第5話
翌週になって、いよいよ2年生の授業はスタートした。
その日の始めは夕陽と同じ講義だったので、また手を繋いで一緒に向かって、講義室では津田くんや根本さんとも久しぶりに顔を合わせた。
長らく会っていなかったけど、二人は変わりなく接してくれて、春休みの話を聞かせてくれた。
講義を終えた後、夕陽が受けている授業を待つ間、俺は久しぶりに一人で図書室へと向かった。
学生証を通して本棚に囲まれた長机に腰かけると、他の場所よりも懐かしさと安心感を覚えた。
「ふぅ・・・。」
相変わらず人は少ないし、書物の匂いと独特のひんやりした空気。
大きな窓に視線を向けると、カーテンからわずかに漏れる光の先に、校舎の壁と青空が見え隠れした。
ゆっくり立ち上がって、近くにある本棚へと向かい、司法試験関連の本を何となく探した。
同じ本棚ばかりいつも探しては見ていたので、実はどこに何があるかだいたい把握しているけど、療養期間中勉強出来ていなかったし、また読み返してみるのもありかな。
すっと人差し指で本を抜き取って開いていると、人の気配がして徐に声をかけられた。
「ねぇ君・・・」
「・・・?はい。」
夕陽程ではないけど、そこそこ背の高い青年だった。
少し長めの茶髪をハーフアップにしていて、本棚に肘をついて腰を屈めた。
「わぁ・・・かわい・・・え、何年生?」
「・・・・2年です。」
「マジで?じゃあ先輩だ。俺法学部の1年、武井 理人。・・・な、友達になろ?」
「・・・・・・」
図書室でのナンパは夕陽を数に入れるなら二人目だな・・・。
この人はハッキリとナンパだとわかるタイプだ・・・
けど友達、と言われてしまうと無碍に扱うのも可哀想な気がしてしまう。
「えっと・・・話して友達になりたいと思ったらそう認識することにします・・・。」
「く・・・はは!そっか!そうだよな。ふふ・・・ごめんごめん、いきなりナンパかよキモって思うよな。」
笑った顔は何とも子供っぽくて可愛らしい子だ。
けどなんだろう・・・彼からは明らかな色目を使われているなぁというのを感じる。
「なに読んでんの~?」
武井くんは俺に近づいて手元を覗き込んだ。
会話が面倒だなぁ・・・
そう思ってしまうと、頭の中で人格が切り替わってしまうような気配を感じる。
「ちょっと・・・近い!そんなに近づかないでよ!」
子供っぽい自分に切り替わって彼をジトっと睨みつけると、武井くんは案の定意表をつかれたような顔をした。
「うぇ?ごめん・・・ふふ・・かわい・・・。あ、てか名前聞いてないや。教えて。」
彼は急にキャラが変わった俺に物怖じすることなくそう尋ねた。
「・・・・・・・柊 薫と言います。」
「薫・・・へぇ、見た目通り品のある名前だなぁ・・・。てか先輩だけど普通にため口使っちゃってたや。薫って呼んでもオッケー?」
その時少しイラっとして視界は俯瞰に切り替わった。
「嫌よ、馴れ馴れしい・・・。ジロジロ色目使わないでくれる?私は夕陽のものなの。売約済みってことよ。婚約してるの!」
ああ・・・そんな人様に堂々と言わなくても・・・
とも思ったけど、堂々と言わないと彼は引き下がらないようなタイプにも見えた。
彼はまたポカンと表情を返して、口元に手を添えて「ふぅん」と考え込んだ。
「婚約・・・そうなんだ・・・。うん・・・わかった、じゃあ色目は使わない。でも友達にはなりたいな。面白そうだし・・・。一緒に居て楽しいって思ってもらえるようにするからさ、ちょっと座ってお話しようよ。」
彼のその動じ無さと引き下がらない様子に少し驚いた。
夕陽に似た落ち着きを感じたし、物腰柔らかで、少し子供っぽい笑顔・・・。相手に押し付けない話し方。
けど・・・
「・・・めんどくさいから嫌です。」
自分に戻ってきて出た言葉はそれだった。
自分でも拒絶の言葉がこうもすんなり出るのかと驚いたけど、武井くんも次の言葉に困ったような顔をした。
「空きコマで勉強しに来てるんです。話しかけられたら集中出来ないし、馴れ馴れしくされるのも苦手です。元から友達であれば邪険にはしないけど、今は貴方に割く時間が惜しい。」
本を持ってまた長机に戻った。
そして講義中だろうけど、スマホを取り出して夕陽にメッセージを送った。
すると彼は俺の向かいにそっと座った。
「そっか・・・じゃあ邪魔にならないように読書しとくわ。」
何だかその言い方も夕陽に似ていた。
彼は自分の鞄から本を取り出して、静かに読み始めたので、俺はため息をついて手元に視線を落とした。
それから時間を忘れて読み耽っていると、不意に名前を呼ばれた。
「薫!」
少し早めに講義が終わったのか、夕陽が俺のところに駆けて来た。
夕陽が視界に入ると嬉しくて思わず立ち上がった。
「夕陽!」
子供っぽい自分に切り替わって彼に抱き着くと、夕陽はキョロキョロと辺りを見回した。
「・・・はぁ・・・で?ナンパ野郎は?」
メッセージで告げ口していたので、俺たちをポカンと眺めていた武井くんに視線を向けた。
「・・・あんたか・・・。薫にちょっかいかけんのやめてくれる?」
武井くんはニヤっと口元を緩めて頬杖をついた。
「あ~・・・ちょうどいい身長差でいいカップルって感じ。いいなぁ・・・推しカプかもしんない・・・。俺も可愛い男の子と付き合いてぇなぁ・・・もしくはイケメン。」
夕陽が返答に困っていると、武井くんは立ち上がった。
「えっと、彼氏さんナンパしてすんませんした。いいなぁって思ったら声かけるって決めてて。まぁ・・・相手がいるならぁ・・・別れた時チャンスかなって待っときます。」
そう言って彼はさっさと立ち去って行った。
夕陽は改めて俺を見てぎゅ~っと抱きしめて、頬ずりした。
「別れねぇよクソが・・・・。ほらなぁ?薫は可愛いんだから男だろうと女だろうとモテちゃうんだよぉ・・・。今回みたいにすぐに俺に知らせてな?」
「うん・・・夕陽大好き。」
「あぁあぁぁあ・・・・可愛い・・・・とりあえず今日の講義は二人とも終わったわけだし・・・帰ろ?」
「うん♡」
とりあえずその日は読みかけだった本を借りて帰った。
「困んなぁ・・・」
夕陽はその後もぶつくさ言いながら、俺の手を繋いで家路についた。
「あ!そういやさ・・・バイトのことだけどさ・・・地元の最寄り駅近くの塾でさ、講師募集しててさ応募してみよっかなぁって考えてんだよね。」
「そうなんだ。・・・確かに塾講ってちょっと他のバイトよりも割がいいイメージだね。」
「うん。それに週3からでいいって書いてたから、そこまで薫と一緒にいる時間減らねぇかなぁと思って・・・。」
夕陽がニコニコしながらそう言うので、何だか内心申し訳ない気持ちになった。
「いいんだよ?夕陽だけに働かせちゃうんだし、自分の都合で働いてもらって。」
「そういうわけにはいかねぇよ・・・。俺は薫と一緒にいるために一緒に住んでるんだよ。無理してバイトして生活費の全部を自分で賄うなんて、大学生だからハナから無理だよ。だから親にもその都度相談してるし、仕送りもらってるよ。別にそれは悪いことじゃないし、就職して社会人になったらちゃんと返すつもりでいるから。」
「それじゃ・・・」
俺が尚更申し訳なくなると、夕陽は被せていった。
「わかってる、薫の言いたいことは。でも薫はもう、自分には親がいないって考えてんだろ?俺は薫の家族だし、一生支え合ってくって決めたんだよ。それをちゃんと親にも話してるし、今度家行くとき、前に書いた婚姻届けも見せような?薫の親は今は俺の両親だよ。大丈夫だから・・・俺を信じて一緒に居て。」
何気なくそう告げる彼の、確固たる意志と覚悟を、俺は嘗めていた気がした。
俺は夕陽のために何が出来る?
その後うちに帰ってパソコンを開いて課題をしながら、頭の片隅ではあれこれ考えていた。
二人暮らしの家系事情は、そこまで厳しいというわけではないけど、そこまで余裕があるというわけでもないのが現状だ。
自分が出来る範囲内の仕事でなきゃいけない・・・。在宅ワーク一択かなぁ・・・。
その時脇に置いていたスマホから通知音が鳴った。
確認するとそれは小夜香さんからのメッセージだった。