プロローグ
『出たな、悪の秘密結社ダイアクカン!貴様らの悪行はこの“焔仮面”が許しはしない!!』
画面の向こうに映る燃える仮面を被った戦士を、煌く瞳で見つめる少女がいた。
彼女は幼い頃から、ヒーローが大好きだった。
何時彼女が彼らを好きになったのか、彼女自身も覚えてはいない。
周囲の友人たちが次々と年相応の娯楽へ移って行っても、彼女の熱は冷めることはなかった。
無論、それが虚構の存在であることは彼女は重々承知していた。
けれど彼らが魅せた輝きは、心に響いた言葉は、彼女にとって本物であった。
彼らに恥じない人間になろう。
彼らのようなヒーローになろう。
そう思い続け、努力を重ね、周囲から畏敬の念を集める存在となっていた。
後輩のみならず同学年、はては先輩や教師ですら彼女のことを頼り、尊敬していた。
だからだろうか。
卒業を間近に控えたある日、彼女は導かれるようにして校舎裏の枯れた桜の木の元へ現れた。
ふと気になり桜の木に触れた瞬間、木の幹から眩い閃光が溢れ出した。
耐え切れずに目を瞑る。
その状態で数秒経った頃、周囲の様子がおかしいことに気づいた。
動物の気配がする。それも明らかに野生動物の気配。
都会程ではないものの、彼女の在籍している学校は都市の中心部に存在していることから、今のように四方八方から動物の鳴き声がすることなんてありえない。
「ええぇ…………」
恐る恐る瞼を開けた彼女の視界に飛び込んできたのは、森だった。
周囲のすべてが木々で埋め尽くされた大森林。
桜の木や校舎など姿かたちもない。
彼女は自身が異世界へと転移させられたのだと気づくのに、そう時間はかからなかった。
「…………ん」
ゆっくりと、彼女は目を開く。
体を起こし、手を組んで大きく上に体を伸ばす。
「随分懐かしい夢見た気がする……」
二度三度瞬きし、彼女は寝惚けた頭を叩き起こす。
今は何時かと時計を見れば、彼女が最後に覚えてる時刻から十分も経っていないことがわかる。
今後の予定はなんだったか、そう彼女が思考を巡らせた時だった。
「よっす、いい顔で寝てたよあんた」
聞き覚えのある声が背後から響く。
「ダイヤじゃん。もう授業終わったの?」
「とっくのとうに終わったよ。あんたは寝てたけど」
「昨日もほぼ徹夜だったからなぁ……。次は気をつけないと」
居眠り一回で成績が落ちるほど勉学をサボっているわけではないが、これが続く様では色々と面倒な方々からのお説教が待っているのを彼女は知っていた。
「新しい武装の研究だっけ?そんなに行き詰まってるの?」
そう尋ねつつ、空いた席に腰掛けるダイヤ。
「いんや、殆ど完成してるんだけどさ。肝心のこの子が全然私に懐いてくれないのよね。いくら魔力を込めても手ごたえがないんだよね。まるで中身が入ってないみたいに」
そう言って、懐から白い長方形の物体、この学園ではよく知られた魔倉と呼ばれているそれを取り出して左右に振る。
「はぁ?懐く懐かない以前に、あんたに従えられない魔獣なんていないでしょ?」
「そりゃまぁねぇ……。本気で調教すれば言うことは聞いてくれる様にはなるけどさ。私が欲しいのは背中を預けられる仲間であって奴隷じゃないのよぉ…………」
がっくしと、力なく項垂れる。
「贅沢な悩みね。同学年どころか先輩たちですらその魔獣を捕まれられた人なんて殆どいないのに」
「捕まえようと思えば誰でもできるんだけどなぁ……」
「魔装なしで魔獣が住む森の最深部でキャンプする馬鹿が他にいればできるかもね。そんな馬鹿が他にいれば」
「二回言った!?二回言ったよね今!」
「おうよ馬鹿オブお馬鹿」
「ぐふっ……」
抗議のため勢いよく体を起こすが、面と向かってそう吐き捨てられて再び机に倒れ伏す。忙しい女である。
「ほらほら、そんな所で寝てると風邪引くよ」
「誰のだと思ってるのよぉ……」
ゆさゆさと体を揺さぶられ、渋々起き上がる。
「まあ茶番はここまでにしてさ、今度の魔装闘技会にさ、最近入ったばかりの転校生がエントリーしてるの知ってる?」
「転校生?そんなのいたっけ?」
記憶を想い起こすが、心当たりがない。
「こっちじゃなくて、騎士科の転校生よ」
そう言われて思い出すをやめる。
違う学科の出来事など、たとえ聞いたとしても覚えているか怪しかったから。
いや、それよりも一つ気になることができた。
「騎士科の?あそこ、エントリーするのにクラスの半数以上の了承が必要なんじゃなかった?」
魔装騎士科、通称“騎士科”。ゴルダナード王国立魔装学院に設立された魔装騎士を育成する専門学級である。
王国最強の剣たる黒色騎士団への入団者の多くがこの学院の出ということもあり、王国各地からその門を叩く者が後を絶えない。
しかし、その条件は厳しく。魔力、身体能力共に優れている者のみが入科を許され、更にその中から上位に選ばれたか特異な成績を残した者のみが黒色騎士団への入団を許可されるという仕組みになっている。
成績上位になる方法は座学や魔獣討伐など課外活動への参加などあるが、最も知名度が高いのが魔装闘技会への参加である。
魔装闘技会は毎年恒例の行事として学外の人間も観戦することが可能であり、ここでの戦績が実技への大きな加点項目となっていることも知られている。
だからこそ、騎士科の生徒は誰しもこの闘技会への参加を熱望しており、参加資格を得るために日々修練を重ねているという。
「そうそう。その出場権を勝ち取ったのが見知らぬ転校生だから、うちらのクラスも大騒ぎしてるのよ」
「はわぁ、すごい人もいたもんだね。所謂野生の天才ってやつ?」
さして興味はないようで。魔倉をいじりながらそう言った。
「何よその変な言い方。……まぁ天才っちゃ天才でしょうね。さっきうちのクラスのローセと決闘して負かしてたし」
「へぇ」
一言で終わってしまう。
「………………それだけ?」
「何が?」
「いや、感想が」
「特に興味ないかな。ローセって確かそっちのクラスの実力者だったと思うけど、ダイヤと比べたら天と地の差があるでしょ」
「そりゃそうだけどさぁ……。あんたはもう少し騎士関係について興味とか待った方が良いんじゃない?」
ダイヤの期待した反応ではなかったようで、呆れながらそう尋ねる。
「失礼な。私以上に魔装騎士に人生を捧げてる人なんてこの学院にはいないと自負してるのに」
ダイヤの言葉に納得いかなかったのか、やや不満気に目を細める。
「その方向性がおかしいって言うのよ。仮にもあんた黒色騎士団団長の妹でしょうに。強いお義兄さんが近くにいながら憧れるとかしなかったわけ?」
「全然まったく」
きっぱりと断言する。
その瞳は澄み切っていて、嘘はついていないのだとダイヤは理解してしまった。
「兄様のことは養子に入る前から知ってたけど、強い弱い以前にポンコツな所ばっか見てたからそう言うのはないかな」
「…………たまに聞くけどさ、それ。あんたの言う兄上って本当にあの王国最強の騎士オニキス・ブラックモアで間違い無いのよね?同姓同名の別人なわけじゃないよのね?」
空を見てそう思い返していた彼女の話を信じたくないのか、ダイヤは恐る恐るそう問いかける。
「もちろん。私の兄様はそのオニキス兄様ただ一人だよ」
「えぇ……。私家の都合で何度かお会いしたことあるけど、完璧で隙がない凄い人だって思ってたのに…………。一時期は家族の反対を押し切ってでも黒色騎士団に入ろうとまで思ってたのに………………」
自分が勝手に抱いていた幻想が打ち砕かれ、今度はダイヤが机に頭を落とす。
それを見て可笑しげに笑う。
「なにそれちょっと笑う。この前も兄様ってば『世話になった礼に甲冑はどうだろう?』っ聞いてきたんだけど」
「……それって相手は?」
「もちろん、騎士じゃない人」
「そんな人がもらっても飾りにしかならないじゃん……」
「ほんとにね。私が来るまでどうしてたのか割と謎」
そう言って笑う。
次は何を話そうか、そう考えているは急に背後から声をかけられた。
「ルビィお嬢様、お迎えに上がりました」
ダイヤは驚き振り返る。
そこにいたのは顔を布面で隠した質素な出で立ちのメイドだった。
ダイヤは彼女のことを知っていた。
ダイヤがブラックモアの屋敷を訪れた際に何度か目にしていたことがあった。
いや、一度見たらそうそう忘れられない風貌なのもそうだが、目の前の友人に会いに行く際にちょくちょく顔を合わせているのだ。
その友人、ルビィ・ブラックモアはゆっくりと首を上げ、見上げるような姿勢でメイドへ声をかける。
「あれ、シルさんじゃん。今日、何か予定あったっけ?」
「いえ。先ほど義兄様がお見えになりましたので……。急を要する事態だそうで」
「は?私なんかいなくなって兄様だけで大抵のことは何とか……いや、まって」
衝撃のあまり立ち上がっていたルビィだったが、何かを思い出して右手で目頭を覆いながら考える。
「兄様、他に何か言ってなかった?例えば服装とか、場所とかについて」
「……おっしゃられてましたね。付け加えるなら『時間がない』とも」
それを聞き、疑惑が確信に変わる。
「OK、いつもの事ね。それだったなる早で帰ったほうが良さそうね。じゃ、そう言うことだからまた明日」
「あ、うん……また明日」
呆気に取れながらも、風のように去っていくルビィの背中を見送る。
気が付けば先ほどの不審なメイドも姿を消していた。
「全く、ほんとに忙しい子ね」
そう言って彼女が先ほどまでいた席を見つめる。
「誰もが羨む名家ブラックモアに引き取られて、現最強騎士を義兄に持ち、才能も申し分ないっていうのに、どうしてその本人は《《魔装整備科》》なのかしらね」
魔装整備科。それは常に前線で戦うことが主な魔装騎士たちの装備を取り扱う整備士を育成する科目である。
才能がものをいう魔装騎士科と異なり、知識があれば誰でも入れることから魔装騎士になりそこなった者がこちらへ編入することも少なくない。
だからこそ、ルビィが整備科に在籍している現状が非常に惜しいと彼女は思う。
「あんたが同じクラスにいてくれたら、私ももっと気合が入るのに」
ぽつりと、一人呟く。
呟き、彼女の席を少し見つめた後、ダイヤはこの教室を後にした。