第二十二話:この状況の打破は二人じゃ無理なの〜
森の静寂は、つい先ほどまでの激戦が嘘のように戻っていた。
「……ふう。これで、ひとまず片付いたな」
シエラは軽く汗を拭いながら、倒れ伏したワイルド・ベアの群れを見渡した。
すでにステファニーが次々と《光滴》を落とし、光の雫がぽとぽとと魔物の体へ染み込んでいく。
「うう……怒ってるベアさん、ちょっと怖かったの。お菓子で仲直りしようとしたけど、ぜんぜん受け取ってくれなかったの〜」
「そりゃ戦闘中にお菓子差し出されても怒りは収まらんだろう」
「えぇっ!? わたしなら収まるのに!」
シエラは肩を落とした。
(こいつはどれだけ甘いものに弱いんだ……?)
とりあえず、遺体の処理はステファニーが行ってくれるので問題はない。問題は——。
「……この目だ。完全に血走っていた」
シエラは倒れたベアの顔を軽く持ち上げ、鋭い視線で確認する。
「迷宮から漏れ出した魔力の影響だ。普通の凶暴化とは桁が違う」
「やっぱり、迷宮って怖いの……お菓子持ち込んだら怒られちゃうかな……」
「怒られるかどうかは知らんが、持ち込む気はあるんだな」
そんな冗談を交わしつつ、シエラはベアの周囲を見回った。
周囲の岩肌に、深い裂け目が走っているのが目に留まる。
「ステファニー、これを見ろ」
「ひえ……なにこれ、ベアさんの爪なの? こんな深く? え、これ鉄板削ってない?」
「鉄板どころか、鋼鉄の扉を一撃で切り裂くレベルだ」
「そんなの、わたしの胸に当たったらペチャンコになるの〜!!」
「いや、まず避けろよ」
冗談を返しながらも、シエラの表情は険しい。
ベアの爪痕にしては明らかに異常。サイズも深さも一致しない。
シエラは森の奥を見やり、痕跡を辿って歩き始めた。ステファニーは慌てて後を追う。
「お姉さん、勝手に行かないでー! 置いてかれたら、わたし森で迷って一週間ぐらい泣くの〜!」
「それはそれで村の迷惑だろうが」
しばらく歩くと、木々が広範囲にへし折られた開けた空間に出た。
そこには、巨大な足跡——
いや、もはや“地面の陥没”と言った方が正しいほどの跡があった。
「な、なにこれ!? 巨人!? 巨人族の湿気でぺちゃん……」
「いや、違う。……こいつは」
シエラの眉がぴくりと上がった。
「タイラント・アームドベアだ」
「たいらんと……?」
「最上位種のワイルド・ベア。普通のベアの三倍以上。常に直立で、重装騎士みたいに肩と胸と腕が硬質化している。天然の板金鎧だ。しかも凶暴で、統率能力まである」
「とう、統率って……ベアさん同士で“作戦会議”するのっ!?
『今日の戦略は包囲だ、モフモフ部隊は左から回れ!』みたいな!?」
「まあ……概ねそんな感じだ」
「ひえぇぇぇぇぇぇぇ!! ベアさんが軍隊持ってるの〜!!?」
シエラはさらに足跡を調べながら、小さく唸る。
「奴がこの群れを支配していたと考えるのが妥当だ。しかも……まだ群れが残っている。村の長から聞いた“残数”を思い出せ」
ステファニーの顔から血の気が引く。
「……あれ全部? 怒ってるベアさんたち? え、数……多すぎじゃないの……?」
「そうだ。俺たちが倒した分など、氷山の一角だ」
シエラは迷宮の入り口へ視線を向けた。
「俺とステファニーだけなら……
タイラント一体なら、持久戦で勝てる見込みはある」
「そ、そうだよね! わたしが《聖癒》で回復し続ければ、お姉さんは死なないの!」
「まあ、死にはしない。だが」
シエラは深く息を吐いた。
「周囲にまだ大量のワイルド・ベアがいる。
中ボス級の群れを相手にしながら、最上位種と戦うとなれば……」
「……」
ステファニーの表情がゆっくりと曇る。
自分が狙われれば、シエラの盾は機能しなくなる。
「二人じゃ……無理、なの?」
「無理だ」
シエラはきっぱりと言った。
「Sランクの仕事は、強さだけじゃない。
“撤退を判断する勇気”も含まれる」
「お姉さん……撤退、するの?」
「する。村に戻って報告書をまとめて、本隊に戻る。ギルド本体へ増援を要請だ」
ステファニーは小さく唇を噛んだが、すぐにぱっと笑った。
「……うん! お姉さんが無理しないなら、わたしも無理しないの!」
「お前は普段から無理してるだろうが」
「え? してる? お菓子食べてる時も?」
「それはただの自堕落だ」
「ひどいの〜!!」
二人は笑いながら、来た道を戻り始めた。
背後には、まだ見ぬ暴君——タイラント・アームドベアの気配が重く漂っている。
「それにしても……」
ステファニーがぽつりと言う。
「タイラントさん、怒ってる理由……お菓子嫌いだからだったりする?」
「そんな理由だったら世界はもう終わってるぞ」
「えぇぇぇ!? じゃあ理由教えてよ〜!」
「知らん!」
そんなやり取りを続けながら、二人は辺境の村へ戻っていった。
そしてこの日、ステファニーは悟る。
——Sランクのシエラがいても、二人で挑んではいけない戦いがある。
暴君ベアの気配だけが、森の奥に重く残るのだった。




