02出会い
夜中であることは空を見れば分かる。まだ、日は明けておらず暗闇が続いていた。その中で灯と呼べるものは存在していなかった。ただ一つを除いて……
凍死寸前で魔法に目覚め、一命を取り留めた彼だが未だその場を動いていない。していることと言えば散乱した木の棒を一か所に集め、焚火を作り温まっているということぐらい。
偶然見つけた火の魔法【ファイアボール】の実験も行いつつ、今後の方針を考え夜が明けるのを待っている状態だ。すぐにでもこの場から離れ安全な場所に移動したいのもあるが、下手に移動すれば命に関わる寒さなために留まる選択をした。正直、もう治癒魔法は懲り懲りというのもある。あれを知ってからではもう使えない、あんなものを治癒だとは認めたくはない。そう思わせるには充分だった。
湿っていない為か、火はメラメラと燃え続ける。そこへ腕を伸ばし指先まで温めようと手をグーパーしている男の姿。成人済みであり社会人だがオジサンというにはまだ早すぎる年齢に見える。大人びた雰囲気を醸し出し、落ち着いた大人という印象があった。身嗜みには気をつけているように髭は綺麗に剃り上げられ、眉は整えられ、小綺麗な肌をしている。目は疲れが蓄積したような目をしている。真顔をしていれば、ネガティブな印象を持たれるが、多少微笑んでいればなんの問題はないような目。
パチパチと音を鳴らす自然のストーブの前で胡坐の体勢で考え事をする。この後どうしようか、と。このまま進んで出口はあるのかと、ただひたすらに前だけに向かって走り続けたが、脱出できるだろうか。周りに落ちている木の棒の数は少しずつではあるが増えてきている。ゴールが近いということだろうか。それに……
夜なのもあり走っていて気付かなかったが、数百メートル越えの巨石に挟まれたこの一本道の右側に別の通り道があるようだ。
一本道以外道はないと思っていたが、よく見てみるとその通り道は突き当りが見えないほど続いているようだ。同じ道を進んでいても埒が明かないし次はこの道に進もう。
この世界についても色々と知りたいことがある。
魔法が使えるということで異世界と仮定してはいるが、異世界であるならモンスターが出るはずだが今のところ見ていない。極力戦闘は避け、安全第一に考えよう。それと常識では考えないようにしよう、道徳や倫理感を持っていれば判断に支障をきたすだろう。場合によっては手も汚そう、生き残るにはそうするしかない。
魔法について少し分かったことがある。
魔法は詠唱よりもイメージの方が大事であるが、無詠唱では魔法は使えないということ。考えれば確かに寝ぼけて魔法を爆発させることだってあるから、これは一種の安全装置なのだろう。それと魔法には使用制限があるっぽい。正確には分からないがファイアボールを基準にして考えると、一日あたり二十発が限度っぽい。さっきの練習で十発くらい撃ったがかなり気疲れする。多分、魔法使用時は自分の中のエネルギーを使っているんだと思う。【ヒール】のときはかなり使ったから。魔法によって異なるんじゃないかな。ヒールはファイアボール五回分ってところか。一度の詠唱で三つ出したときは火球が小さかったが、感覚的に三回使用と同じくらいだった。コスト多い癖に弱体化は使いどころに悩む。もう少し実験して新しい魔法を使いたいが、これ以上無理すれば意識が持たないからやめておこう。
考えているとまた眠気がやってきた。こちらに来てから睡眠をほとんど取っていないため眠い。上体を覆うほどの岩が横にあったため、寄りかかり少しだけ仮眠をとる……
「――ん?」
少し瞼を閉じたつもりが朝を迎えていた。状況に少し戸惑ったがすぐに思い出したと同時にここが現実なんだと思い少し落胆する。時間で表すのならおよそ七時過ぎくらいだろう。寒さが少しずつ消え去っていくのが感じ取れた。ここはそもそも暑い土地なんだろうとも。
もう移動を開始しよう。
尋常じゃないほど喉が渇いている。腹は空いていたが今はあまり空腹を感じない。水が欲しい。水を求めて、昨日とは別の道に進む。こちらの道は洞窟のような狭さで壁と壁が近く歩きずらい。足元は変わらず平坦なのが唯一の救いだ。魔法で水を出そうにもエネルギーが回復してないから試そうにもいかない。寝れば全回復ではなく、徐々に回復していくようなものらしい。ただ、回復しているような気がしない。少し考えて、結論が出た。無からエネルギーは生み出せない。食べ物の栄養が人間の体を動かすエネルギーになるように、魔法も体のうちにあるエネルギーを使って行使する。エネルギーを生み出すための材料がなければ当然、エネルギーは作り出せない。つまり。魔法は使えない。こういうことではないだろうか。だとすると、詰みである。このまま水分にたどり着かなければ干からびて死ぬのが目に見えている。ならば一層、急がなくてばいけない。
かなり、経っただろうか、少なく見積もっても一時間は経過している気がする。そこで一つ希望が見えてきた。
狭い道の先に出口が見えてきた。期待が膨らみ口元が僅かに開く。足を運ぶ速さが増していく。一歩一歩出口に近づいていく。
出口からは緑が見えていた。ここからではよく認識できそうにないが、芝生のようなものが見える。つまりそれは水分があるということ。喉の渇きを潤してくれるものがあると、ただ欲望に忠実になり、他の雑念は掻き消える。
やがて、出口に辿り着きそこから見える景色に絶句した。
「草原だ……」
生い茂り、緑鮮やかな美しい光景、草の香りが鼻に集まる。これまでの乾燥しきった砂と岩の世界から一変しこれなら水分は大丈夫だと安心し、芝生を踏み込む。素足に冷たさを感じる。
視界には頂上あたりが白く積もった尊大な山を遠くに見つけた。かなりの標高だろう。
周囲を見渡し森のような場所を見つける。少し距離があるが高確率で水分が確保できるだろう。
まずは森まで移動しよう。
森まで歩きながら考える、森には生き物がいることが多い、規模にもよるが。ならこの世界にいるかもしれないモンスターはどこにいるんだ。森か?だとしても草原を見渡してもいないようだったが。まあ考えすぎか。用心に越したことはないから注意を払っておこう。
森の入り口に着き、森に侵入する。深緑のような色合いをしており気分が落ち着くような気がした。鳥の鳴き声のようなものが聞こえたため、動物はいるんだと安堵した。木々を通り抜け開けた場所が広がる。常時耳を澄ませて水の音を探していたがようやく、川のせせらぎのような音が聞こえた。近くに川があると、そう言っているかのように。
導かれるまま音のするほうへと向かう。音は段々と大きくなり存在を露わにした。辿り着き透き通った川の水を掌で小皿をつくるようにしてすくい上げる。零れるように一気に飲み干す。冷たい飲料が喉を通っていくのが実感できた。呼吸が荒くなる。もう一度すくい、飲み干す。それを飽きることなく何度も繰り返した。美味い以外の味はなかった。
折角だから体も洗おうと思った。この世界で夜を明け日が出て、かなり暑いことに気づいた。寒暖差が激しいようだ。汗が止まらないし、服にはすでに大量の汗が染みこんだあとでもあった。流石に服まで濡らすと風邪を引くかもしれないため、全裸で川に飛び込む。
しばし、川で体を洗い、自然乾燥して服に着替える。裸足というのがかなりきつい。
よし、行くかと決めたときに大きな音が響いた。
金属と金属がぶつかりあう音と……男の叫び声だ。
最悪だ……
想定していた最悪な状況に入ってしまった。森の中で人が殺しあってる、今分かるのはこれぐらいだ。ここで見つかればよくて捕虜、利用価値なしと判断されればすぐに殺されるだろう。盗賊だろうか……なら誰とやりあっているんだ?国の正規軍?討伐隊?または別の盗賊団か?誰であってもこんな異彩放った服装の異邦人を見逃すとは思わない。今できる最善の手は、誰にも見つからずにここから逃げ出すこと。先のことなど後から考えればいい。今はただ逃げなくては。
近くの草むらに身を潜めて状況を把握する。
音を聞き分け、逃げ時を待つ。だが、その音の異様さに気づく。男が叫ぶ声は一人ずつだ。重なることはない。集団vs集団ではないことを表しているかのようだった。集団vs少数であることを表す。しかも集団側が押されている。そして集団側の男が言った言葉が
「女一人になに手こずってやがる!」
である。つまりこれは集団vs少数ですらなく、集団vs個人であり、ましてや女性だという。女性一人なら、見つかっても逃げ切れるだろうという自負と、どんな人物なのだろうという好奇心が音の響く方へと足を引き寄せた。遠くからみるだけ。そう言い聞かして。音で気づかれないように忍び寄る。ベストポジションにつき匍匐前進のような姿勢で惨劇のあった場所を眺める。
そこには無数の血痕が飛び散り、肉塊と人の頭部が落ちていた。倒れたモノは僅かに蠢き、自分が死んでいくのを理解できていない様だ。全員で十五人はいたであろう盗賊団であろう集団はあと一人を残して斬られたらしい。あまりに惨い現場を目撃し後悔と嘔吐感に苛まれる。
ああ、ここは異世界なんだなと実感した。
その実行犯を目で追う。
――美しい。彼女は美しかった。美麗で切れ長の目、艶やかな黒髪をポニーテールに束ね、背筋はピンと伸び凛とした立ち姿、冷たくも感じさせる白い肌。
そして、その白い手で取った普通よりは細いであろうブロードソードで最後に残った男を華麗に切り伏せる。圧巻であった。彼女は任務完了といった風に盗賊から何かをとった素振りをみせそのままその場を離れようとしていた。
このまま気づかれずに遠くにいくまで待つ。
確かに彼女は美しいが自殺願望はないので近寄らない。完全に姿が消えたことを確認して安堵の声が出る。
「なんだよあのバケモン……」
天災を目撃したかのように。不満げにそういいながらも、圧迫感から解放されたことをうれしく思う。
異世界であるから覚悟はしていたが、あれは無理だろうと悟る。
「――バケモン?」
透き通る涼し気な声が聞こえる。振り返りたくもない。女性の声が聞こえる。匍匐前進の姿勢だったため、走って逃げるのは不可能だろう。動いた瞬間に斬られる。それぐらいの距離感であり、威圧感である。
死だ。
もう死ぬのだと実感した。
死にたくない。
ならば、少しでも時間を稼ぎ隙をつくり逃げるしかない。音も立てずに視界の後ろに移動する化け物に効くとは思はないが……
膝立ちをして、両腕を上げる。降伏のポーズだ。後ろに控える人物が何をしているかわからない状況で恐怖に飲まれながら動く。鳥肌と冷や汗が止まりそうにない。
「あなたは盗賊……?」
無駄に優しさの籠った言葉遣いに戸惑いつつ、質問に返答する。
「私は盗賊ではありません。」
もしかしたら、見逃してくれると思いながらゆっくりと後ろを振り返る。
左肩を見るように体をひねり後ろを確認すると――
――血が零れたブロードソードが首筋を捉えていた。
その剣の持ち主に視線を送ると、冷酷な目線がこちらを見張る。それに気づきこちらも覚悟を決める。
「交渉の余地なしか……」