はしかくし
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
む……あれは「はしかくし」だな。いまどき、このあたりではだいぶ珍しいものだ。
つぶらやくんも見たまえ、あの木の枝の一本。先っちょに黄色い布が巻かれているだろう。よく嗅いでみれば、ミントに似た香りもするはずだ。
普通の剪定で手を入れた直後だとしても、ああした手の込んだ処置はまずやらない。となると、こいつは「はしかくし」をやっているんじゃないかと判断できるんだよ。
――なに? はしかくしをよく知らない?
ふむ、建物の階隠に比べると、さほどメジャーでもないだろうかね。私のまわりでも知らない人の数は増えているが、そのぶん君のネタにはなるかもしれないな。
ちょうどいい。はしかくしの話をしようか。
世の中、思いもよらぬめぐりあわせにより、思いもよらないできごとに遭うことはしばしばある。
小説とかみたいに、世界のすべて、人物のすべてを見渡し、関係を把握できたのなら必然なのだろうが、あいにく全知に至れない我々は幸不幸と認識して、受け止めるのがせいぜいだ。
とはいえ、ただ流されるままをよしとはしないのも、また人間。これから来るやもしれない不幸をむざむざ受けるほど、「趣味のいい」人ばかりじゃないのさ。そして、その不幸の予兆に対する策のひとつが、この「はしかくし」というわけだ。
多くの人の中で、ごく珍しい体質を持つものがいるように、「はしかくし」を行われる木もまた特別性だ。特定の種とか属があるわけではなく、あらゆる植物がその素養を持つ可能性がある。
はしかくしを行われるものの枝や葉は、ときおり本来の色とはかけはなれた色へ、一夜にして変貌するときがあるんだ。これは不幸の予兆とされ、的中率は非常に高い。
実際のところ、コミュニケーションを取れない植物がどのような予言をしているかは我々には分からない。ちょっと都合の悪いことがあると、すぐにその予兆のせいであると、言い訳しているのかもしれない。
しかし、それでもはしかくしが行われるほどには警戒されているわけさ。
はしかくしをするにあたり、まず変色した枝や葉の先は切り落としてしまう。その後、ハッカ類の香りをしみ込ませた布を巻きつけておくんだ。布の色は黄色、赤色、黒色が望ましいとされる。それを少なくとも24時間はそのままにしておくのだ。
私の聞いたところだと、悪魔の目鼻をつぶすためと説明されている。
様々な災いをもたらしうる悪魔は、人の手によるものの判断はつかないが、自然の動植物の判断はつく。ゆえにそこに生まれる色や模様を手掛かりとして、人の世へ出現するとされているんだ。
突然の変色は、そのまま悪魔の呼び水となる。そのためすみやかに取り除いたうえで、またすぐ顔を出さないように、人の手によって加工された色と香りを帯びた布でもってカモフラージュするというわけだ。
人がみずから手を入れて、自然と超自然的なものから身を守る。ある意味、元来の征服欲のあらわれととれるかもしれない。
では、はしかくしをしなかった場合には何が起こるのか。私の聞いた中でも著名なものを話そうか。
ことは、今より数百年前。本来、枝の先に芽吹くだろう梅のつぼみの一角が、一夜にして黒々と染まってしまったという。
もともとついていたつぼみも落ちてしまったのか、その姿がなくなったところには陽の光も照り返さない闇が広がっているばかり。誰かが焼け焦がしても、ここまで至ることはそうそうないだろう。
はしかくしをするべきでないか、という声もあがったが、当の木の主はその提案を頑として受け付けなかったという。理由についてははっきりと伝わっていないが、どこかで言い伝えの悪魔の力を見くびっていたのではないか、と考えられているようだ。
そうして、枝をはしかくしせずに放っておいた、その日の晩。
木の主の家に仕えている小僧さんの一人が、離れにある厠へ起きた際に、ふと梅の木のほうを見やったそうだ。
すると、昼間に黒ずんでいた枝のあたりに、ぽっと火がともった。尋常なものでないのは、よく見るだいだい色のものでなく、透き通るような青色をしていたことから瞭然だった。
枝一本をまるまる包み込むほどの大きさとなったかと思うと、にわかに火はまっすぐ小僧さんのいるほうへ飛んできたらしい。
思わず身をかわしたが、火は小僧さんに当たらずともそのまま背後にある母屋の壁へと向かっていく。そのまま壁に当たるかと思いきや、火はそこに何も存在していないかのごとく、すうっと中へ溶け込んでいってしまったらしいんだ。
腰を抜かしかける小僧さんだったけれども、やがて勇気をふりしぼって母屋へ引き返してみる。
先のような火がいつ出てきても対応できるよう――とはいっても、壁を通り抜けた様子をみるに望み薄だが――竹ぼうきをたずさえながら歩くも、ほどなく異臭が鼻をついた。
焦げ付くまでに焼いた肉の臭い。それも決して香ばしいものではない類のもの。あわてて屋敷内をめぐった小僧さんが見たのは、木の主を含めた屋敷にいた全員の焼死体だったという。
真っ黒く焼けた寝た姿のまま、逃げるどころか動こうとした様子も見られない。周囲の壁、障子、布団や畳にさえも一切の焦げは見られない。ただただ、人であったものたちばかりが焼けて横たわっている。その状態だったとか。
悪魔と呼ばれるものでなくては、とうていできない芸当に、この現象は悪魔火、幽霊火などの呼び名でもって、私たちの間に伝わっているのだよ。