第十三話:絆回復、二人の呼吸が合うよ〜
迷宮下層の通路には、さっきまでの激しい戦闘の余韻が、まだ薄く漂っていた。石床にはシャドウ・ウルフの黒い残滓が煙のように溶けていき、湿った冷気だけが静かに残る。
その場に、二人だけが取り残されていた。
ステファニーは刺メイスを握りしめたまま、まるで石像のように俯いている。肩は小さく震え、さっきまでの強気な顔はどこにもない。
「……ごめんなさいなの……」
声は、本当に消え入りそうだった。
いつもの語尾の伸ばしも弱々しくて、どこか泣き声に近い。
シエラは大盾を静かに立て掛け、息を整える。
怒りは既に収まっていたが、その顔には別の疲労と、まだ抜けきらない恐怖が残っている。
「調子に乗るとか、そんな軽い話じゃねえんだ」
シエラの声は低く、落ち着いているのに、耳に刺さるほど重い。
「下層での一瞬の判断ミスは、パーティそのものが死ぬ。全滅だ。……俺も、お前も」
ステファニーはびくりと肩を揺らす。
「うん……。わたし、分かってなかったの……。お姉さんが、あんなに怒るなんて初めてで……。すごく、怖かったの……」
「……怖かったのは、俺も同じだ」
静かに告げたその一言で、ステファニーは顔を上げる。
シエラの手が、微かに震えていることに気づいた。
怒りではなく、
――失うかもしれなかった恐怖で震えているのだ。
シエラはステファニーの隣に腰を下ろす。鎧が石床に触れる鈍い音が響いた。
「いいか、ステファニー」
「……はいなの」
「お前は、このギルドで唯一無二の特級回復士だ。お前の魔法は、俺の盾より信頼できる」
ステファニーの目が大きくなる。
褒めてもらえた喜びより、その後に続く言葉を恐れて身を縮める。
シエラは続けた。
「……だがな。回復士がお荷物になってどうすんだ。前に出て簡単に死にかけるなんて、言語道断だ。俺が守らなきゃ、誰がお前を守るんだよ!」
声は強いが、その奥に焦りと必死さが混じっている。
ステファニーは、ぽつりと呟く。
「お姉さん……そんなに、わたしのこと……」
「言わせんな、恥ずかしい」
シエラはそっぽを向いた。けれど耳は真っ赤になっている。
「俺が大盾を持ったのはな。……お前が二度とバカな真似をして死なないようにするためだ。俺が“絶対にお前を前に出させない壁”になるためなんだよ」
ステファニーの胸に、熱いものがじんわり広がっていく。
自分のために、ここまで言ってくれる人がいた。
叱ったのは怒りじゃなくて、心配だった。
怒鳴ったのは嫌いだからじゃなくて、守るためだった。
そう気づいた瞬間――
「お姉さん……ありがとなの……!」
堪えきれず、涙が溢れそうになる。
「わたし、もう分かったの。わたしは、お姉さんを守るための専用武器なの! 回復でお姉さんを動かせる、最強のサポートなんだよ〜!」
「……武器って表現は違う気がするが……まあいい」
「殴りたいってワガママ、もう言わないの。前に出ないの。ずっと、お姉さんの背中にくっついてるの〜!」
「……それはそれで邪魔だから距離感は考えろ」
「はいなの〜!」
ステファニーは勢いよく立ち上がった。涙の跡を拭い、力強く笑う。
その笑顔は、いつもの「前に出たい回復士の暴走スマイル」ではなかった。
シエラを信じ、支える覚悟を帯びた、強い笑顔だった。
シエラはその横顔を見て、小さく呟いた。
「……そういう顔してくれりゃ、俺も本気出せるってもんだ」
大盾を握り直し、シエラは前方を見据える。
「行くぞ。迷宮下層はまだ続く。今度は俺の呼吸を感じろ。俺が攻撃に移るタイミング、防御に入るタイミング――全部、お前が合わせろ」
「もちろんだよ〜! お姉さんの呼吸、ぜーんぶ感じ取るの〜!」
「変な言い方すんな」
「照れてるの〜?」
「照れてねぇ!」
さっきまでの重苦しさは完全に消え、二人の呼吸はぴたりと重なっていた。
シエラが前に出る。
ステファニーが後ろで準備する。
鋼の壁と即時の回復という、常識外れの連携。
二人だけの、新しい“呼吸”。
その一歩目が、静かな迷宮の奥へと踏み出されたのだった。




