第19話
俺は無意識に体がパッと動いて、リビングのドアを開けて入った。
「お父さん!」
黙りこくった夕陽の背中が見えて、お父さんは突然呼ばれたことにビックリしながらも、入って来た俺に視線を向けた。
後に続いてお母さんも戻ってきて、二人の間の妙な空気に反応した。
母 「・・・夕陽?」
俺がそっと彼の側に座って、腕を絡めるように寄り添うと、夕陽は無表情なまま目を伏せていた。
あ・・・・
その時何故か無性に怖くなった。
夕陽の考えていることが、
手に取るようにわかる気もしたし、
彼を解った気になっていた自分に嫌気がさしたし、
お父さんの優しさを無碍にも出来ず、
素直に受け取ることも出来ず、
硬直している夕陽が、
何を思っているのか知るのが怖くなった。
けどそんな俺は所詮
自分を支え続けている夕陽が、
彼という存在が瓦解してしまうことを恐れてるだけだと知ってる。
そんな浅はかな自分が、大嫌いなのに
俺はずっとそれをしまい込んで隠している。
「お父さん?夕陽にお金のこと話したの?」
夕陽の様子に気を取られていた頃、少し会話をしていた二人の言葉がようやく耳に入った。
申し訳なさそうに言葉を探すお父さんをしり目に、お母さんは俺と同じように夕陽の隣に座り込んだ。
「夕陽・・・ごめんね。あなたに何かを押し付けたいわけじゃないの・・・。余計なお世話だったわよね・・・。だからね?受け取りたくない気持ちは、素直にそう言ってくれていいのよ。」
お母さんの優しく諭す声に、夕陽は次第にピクピクと口元をひきつらせた。
「・・・・・・・・・いや・・・・・別に・・・・余計だとは思ってなくて・・・・」
そして次第に彼の目にじんわり涙が溜まりだした。
俺が袖を掴む力を込めると、夕陽はハッとなって俺を見た。
するとみるみるうちに浮かべた涙を引っ込めて、いつものくしゃっと笑う可愛い笑顔を見せる。
「薫・・・そんな不安そうな顔しなくていいから。・・・・父さんも母さんもさ・・・・いや、俺がそうだからかもしんないんだけど・・・気遣い過ぎだって・・・。そりゃ・・・薫と婚約したけどさ、そのわりにはちょっと祝う金額が高いじゃん・・・な?薫・・・」
お父さんもお母さんも、少し困ったような表情をして尚も夕陽を心配していた。
俺の存在が・・・夕陽に無理をさせてる・・・
思わずゴクリと生唾を飲む。
ここで俺が彼の調子に合わせてしまったら、夕陽はこれからも気遣いを突き通してしまう気がした。
「ゆ・・・・・ふぅ・・・ふぅ・・・夕陽・・・」
「薫・・・大丈夫か?」
「夕陽・・・・大丈夫だから・・・」
「ん、そうか?・・・ちょっと部屋で休むか?」
「違う・・・。夕陽・・・俺にだけ話したい?」
「・・・え?何が?」
「俺にだけ・・・自分の気持ち・・・・話してくれてもいいし・・・俺はっ・・・二人にぶちまけたっていいと思うよ?だって!・・・・夕陽を産んで育ててくれた二人だから・・・大丈夫だよ・・・。夕陽、大丈夫だから。」
夕陽が、自分の気持ちを子供らしく二人にぶつけることで、更に二人に至らない親だ・・・と思わせてしまうことが怖いと思ってるくらいわかってる。
娘を亡くした両親に、追い打ちをかける自分の言葉を、気持ちを・・・封印してることくらい
俺にはずっとわかっていた。
夕陽は狼狽えるように瞬きをして俯いた。
するとお母さんは、涙を堪えながら鼻水をすすって、夕陽の手を握った。
「夕陽・・・・・ごめんね・・・・」
「んで・・・・・・謝んの・・・」
「夕陽・・・父さんな・・・普段通りでいてほしい、みたいな気持ちを・・・お前に態度で押し付けちゃった気がしてたんだ・・・。お金のことは・・・申し訳ないなんて思わないでくれ・・・。朝陽も夕陽も・・・大事な俺たちの子供なんだから・・・。」
震えながら、堪えながら、夕陽は俯いたまま涙をこぼした。
色んな気持ちが、夕陽の中で渦巻いてぐちゃぐちゃになって、形にならないそれらは、ずっと彼を苦しめる。
俺がそっと手を伸ばすと、彼はぐしゃぐしゃになった顔を上げて抱きついた。
「薫・・・・ごべん・・・・なぁ・・・ごめ・・・・俺・・・・薫のこと・・・長生きして一生守るって誓ってんのに・・・・朝陽が・・・朝陽が死ぬくらいなら・・・俺が代わりになればよかったんだって・・・何度も何度も思っちゃうんだ・・・。何度も・・・これからも・・・夏になったらきっと考えて・・・・こんなごと・・・考えたってなんも変わんないのにさぁ・・・・ごめ・・・・」
潰れんばかりに俺を抱きしめる夕陽の背中を、力いっぱい抱きしめ返した。
夕陽の中で
一人きりでずっと考えていたであろう行き場のない気持ちは
朝陽さんの命日が近くなればなるほど、彼の心を蝕んでいた。
どれほど悔やんでも、恨んでも、朝陽さんは戻らない。
彼女は高校を卒業することも
大学に入学することも
就職することも
結婚することも
出産してお母さんになることも
何もかもが出来なくなった。
夕陽は自分が卒業した時も、入学した時も、これから先のことを俺と一緒に考えた時も、きっと心のどこかで妹を想っていただろう。
けどその全てを、俺に感じさせないために隠していた。
自分の親にさえも・・・
その2年間を、お父さんもお母さんも気遣いながら心配していたんだ。
けど気遣えば気遣う程、夕陽は平気そうに笑っただろう。
精神疾患を患って、人格に翻弄される俺に、自分の弱さなんて打ち明けられやしない。
それでも季節が巡ると、否応なく夕陽の心はつぶされていく。
そんな彼に、いったいどう接して何を言えば、心が回復していくかなんて、俺には解り得ない。
しばらく嗚咽を漏らしながら泣いていた夕陽は、また落ち着きを取り戻した頃、二人に「ごめん」と頭を下げた。
どうしても落ち込んだ姿を見せたくなかったから、誕生日を二人に祝ってほしくなかった
けど俺がいる手前、幸せな家族との時間も作ってあげたかった
妹のために二人が蓄えていたお金を、自分が使うんだと思うと、正直死にたくなるほど嫌で、出来れば二人がこれから先、生きていくために使ってほしい
夕陽は出来るだけ簡潔にそう伝えた。
息をついて最低限のことを吐きだし終わった夕陽を、お母さんは力いっぱい抱きしめた。
たくさんの愛情ある言葉をかけながら、小さい子にそうするように、たくさん夕陽を褒めた。
何だか俺にそんな姿を見られることを、恥ずかしそうにする夕陽が、少し可愛くて思っていると、お母さんは俺のこともぎゅっと抱きしめてくれた。
「薫くん・・・ありがとう、夕陽の側にいてくれて・・・。」
滲みそうになる涙を堪えて、最後には4人でどうしようもなく落とすように笑い合って、夕陽と代わりばんこでお風呂に入った。
お風呂から上がって、挨拶し損ねてたことを思い出して、和室へと向かった。
お父さんとお母さんが、リビングで寛いでいる気配を感じながら、そっと廊下から引き戸を開くと、お仏壇の前に静かに正座していた夕陽が、パッと振り返った。
「薫・・・どした?」
「・・・夕陽こそ・・・」
「ふふ・・・ただいまって言い忘れてた。ご飯のお供えも、母さんに任せてたし・・・」
「うん・・・俺も・・・ご挨拶したいなって。」
畳の感触と井草の香りが何とも落ち着く和室で、そっと隣に正座した。
写真の中の朝陽さんは、可愛らしい笑顔で夕陽を見つめ返していた。
「・・・・7月・・・10日だよ・・・」
「・・・命日?」
「ん・・・・。夏休み前だった。朝陽は・・・9月生まれだから・・・まだ16歳だった。」
夕陽の手をそっと握って、ピッタリ寄り添って座る。
「残された俺は・・・ずっと・・・自分を慰めながら生きていかなきゃならねぇかなぁって・・・思ってた。・・・・けど・・・毎日死人みたいに生きてた俺の目に・・・或る日薫が映った・・・。」
苦しそうにするでもなく、何だかいつもよりももっと、大人びた笑みを落とす夕陽は、俺の手を握り返してそっとキスをした。