第二十九話:最終決戦(前編)始まるの〜!
夜明け前の空気は、冷たいというより「刺す」という表現が近かった。
迷宮入口に近づくほど、魔力汚染が濃くなるのが肌でわかる。
視界に映る全員の顔が強張っている。
緊張と恐怖と、ほんの少しの覚悟が混ざった表情だ。
討伐部隊の先頭を、白銀の大盾を携えたシエラが歩く。
背筋が真っ直ぐで、まるで戦場そのものが「道を譲ります」と避けていきそうな存在感を放っていた。
そしてその真後ろに、ちょこちょこと歩幅を合わせるステファニーの姿があった。
真剣な目をしているが、眠気と緊張のせいでときどきふらふらする。
「ステファニー、つまづくな。今こけるなよ」
振り返りもせずにシエラが声を掛ける。
「うん……大丈夫なの……寝てないけど大丈夫なの〜……」
「寝てないのか」
「お姉さんが盾磨いてたから……付き合って起きてたの〜……」
「そんな理由で?」
「相棒なの〜!」
シエラは小さく息をつく。
その表情は呆れと、うっすらとした嬉しさの入り混じったものだった。
迷宮入口が見えてきた。
……そして。
黒い“山”が、ゆらりと揺れた。
次の瞬間、それは立ち上がった。
タイラント・アームドベア。
その巨大な二足歩行の姿は、もはや魔物というより“要塞”だった。
全身を覆う黒甲冑のような毛皮と、両腕の巨大な爪は、まさしく討伐ランク最上位級の名にふさわしい。
咆哮が地面を震わせる。
「グオオオオオオオオォォォォッ!!」
Aランク戦士長が思わず声を漏らす。
「お、おい……あれ、情報より……でかくないか……?」
「縮んだことはないだろう。覚悟しろ。来るぞ」
シエラが盾を構えた、その直後。
地響きとともに、タイラントが突進してきた。
「は、速いッ!?」
「全員散開!」
だが、警告より早く巨腕が振り下ろされた。
”ズガァアン!!!”
シエラの盾がタイラントの一撃を受け止め、その衝撃で地面が陥没する。
砂煙が舞い、周囲の木々の枝が折れた。
「ぐっ……っ!!」
足元がめり込み、シエラの両腕に血管が浮き出る。
常人なら体が粉々に砕けている衝撃だ。
ステファニーが悲鳴を上げる。
「お姉さん!? 大回復なの〜っ!! 《聖癒》!!」
黄金の光が迸り、シエラの全身を包む。
だが――
「……回復が、半分しか通ってない……!」
魔力汚染の濃度が高すぎるのだ。
普通の上級回復では浄化しきれない。
シエラの盾には細かな亀裂が走り、本来なら完全に塞がるはずの体内のダメージも、一部残っていた。
「……これで半分か」
シエラが低く呟く。
ステファニーは焦りながら魔力の流れを確認した。
「上級は……効率悪いの〜……! お姉さん、早く離れるの〜!」
「離れれば部隊が死ぬ。俺が囮だ。奴の視線を俺に釘付けにする」
シエラはタイラントの攻撃を受け止めながら、後退せず前に踏み込み、巨体の注意を引き続けていた。
その間に、Aランク部隊が左右から駆け込む。
「側面を狙え! 装甲が薄いのはそこだ!」
「魔導士隊、全員、範囲術式発動準備!」
だが――
「グウッ……!!」
タイラントが突如、体をひねり魔力を圧縮し、周囲に衝撃波を放った。
”ドォンッ!!!”
爆風が横へ広がり、側面に回り込んでいた魔導士たちが吹き飛ばされる。
「ぐあっ!?」
「くっ……身体が動かん……!」
戦士長も歯を食いしばる。
「くそ……回復が追いつかんぞ! このままでは戦線が崩壊する!」
ステファニーが青ざめた。
「上級回復じゃ……全然追いつかないの……! タイラントさんの汚染、濃すぎなの〜っ!」
そんな中でも、タイラントは執拗にシエラだけを狙う。
まるで“脅威の中心”を理解しているかのように。
「……ステファニー」
シエラが、巨腕を受け止めながら叫んだ。
「《廻生》を使え! 今だ!」
「えっ、でも〜……っ」
「躊躇するな! ここで使わねば全員死ぬ!」
言われた瞬間、ステファニーの胃がぎゅるぎゅる鳴った。
特級回復は魔力消費が凄まじく、使うたびに腹が減る。
そして終わったあと、シエラにご飯を奢ってもらうのだ。
(お姉さんのお財布が死んじゃうの……! でも、ここで使わないと……みんな死んじゃうの……!)
ステファニーは覚悟を決め、杖を掲げた。
「……無駄にしないの〜……! お姉さんのお財布のためにも〜!!」
「違う動機で頑張るな!」
「いっくの〜!! 特級全体大回復!! 《廻生》!!」
世界が一瞬、白金色に染まった。
光が迷宮入口に押し寄せ、タイラントが発していた魔力汚染を強引に押し返す。
吹き飛んだ者たちの傷は完全に塞がれ、折れた骨が瞬時に元に戻る。
魔力の枯渇すら完全に回復し、戦士たちが息を吹き返した。
「凄まじい……! これが特級……!」
「全身が軽い……!!」
「よし、まだ戦える!!」
全員が復活し、士気が一気に最高潮まで戻る。
タイラントもまた、強烈な浄化光の逆流に一瞬怯み、その巨体が揺れた。
そのわずかな隙を、シエラは見逃さない。
「今だ! 全員、側面と背面へ集中砲火!!」
「応ッ!!」
戦士たちが一斉に駆け、魔導士たちが詠唱に入る。
だが――タイラントはそれでもシエラを殺すためだけに動いた。
巨体をぶんまわし、シエラを押し潰そうと回り込む。
「お姉さんに手を出しちゃ駄目なの〜!!」
ステファニーが咄嗟に走り、刺メイスをぶん回す。
「邪魔なの〜!!」
メイスがタイラントの顔面にクリーンヒットした。
「ギャァッ!?」
威力は低い。
だが予想外すぎて、タイラントの動きが完全に止まった。
「お、止まった!? あの怪物が……!?」
シエラが後ろで叫ぶ。
「ナイス牽制だ、ステファニー!」
「えへへ〜! わたしだって戦えるの〜!!」
戦場全体が、ステファニーの特級回復と牽制で持ち直している。
彼女がいなければ、すでに全滅していたのは間違いない。
だが、これでまだ“前編”。
タイラントはまだまだ本気ではない。
その赤い瞳がぎらぎらと光り、次の咆哮が戦場を揺らした。
「グオオオオオオォォォォッ!!」
シエラが盾を構え直し、歯を食いしばる。
「ここからが本当の勝負だ……! 全員、気を抜くな!!」
そして、最終決戦はさらに激化していく。




