第十二話:暴走ステファニー、シエラ激怒〜、迷宮下層の修羅場〜
迷宮下層は、上層とは比べ物にならないほど空気が重かった。
湿った空気が肌に貼り付き、ひとつ踏み込むごとに視界が陰り、どこか遠くで獣の唸り声が響く。
普通のパーティなら、ここに来るだけで緊張で足がすくむ場所だ。
だが――
「お姉さん! ロックベア倒せたの〜! わたし達すっごいの〜!」
ステファニーはテンションMAXで跳ねていた。
剛腕のロックベアを撃破し、自分たちの連携が“下層でも通用する”と分かったのがよほど嬉しいらしい。
シエラは汗を拭いながら、厳しい声を出す。
「ステファニー、喜ぶのは後だ。下層は上とは桁が違う。
今の連携、絶対に崩すな。盾から離れれば即死だぞ」
「は、はいなの〜! 今日はちゃんと離れないの〜! わたし、もう前衛として完璧なの〜!」
“前衛として完璧”というフレーズに、シエラはピクッと眉を動かした。
(……嫌な予感しかしないな)
だが、今のところは本当に完璧だった。
ロックベア戦も、ステファニーはシエラの背に貼り付き、回復も支援もタイミングぴったりだった。
この調子なら、下層のある程度まで一気に行ける――
そう、思っていた。
迷宮を進むと、奥から影が揺れた。
「シャドウ・ウルフか。来るぞ!」
黒い影が床を滑るように現れ、その身を実体化させた。
狼のような姿だが、体毛は影そのもののように揺れ、瞳は赤い光を帯びている。
「速いぞステファニー! 絶対に張り付いていろ!」
「は、はいなの〜!」
その瞬間、シャドウ・ウルフの爪が閃き、シエラの大盾を叩いた。
ガキィィッ!!
「重っ……!」
シエラの足が後ろに下がる。
速いだけでなく、力もある。
上層のオークとは格が違う。
シエラは防御に徹するが、シャドウ・ウルフは影に分身を作り、死角から攻撃を仕掛けてくる。
「くっ、厄介だな……!」
ステファニーは後ろでプルプル震えていた。
「お、お姉さん……攻撃が当たらないの〜! どうしようなの〜!」
「俺が動きを止めるまで絶対動くな! いいな!」
「は、はいなの……けど……けど……!」
ステファニーの中に、非常に危険な考えが芽生える。
(わたし、ロックベアも“ツンッ”できたし……
ちょっとくらい前に出ても……すぐ治せば大丈夫なの〜……)
ギルドの職員ならその思考だけで気絶しそうな危険思想だ。
シエラが分身の一つに気を取られた瞬間――
ステファニーは決断した。
「わたしが刺せばいいの〜!」
「おい馬鹿やめろステファニー!!!」
だが遅かった。
ステファニーは盾の横をスルッと抜け、
まるで昨日の大惨事を思い出したくないほどの“突撃姿勢”で駆けていく。
「どっせいなのーーー!!」
「言ってる場合かあああ!!」
シャドウ・ウルフは影のような動きでヒュッと避け、
逆にステファニーの腕に爪を走らせた。
バシュッ!!
「ひゃぁぁあ!!」
薄く切れた腕から血が飛び、ステファニーは慌てて回復魔法を発動する。
「《光滴》なの〜!!」
ポトリ、と光が落ち、傷は瞬時に塞がる。
問題は違う。
――その数秒、ステファニーが完全に無防備だったことだ。
背後で、影が膨れ上がる。
「ステファニーッ!!!」
シエラが大盾でステファニーを突き飛ばし、
次の瞬間、背後から迫っていたシャドウ・ウルフ本体の攻撃を正面から受けた。
ガギィンッッ!!
ただの一撃とは思えない衝撃音が響く。
シエラの足がズザザッと後退した。
だが、問題はシエラの顔だった。
真っ青だった。
「お、お姉さん……?」
戦闘を強引に終わらせ、シエラは大剣を振り、
シャドウ・ウルフの影と本体を無理やり両断した。
倒れた瞬間――
シエラは、崩れ落ちそうなステファニーの胸倉を掴んだ。
「テメェ、何をしてる!!!」
洞窟が揺れるほどの怒声だった。
ステファニーは涙目で震える。
「ご、ごめんなさいなの……でも、わたしが刺せば隙が――」
「隙なんて作らなくていいッ!!」
シエラの叫びに、ステファニーはビクッと震える。
「一度成功したくらいで調子に乗るな!
ここは下層だぞ! 一秒の油断が命取りなんだ!
なんで指示を無視した!!」
「だ、だって……お姉さんが攻撃できなかったから……わたしが……」
「違うだろ!!!」
シエラの手が震えているのを、ステファニーは初めて気づいた。
「お前が死んだら、誰が俺を治すんだ……!!
お前は、俺が絶対に死なせないために、後ろに立たせてる相棒なんだ……!
もし、お前が死んだら――俺も終わりなんだよ……!」
その声は怒りだけでなく、
むしろ“恐怖”の色が濃かった。
ステファニーの喉がキュッと詰まる。
「……お姉さん……」
「次に同じことをしたら、もう連れて行かない。
二度とだ。絶対にだ」
シエラの声は震えていた。
怒りよりも、心からの悲痛が滲んでいた。
ステファニーはようやく理解した。
自分が死ぬことが怖いのではない。
シエラにとって、“自分が死ぬ=シエラも死ぬ”ということなのだ。
ステファニーは涙をこぼし、深く頭を下げた。
「ごめんなさいなの……絶対にもうしないの……
お姉さんを……危ない目にあわせたくないの……」
シエラは大きく息を吐き、手を離した。
「分かればいい。生き残れステファニー。
俺の隣に立ちたいなら、それが最低条件だ」
涙目のステファニーは必死に頷いた。
「う、うん……生きるの〜……! 絶対なの〜……!」
迷宮の冷たい空気の中で、
二人はようやく、“本当の前衛と回復士の関係”を理解し始めたのだった。




