03冒険者
殺意の籠ったであろう視線を向けられる。確実に殺される。
今、魔力は少し回復したが、精々ファイアボール一回分ぐらいだろう。腹を満たせていたなら、逃げ切るだけの体力と魔力量があっただろう。ほぼ、運命は決まったようなものだが易々と死ぬ訳にはいかない。
肘を直角に曲げ腕を上げ、掌は開いたまま耳の横に位置する。膝立ちの姿勢から右足を一歩前に出し足の裏をつけ、しゃがみの姿勢を維持する。動けば反逆の意と受け取られ切り捨てられるだろう。数秒も経っていないが、長時間に感じられる。緊張で鼓動が早くなり固唾も飲み込めない。呼吸の仕方も忘れたように息が詰まる。
間近で見るとやはり美しい。こんなことをされていなかったら一目惚れしていただろう。背丈は平均的な一般男性よりほんの少し小さいぐらいで、女性の中では大きい方だろう。無駄のない造形美。鎧はなく身軽そうな、貴族のような派手さはないが動きやすさが充分ありそうで、どこか高貴さがあり、女性らしさはあまり感じさせない。年齢は十代後半から二十代前半のように見える。
チャンスは一度だけ、逃せば死ぬ。
小さく詠唱をする。誰にも聞こえないほど、小さな声で。すでにイメージは済んでいる、引き金を引く感覚で魔法を放つ、ただそれだけ。
「……ファイアボール」
この一撃にすべてを賭ける。イメージするのは灼熱の炎、塵一つ残さないような業火。普通の人間なら生存は不可能なほどのダメージをこの化け物に与える。勿論倒せるなど微塵も思っていない。ただ少しでも多く時間を稼げるのであればそれでいい。
距離の近い左手の掌から炎が生成される。火は小さいがみるみる大きくなっていく。ビー玉サイズから刹那ハンドボールサイズまで膨れる。それが、顔面目掛けて人知を超えた速度で放たれる。瞬時に爆散し、狙い通り命中させることに成功したようだ。
同時に爆風により自分の体が数メートル吹き飛んだ。
地面に二三度叩きつけられ、地に伏したまま転がり続ける。力が出ずに立ち上がれない。せめて、敵の状態を確認しなくては。
首を動かし、元居た場所を見つめる。まだ爆煙が消えずに残っているため立ち姿も見えない。倒せたのか……?
力が出ないのは衝撃のせいで一時的だと決めつけているが、どうやら魔力切れで力がでないのだろう。自分の中に流れるものがすべて吐き出された感覚がある。意識を失いそうだ。
「駄目だ……逃げないと……」
そう言い残して、意識が完全に落ちる。
――魔法?
煙を払い、男の方へと近づいていく。
至近距離であんなことをするのはどうかしている。先に剣を向けたのはこっちだけど、それは用心のためで、覗きの視線を感じたから残党だと思って近づいただけなんだけどな。などと、考える。
右手に持っていた剣についた血液を専用の布で拭き取り、鞘に納める。
吹き飛ばされた場所に着き、うつ伏せの体勢で地面に倒れている男を起こす。腰を低くし右手で男の左肩を揺さぶるが……起きない。
転がして体を反転させ、顔をみる。首筋の頸動脈に指の腹を乗せ脈拍を確認する。どうやら死んではいないみたいだ。
次に、左耳を顔に近づけ、呼吸を確認する。安定しているようだ。今のところ命に別状はなさそうだ。
全身を舐めるように見る、特に外傷は見られない、魔力の使いすぎで気を失っているだけだろう。
今まで見逃していたが異様な服装をしていることに気づいた。上下黒の衣服、シャツは襟がなく狭い。摘まんでみると伸縮性があり、知らない裁縫方法できめ細かく丁寧に縫われているが、上品さは感じられない。確かなのは一級品であるということぐらい。
しかし、足元に注目すると何も履いていないことが分かる。裸足のままということは何か事情でもあるのだろうか。
もう一度顔を見る。
少し異国風な顔をしている。だが異国人ではないように見える。顔立ちはまあまあ整っていて、貴族のような健康的な肌をしている。
それよりも、ここで放置していたら危険だろう。今は太陽が出ているが、日が沈めばモンスターが姿を見せて襲われるかもしれない。
仕方がないし、起きるまで待っていてあげよう。それに聞きたいこともあるし。
魔力切れなら、自然に治るだろうけど、この男は魔力を回復するためのエネルギーすら残っていない。衰弱しきっているみたいだ。食べ物を与えれば回復するだろう。荷物の中にパンがあるから取りに行こう。
彼女はそう言って、荷物が置いてある場所まで取りに行く。
――あ、ああ体が重い、金縛りにあったかのように体がピクリとも動かない。瞼が重い、死んだのかと思うほどだが体の感触と地面を感じる。ぼんやりとした意識の中何があったかを順に思い出していく。
……それで男の悲鳴が聞こえて、見に行ったら化け物じみた力を持った女が大人数の男を斬りまくって、消えたと思ったらいつの間にか背後に立って剣を向けてきて……死を覚悟して魔法を放って、その爆風で吹っ飛んで気を失ったはずだ。
倒せたのか?うつ伏せだったはずだが、仰向けになっているのはなぜだ?
一応、耳は聞こえる。近くには誰もいない様だ。水の流れる音と、鳥のさえずりが聞こえる。
それよりも今は腹が空いてキツい。空腹は定期的に感じる、我慢してきたが今はそれが痛みに近いようにも思える。絶体絶命だ。
……なにか、音が聞こえる。
土や草を踏み抜く音と、木の枝がポキッと折れる音が聞こえる。段々と大きくなり、こちらに近づいてきているのが分かる。人数は一人だろう。
――寝ている男を引きずり、大きめの石にもたれかけさせる。少量の荷物を置き、中から水筒とパンを出す。乾燥した硬いパンだ。それをちぎり男の口に押し込み、顎を無理やり動かし咀嚼させる。飲み込まないため、水筒の水を口目掛けて注ぎ、口を閉ざし、無意識的に飲み込ませる。何度か繰り返し、一斤すべてを食べさせる。体を休ませるためにもう一度、仰向けにさせる。
「これで大丈夫だろう。」
多く見積もっても一時間も経てば目が覚める。それまで待っていよう。
石に腰を掛けて、足を休ませる。真下には男の顔が見える。
――体に力が戻る感覚がある。食事を与えてくれたらしい。彼女がまだ近くにいる気配がある。食事が終わってから二十分は経過するあたりか……瞼も開くし、体も動かせるが、意識がないふりをしている。それは、この人物の情報を得るのに都合がいいからだ。こっちの世界で初めてみた人が死体なんだから、警戒は疑心暗鬼にもなる。
それに、認めたくないが……この声の主に心当たりがある。殺すのが目的ではないのではないか?隙ならばいくらでもあったはずだ。わざわざパンを食べさせたのは情報を引き出すためか?わざわざ毒殺する必要性は皆無だし。パンは硬くてお世辞にも美味いとはいえないくらいの一般的な長期保存の利く食料といったところだ。命は助かる可能性は高いだろう。
薄目で視界の端に居るであろう場所を見る。座面の低い石に腰掛け膝に肘を乗せ頬杖をついてこちらを見ているのが確認できた。
なぜ無傷なのか疑問だが、もう襲われないであろう安心感があり恐怖は薄れていった。二十分間特別何かをしているわけでもなく、持ち物を確認したり、剣の手入れをしているような物音ぐらいしか聞こえてこず、何か話しているわけでもないからだ。これ以上は情報を得れないと思い、起きることにする。
目を開き、数度瞬きを繰り返し眠りから覚めた演出をする。それに気づいたように彼女から声が掛かる。
「目が覚めたみたいですね」
首を運び声のするほうを見上げる。微笑を浮かべた天使と目が合う。ただ……かわいいと思った。先ほどまで、顔色一つ変えずに平然と人を斬っていた化け物とは同じとは思えないほど、そのギャップが胸を刺激する。表情一つで印象はここまで変わるのかと、振舞い方の大切さを身に感じた。
話しかけられたからには無視する訳にはいかない。
「……あなたは一体」
咄嗟に出た言葉が最善だったかはわからない。
「私は冒険者、フォリス・アルガイナといいます
先ほどはいきなり剣を向けてしまって申し訳ありません。」
軽く頭を下げてフォリスと名乗る彼女は語る。どうやら殺されると思ったのは盛大な勘違いのようだ。
冒険者と言ったのか?よくわからない職業だが、組合で依頼された仕事をこなす者だったか、つまりそれは都市があるということか。
なぜ言葉が通じるのか不明だな。フォリスの口元をみると、明らかに日本語の発音の口の開き方ではない。それにこっちも話すとき日本語の口の開き方をしていない。この世界のシステム的なもので日本語がこちらの世界の言語にそのまま置き換わったということか。
上体を起こし、会話の姿勢をする。
「いえ、こちらこそ魔法を放ってしまって申し訳ないです」
「大丈夫ですよ。火球は跳ね除けましたから。」
何を言っているんだ?あの速度の火球を跳ね除けた?その剣でか?どこまで強いんだ。もしかしてこの世界の人間は皆こんなに強いのか?
「それで、あなたは……」
フォリスから自己紹介を求められる。
「私は……」
言おうとしていた言葉が詰まる。ここで今までと同じ孤独な人生を続けたくないという感情が沸き上がる。なら、名前も過去も棄てよう、全く別の道を歩むために。折角だから、西洋風の馴染みある名前にしよう。
「マギア・バルサミナ」
それっぽい名前になっただろうか。反応を見て確かめたい。
「バルサミナさんですね
バルサミナさんはところで、ここで何をしていたんですか?」
繰り返されると恥ずかしい名前だ。カッコつけすぎたか。だが、違和感はなさそうな反応だ。
何をしていたか?正直に答えた方が楽だが、信じてもらえるとは到底思えない。
「遠い国から逃げてきました。途中、石と砂の場所を通り長い時間掛けて歩きました。行き場もなく、水を求めてこの森林に入ったわけです。」
程よく真実を混ぜてクオリティを上げる、あの石と砂の空間には、人が通った形跡が全くなかった。つまりその先に何があるかわからないはずだ。ならば別の国から来た異邦人ということにしまえばいい。
「そうなんですか」
半信半疑の顔を浮かべながら、発せられた言葉はまるで信じています、かのような大人な態度をしている。
見抜かれているのか。何か矛盾点があったのか、もしくはこの態度に反応を見せるかどうかのトラップなのか。
あまりフォリスには嘘をつかない方がよさそうだ。
そんな中で思いもよらないことをフォリスが発した。
「もし、よかったら街まで一緒に行きませんか?
街なら安全ですし、住むにはピッタリだと思いますよ。」