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二度目の春  作者: 理春
39/40

第39話

もし人生に苦難が付き物なんだとしたら、それはいったい死ぬまで何度起こるんだろう。


俺は今までいつだって、一日の中で達成感を求めていた。


一冊の参考書を読み切って、重要点を全部まとめた。

シリーズの小説を読み終えて、感想を文章に残した。

家中を掃除して、家事を完璧にこなした。

バイトで一度もミスすることなく、効率よく仕事をした。


色々と・・・他にも挙げたらきりがないけど、「何か」を達成しないと、自分が存在している価値がないと思ってた。

それは一種のルーティンで、誰かに言われたことでもない自分ルールで・・・

「弁護士になる」という目標を達成するために、どんな小さなことでも解決して昇華させなければならなかった。

産まれた頃から、何でも出来る天才として生まれたわけではないから、努力を積み重ねるしかなかった。

やがて勤勉に日々を生きていると、自分以外の人たちとの価値観の差に気付きだした。

そして興味をそそられて、色んな人と交流を持つうちに、隠して隠して隠し通してきた

自分の根本にある「寂しさ」や「虚しさ」、「羨望」、「後悔」、「憎悪」・・・

色んなものが心から溢れていくようになった。


「私ね・・・将来夕陽のお嫁さんになるの。」


羨望


「お父さんとお母さん・・・いつ帰ってくるかなぁ。」


寂しさ


名前を名乗らない俺の人格それぞれは、感情が別れていたものだった。


朝起きてベッドから起き上がれない日がある。

異常な眠気が延々続いて、夕陽は心配そうに時々俺の様子を見ていた。


「夕陽・・・ごめんね・・・心配かけて・・・」


彼はいっつも優しく笑って、俺にキスしてくれる。


「ごめんなんてことねぇよ。いいんだよいっぱい寝て。寝る子は育つっていうだろ?きっと薫、もう少ししたら身長伸びてるよ。」


夕陽の優しさを胸に閉じ込めて、また目を閉じる。


或る日先生は言った。


「睡眠を多く摂ろうとするのは、鬱の症状の一つでもあります。」


自分でネットや本を読んで調べたこともあって、やはりそういうことだったかと合点がいった。

一種の現実逃避のために、寝る時間が増えるらしい。

先生は、そういう時は構わずたくさん寝てください、とおっしゃった。


そしてある時、中途半端な時間に目覚めて起き上がって、ボーっとしていた時にスマホを手に取ると、晶さんから他愛ないメッセージが届いていた。

返信しようにも思考が働かなくて眺めていると、自分の人格が入れ替わっていることに気が付かず、無意識に指先を操作して、あろうことか彼女に電話をかけていた。

そしてしばらくコール音がした後、機械を通しても尚、清涼で明瞭な美しい声が聞こえた。


「もしもし、薫くん?」

「・・・・・・・」

「・・・あら?薫くん?・・・・・大丈夫?」

「晶さん・・・」

「どうかした?」


彼女の声色が若干心配気になる。

寝室の向こうでは、夕陽が料理を作っているであろう物音がしていた。


「晶さん俺・・・・・・・・晶さんは・・・・特別な人だと思ってて・・・・」

「・・・・特別・・・?」

「きっと・・・・俺が知る由もないことを・・・たくさん経験されて大人になったんだろうなって・・・」

「・・・・・そう・・・なのかなぁ?・・・ふふ・・・もしかしたらそうかもしれないね。」

「晶さん俺・・・・自分の両親とあまり関係がよくなくて・・・どんな人か知らないんです。」

「そうなの・・・。」

「帰ってきてくれなかった両親を、自分の中で悪者にして憎むのは簡単だったけど、憎んだところで何もならないし・・・感情の行き場がないなら、もう忘れてしまおうと思いました・・・。」

「うん・・・。」

「・・・・・・・・晶さんの・・・ご両親は・・・・どんな方たちでしたか?」


ハウスキーパーをしていた時から、彼女の話を時折聞いていると、両親ともに亡くなっていることは察していた。

けど俺も夕陽も、極力詮索することはしなかったし、彼女が話してくれれば思い出話に耳を傾ける程度だった。


「ふふ・・・そうねぇ・・・。父も母も、花が好きな人だったの。だから・・・実家の庭にはガーデニング用の場所が広くあってね?・・・二人とも色んなお花を世話しながら、私に見せてくれていたわ。」

「そうなんだ・・・・」

「ええ。・・・・薫くん、眠たそうだけど、大丈夫?」

「・・・さっき起きたところなんです・・・。今日は・・・・あんまり起きていられなくて・・・・夕陽に心配かけちゃって・・・・・」

「そう・・・。私も同じようなことがあったわ。貴方と同じく、解離性同一性障害の症状が顕著に出ていた少し前・・・現実逃避するように、一日中眠っていたこともあったの。」

「・・・・そうなんだ・・・」

「うん・・・。もうほとんど記憶に残っていないけど、美咲くんや更夜さんが、心配して付きっ切りで様子を見てくださってね・・・。」

「・・・晶さん・・・」

「なあに?」

「どうして・・・・・・どうして突然、伺いも立てずに電話したのに・・・・話をしてくれるの?」

「・・・・どうしてと言われても・・・・お友達から突然かかってくる電話なんて、私は飛び上がる程嬉しいのよ?ふふ・・・今すごくウキウキしてる。・・・・薫くんが憂鬱な状態だったら不謹慎かもしれないけど・・・」


電話越しの彼女は、俺の様子を窺いながらも、心底楽しそうな弾んだ声で言った後、また落ち着いた笑みを見せるように続けた。


「薫くん、私ね・・・?松崎家の本家で・・・閉鎖された世界で育ってきたの。小中学校には通わずに、高校も・・・時々しか通学出来なかった。誰かとお友達になるっていう時間もなかったくらい、本家で忙しく勉強していたの。当主になるには、あらゆる知識が必要だったし、もちろん通常の学力も高くなくちゃいけなくて、大学受験もしなきゃいけなかったから・・・。」

「・・・・」

「けどね、そんな自分が不幸だとは思ったことはないし、それが自然なことだと思っていたの。大学に通い始めてから、いくらか声をかけてくれる同世代の方たちはいたけど、私の元々の出自を知ると、皆腫れ物に触るように接して、遠巻きに噂をするくらいになってしまった。・・・薫くんが今、何を考えてどういう状況に置かれているのか、私には詳しくわからないけど、何か私の個人的なことを聞きたいのかなと思ったの。聞かれていないことも喋ってしまったけど、私は貴方が尋ねたいなら、すべてを話してもいいと思っているの。」

「・・・全て・・・?」

「ええ・・・・」

「・・・・でもきっと・・・全部を聞いちゃったら・・・俺は・・・何てくだらないことで挫けてるんだろうって・・・劣等感を覚えるんだよ。・・・それくらい・・・わかってる・・・。」

「いいえ、違うわ。・・・相手を知ることは、自分と比べるためじゃないの。相手を知り、自分を知るためでもあるのよ。私はね、薫くん・・・苦労話をして同情を誘おうとか、私も苦しかったから貴方も頑張って、なんて言うつもりは毛頭ないの。その人の苦しみは、その人のものでしかなくて、誰かが気軽に味わえて理解出来ることではないから。私たちに必要なことはね・・・きっと・・・たくさん分かち合うように、自分の話をすることなの。」

「・・・・・」


スマホを持つ手に、ぎゅっと力が入って・・・・溢れそうになる涙を堪えた。


「ねぇ薫くん・・・私たちまだお友達になって、日が浅いじゃない?きっと薫くんも、朝野くんも・・・私や美咲くんに、無意識に物怖じして気を遣っていることもあると思うの。自分の生まれがどういうものか自負しているから、それはしょうがないと思ってきたわ。でもね、咲夜くんから、薫くんとのエピソードを聞くとね、もっともっと近い距離で、冗談や憎まれ口を言い合ったりしていた仲だと知って・・・正直羨ましくなってしまって・・・・」


そこまで言うと、晶さんは苦笑いするように言葉を切って、伝え方に困っている様子だった。


「私はね・・・・貴方が思っているよりずっと、貴方を必要としている友達なのよ。それはきっと、美咲くんも・・・咲夜くんも、もちろん小夜香ちゃんも。」


堪えきれない涙がこぼれて、鼻水をすすりだすと、そっと寝室の扉を開けて、夕陽が静かに俺の側に寄った。


「薫・・・?」


そっと俺の頭に触れて撫でてくれる、夕陽の優しい手を受けて、みっともない顔を上げた。


「夕陽あのね・・・?俺・・・夕陽と一緒にいてもずっと、申し訳ないなぁとか・・・もう消えちゃいたいなぁって思ってたんだ・・・でも本当は・・・・・」


黙って聞いていた夕陽と、通話が繋がったままのスマホを見つめて、俺はまた彼女に声をかけた。


「晶さん・・・ありがとう。また・・・近いうちに会いに行くね。」

「・・・ええ、いつでも待ってるわ。」


静かに通話終了ボタンをタップして、一つ深呼吸した。


「夕陽・・・色々ごめんね・・・」


「・・・何にも謝られることされてねぇよ~?」


抱きしめてくれるいつもの温もりにうずまって、夕陽の匂いを胸いっぱい吸い込む。


「夕陽が大好き・・・」


「へへ・・・俺も薫が大好き~♡」


「ちょっとずつ・・・元気になりたい・・・」


「うん・・・。元気じゃない日も好きだよ。」


「うん・・・。あのね・・・世界で一番夕陽が大事だよ。」


「えへへぇ♡・・・ふふ・・・やったぁ~♪」


また顔を見合わせて、涙の痕を気にするのも忘れてキスをした。


何も日常は劇的に変わったりしない。

少しずつしか、前に進めてない。


暑さは変わらずに9月になったけど、なかなか心身ともに良くなることはなかった。

日下先生にお世話になりながら、薬物治療を続けて、たまに夕陽と一緒に島咲さんちへ伺って、家事手伝いをした。

島咲さんも小夜香さんも、俺たちのことを甚く心配して、心身の不調を尋ねて気にかけてくださった。


やがて夏休みが明けて、大学後期に入り、また講義を受ける日々が始まった。

それまでの間、夕陽と今後について話し合い、島咲さんにも改めて返事を申し上げた。


「本当にいいのか?」


綺麗に片付いた広いリビングで、お茶を出されて夕陽と二人、威厳ある彼の前に座っていた。

以前金銭的援助を申し出てくれた島咲さんに、改めて断る旨を伝えた。


薫 「はい・・・。本当は・・・もう退学するか、休学するかの、二つに一つだと思ってました。けど休学しているとずっとお金はかかってしまうし、いつ通い直せるかもわからないのに、その学費をもってもらうというのは、申し訳なく・・・。一方で退学することは、あまりにも自分の目標を捨てすぎてるように思いました。最終的に僕が目指していたことは、弁護士資格を取得して、立派な弁護士になることでしたけど・・・。順風満帆にいかない時でも、臨機応変に自分の選択を見誤ってはいけないと思いました。そして島咲さんのように、手を差し伸べてくれる存在のありがたさは感じていますが、それに甘え切ってしまうのも・・・また違うと、自分の中で判断しました。」


島咲さんは、しばしじっと俺たち二人を見つめて

やがてゆっくり瞬きをしてから、口元を持ち上げて微笑んでくれた。

そして終始黙って俺の側にいてくれた夕陽は、静かに口を開いた。


「島咲さんを初めとして・・・薫も俺も、一族の方たちにすごくお世話になってます。ほんの小さなきっかけでしか、繋がりがなかった俺たちを、当たり前のように受け入れてくださって、本当にありがとうございます。」


そっと頭を下げる彼に倣って、俺も目を閉じて首を垂れると、島咲さんはいつもの落ち着いた静かな笑みを漏らした。


「・・・俺は個人的に世話を焼いたつもりはあまりないし、俺も美咲くんも・・・晶も、咲夜くんも小夜香も・・・二人がそういう人であるから、手を差し伸べたいと思ったんだ。薫くん・・・心身が安定しない日常にいながら、自身の先のことを決断し続けることは、時に困難かもしれない。これからの不安も大きい中、朝野くんと手を取り合って行こうという選択も、君の中では大きな一歩であっただろう。人生は決して単純でなく、物事はいつだって複雑に絡み合い、世情に流されてしまえば、判断が鈍ることは幾度となくある。だが苦しんだ今、『自分がどうしたいのか』というシンプルな選択を出来たことは、君の中で多大な変化になるはずだ。誰もが一人きりで生きていけるわけじゃない。以前も申し上げた通り、誰かに頼ることを恥じることなく、自分一人で抱えることなく、ゆっくり歩いて行けばいい。」


「・・・はい・・・。ありがとうございます。」


初めて、島咲さんに素直な笑顔を見せられた気がした。

夕陽も嬉しそうに微笑んで、俺の頭をまた、褒めるように撫でてくれた。



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