第37話
お盆にさしかかる前、その日珍しく咲夜から着信が入った。
「もしもし」
「よ、今大丈夫?」
「うん、テレビ観てた。」
夕食後にいつも通り夕陽と寛いでいる時間、ソファから彼はチラっと電話する俺を見た。
「手短に言うわ。今、美咲んちにいてさ、4人で突発的に計画してたことなんだけど、近くの別荘行って、バーベキューでもしないかって、来る?」
「・・・ん?え・・・と、俺と夕陽を誘ってくれてるってこと?」
「そうだよ、薫単体で誘うわけないだろ・・・。こっちで使用人にキャンピングカー出してもらうし、マジで近場だから何時間もかからないよ。」
「そうなんだ・・・。わかった、検討するから、日程の詳細とか決まったら送っておいて。」
「オッケ、んじゃな~。」
通話を切ってまたソファに戻ると、夕陽は足を広げて座りながら、ポンポンと自分の足の間を叩いた。
そっと座ると後ろからハグする夕陽が、俺の頭に頬ずりする。
「なに~?誰から~?先輩?」
「うん、美咲さんたちがバーベキューに誘ってくれてるみたいでさ、近場の別荘に一緒にどうかって。」
「え~!別荘!?やっぱそういうの・・・気軽に行くんだな・・・」
「そうだね・・・。キャンピングカーで一緒に行こうって。」
「えぇ~やば!いいんかな・・・身内のバーベキューに参戦しちゃって・・・」
「ん~・・・」
誘ってくれる様子の晶さんを想像すると、今まで会話を重ねてきた彼女が脳裏に浮かぶ。
『ね、薫くん、一緒にバーベキュー行かない?もちろん朝野くんも!一緒にどう?行くよね?来てほしいんだけどダメ?二人の仲を邪魔しちゃうかな?でも絶対来てほしいの!ダメ?』
綺麗な目を爛々とさせて、今にも『尊いぃ~』と呟きそうな晶さんが、俺の中に存在していた。
「・・・・」
「薫どしたぁあ?」
「ん~・・・晶さんが来てほしいって言ってるなら、断るの悪いなぁって思っちゃうんだよね。」
「はは、確かに・・・。俺らが押しに弱いってのもあるけど、晶さんってなんかこう・・・悪意なく、他人を動かすのが上手い人だよな。」
「そうだね(笑)」
そんな会話をしていると、ふとスマホから通知音が鳴った。
「ん・・・晶さんからだ。」
画面を覗き込む夕陽とメッセージを開いてみると、動画が添付されていた。
「何だろ・・・」
再生してみると、パッと鈴蘭ちゃんを抱っこしている晶さんが喋り出した。
『薫く~ん、朝野くん、元気にしてる?ちょっとご無沙汰だね。鈴蘭また大きくなったよ~♪ほら、すずちゃん、薫おにいちゃ~んって♡』
「ふふ・・・」
思わぬビデオレターに顔が綻ぶと、夕陽もクスクス笑った。
『あのね薫くん、急にお誘いしちゃってごめんね?でもね、楽しいことは人数がいたほうがいいと思うし、私も美咲くんもね?お友達同士大勢で集まって、わいわい何かをするって・・・実は経験したことないの。』
画面の中の彼女の言葉を聞いて、以前美咲さんについて聞いたことや、友達として少しずつ、二人と距離が近づいている感覚を覚えたやり取りの数々を思い出した。
『今はこうやって家族で集まることは多いんだけどね?でも私たちはこれから色んな人達と関わって生きていかなきゃと思ってて・・・上手く説明出来ないんだけど・・・薫くんや朝野くんから、もっともっと色んな話を聞きたいし、他にもお友達が増えればいいなぁって考えてるの。でもそれは私の勝手な願望で、厚かましくて申し訳ないのだけど・・・私は薫くんも朝野くんも大好きで、一緒にいるお友達としても時間が、もっともっと増えればいいなと思ってるの。だからどうか、もし遠慮していたりしたら気にせず・・・たくさん遊びに来てほしいなぁと思ってるのよ。』
いつもの母性に溢れた晶さんの笑顔が、何だか本当に「お母さん」な雰囲気に包まれていて、何故か少し涙が滲んだ。
『長々と話しちゃってごめんなさいね。・・・それじゃあ、またお返事聞かせてね、おやすみなさい。』
そう言って晶さんは鈴蘭ちゃんの可愛い小さな手を、画面に向けて振って見せた。
終始大人しく抱っこされながらいた鈴蘭ちゃんは、最後に画面にニコっと笑顔を見せてくれた。
夕陽 「・・・なんか・・・俺らが思ってるより、気に入られてるのかもな。」
「・・・」
黙っていた俺を心配して、夕陽がそっと俺の顔を覗き込む。
「薫・・・?」
「ごめん・・・その・・・何か色んな気持ちが混在しちゃって・・・・上手く言えない・・・」
俺は彼女に、自分の母親像を強く重ねてるのかもしれない。
その時久々にパッと頭の中で感覚が入れ替わった。
「ねぇねぇ夕陽」
「ん?」
「・・・俺のお母さんも、晶ちゃんみたいに綺麗で優しい人だったんだよ。」
夕陽はハッとなって、全てを察したように口をつぐんだ。
「いいなぁ鈴蘭ちゃん・・・俺も赤ちゃんの時は、あんな風にお母さんに大事にされてたのかなぁ?」
「・・・ああ、もちろんそうだよ。」
「ふふ・・・夕陽もお母さん大好き?」
「・・・うん、大好きだな。」
「そうだよねぇ、夕陽のお母さんも、夕陽にそっくりな笑顔だもん。俺の事ホントに自分の子供みたいに、なでなでしてくれたもんね。」
「そうだな・・・」
「・・・俺のお母さんは・・・俺の事もう忘れちゃったかなぁ・・・」
そこまで言うと、夕陽は涙を一杯に溜めて俺を抱きしめた。
「そんなわけない・・・・絶対に・・・・」
その後人格が戻っても、また子供の人格が戻ってくるのを繰り返して
夕陽はそんな俺に、終始いつも通り優しく接してくれながら、時折考え込むように、ふっと影を落とす表情を見せていた。
思い悩んでほしくなかった。
これ以上夕陽に、俺自身のことで何かを背負ってほしくはなかった。
その日の夜
またふと夜中に目が覚めて、トイレに向かおうとした時
今日ばかりは明かりなどついていない、閉ざされた彼の自室のドアを見つめた。
何か言い訳を想うこともなく、気付けば淡々と入室して、愛ゆえに溢れるがままに書いているというそのノートを
またぺらっと無造作に開いてみる。
わりと最近の日付が書かれたページを眺めてみると
前と同じように日常的な出来事が書かれたページに続き、次にめくったページは、明らかに違う書き方をされていて、少し目を疑った。
夕陽が普段直筆で何か書く場面がある時、それこそ渡してくれた婚姻届けを二人で書いた時もそうだけど
内面が現れているのか、とても丁寧な字を書く人で、漢字の書き順を間違えたりもしないし、ペンの持ち方も正しくて、達筆というわけではないけど、癖のない真っすぐな字を書いていた。
けれどそのページは、筆圧からして異常さを感じさせた。
殴り書き、とい言うのに相応しいであろうそれは、ボールペンの筆圧が白いノートを圧迫するほどで、薄く引かれた大学ノート特有の行を無視するように、後半の文章に行くにつれて荒れていた。
文字の大きさなどを気にせず書かれたそれは、明らかに夕陽の怒りの表れだった。
今日、薫が倒れた。
呼吸を乱しながら電話してきた薫の弱々しい声が、今もまだ耳に残ってる。
何で側にいなかったんだろう・・・何で薫を置いて家を出たんだろう
薫は、親父さんから届いていたEメールを見て、中身を読んでもいないのに具合を悪くして倒れてしまった。
薫の精神状態を、俺は把握していなかった。もっと言葉を交わすべきだった。
もっと無理して日常を過ごしていることを、見抜いてあげなきゃいけなかった。
どうやら親父さんは・・・罪滅ぼしのつもりなのか、薫用に貯めていた学費を入金したいようだった。
送られてきた内容を見るに、悔いても悔いきれない懺悔の様子が読み取れて、かつ謝罪が重ねられていたのと、薫の今を心配しているのも十分伝わってきた。
けれど以前少し電話で話した時にも、俺は薫がどういう精神状態であるのか伝えたし、本人も取り乱した薫と会話したことで、どれだけ苦しんでいたのか伝わっていたはずだ。
それでも尚、こんな言葉を送って来れるのか・・・正直正気を疑った。
幼かった薫が、健在であるはずの両親が、生活費だけを送りつけて帰宅しない日々を、薫がどういう気持ちで待ち続けていたのか想像したことがあるんだろうか。
俺は他人だけど、それを想像しただけで悲しくて寂しくて仕方なかった。
その時の薫と知り合えていたら、俺はきっと毎日薫の家を訪ねた。
帰って来ずに親のような顔をする両親がいようものなら、代わりに罵倒してやろうとさえ思うはずだ。
けど薫は・・・・少なくとも母親に対しては、恋しいという気持ちを持ち続けているように思う。
親父さんに対しても、世話になってきた、という恩義をちゃんと抱いている。
だからこそ許せないんだ。
薫は優しいのに・・・薫は許してあげられる子なのに
薫はずっと待ってたのに
薫は二人を好きだと、大事だと思ってるのに
そんな薫に、お金を送って来ても会おうともしない。
門前払いされるのが怖いだけだ。拒否されるのが結局こわいんだ。
そんなもんは愛情じゃない。俺は許さない。
どれだけ薫が許そうと思ったとしても、俺は一生薫を独りぼっちにさせた彼らを許さない。
許さない許さないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさない
薫のそばをはなれない 俺はもう二度と離れない 俺だけが薫の味方だ。
絶対許さない。
会いに来たら殴り飛ばしてやる。
薫が痛かった分、寂しかった分、わかるまで殴ってやる。
優しい薫に、謝ろうなんて許さない。
メールの内容、事実を伝えたら、薫は「勝手な人・・・」と呟いてから、自分の非を口にした。
薫は悪くないよ。薫は何も悪くない。
薫に寂しい思いをさせて放って置いた両親なんて、もう忘れてほしい。俺がいるから。
薫が幸せな笑顔を見せて亡くなる時まで、俺が側にいるんだ。
「う・・・・・グス・・・・・うぐ・・・・・」
夕陽の日記とも言えないそれは
最後の一文だけとても綺麗に書かれていて、笑顔を見せるように終わっていた。