第3話 第三次エルツ戦役、開戦
壇の横に準備された席で表彰式を眺めていた長い白髭の老兵と、並び立つ屈強な体格の大男は、並び立つ9名の成績上位者を見て、その英気に感嘆する。
「ふむ、今期は平均して素晴らしい成績だ。しかし…一席には届かぬものの、ランベルの子供たち3名が全員上位入りとはな」
大男は手を顎に当てて少し不満げな顔をしたが、渋々頷いた。
「ランベル…不快な男でしたが、やはり元中将に幼少期から教育されていた、というのは何にも勝る経験となっているのでしょう」
その様に愉快そうな顔をして、老兵は笑った。
「はたまたこれは教育の成果か、もしくは有望株を見定める目があったのか。いずれにせよ、これが最後でもあるのだ。そう苛立つこともない、リュクス大将」
そう言うと老兵は立ち上がる。マックはその姿を確認すると壇から降り、老兵に道を譲った。
「諸君、おはよう」
何気ない挨拶だった。だが、不思議と生徒たちは背筋を無理やり正されるような、清廉たる迫力に息を呑む。
その老兵こそ、士官学校学長、元兵士軍大将、ザハル・カンタレア。
13年前の開戦から9年間、最前線で戦い続けた彼の身体には無数の銃痕が刻まれているが、その全ての戦いに一切の致命傷なく生還している。
開戦時にはすでに老兵の域に至っていたにも関わらず、天性の戦局観で最も損耗率が高い歩兵部隊の生存率を大幅に引き上げた。
しかし、そんな彼も、寄る年波には勝つことができない。最前線での戦闘は体力的に困難であった。そのため、軍を離れ、教育者となる道を選んだのだ。
しかし、その凄まじい練気は引退してなお衰えるどころか、今もなお鋭さを増しているようだった。
ザハルは息を大きく吸い込むと、語り始める。
「まず、諸君らには話しておこう。皆知っての通り、今年度以降、軍は縮小していくこととなる。故に兵の一般募集、徴兵は撤廃されている。つまり、ここにいる者のみが新兵となるのだ」
生徒たちは驚いた。軍縮の動きについては周知されていた。だが、軍の構成は8割が志願者、もしくは徴兵によって選ばれた一般兵だ。そこまで大幅な軍縮となるとは予想していなかったのだ。
「これは至天民様からの通達だ」
僅かに走った動揺は、その一言で消え去った。至天民の言うことに逆らうと言うことは、サーレの社会から逸脱することに等しい。
しかし、それ以前に殆どのサーレ達は至天民へ絶対の信奉心を抱いていた。至天民が決めたことであれば安心だと、生徒達の全員が納得したのだ。
「これは悪いことではない。争いのない楽園を目指す我々に、兵はそう多くある必要はない。今後はより文化的に、新世界をどう構築していくかを考える必要がある。反対に、我々軍には外敵に備え、更なる力が求められる。民の安心こそ、我々兵が担う最大の任務と知れ。今後我々を取り巻く環境も、そして我々自身も大きく変わっていく。今求められるのは、過去にとらわれない柔軟な心のあり様なのだ。その自覚を持ち、これからも励む様に。卒業おめでとう」
ザハルは笑みを見せた。簡単な挨拶であったが、その熱いメッセージを、伝説の雄姿であるザハルから伝えられた名誉に、一部の生徒には感涙している者もいた。
「静粛に!」
マックの怒号によって、浮き足立ちかけていた卒業生は再び背筋を正す。
ザハルは再び口を開いた。
「皆これからの祭り…解放祭も気になっているのだろう。だが、その前に諸君へ伝えるべきことがある。シエル・ベスマン教官についてだ」
その名が出た瞬間、卒業生たちはその後の言葉に集中する。シエルの動向が気にならない者などいなかった。
「なぜ任官式のこの場で彼女の話を出すのか。それは、彼女の存在自体が、君たちのこれからの任務そのものになるからだ」
「…え?」
モモが小さく呟くのが、近くの者には聞こえた。
ザハルは続ける。その表情は重く、暗い。
「シエル・ベスマン大尉は、重大な軍機密情報漏洩の罪で、現在軍部を総動員しての捜索がされている」
「「「っ!?」」」
衝撃的な事実だった。軍部の機密漏洩などすれば、まず間違いなくただでは済まされない。
何かの間違いだと思いたかった。しかし、続くザハルの言葉で、生徒達は希望を失うこととなる。
「諸君ら新兵の最初の任務は、軍部に合流し、シエル・ベスマンの捜索を実行することだ。発見し次第通信機にて軍部に伝達せよ。それが叶わない場合は、戦闘を以て制圧せよ」
「ま、待ってください学長!」
「口を慎めキース!ランベルの子よ、これは軍令の場であるぞ!」
「くっ…」
たまらず抗議を試みるキースだったが、ザハルの気迫に圧され、言葉を続けることができない。
生徒は皆、理解が追いついていなかった。あの誠実で優しく、誰よりも的確で効果的な指導を行なっていたシエル・ベスマンが、機密漏洩などするはずがないと、どこかで思っていた。
「質問を。その機密情報とは何ですか?」
ドルが手を挙げた。彼はこの状況下でも冷静であった。
仮にシエルと接触した際、その情報を得た時にどうなるのか確認する必要があると考えたのだ。
その質問。冷静に自分の立場を分析する聡明さに、ザハルは口角を僅かに上げた。
「…軍に属する者のみの情報だ。そして、私はこの場で諸君ら全員の卒業と、現刻を以て神聖ザリア教国軍へ入隊を認める権限を議会から付与されている。この意味がわかるか?」
ザハルは生徒たちを見下ろして、冷徹に告げた。
「この先の話を聞くということは、軍に入隊したと見なされるということだ。そして軍に課せられた命令である、シエル・ベスマンの処分をする覚悟を決めたと、私は判断する」
絶句。誰も言葉を発することはできなかった。
ただの卒業式。終われば同じ校舎で学んだ学友と思い出を語り合い、その後解放祭を楽しむ。悪いことなど一切ない1日のはずだった。
しかし、今直面しているのは、恩師を殺せという命令。従わなければ、軍に入ることはできない。全てをかけて努力してきた3年間が無に帰す。
簡単に決断できることではない。しかし、無慈悲にもザハルはこの場で答えを問う。
「それでも、国のための剣になろうと言うものは敬礼せよ!!」
「「「はっ!!!!」」」
生徒達の中に、敬礼しない者はいなかった。同調圧力がないわけではない。しかし、彼らも18の大人だ。ここで軍令に背き、高額な税を次ぎ込んで投資を受けた身でありながら軍職を放棄したとあれば、この狭いセイレーンの社会で生きていくことは家族を含め困難になるであろうことを、理解していたのだ。
「よろしい」
全員の敬礼を確認すると、ザハルは小さく頷く。
「では伝えよう。シエル・ベスマン元大尉が持ち出した情報とはーーーー」
その先の言葉を聞き取れた生徒はいなかった。あまりにも大きい爆音にかき消されたのだ。
その瞬間、教官ですら慌てふためく中、ランデだけは空を。正しくは人工大気の向こう側にある、セイレーンの天井を見つめていた。
直後、セイレーン全土が、激震に襲われた。
あまりにもの激動に、たった今新兵となった卒業生たちは、地に手をついた。
「な、なにこれ!?」
モモは振動に耐えながら教官を見るが、教官らも通信機を手に状況を問い合わせるのみ。その目は無意識にランデを探す。
「…大丈夫」
それに気づいたランデはモモに笑いかけた。だが、モモはその前の一瞬、ランデの酷く無機質な表情を見た。パニックを抑え冷静を保つ、など心の作用で変わるようなそれではない。まるで何も感じていないかの様な表情で、事態を眺めていたのだ。
やがて振動は静まり、生徒の1人が小さく呟いた。
「空に…穴が…?」
皆一斉に空を見上げる。
その発言の通りに、空には大穴が空いていた。その先には無限に続く宇宙の暗闇が顔を覗かせている。
セイレーンには仮に穴が開いた際は自動で修復するプログラムがかかっているが、そのシステムがまるで追いつかないほどの大穴だった。大気が流出し、突風がセイレーン居住区全体を包む。
立つのがやっとと言うレベルの強風に皆よろけるが、モモとキースだけは顔を青ざめさせていた。
「ねぇ、あの方角…G区画じゃない?」
「どうしてだよ…一体何が起こってやがる!」
拳を握り締めて叫ぶキースの肩に、ランデは手を置いた。
「2人とも、見て」
動揺するキースとモモは、ランデの指す指の先、G地区方面の大穴に目を凝らす。
そこには、無数の黒い点が、地表に向けて落ちていくのが見えた。
「あれは…セイレーンの破片か?」
「…違う、キース。あれは…敵の戦闘機だ」
「敵!?敵ってどう言う意味だよ!?」
そう言いながら、キースは冷や汗が止まらない。モモは目から涙を滲ませている。
本当は、察しが付いていた。しかし、あり得ないという思いが、否定したい心が、理解を拒絶する。
教官も、生徒でさえも。今はまだ微かにしか聞こえない駆動音の正体を。この瞬間に何が起きたのかを、認めるしかなかった。
ランデは、ゆっくりとした声で、その正体を語る。
「ーーーー人類だ」
この日、この瞬間。
第二次エルツ戦役が終戦を迎えた後、5年に渡り続いた僅かな均衡は、跡形もなく崩れ去った。
人類は念願であったセイレーンの発見を遂げ、大軍を派遣したのだ。
そして、サーレは思い出した。10年前、彼らの星を奪いに舞い降りた、殺戮の獣を。恐怖を。仲間を失った悲しみを。
何よりも、憎悪を。
サーレと人類。その存亡をかけた大規模戦争、第三次エルツ戦役が開戦したのだ。
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