第38話
欠陥だらけの俺に、夕陽は人間らしく生きることを教えてくれていた。
みっともなく泣くことも、誰かに縋って寂しいと打ち明けることも、恥ずかしい自分を受け入れることも、全部夕陽が許してくれた。
俺が言えない気持ちを、きっと夕陽は父さんに伝えてくれたのだと思う。
堪えて生きていくのが大人だと思いながら、振舞って背伸びして生きてきた俺に
同じ目線で笑ったり泣いたりすることが、生きてるってことなんだと、わからせてくれた。
膝をついて俯き、嗚咽を堪えながら泣いていると、暗い隣の部屋から彼の声がした。
「・・・薫・・・?薫!?」
ベッドから慌てて飛び起きた気配がして、部屋の扉を開け放った。
「薫?だいじょぶか!?どうした??」
声を震わせて俺の顔を覗き込む彼に、何だか申し訳なくなった。
「大丈夫だよ、夕陽・・・」
無理矢理笑顔を作って見せると、彼は尚も不安そうに俺の瞳の奥を凝視していた。
「・・・・薫・・・・俺を安心させなきゃとか、思わなくていいからな?俺のことはいくらでも不安にさせていいんだよ。俺は薫のこと、心配してくてしょうがない生き物なんだから。」
夕陽は少しおどけながらそう言って、ぎゅっと力強く抱きしめてくれる。
弱々しい力でしか、返せない手で彼の背中にしがみついた。
「・・・夕陽・・・」
「ん?」
「・・・寂しいとか・・・苦しいとか・・・たくさん思ってたんだ・・・子供の頃・・・」
「うん」
「入院してた頃は・・・もしかしたら死ぬのかもしれないって・・・怖かった。」
「うん・・・」
「でも退院して学校に行くようになっても・・・家族で暮らすことになっても・・・辛いことは繰り返し起こってた・・・」
「うん・・・」
「死ぬのも・・・生きていくのも辛いんだなって・・・気付いたんだ。」
「・・・・・・」
抱きしめていた力を緩めて、そっと体を離した夕陽は、向き合って尚も続きを待つように、俺をじっと真剣な眼差しで見つめた。
「夕陽の言った通り・・・俺は誰かに甘えて身を任せたり・・・不安を忘れて気ままに生きることも出来なくて・・・いっつも寂しかった頃の不安が付きまとってるんだと思う・・・。」
「うん」
「夕陽を愛してる・・・」
「うん。・・・俺も愛してるよ。」
「でも・・・俺は何度もこれから先、同じように躓いて繰り返すよ・・・。」
「・・・それでも一緒に居れば大丈夫だよ。」
喉の奥が痛くて
タガが外れたように涙は止まらない。
「・・・・う・・グス・・・わ・・・・別れを・・・言わせて・・・。」
何とか言葉になったそれを、ガラガラした声でこぼして
膝をついて首を垂れた。
「ごめんなさい・・・・」
夕陽を
もう解放したかった。
自分はもうダメだと思った。
同じ思考を繰り返して、人格を入れ替わり立ち止って
生きていたいのに死にたくなって
どうしていても迷路の中にいるようで
幸せなはずの日々は
俺がひたすら夕陽の人格を歪めながら、享受しているように思えた。
閉じこもって引きこもって、自分一人になったら、簡単に死ねてよかった。
でもその前に、夕陽の手を離してあげなくちゃいけない。
「薫はきっと・・・」
べそをかいて俯いていたら、夕陽は何気なしに言葉を発した。
「自分のせいで、俺を狂わせたと思ってる。」
鼻水をすすりながらゆっくり顔を上げると、夕陽は自分のパジャマの袖で、俺の頬を拭った。
夕陽 「・・・違うよ。」
自分がどんな顔をしていたかなんてわからないけど、夕陽はいつもの優しい微笑みを見せて続けた。
「薫、よく聞いて。
人は良くも悪くも、関わる人との間で変わっていくよ。
悪行を働いた人と一緒に居れば、自分も罪人になるし、善行を働く人と居れば、自分は何もしてなくても、いい人のように思えてくるよ。
薫は俺を洗脳したわけじゃないし、俺が勝手に好きになって一緒に居ることを選んだ。
繰り返して苦しみ続けるんだっていうのは、一種の薫の悟りなんだと思う。
けどそんなことは、薫以外の人でも皆同じことなんだよ。俺だって。
寂しいとか苦しいとか、つらいとかしんどいとか、辞めたいとか逃げたいとか・・・
そういう感情を繰り返して皆生きてる。
その上手くいかない波に任せて、ホントに死んじゃう人もいるけど
俺は薫の手を離したりしないよ。自分が死ぬ程苦しみながら、生きていかなきゃいけなくなっても
薫の手は意地でも離さない。
薫に言い聞かせて、洗脳してでも側を離れないよ。
朝陽を亡くして虚無の中にいても、薫に出会って・・・また会いたいなって思えたんだ。
薫・・・・もっと、どんなことでもいいから、自分のこと話してくれていいんだよ。
ネガティブなことでもいいんだよ。
俺たちはまだ、1年くらいしか自分たちのこと知らない。
何も頑張らなくていいから、惰性でいいから、幸せだと思える小さなことはちゃんと奇跡だからさ、俺と居てよ。
・・・俺たちは、何にも努力しなくても、一緒に居られるだけで幸せだって思えるんだから。」
「・・・・・・・・」
静かに重なった唇の感触が、何度も重なって深くなる口付けが
絵の具が流れていくみたいに、脳内を侵食して行って
そのうち夕陽の大きな体に覆われて、優しく慰めるみたいに体が重なっていった。
皆、辟易してる
生きていくことに。
でもその中で自分を突き動かしてくれる感情は、色んな欲望で、それを許容し合える関係を築けることがもう、奇跡的なのかもしれない。
苦しくて何度も壊しては、日常を築き直して
あっけらかんとシンプルに生きることも出来ずに
愛してやまない夕陽を手放そうと考える俺は
その気持ちが心の中に産まれる度に、何度も自分で自分を殺していた。
それを夕陽に打ち明けるのが怖かった。
「こんなに尽くしてるのに、別れたいなんて思うのか・・・」と思われるのが怖くて。
でもそもそも夕陽は、そんなことを考えやしない。
易々と俺の思考を読み取って見せるし、俺の気持ちを解ろうとする努力を惜しまなかった。
俺は夕陽をちゃんと解ってあげられていないのに。
「夕陽・・・」
「ん~?」
また一緒のベッドに横になって、繋いだ手をぎゅっとする。
「・・・俺が・・・もしいなくなっちゃったらって・・・考えたことある?」
眼前に星空でも広がっているかのように、俺たちは寄り添って天井を眺めた。
「あるよ。」
「・・・・」
「んでももしそんなことが起こったらさ・・・迷いなく探しに行くし・・・本当にもう会えないとか、死んじゃったとかなったらさ・・・迷わず俺だって死ぬよ。」
「・・・・・そうなの?」
「ふふ・・・そうだよ。・・・わかってるよ?俺だって・・・そんなこと無意味で、家族を悲しませるだけで、不毛だってことは。・・・・でも違うんだよ。・・・・薫がいない世界は・・・俺にとってもう違うの。もっかい産まれ直して薫と、出会い直さなきゃいけないんだよ。」
そっと顔を寄せた彼が、可愛い垂れ目で見つめてきて、わずかなカーテンの隙間から漏れる街の灯りで、瞳の中にハッキリ映る自分を見た。
「薫・・・今度産まれてくるときは、必ず近くに産まれて・・・物心つく頃から一緒にいるからな?・・・・寂しい思いなんて、二度としないように。」
そう言われて、またぎゅっとすり寄るように抱き着く彼を受け止めて
今までのことをたくさん思い出した。
出来事も交わした言葉も、一緒に歩いた場所も、愛し合ったことも、過ごしてきた時間も
まだまだ1年くらいしか、と言った彼との時間を丁寧に思い出した。
花束みたいに大事に抱えて生きることが、大事にするっていうことなのに
俺はきっと何度も逃げたくて捨てたくなるんだ。
「夕陽・・・・」
「・・・ん~?」
「夕陽の側に・・・ずっといていい・・・?」
「ふ・・・やっとその気になった~?」
意地悪な笑みでまた視線を合わせた夕陽は、キリっと眉を寄せた。
「言っとっけどな・・・『別れたい』なんて言って、俺が『はい、わかりました。』って言うわけないだろ?何度も考え直してくれるように説得するし、何度も好きになってもらうように必死になるし・・・薫ちょっと俺をまだまだ軽んじてるだろ~。」
「うん・・・俺馬鹿なんだと思う。」
「くく・・・・んなわけないよ。例え馬鹿でも俺の気持ちは変わんないし、薫は堂々と自分の心のままに生きてればいいの。薫が薫であることは、何も悪いことじゃないし、誰にも迷惑かけてないし、俺を毎日幸せにし続けてるだけなの。」
微笑み合いながらまたキスをして、夕陽はふと影を落とすように視線を逸らせた。
「あのさ薫・・・」
「ん?」
「・・・薫が言うような『ずっと一緒にいようね』くらいで・・・良かったんだよな、きっと・・・。結婚してください、なんて・・・俺にはまだ早かったんだろうなって思ったんだよ・・・。」
「・・・・・・」
夕陽はもじもじするように、俺の手を握りながら、落ち着かない様子で指を動かしていた。
「気が逸っちゃってごめんな?・・・不安だったんだ・・・薫を寂しくさせないように、出来ることは全部やりたくて・・・。」
「ありがとう・・・」
「ふふ・・・薫ぅ・・・俺はどこにも行かないからな。」
プロポーズの代わりのように、夕陽はそう言い直してくれた。