6.忘れられない声
ギャラリーのドアベルが鳴る、かすかな音に反応して、蓮が顔を上げた。
「……七海さん?」
ふいに現れたその姿に、驚きと、どこか安心したような表情が浮かぶ。
七海は、昨日と同じ服のままだった。寝不足のような目。だがその奥に、言葉にできない切迫感があった。
「……話がしたくて、来ました」
蓮は、軽くうなずいてキャンバスの前から離れる。
ギャラリーの隅、窓際に置かれた小さなベンチに並んで腰かけた。
「変な話に聞こえるかもしれないけど、聞いてほしいの。あの絵を見てから、夢を見始めたの」
七海は静かに語り出した。
燃える建物、叫ぶ声、抱きしめられた温もり――そして、「お前を、守る」という言葉。
「……夢の中で私は、あなたのことを知ってる気がしたの。名前は思い出せないのに、心が覚えてるみたいに」
蓮は黙って聞いていた。
ただ、時折、視線が揺れる。何かをこらえるように、唇を引き結んでいる。
「俺も……夢を見るんだ。君の言う夢と、似ているかもしれない」
彼の声は、静かだった。
「火の中で、誰かを探している。何度も名前を呼んでる。だけど顔は思い出せない。ただ、その人だけは、なぜか……君に似てるんだ」
言葉の間に、胸の奥が熱くなる。
七海は、自分の手を握った。震えそうになる指先を、見せたくなかった。
「私たち……前にも、どこかで会ってたのかな」
ぽつりとこぼしたその言葉に、蓮がゆっくりと首を振った。
「“初めて”会った気はしなかったよ。初めてなのに、懐かしくて……」
ふたりの間に、静かな沈黙が流れる。
窓の外では、夕暮れが街を橙に染め始めていた。
七海は立ち上がる。
「……ありがとう。話して、少し楽になった。変な話を信じてくれて」
蓮は小さく微笑んだ。「変な話じゃないと思うよ。俺も、信じたいから」
ギャラリーを出た七海の背中に、風が通り抜けた。
どこか懐かしいような、あの言葉がまた心に残っていた。
「お前を、守る――何度でも」
*
その日、七海はまた夢を見た
夜の静寂。
焚かれた香の煙が、白い布をまとった少女の髪をなでていく。
彼女は神殿の石段にひとり、座していた。
背後では、鈴の音。
赤い彼岸花が夜に揺れる。
その中心に、自分はいた。
「この身を、神に。捧げます……」
額に触れた冷たい手。
だが次の瞬間、男が現れた。
「――ここにいてはいけない――!」
その声。
夢なのに、なぜか心が震える。
「あなたは、だめ……神に触れた者は、呪われる……!」
「――お前を、守る。――何度でも」
ふたりが走り出した瞬間、背後で火が上がった。
神殿が燃え、鈴の音が歪む。
誰かが叫んでいる――いや、自分だ。
そして炎の中、手を離された瞬間――
七海は、現実に引き戻された。
*
息が切れていた。
汗をかいた手で、シーツを握りしめる。
目覚めたばかりの七海は、夢の中で呼ばれた名前と、守るという言葉が、心の奥に深く残っているのを感じていた。
それは、空想なんかじゃなかった。
「私たちは、何度も――出会っていた」
そしてそのたびに、彼は――
「私を、守ってくれていたんだ」
胸の奥が、熱を帯びていた。