11.始まりの地へ
風が、かすかに木霊のように吹き抜けた。
古びた祠の奥。
蓮がろうそくの火を灯し、七海がそっとページをめくる。
墨のにじんだ古文書の一節に、二人の視線が止まった。
「命をもって、輪を断つ。
魂を二つに引き裂き、いずれかを神へ返す」
七海は無意識にページに触れた指を引っ込める。まるで、その言葉が熱を持っていたかのように。
「この“儀式”……成功しても、二人が揃って生きられるわけじゃない……?」
そう呟いた七海の声は、震えていた。
蓮は静かに頷き、地図の端に記された“印”を指でなぞった。
「これはたぶん、“始まりの神殿”の場所だ」
古地図の模様を現代の地形と照らし合わせた結果、その印は、ある山中の「神籠石」が祀られた地と一致していた。
*
車を降り、杉林の中を二人は歩いていく。足元は湿っていて、枯葉が靴にまとわりついた。
日が傾き始め、空気が徐々にひんやりと変わる。
「……ここ、本当に人気がないんだね」
「それだけ、隠されていた場所ってことかもしれない」
やがて木々がぱたりと途切れ、ぽっかりと空いた広場が姿を現す。
苔むした鳥居、倒れた石柱。
そして中央に、一つだけぽつんと立つ、黒い神籠石。
七海がその場に立った瞬間、突然――
「――ッああ……っ」
膝が崩れそうになるのを、蓮が支える。
彼女の目に、現実と幻の境界が混じり始めた。
“ここで、わたしは……何度も、死んでる”
風が吹き、火の粉が舞う
何度も、彼岸花の中に倒れていく記憶
そのたび、蓮の姿がすぐ近くにあった
血まみれの手、叫び声、泣きながら抱きしめられる感触
「七海、大丈夫か?」
息を荒くして、七海は首を振る。
「ここが、始まりの場所……わたしと、あなたの……最初の罪が始まった場所なの……」
*
神籠石の裏側に、誰かが手で掘ったような小さな穴があった。
中には、封を施された石箱。
蓮が箱を開けると、中には掌ほどの透明な玉――
それはまるで水晶のように澄んでいたが、見る角度によって色が揺れた。紅、藍、金、黒。
七海がそっと触れた瞬間、視界が一変する。
まだ見たことない記憶が、流れ込む。
奈良時代――寺の娘と僧
平安――陰陽師と巫女
戦国――武将と敵国の姫
昭和――画学生と少女
死、火、逃避、約束、破られた誓い
“お前を、守る”という声とともに、繰り返される別れ
涙が自然に溢れた。七海の肩を抱いた蓮もまた、黙ったままその玉を見つめていた。
そのときだった。
空気が、凍りつくように変わった。
神籠石から、黒い靄のような影が立ち上がり、
そこに現れたのは――巫女装束の“七海”だった。
だがその目は冷たく、どこか異質だった。
「また来たのね。何度も、何度も」
「過ちを繰り返すなら、今度こそ終わらせる」
七海は、息を呑む。
「わたし……あなた……?」
その巫女の目は、まっすぐ七海を刺すように見据える。
「わたしは、“お前が最初に神を裏切った瞬間”の魂」
「愛する者を守るために、神との誓いを破り、世界の理を壊した存在」
「ならば罰として、お前自身が、お前を断たねばならぬ」
蓮が立ち塞がるように前へ出た。
「それでも、俺は彼女を守る。たとえ、敵が彼女自身でも」
影は微かに笑った。
「ならば、試すがいい。この魂の強さを――」
次の瞬間、地面が揺れ、黒い風が吹き荒れた。
七海の中で、“今の自分”と“過去の自分”の対話が始まる――
輪廻を断ち切るために、彼女は「過去の自分すら超える」覚悟を試されようとしていた。