04都市
「バルサミナさんがよろしければですけど、行き場に困っているなら都市まで案内しますよ。」
とても魅力的な提案だ。この場に留まっていても危険と隣り合わせ、いつ死んでもおかしくはない。盗賊のような輩に襲われることも多そうだし、この世界の生態系もどのようなモンスターが潜んでいるのかも分からない現状では安全を確保するのも難しいだろう。都市に着けば襲われることも餓死する可能性も格段に減るはずだ。
「ありがとうございます」
「それじゃあ行きましょうか。
都市までは歩きでおよそ三時間ほどです。」
「そういえば、今何時くらいなんでしょうか?」
「時間ですか?正確には分かりませんが私が朝出発してからなので、十一時ぐらいですかね。」
彼女はその都市からこの森までに何か目的がありやってきたというところだろうか。
フォリスはこの森を出ようと歩を進め、それにマギアは続いた。何もかもが異質なマギアに対して深く追求することはなくそういう事情だと割り切って自分から話すまで待ってみようとフォリスは思った。フォリスの拠点の中心である今から向かう都市は主要な国から距離があり国家間の戦争の逃亡兵や行き場を失った者を密かに受け入れていたり移民などに対して比較的寛容であるため身元不明者は特別珍しくはない。
「冒険者って何をする職業なんでしょうか?
モンスター討伐とかですか?」
「一応そうですね。生活圏内に沸く敵対モンスターの掃討が基本で、討伐数によって報酬も変わります。他にも薬草採取や護衛、引っ越し手伝いとか色々ありますね。ギルドで貼り出されている依頼を専門に受けるのが冒険者という感じですね。資格とか必要なくて誰でも簡単にその日のうちになれる敷居の低さも魅力の一つです。」
ギアが上がったかの如く少し饒舌になる彼女に困惑しつつも、今の自分にはピッタリな職業だとマギアは考える。
聞く話では、冒険者とは何でも屋であり、報酬さえあればなんでもやるのが彼らの気質らしい。命の危険もあるが自由もある。元居た世界で考えると、フリーターと派遣社員の折衷のようなものだろう。今は無理でもいずれは身の安全があり、将来安泰な職業に就きたいものだな。
「……」
やばい、会話途切れた。何か話さないと。女性経験積んでないから会話の仕方が分からない。なんならさっきまでの会話だけでもここ数年で一番異性と話した時間だ。
黙々と進み、少し経つと木々の姿が減り草原が顔を見せ始めた。気温も上がり、寒さはもう感じない。木陰から薄っすら日が射す、透き通った森の空気は気分を穏やかにする。聞こえてくるさえずり、写る小鳥の陰影。周囲を見渡しながら結局は先導して前を歩く彼女に目を奪われる。一歩一歩、歩くだけでも全くブレずに背筋は伸び、力強さと優雅さがあり美しい。ポニーテールに束ねた髪は、ストレートで潤いのある艶髪。
「どうかしましたか?」
十分弱の沈黙が終わりを告げる。じろじろ見ていたのに気づいたみたいだ。振り返り作り笑いであろう微笑を浮かべこちらを見る。
「あ、いや特に……」
言葉が詰まる、いい言い訳が見つからない。綺麗な髪ですね。なんていえばセクハラになるだろうし、初対面で言うことではない。口は災いの元。何が起きるか分からない。なら嫌悪感を持たれないように慎もう。今までの人間関係の失敗と同じように一人で生きていくのは避けたい。これまでのような自分は辞め新しい自分になったんだ。
マギアが続きを言おうとする前に被せるようにフォリスが口を開いた。
「もうすぐ、森を抜けますよ。」
フォリスに注目していたため周りが見えなかったのか、その言葉通り森を抜け、辺り一面に草原が広がった。直射日光が少し眩しく右手で目元を翳す。フォリスは平気なようで慣れているように平然としていた。
「眩しいですか?」
何が面白いのか、軽く笑みを浮かべながら訊いてくる。
「あまり慣れていなくて。」
「バルサミナさんってもしかして貴族の方とかでしょうか?」
貴族?なんでそんなこと訊くんだ?
「いえ、違います」
即答すると、フォリスから落胆したかのように笑顔が減った。
少し待っててと、フォリスが言いその場に待機する。
いい天気だなと能天気なことをほざきながら数分待つ。
「――お待たせしました」
透き通った声が視界外から聞こえる。すぐにその声の方に振り向く。そこにはフォリスと……
――馬だ
馬がいた。
「その馬は……?」
「私の馬です。森は盗賊がいて危険なので、入り口付近に繋いで待たせていました。」
手綱を引きながら馬の横に立ちながらフォリスは言う。馬は全身が黒く、一般的な赤茶色な馬ではなく光を奪うような黒い毛並みをしている。鼻から額にかけて白い模様が走っている。知性を感じさせる瞳をしてこちら覗き込む。やけに落ち着いている。
「徒歩なら三時間ほどですが馬を使えば一時間もかかりません」
そう言って洗練された動きで馬に跨る。漆黒の馬は跨る彼女の美しさを強調していた。この一場面を写真に収めたい衝動が出てくるが、スマホを持っていないことに気づき少し後悔した。
「――何をしてるんですか?」
「え?」
フィリスに動きがなく、自分も動かずに互いを見つめあった束の間、フォリスが先に口を開いた。
「そこにいたら馬に乗れないじゃないですか?」
「私も馬に乗っていいんですか?」
フォリスは馬に乗れと言っているのだろうか。
「当たり前じゃないですか
バルサミナさんだけ歩きでは時間が掛かりすぎます」
馬上から見下ろされながら二人乗りを要求された。
バイクなら学生時代乗せてもらっていたが馬の二人乗りは初めてだ。馬自体は乗ったことがあるが二人乗りってできるものなのか?
馬の尻の位置に移動する。
想像していたよりも大きい……自分の肩と同じ高さがある。ジャンプで乗れるものではない。その場に佇み乗る方法を思考する。
その姿を眺めフォリスが呆れ気味に手を伸ばしてきた。
異性に触れるという邪念が過り一瞬躊躇ったがその手に掴まろうとマギアは手を伸ばした。
マギアはフォリスの手を掴むと、しっかりとした頑丈さと生暖かさがありそれでいて小さいことに気づいた。
手先を見ると雪のように白い肌で指先は細く、爪は同じ形に綺麗に整えられ女の子の手なんだと実感した。
マギアの全体重を片手だけで釣りの要領で引き上げる。
馬に足を掛けフォリスの後ろに乗る。
勢いよく跨ったせいか、股部分に痛みが生じたが強がって耐える。こんな美少女に乗馬のためとはいえ、気安く近寄れる度胸はないというか馴れ馴れしい態度をとって嫌われたくないのが強い。二人乗りとは思えないほどの距離を無意識にとる。動きだしたら振り下ろされるかもしれない。
フォリスがこちらに振り返り
「そんなところじゃなくてもっと寄ってください」
といい苦笑を浮かべた。
見苦しい姿を見せたかもしれない。力を抜いたら落ちるほどの位置で馬の尻部分に跨っている姿は滑稽であろう。
ずるずると少しずつフォリスに近づく。距離感が重要なのは痛いほどわかっている。今は二つの意味で。
「これぐらいですか?」
「全然遠いですよ」
遠かったみたいだ。もう少し近づく。
「これぐらい?」
「変わってないじゃないですか
このぐらいですよ」
そう言い強引に上腕部を引っ張り体がフォリスに近づく。
真っ直ぐな姿勢で乗っていてもフォリスとの体と体の距離は本一冊の厚みほどもない。前傾姿勢になれば必ず当たるだろう。
突然の出来事に驚きながら、高鳴る心拍と緊張を落ち着かせようとするがうまくいかない。
フォリスからの匂いが意識を持っていく。香水のように人工的につくるものではなく自然から生まれたような匂い。
嗅いだことがない匂いだが、温かさと懐かしさがあり、春のような甘さを感じさせる。強烈ではなく微かに仄かな匂い。
背中のボディラインが見える。健康的で華奢な体。男とは構造が異なることへの新鮮味。醜い感情が沸きでそうになるが押し殺し静かに深呼吸をする。
「それじゃあ、行きますね」
不安げな様相を悟られないよう、平然を装い返事を返し、馬が動き出した。
乗り辛い。鐙に足を置けずにバランスをとるのも一苦労。
何かに掴まりたいが、掴めそうなものがない。ならせめて踏ん張るしかないだろう。
軽く数歩歩いただけだが、かなり揺れる。ここから最低でも数十分はこのままだろう。すでに力んでいる脚は持つだろうか。
何かに掴まれればかなり楽になるだろう。
「大丈夫ですか?乗り辛くないですか?」
「だ、だいじょうぶです」
そうですか。と返し、そのまま速度が上がっていく。風も遠慮なしに吹き荒ぶ。目が乾燥しそうだ。速度に比例し命の危険を感じたからか緊張も高まっていく。
いつの間にか一つの道の出たようだ。辺りは草原だが通る道はむき出しの土が見えている。
さらに加速し、風は寒さをもたらす。指先などが特に冷たい。そろそろ足も限界になってきた。
まだ出発から五分も経っていないだろうが、疲労しきっている。
そんな中、脚が緩み後ろに引き飛ばされそうになる。体が軽く浮き位置が人ひとり分ほど移動する。その振動は馬を伝いフォリスにも届いた。
速度を落とし、振り返り告げる。
「しっかり掴まってください」
本当にその通りだ。喩えるなら満員電車でつり革にあえて掴まらず慣性に負け躓き周囲に迷惑をかける痛い奴だ。
わざわざそんなことを注意されるととても恥ずかしい。だが、どこに掴まればいいんだ?
元の距離に体を戻しつつ、とりあえず馬の背を掴み――意味があるか不明だが――フォリスに返答する
「こんな感じですか?」
フォリスは困惑した顔を浮かべた後、前を向き、マギアの両手をしっかりノールックで掴み
「こうです」
自分の腰を掴ませた。
マギアは腰の感触が直に伝わり、心臓が限界を迎えた。
セクハラどころではない、痴漢である。罪悪感と気恥ずかしさが両立した。
いつでも冷静な彼女と、その彼女の言動にいちいち慌てふためく自分との対比が男としてのプライドを引き裂いた。
それでも彼女はそんな現状を受け入れさせるには充分な美しさを持っていた。
手の中に硬くもやわらかい感触がある。
なんというか、多幸感があった。なんかもう死んでもいいかなと思えるほど。
さらに加速していき、振い落されないように強く掴まる。
風は強く、話声は聞こえないほどだ。
二十分は経っただろうか、視界の先に大きな壁に囲まれた街のようなものが見えてきた。