おつかれなの〜!」
その後も、森で次々と現れる魔物をいなし、倒し、時々いなした瞬間に自分で感心していた。
「おお〜、今の角度、完璧だったの! お姉さん見たら褒めてくれるの〜!」
魔物たちが逃げていく。
「え? 逃げるの? ちょっと待つの〜! 今日のわたし、練習したいの〜!」
逃げられた。
……一年の成果は、森の魔物がステファニーの足音で解散するレベルになっていた。
依頼を終えてギルドへ戻ると、案の定、ざわめきが起きた。
「本当に無傷……」 「討伐三件、それも単独……」 「もっと怖がられていいと思う」
「誰が怖がられると嬉しいの〜!? わたしは可愛くて癒される回復士なの〜!」
周囲は目を逸らした。
癒される要素がどこに……? という空気だった。
ここで、受付の奥からギルド職員が声をかけてきた。
「ステファニー、そろそろ昇格試験を受けないか? お前の実績なら、昇格は確実だぞ?」
ステファニーは首を横に振る。
「いいんです。私、ランクなんてどうでもいいから。それより、シエラさんが帰ってきた時に、強くなった姿を見せたいんです」
職員は呆れたように笑う。
「お前、本当に変わってるな」
そんな中、白髪混じりのベテラン戦士が近づいてくる。
「あー、ステファニーよ。今日もご苦労じゃ」
「おじいちゃん戦士さん、ただいまなの〜!」
「儂らのパーティに入らんか? そろそろ本気で世界を目指すんじゃが……お主の技量は、もうSランク以上じゃろう」
彼の言葉に、ギルド全体が静まり返る。
ステファニーは、にこりと微笑んだ。
だが──即答だった。
「ごめんなの。わたし、誰ともパーティは組まないの」
「なっ……なぜじゃ!? お前の力で世界レベルに行けるんじゃぞ!?」
ステファニーはそっと胸のバックラーを抱いた。
その表情が、一瞬だけ寂しそうに揺れる。
「だって……わたしの隣に立つのは、お姉さんじゃないとダメなの」
静寂が落ちた。
「お姉さんが帰ってくるまで、わたしは一人で強くなるの。お姉さんに追いつくために。胸を張って隣に立つために。だから──誰とも組まないの」
ベテラン戦士は、口をぱくぱくさせたまま言葉を失った。
やがて、深々とうなずいた。
「……なら、儂らは応援するだけじゃな。無理はするなよ。お前さん、もう十分強いが……大切なのは心じゃ」
「うん! 心は強いの〜! お姉さんとの約束があるから!」
その日の夜。
宿の窓辺に座ったステファニーは、街道を眺めていた。
月明かりが、静かな道を照らしている。
「お姉さん、もう一年だよ……? 約束の焼肉、冷蔵庫ないから腐っちゃうの〜……」
小さく、不満顔で頬を膨らませる。
だが、その直後、小さく笑った。
「でもね、わたし、一年でこんなに強くなったの。バックラーもいなしも上手くなったの! 回復もいっぱい鍛えたの!」
ほんの少しだけ、胸を張る。
「だから……早く帰ってこないと、わたし、お姉さんのこと追い越しちゃうの〜? いいの〜? ふふん」
もちろん、実際に追い越せているとは思っていない。
シエラという存在は、未だにどこか遠くて、どこまでも強くて、自分の背中を押し続けてくれる大きな存在だ。
ステファニーは手のひらサイズのバックラーをぎゅっと抱く。
「お姉さん、待ってるの。ずっとずっと、待ってるからね」
窓の外は静かで、シエラの影は見えない。
それでも、彼女は信じていた。
シエラは必ず帰ってくる。
その時、自分は笑って隣に立てるように──
明日もまた、一人で依頼に向かうのだった。




