第9話
案外集団の中でも落ち着いて過ごせるようになって、その日も夕陽より先に家を出て講義を受けていた。
夕陽が俺の事情を説明していたのか、津田くんや根本さんが同じ講義を取っていると、決まって声をかけて近くに座ってくれた。
以前のように気分の浮き沈みが激しかったり、頻繁に人格が変わることはないけど、一つの授業事に疲労は人並み以上に感じている気がした。
1コマを終えて講義室を出て、次の場所へ向かおうとしたとき、ふらっと立ち眩みを感じて、思わず壁に手を突いた。
・・・落ち着け・・・どこか座れるところでゆっくりすれば大丈夫・・・
この後は夕陽も同じ講義だし・・・
夕陽のことを考えると途端に会いたくて寂しくなってくる。
一種の依存症のように、彼が側に居ないことが不安に変わる。
息をついていると、ポンと背中に触れられた。
「・・・柊先輩だ、大丈夫?」
ゆっくり顔を上げると、そこには以前図書室で会った武井くんがいた。
「・・・大丈夫です・・・。」
「あんまそうは見えないけど・・・。貧血?肩貸すよ。」
「触らないで。」
反射的に差し出された手を払うと、彼は苦笑いを返した。
「しんどい時は人に甘えなきゃ~。助け合いでしょ?先輩軽そうだしお姫様抱っこしよっか?」
白けた目で見つめ返したけど、結局武井くんは半ば強引に俺の肩を支えながら次の講義室まで歩いた。
目的地に着くまで彼は黙って手を貸してくれて、やがて手を離すと腰を折って俺の顔を覗き込む。
「だいじょぶ?医務室行かなくて平気?」
「・・・大丈夫。ありがとう。」
少し気分はましになった。持ってきた紅茶でも飲んで、夕陽が来てくれれば解決する。
俺が礼を言うと、武井くんは安心したように微笑んだ。
「んならいいけど。んじゃ、俺次違うとこだから。また見かけたら声かけるね。」
そそくさと去って行く彼の背中を見送って、講義室に入ろうとするとポンと肩を叩かれた。
「薫っ!おつかれ・・・。」
「夕陽・・・。」
彼の顔が視界に入ると、自然と頬が緩んだ。
「だいじょぶか?なんかあった?てか・・・さっき・・・あいつ誰だっけ・・・声かけられてた?」
人目もあるので抱き着きたい衝動を抑えながら、ぎゅっと彼の腕を掴んだ。
「大丈夫。ちょっとしんどかったけど夕陽の顔見たら治まったよ。」
夕陽は嬉しそうに満面の笑みを浮かべて、照れくさそうに頬をかいた。
「そう?とりあえず中入って座ろっか。」
講義室に入って適当な場所に腰かけると、誰かがこちらに走ってくる足音がした。
「先輩!こんにちは。」
俺も夕陽も顔を上げると、爽やかな笑みを浮かべた川田くんが立っていた。
「おう、川田!お疲れ。」
川田くんは夕陽に愛おしそうな笑みを向けた後、チラっと俺を見て丁寧にお辞儀した。
「柊先輩あの・・・こないだ初対面の時、失礼な態度を取ってすみませんでした。」
どうやら彼は、俺が夕陽の恋人だと分かった途端に動揺していた自分を反省していたようだった。
「いえ、別に失礼でもなんでもないですよ。大丈夫です。」
俺がそう言うと彼は安心したようにぎこちない笑みを見せて、また夕陽に向き直った。
「あの先輩、直接ご連絡差し上げようとも思ってたんですけど、バスケ部のOB会がありまして、先輩を含めた当時のレギュラーメンツに参加してほしいみたいです。」
「ああ・・・そうなの?ん~・・・」
「詳しい日程はまだハッキリと決まってませんが、先輩はコーチからも気に入られてましたし、他の先輩方も是非、と・・・」
夕陽はスマホのスケジュールを眺めながら、口元を歪めて考え込んだ。
「日によるかなぁ・・・。詳細わかったらどうせまたグループで連絡くるよな?その時に検討したいなぁ。悪いな、すぐ返事出来なくて。」
「いえいえ、ご都合あるのは当然ですから。」
「また他の奴らの板挟みにならないようにな?」
夕陽がそう先輩らしく川田くんに声をかけると、彼ははにかみながら答えた。
「先輩に余計な心配かけないようにします・・・。」
「それじゃあ」と言い残して、川田くんは俺と夕陽に丁寧に腰を折って自分の席に帰った。
「彼は・・・絵に描いたような好青年だね。」
「あ~・・・確かにそうかもな。人当たり良いし、礼儀正しいし。んでも薫もそうじゃない?」
「俺は・・・結構初対面の人には身構えちゃうし、しっかり壁作るよ。」
「ああ・・・まぁ確かに最初は俺も壁感じてたかも?でもちょっとだけだけどさ、川田って薫と雰囲気似てんだよなぁ。」
夕陽は頬杖をつきながらニッコリ俺を眺めた。
「そうなの?どのへんが?」
「なんつーか・・・一人で頑張り過ぎるとことか・・・困ってて頼みごとがある時、上目遣いするとことか?」
「・・・ふぅん・・・。そりゃ夕陽の方が彼よりだいぶ身長差あるから当然じゃない?」
ニコニコしながら言う彼に、思わず棘のある言葉を返してしまった。
モヤモヤと心の中に暗雲が立ち込める。
「ふふ、ごめんって・・・焼きもち妬かせたくて言ったわけじゃねぇよ。」
「・・・俺に似た可愛い男の子にドキドキしちゃうって話でしょ?」
悪態をつきたいわけじゃないのに、どうしてもそんな言葉が出てくる。
夕陽は甘えるように俺の顔を覗き込んだ。
「違うよ。似てるとこがあったとしても、俺は薫のことばっかり頭で考えてるんだよ。今だって・・・キスしたいなぁとか、このままやっぱり一緒に家帰っていちゃつきたいなぁとか考えてるんだよ。」
夕陽は片手で俺の手をぎゅっと強く握った。
「・・・・・・じゃあ、二度と他の人の話しないでよ・・・・俺には咲夜の話されたくないって言ったくせに・・・。」
「わかった。誓う。川田とは必要な連絡事項以外は私的な会話しない。」
夕陽は人目を忍ぶように、握ったその手を引いて俺の手の甲にキスした。
じっと見つめるその可愛い垂れ目に、思わずにやけそうになって堪えた。
「ふふ・・・何その顔~♡可愛いなぁ・・・。」
「うーっす、いちゃついてんなぁお前ら~。」
津田くんがやってきて、目の前の席で苦笑いを向けた。
「いいじゃん、薫は世界一可愛いんだよ。俺のだからな、変な目で見んなよ?」
「やっべぇ・・・朝野こいつ・・・やっべぇ・・・大丈夫?柊、こいつでホントに大丈夫?」
津田くんがふざけてそう返す様に、思わず吹き出してしまった。