第32話
思わぬ島咲さんからの援助の話を受けて、とりあえず検討する旨を伝えて保留となった。
「美咲くんのうちに行くのか。」
「はい、お呼ばれしてまして・・・。久しぶりに鈴蘭ちゃんに会えるのも楽しみです。」
ちょうどお茶をする時間帯になり、小夜香さんの手作りらしいクッキーを頂きながら、3人で和やかに過ごしていた。
島咲さんはふと思い出したように断りをいれてリビングを出た。
残された俺と夕陽は、またクッキーを一齧りしてコーヒーに口をつける。
「・・・島咲さんさ・・・薫がカッコイイなぁ・・・って見惚れるのもわかるわ、なんか。」
「・・・ふふ、別に今更見惚れたりしてないよ?」
「うん、まぁ・・・。なんつーかさ、内面も恐ろしく出来た人だし、人としてのカッコよさっていうのも、表に出てる感じするなぁって。」
「・・・そうだね。」
じっと見つめ返しながら相槌を返すと、夕陽はニヤリと口元を上げた。
「なに~?薫的には別にカッコイイと思うとこあんの~?」
「ううん、そうじゃなくて・・・。人格者である内面とか、人の好さとか、愛情深さが表に出てるなぁって一番感じるのは、夕陽に対してだから・・・。俺の中では夕陽が一番カッコイイよ。」
「・・・・・・・」
夕陽は口をへの字にして、視線を逸らして次第に頬を染めていく。
「そんなに照れる?」
「いや・・・・」
何か言い返そうとしながらもソワソワする彼を眺めていると、再び島咲さんが戻ってきた。
「すまないな、二人とも。・・・・ん?朝野くんどうした?」
赤くなった夕陽に心配そうに声をかける島咲さんがいて、思わずクスっと笑ってしまうと、夕陽は「何でもないです!」と被せるように答えた。
「薫くん、遣いっぱしりにして申し訳ないんだが、美咲くんのうちに行くなら、ついでにこれを渡しておいてもらえないか?」
島咲さんはそう言って、白い封筒を差し出した。
宛名が書かれていないそれは、折りたたまれた書類が入れられている。
「はい、わかりました。渡しておきます。」
「ありがとう。・・・それと・・・」
島咲さんはまたテーブル席につきながら、思いつめるように視線を伏せた。
「さっきは・・・親御さんの事情に対して、勝手なことを申し上げてすまなかった。」
意外な言葉に俺も夕陽も顔を見合わせて黙った。
「薫くんの家庭の事情をよく知りもせずに、いい大人が私情を挟んだことを言ったなと思って・・・」
「いえ・・・そんな・・・あの・・・。・・・・厚かましいですけど、親代わりにとおっしゃってくださったこと・・・嬉しかったです。」
その灰色の綺麗な瞳が、また慈しむように細くなった。
その後美咲さんちへ向かうために、電車で行くことを伝えると、島咲さんはわずかな距離であるのに、車で駅前まで送って行ってくださった。
夕陽と二人で改札を通って、人もまばらなホームに立ちながら、彼はしんみりと口をこぼした。
夕陽 「な~んか・・・」
「ん?」
「島咲さんって・・・思ってたよりずっと、普通のお父さんって感じしたなぁ・・・。」
「・・・そう?」
「うん・・・。小夜香さんと話してる時とおんなじ雰囲気だったし、なんつーか・・・言葉の選び方とか、落ち着いた話し方とか・・・。正直元当主で医者って知ってたから、もっとピリピリした空気放ってて、とっつきにくそうな人かと思ってたわ。」
「そっか・・・。俺があんまり普段バイト中会わないのと、どんな人か教えてなかったからかもね。」
夕陽と一緒に居る時間で、あまり違う人の話を話題に出すことはしないし、気を付けていることが板についていた。
電車に乗って美咲さんちへ伺うと、相変わらず晶さんが満面の笑みで出迎えてくれた。
「二人とも~~♪久しぶり~!」
「ご無沙汰してます、お邪魔します。」
「暑かったでしょ?来てくれてありがとう。」
晶さんはお母さんのように俺の側によってタオルで汗を拭いてくれた。
洗面所を借りて二人で手洗いを済ませた後に、テーブル席につくと、晶さんは冷たいアイスコーヒーを目の前に置いてくれた。
「いただきます。」
「ふふ、後でアイスもあるから。ゆっくりして行ってね。」
夕陽 「ありがとうございます。・・・美咲さんは・・・?」
「あのね、さっきまで鈴蘭を抱っこしてたんだけど、お昼寝しちゃったから寝室に寝かしに行ってくれたの。ちょっと待っててね。」
薫 「あ、いえ・・・起こしちゃったら悪いですし・・・」
「大丈夫よ、鈴蘭一度寝たらぐっすりだから。」
晶さんはささっと二階へと上がっていく。
妊婦じゃないにしろ、少し抜けてるところがある人だし、階段大丈夫かな・・・と未だに不安になってしまう。
程なくしてそ~っと戻ってきた晶さんは、またいつものように「ふふ♪」と花が咲いたような綺麗な笑顔を見せる。
「一緒に寝ちゃってたわ♡二人一緒の寝顔撮っちゃった♡」
嬉しそうにはしゃぐ彼女につられて笑みが漏れて、見せてくれる写真を眺めてあれこれ話しながらふと思い出した。
「あ!晶さん、更夜さんの自宅に伺ってたんですが、ついでに渡しておいてほしいと・・・これ、預かってます。」
鞄から封筒を取り出して差し出すと、彼女は一瞬じっと見つめてから手に取った。
「私宛かな?それとも美咲くんにとおっしゃってた?」
「えと・・・・」
夕陽 「名言はしてなかったですよ。でもたぶん美咲さんにだと思います。」
「そう。わかったわ、ありがとう。」
彼女が受け取った封筒をしまいにまた二階へと昇ろうとすると、今度は美咲さんが部屋から出てくる音がした。
階段の上からこちらに顔を覗かせた彼は、申し訳なさそうに言った。
「二人とも・・・悪い、寝てしまってた・・・」
「いえ、お構いなく・・・休める時は休んでください。」
美咲さんは少し疲れた目をして苦笑いを落とした。
「今日呼んだのは渡したいものがあったからなんだ。・・・ちょっと俺の部屋まで来てくれるか?」
何だろう・・・と夕陽と顔を見合わせて、寝ている鈴蘭ちゃんを起こさないために、ゆっくり二階へと移動した。
大きな階段の上は、広い廊下が広がって、まるで西洋のお屋敷みたいだ。
お手伝いをさせてもらってた時、夕陽と二人がかりで廊下と窓掃除をするのが、一番骨が折れたものだった。
いくつも扉が並ぶ先の最奥へと進むと、美咲さんは自分よりも大きい扉をそっと開けて、入ってくる俺たちを待った。
二人で掃除をしていた時、どの部屋も同じくらいの広さがあって大変だったものだけど、美咲さんの部屋は特に広さがあるような気がした。
内装が和洋折衷なレイアウトをしていて、調度品も多く飾られている。
美術館で絵画でも眺める気分で、二人してキョロキョロ見回っていると、美咲さんは部屋の奥にある扉に入って行ってしまった。
夕陽は俺の袖をちょいっとつまんで言った。
「なんか・・・骨董品とか、でっかい絵画とか・・・すごいな・・・」
「そうだね・・・。触ったら大変だね・・・」
頷き合いながら改めて部屋を見るも、何だか美咲さんのイメージとは違う気がした。
収集家だとかそういう話はされていたことがないし、置かれている芸術品も、何だかコンセプトがバラバラで、統一感がない。
唯一美咲さんの空気を感じるとすれば、ソファとテーブル近くに置かれた本棚くらいだ。
そう思っているうちに、美咲さんが奥の部屋から何かを抱えて戻ってきた。
「これ・・・二人ともちょっと持って広げてみてくれるか?」
洋服・・・じゃない・・・和服・・・?
落ち着いた柄の和服を、二人して受け取って広げた。
夕陽 「これ・・・浴衣ですか?」
「ああ。・・・朝野くんは俺より大きいから、気持ち丈が短く感じるかもしれないが・・・その分涼しく着られると思う。薫くんは逆に俺より小柄だから、裾上げを少しすれば快適に着られるだろう。」
「え・・・えっと・・・」
いただけるということだと思うけど、俺も夕陽も戸惑いながら表情を返すしかなかった。
すると美咲さんは二着分の帯を束ねながら言った。
「ずっと箪笥の肥やしだったんだ。他にも俺は何着か所有しているけど、父から譲り受けたものや、思い出のあるものは自分用に残してるから・・・それらは二人に是非もらってほしい。」
「・・・でも・・・その・・・たぶん高価なものなんじゃないですか?」
和服の質の良さなんて見てわかるものじゃないけど、当主だった彼が安物など与えられるはずがない。
「もちろん安いものじゃない。だけどお抱えの呉服屋が俺用にあしらえたものだから、本来値を付けたらいくらするかなんてことはわからないな・・・。二人がすんなり受け取ってくれるとは思ってないけど、使ってほしいと思う相手が君らしか思いつかなかったんだ。」
少し恥ずかし気に笑みを見せる彼は、俺と同様にそれ程同世代の知り合いがいないのかもしれない。
夕陽 「でも・・・咲夜さんとかは・・・」
「咲夜は俺同様、専用に作られた着物や浴衣は何着か持ってるよ。・・・持ち帰るのを嫌がって俺が預かってるものもあるけど・・・。二人とも夏休みだし、祭りや花火大会に行く機会があるかもしれないなと思って。・・・和服は着たくないか・・・?」
珍しく自信なさげに、残念そうな表情で問いかける美咲さんが、何だか不憫になってくる。
「い、いえ・・・嬉しいです・・・。でもいいのかなホントに・・・」
夕陽 「・・・・。薫、せっかくだし貰っとこう。祭り行く予定もあるしさ、浴衣デートしたいだろ?」
これ以上の遠慮は美咲さんに悪いと思ったのか、夕陽がそっと俺の頭を撫でていった。
「・・・うん、そうだね。・・・美咲さんありがとうございます。」
夕陽 「ありがとうございます。大事にします。」
「・・・ああ・・・。こちらこそありがとう。」
お辞儀した顔を上げてみると、美咲さんはまた苦笑いを落として続けた。
「・・・ずっと・・・同世代の友達というのは、いたことがなかったんだ。今まで。」
美咲さんは緑と紺の帯を、俺たちそれぞれに手渡した。
「二人とも存じている通り、俺は財閥が解体されるまで、外のうちで暮らしたことがなかった。18歳から大学生として初めて外で学ぶ機会を得たんだ。・・・その時は一族が・・・屋敷が解体される予定が立っていた頃で、残されたものや更夜さんに負わされた仕事を考えると、一日でも早く卒業しなければならなかった。もちろんあの方がそれを急いたわけではなく、むしろ俺や晶の父親代わりとなって、あれこれ世話を焼きながらいてくれた。けど内心・・・すごく焦っていたんだ・・・。」
美咲さんの苦しそうな表情が、つらい現実を背負いながらどれ程奮闘していたのか知れた。
「晶がいなければ、とっくに心が折れていたと思う。・・・彼女を守って生きていかなければ、自分を保てないと思うほど躍起になっていて、結局ろくに学生生活という感覚を持たぬままに2年で課程を終えてしまった。・・・もちろんその間、心許せる友人の一人も出来ないまま。」
咲夜から多少美咲さんの話を聞いていたから知ってる。
彼は飛び級するその間にも、予備試験を突破して、司法試験にまで受かったんだ。
19歳で弁護士資格を得た、日本でも有数の天才だろう。
「だから・・・二人が晶の支えになって、ここで働いていてくれたことは、俺にとっても嬉しい時間だった。雇い主という立場だから、二人からしたら俺はあまり・・・身近な存在ではなかったかもしれないが・・・。薫くんがずっと、仲良くなろうと歩み寄ろうとしてくれていたのも感じてたよ。」
美咲さんはまた、衣装部屋らしいそこから桐箱のようなものを持ってきて、床に置くと俺たちに渡した浴衣たちを、綺麗に畳んで収めてくれた。
「・・・二人とも着付けの仕方はわかるか?」
「え・・・あ・・・はい・・・えっと」
夕陽 「・・・わかんなかったら動画とか観て頑張ります。」
「うん。」
夕陽 「薫、美咲さんは・・・俺たちの事、とっくに友達だと認識してくれてたみたいだぞ?」
にっと口元を持ち上げて夕陽は俺の頬を撫でる。
桐箱を持ち上げて尚も優しく微笑む美咲さんは、その落ち着いた雰囲気も、優しい性格も、どこか咲夜に似通っているけど、きっと咲夜よりずっと、俺たちのことを気にかけてくれていたのかもしれない。
「美咲さん・・・あの・・・いや・・・えっと・・・こないだから・・・敬語はやめようってなったし・・・その・・・お友達としてこれからも仲良くしてください。」
ぺこっと頭を下げると、「ふふ」と微笑んで夕陽も続いた。
「俺も・・・色々世話になってるからなぁって、ついつい敬った態度取っちゃってたけど・・・。これからはもうちょっと距離詰めて接していき・・・・いくわ・・・。」
「ふふ・・・そうしてくれ。」
箱を持ったまま部屋を出ようとする美咲さんの背中を追って、俺たちは晶さんの待つリビングへと戻った。




