第7話
それから半月程が経過して、美咲さんのうちに最後のバイトにやってきた。
その日は家に着くや否や、晶さんにガシ!っとハグされて、満面の笑みで嬉しそうに迎えてくれる彼女に戸惑いながら仕事がスタートした。
その日からもう美咲さんは休暇に入ったようで、細かい掃除も色々と手伝ってくれた。
「美咲さん・・・俺がやるので大丈夫ですよ?」
台所の戸棚を拭いていると、美咲さんはコンロやシンクを磨いて、鍋や調理器具の場所を入念に確認した。
「いや、二人がやっていた掃除を俺が出来るようにしないといけないからな。・・・晶のことを考えて、上の戸棚に置いていたものは全部下げてくれたんだな・・・。」
「ああ、はい。妊婦さんじゃなくても危ないと思ったので。」
その後も美咲さんは湿気対策で置いた炭を確認したり、家電の後ろの掃除を一緒にやってくれて、その後夕陽のところに手伝いに移動した。
一通り水回りの掃除を終えて、補充が必要な日用品を確認する。
ソファに座って休憩していた晶さんのところに行って、声をかけた。
「晶さん、だいたい今日のお掃除は終わりました。」
「ありがとう。もうずいぶん早く終わるようになっちゃったよね。薫くんホントに手際がいいから・・・。ほら、一緒に休憩しましょ♪」
既に用意されていた紅茶のカップがあって、今日も彼女の傍らに腰かける。
「ねぇ薫くん・・・」
「はい。」
「あのね?・・・赤ちゃんが産まれてからも遊びに来てくれる?」
意外にも晶さんが、本当に寂しそうに名残惜しそうに言うので、こっちまで釣られて寂しい気持ちになった。
「もちろん・・・お二人がお許しくださるなら。」
俺がそう返事すると、彼女は本当に優しくて綺麗な笑顔で、ふふっと頬を緩ませた。
「当然よ。こんなにお世話になって・・・もうこれっきりなんて寂しいわ。」
「・・・お世話になってるのはずっとこっちの方なんです。ありがとうございます。」
すると彼女はまたニコリと笑って俺の頬にそっと触れた。
「薫くんは本当に素敵な子ね。誰かから貰った好意を、ちゃんと誠意で返せるんだもの。私があの時話した、誰かのために何かしてあげたいっていう愛を、薫くんはたくさん持ってるのね。」
そう言われてふと思い出した。
ずっと・・・ずっと俺はそうなりたかった。咲夜を見てそうなりたいと思っていた。
「あの・・・」
「ん?」
「俺・・・高校生の時、初めて文芸部の部室で咲夜と会った時、一目惚れしてずっと好きだったんです。自分でも経験したことないような・・・先輩のことしか見えないような、そんな恋をして・・・。ずっとずっと・・・咲夜に憧れてたんです。好きで好きで・・・。咲夜も自分が愛した人に対して、何かしてあげたいっていう気持ちを持ってる人でした。今ももちろん、小夜香さんに対して有り余る愛情を持ってて・・・幸せになってくれたこと、心底嬉しいんです。咲夜は・・・本気で好きだった俺の気持ちを、弄んでしまったって悪く思っていたけど、実際のところ俺は、先輩から好きな人への心がけや姿勢を学んでたんだと思います。咲夜の周りにいる人だから、美咲さんも晶さんも・・・小夜香さんも島咲さんも・・・皆愛情深くて素敵な人で・・・そんな人達の中にいられたから、きっと俺もそうなれたんです。俺の力じゃないんです。俺を必死に支えてくれた夕陽がいて、彼も・・・愛情深くて素敵な人だから・・・夕陽に助けてもらったから・・・咲夜に助けてもらったから・・・俺は今生きてるんです・・・。本当は、死のうとしてたのに・・・。」
そこまで言って、情けなくも涙が溢れて俯いた。
夕陽は、俺の心が弱いわけじゃないと言ってくれた。
強くなくていいと言ってくれた。
晶さんは俺をそっと抱きしめて、まるで母親がそうするように、優しく頭を撫でてくれた。
「そうなのね・・・。良かった生きていてくれて・・・。私たちと関わってくれてありがとう薫くん。産まれて来てくれてありがとう。」
・・・ああ・・・・
「そんなの・・・・泣いちゃうじゃないですかぁ~。」
とっくに泣いていたけど、ぐしぐし涙を拭って顔を上げた。
間近に晶さんの顔があって、思わずその綺麗な顔にビク!っとなった。
彼女は不思議そうに小首を傾げてから、また俺を愛おしそうに撫でた。
「いいのよ~?泣いても~。」
「う・・・・もう泣きませんから・・・。あの・・・夕陽には内緒に・・・」
「二人ともどうした~?」
急に頭上から夕陽の声がしてビク!っと更に体が震えた。
「あれ・・・薫~・・・何人妻にそんな密着して・・・浮気か~?」
半ばふざけながらも、半分本気で焼きもちを妬いている目をしながら彼は言った。
「そんなわけないでしょ!晶さんに失礼だよ・・・。」
「そんな慌てんでも・・・。つーかなんか・・・夕陽には内緒って聞こえたけど、何?てか・・・泣いてた?」
しどろもどろする俺の涙の痕に気付いて、途端に夕陽は心配そうな顔になった。
すると割って入るように晶さんが言った。
「何でもないのよ~?今までホントにお世話になったしありがとうね、これからもいっぱい遊びに来てね♪っていう話をしてたの。一旦お別れみたいな感じになって、二人してちょっとしんみりしちゃったのよね?」
まぁ間違ってはない・・・
「はい・・・。」
夕陽には咲夜の話をしたことを知られたくないので、何とか誤魔化しながらその後も話を合わせた。
結局夕陽の手伝いも含めて、最後の仕事は思いのほか早く終わってしまった。
おやつの休憩時間を挟んで、庭仕事も日が傾く前に終了したので、今日は早めに帰ることになるかなと思いながら、軍手を脱いで、ゴミ袋を夕陽と一緒にまとめた。
「なぁ薫・・・」
「ん?」
「晶さんが出産されて、しばらくしたらまた遊びにこよっか。その時は、二人で出産祝い持ってさ。」
「そうだね!祝いの品って選んでるだけでも楽しいよね。赤ちゃんに使えるような何か・・・色々ネットで探してみようかな。」
夕陽はニッコリして俺の頭を撫でた。
何だか・・・まだまだ学生で自分のことで精一杯なんだけど、咲夜が早く結婚して子供がほしいっていう気持ちがわかってきた気がするなぁ・・・。
大きいお腹を抱えながら、それを大事そうに撫でる美咲さんと晶さんを見ていると、いいなぁと思ってしまう。
「二人とも、今日は是非夕飯も食べていってくれ。」
片づけを終えてリビングに戻ると、開口一番美咲さんはそう言った。
「え・・・でも・・・」
遠慮しようとすると晶さんが重ねて言った。
「今日は寂しいから帰さないんだからね!」
「ふふ・・・」
「ありがとうございます。じゃあ・・・お言葉に甘えよっか?」
「そうだね。ご一緒させてもらいます。」
俺たちが了承すると、二人はまた嬉しそうに微笑み合った。
温かい人たちに恵まれている。
そういえば当初の目標でもあった、美咲さんとも友達になりたいっていうのは・・・残念ながら咲夜程気軽に話せるようにはなっていないけど・・・
これからまた遊びに来てもいいなら、もうちょっと気兼ねなく関われるようになるかな・・・
「今度来てもらう時は~・・・二人はもうただの友達なのよ。雇用主とアルバイトじゃなくて。」
「・・・そうですね。」
配膳を手伝いながらいると、晶さんはまた可愛らしく続けた。
「だから~雇用主の奥さんからの最後のお仕事よ。今度からうちに来るときは、気軽にため口で話すこと!いい?」
イキイキとした晶さんはそう啖呵を切って、俺は夕陽と目を合わせた。
「ふ・・・わかりました。」
「晶さんがそう言うなら・・・」
その後もウキウキ楽しそうに食事を進める晶さんと、俺たちを優しく見守る美咲さんと美味しいご飯をたくさんいただいた。
夕飯の後、食後のコーヒーを頂きながら何となく雑談をしていた。
「そういえば・・・晶さん、予定日っていつなんですか?」
4月だったことは覚えていたけど、細かい日にちを忘れてしまってそう尋ねると、彼女は湯呑に入れたお茶を置いて言った。
「それがねぇ、もう過ぎてるの。本当は4月15日が予定日だったのよ。」
「え・・・そうなんですか・・・あれ・・・じゃあもうだいぶ過ぎてませんか?」
隣にいた夕陽も少し心配そうに視線を向けた。
すると同じくカップを持って晶さんの隣に美咲さんが腰かける。
「のんびり屋さんなのかしらねぇ。」
「そういうこともあって、明日から促進剤を使用して入院することになる。あまりに遅いとよろしくないからな。」
「そうなんですか・・・」
少し心配ではあったのものの、晶さんも美咲さんもきちんと産科医にサポートしてもらいながら経過を見ているから心配ないと言っていた。
何だか産まれるまでこっちまでソワソワしてしまう。
しばらくゆっくりさせてもらった後、家を出る前に俺は「何か困ったことがあったらすぐに呼んでください。」と息巻くと、晶さんは頷いて尚も穏やかに笑って見送ってくれた。