第三十四話:一人になった前衛回復士なの〜
シエラが姿を消してから、もう数日が過ぎた。
ステファニーは街に戻り、宿のベッドの上で小さく息を吐きながら、シエラから託された小型のバックラーをじっと見つめていた。丸く、手のひらに収まるような可愛らしい盾なのに、彼女の胸の奥にはずしりと重たくのしかかってくる。
「お姉さん、ずるいの〜……こんなの渡されたら、頑張るしかないの……」
小声で呟いてみても、返事など返ってこない。いつもなら、すぐ近くから「気持ち悪い声を出すな」「集中しろ」とか、優しいのか厳しいのかよくわからない声が飛んでくるのに。
今は、静かな部屋に、自分の声がぽつりと落ちて消えるだけだった。
窓の外では、街の人々がいつも通りに忙しく動き回っている。シエラがいた日と同じ光景。同じ匂い。同じ喧騒。ただ、自分の隣に、銀髪の背中も、大盾の影もない。
「絶対死ぬな、だったの……ほんと、ずるいの……」
思い返すたび、胸の奥がぽかりと穴のあいたように痛んだ。それでも、泣いてばかりではいられない。シエラにそう言われたのだ。ならば、生き抜くしかない。
「よしなの……お姉さんの言葉、ちゃんと守るの!」
ステファニーは跳ねるように立ち上がった。
ギルドに向かうと、冒険者たちの視線がいっせいに集まった。ステファニーは少し肩を縮めつつ、受付へ歩く。
受付嬢が柔らかく微笑んだ。
おはようございます、ステファニーさん、今日はどの依頼を受けられますか?」
「うーんと、小さい討伐と、薬草集めと……あと、弱いのをいっぱい倒すやつがいいの〜!」
受付嬢は苦笑しながら依頼書を数枚渡してきた。
「……本当にそれでいいんですか? ステファニーさんほどの方なら、もっと上の依頼でも──」
「だいじょうぶなの! わたし、まだ一人だし……練習したいことあるの!」
練習──バックラーを扱う技術。それが、シエラから与えられた「生き残るための宿題」だ。
森へ入ると、さっそく一匹の狼型魔物が飛び出してきた。
「あっ、来たの! よろしくお願いするの!」
ステファニーはにっこり笑いながらバックラーを構えた。魔物はその笑顔にたじろいだように見えたけれど、気にせず飛びかかってくる。
「いなすの〜っ!」
ステファニーはシエラから教わった動作を真似て、軽い力で魔物の爪を外側へ流す。すかっ、と攻撃の方向がずれる。
そして、すぐさま刺メイスでぺちんと殴った。
「はいなの〜! おつかれなの〜!」
魔物はそのまま倒れ込み、森の中に静けさが戻った。
「ふふん、お姉さんに教わった通りなの! ちゃんといなせたの〜!」
嬉しそうに飛び跳ねながら、次々に現れる小型魔物を倒していく。
……そして気づく。
「わたし……全然傷つかないの〜……?」
本当は「傷を負いながら回復を練習する」のが目的だった。だが、シエラ直伝の防御技術のおかげで、そもそも攻撃が当たらない。
たまにかすり傷ができても、ステファニーの身体は勝手に《光滴》を発動し、傷が「できた瞬間に消える」のだった。
「わたし……回復士なのに……回復の出番がないの〜……?」
困惑しながら自分の腕をつねってみる。
つねったそばから治った。
「……わたし、もうちょっと手加減されたいの〜!」
森の魔物たちが遠巻きにステファニーを見ている。明らかに「近づきたくない」という空気だった。
「帰るの〜! 今日は練習足りなかったの〜!」
意気揚々とギルドに戻ると、またしても冒険者たちの視線が集中した。
「見たか? ステファニーさん、また無傷で帰ってきたぞ……」 「しかも依頼三つ同時にやってきたって話だ……」 「一人でBランク小隊並みの戦果だってよ……」
ざわざわと噂が広がり、ついに何人かがステファニーの周りへ押し寄せた。
Aランク戦士が、やけにキラキラした目でステファニーの手を握る。
「ステファニー殿! ぜひ我がパーティに! あなたほどの回復士がいれば、Sランク任務どころか──」
「ごめんなの〜、わたしはパーティは組まないの〜」
即答だった。
魔導士の青年が慌てて口を挟む。
「な、なぜです!? あなたと組めば我々は無敵に──」
ステファニーは小さくバックラーを抱え込む。
「だって……わたしのパーティは、お姉さんなんです〜……」
冒険者たちは一瞬で黙り込んだ。
「あ、あの……シエラさんとは、その……」
「うん……お姉さんは、まだ帰ってこないの。だからわたし、一人で強くならないとだめなの! 次に会う時に、胸を張れるくらい!」
ステファニーの表情には、寂しさと決意が同時に浮かんでいた。
Aランク戦士は、その気迫に一歩退いた。
「な、なるほど……その覚悟、見事です……」
「なので、ごめんなの〜。みんな、ありがとなの〜!」
そう言ってステファニーは、バックラーをぎゅっと胸に当てた。
「わたしは、前衛もできる回復士なの! ちゃんと強くなって、お姉さんに見せるの〜!」
その声は、ギルド中に響き渡った。
受付嬢がふっと微笑む。
「ステファニーさん、本当に……強くなりましたね」
「えへへ……お姉さんのおかげなの〜!」
銀髪の背中を思いながら、ステファニーはギルドを後にした。
シエラが帰ってくるその日まで──
特級回復士でありながら前衛もこなす、常識外れの「一人前衛回復士」の冒険が、ようやく本格的に始まったのだった。




