第16話
6月初頭、晶さんと美咲さんから連絡をもらっていた俺たちは、出産祝いを手に、久しぶりにご自宅へと伺った。
もうすぐ梅雨入りしそうなこともあってか、生憎の雨だけど、夕陽は荷物を持ちながら嬉しそうに相合傘をしてくれた。
「夕陽・・・」
「ん~?」
「肩濡れてるよ?」
「あ~・・・いいの。家着いたら美咲さんからタオル借りるよ。」
仕方ないなぁと思いながら笑みを返すと、夕陽は愛おしそうに微笑み返した。
俺は自分の中で密かに、今後の小さな目標として、意識して気持ちを伝えていこうと考えていた。
人格に振り回される時、それはいつも自分の中で消化不良な気持ちを抱えている時だ。
上手く言葉に出来ずに飲みこむのはやめよう。
「夕陽」
「ん?」
隣をゆっくり歩いてくれる彼は、またニコリと俺を見やる。
「夕陽の、幸せそうに相合傘してくれるところも大好きだよ。」
「ふ・・え・・・・ん?ふふ・・・どうしたぁ?」
不意打ちの告白に面食らった彼は、ニヤニヤする顔を抑えきれない様子で照れていた。
「だって好きなんだもん。」
「えへへ・・・・・いやぁ・・・な・・・うん・・・。ちょおも~絶対今俺顔ニヤついててキモイってぇ。不審者に見られちゃうじゃん。」
「ふふ・・・雨の日を一緒に歩くのも、ちょっと久しぶりだね。」
「そうだなぁ・・・。薫は雨好きだもんな。」
「うん。・・・夕陽はちょっと苦手でしょ?」
「んふふ・・・よく知ってるなぁ。」
「そりゃあ一緒に暮らしてるもん。」
足元でパチャっと跳ねる水滴が、夕陽にかかるのが申し訳なくて、気を付けて歩を進めていた。
車道側を歩いてくれる夕陽は、通り過ぎる車に気を付けながら、歩幅を合わせてくれる。
「夕陽」
「ん?」
「荷物・・・いっつも重たい方持ってくれてありがとう。」
「んふふ・・・何だよさっきからぁ・・・」
「・・・夕陽の気遣いとか、俺への配慮とか・・・細かいところ、全部好きだよ♡」
「・・・おい・・・泣くからやめて。」
「泣くの?」
「ふふ・・・」
夕陽は自分を信じてろと言った。
どれだけ自分の人格に翻弄されようと、夕陽を道しるべに生きるんだと、自分に言い聞かせることにした。
「夕陽・・・」
「・・・今度はなあに~?」
次は何を言われるのかと、少し楽しみにして聞いている彼は、もう口元が緩んでいる。
「・・・夕陽に対して・・・申し訳ないなぁっていう気持ちを捨てて・・・ありがたいなぁって思い続けることにしたよ。・・・一緒に居られることを、当たり前だと思わないって、いつか夕陽は言ってたから・・・。少しずつ自分を取り戻しながら、生きていく過程で・・・まだもう少し・・・寄り掛かっててもいい?」
密着して歩いている傘の下、持ち手を握る夕陽の手の上から、自分の手を重ねた。
大したことない雨が、傘にぶつかる度に俺の声をかき消してる気がした。
夕陽はまた、ニコリと微笑む。
「もちろんいいよ。・・・・気付いてるのか気付いてないのかわかんないけどさ・・・俺・・・薫を好きだなぁって自覚した時から、今も変わらず、一緒に居られることが嬉しいし、隣にいるだけで有頂天だし、毎日薫の色んな顔見れて幸せだし・・・あんまりいちいち口にはしてないけどさ、『大好きだよ』とか『愛してるよ』では、あんまり伝わってこなかったのかもなぁ・・・。だからさっきのちょっとしたことに対する薫の「好き」が、小さな一つとして俺を生かしてくれてんだよ。だから俺もさ、同じくらい細かいところに、好きだなぁって感じてるよ。周りに沢山人がいてもさ、薫が隣にいるなら、俺は薫しか見えてねぇの。他はどうでもいいんだよ。」
「・・・そうなの?」
「そうだよぉ?薫と一緒に居る時に、講義室で誰かに話しかけられたり、薫が声かけられたりするとさ、『あ~邪魔しないでくんないかなぁ』ってちょっとイラっとすんだよな。」
「ふふ・・・夕陽全然怒るイメージないのにね。」
「だろぉ~?実はイライラしてんの。」
「・・・じゃあ美咲さんとか、晶さんが俺に話しかけてたら?」
「あぁ・・・それはあの二人はさ、俺たちの関係を知ってるし、親に似た愛情感じさせる人たちだから、そういう気持ちは湧かないかな。」
「そうなんだ・・・。じゃあ・・・小夜香さんとか・・・咲夜は?」
淡々と楽しそうに語っていた夕陽の、口角がすっと下がる。
「・・・・・・・・」
「あれ・・・今ちょっと怒った?」
「ふ・・・ええ~?・・・ふふ・・・」
「夕陽、何でも正直に気持ちを曝け出していこうよ。」
「ふふ・・・・。ん~・・・・じゃあ・・・まぁお言葉に甘えてぇ・・・・。はぁ・・・・前も言った気がするけど・・・薫の口から「咲夜」って名前聞きたくない・・・。」
「ふふ・・・・」
「なぁに笑ってんだよぉ」
「ん~ん♪今度からその言葉は着火剤に使えるんだなぁと思っただけだよ?」
俺がニヤけそうになる頬を堪えると、夕陽は歯を食いしばって窘めるような顔をするけど、傘と荷物で両手がふさがってるし、外だということもあって、言葉を飲み込むように息をついた。
そのうち次第に雨は弱まって、二人のうちが見えてくる前に止んだ。
美咲さんちの目の前に着いて、久しぶりに訪れたその豪邸に、少し緊張感を覚える。
けど同時に、まだ見ぬ二人の赤ちゃんにワクワクが抑えられなくもあった。
インターホンを押して、懐かしく出迎えてくれる晶さんが、お腹が小さくなってすっかりスリムな体系に戻って、玄関ドアを開けて門扉まで駆けて来てくれた。
「いらっしゃい!二人とも!」
心底楽しみにしていた様子が窺い知れる彼女は、長い髪の毛を緩く三つ編みにまとめていて、相変わらず見惚れる程美人だ。
「ご無沙汰してます。」
二人して会釈すると、晶さんはささっと門扉を開け放って、ウキウキしながら俺たちの手を引いた。
「雨の中わざわざ来てくれてどうもありがとう♪もう首を長くして待ってたんだから!ごめんなさいね、私が知らせを送らなかったから、心配させちゃってたわよね。」
「いいえ、勝手にソワソワしてただけなので・・・。」
広い玄関を上がると、ソファの近くに小さな布団が敷かれていて、そこで美咲さんが腰を折って座っているのが目に入った。
「あ、二人とも・・・出迎え出来なくてごめんな。」
「いえ!お気になさらず!お邪魔します。」
「お邪魔します美咲さん。晶さんあの、これつまらないものですが・・・」
夕陽が手土産を手渡すと、美咲さんはそっと赤ちゃんを抱き上げて俺たちの前へやって来た。
「わ・・・・」
生後1カ月と少ししか経っていない、産まれたばかりの赤ちゃんは、時々パチパチ瞬きしつつ眠そうにしていた。
白くて小さな蕾みたいに閉じられた掌は、ようよく見ないと分からない程、更に小さな爪がついてる。
父親である美咲さんに抱っこされて、安心しきって目を閉じてしまい、可愛いピンクのウサギ柄の服が、一層に可愛さを際立たせていた。
「あ・・・か・・・可愛い・・・。」
目の前の天使に、それ以上言葉が出なかった。
もちろん街中で時々赤ん坊を見かける機会はあったけど、身近でこんな近距離で、知り合いの赤ちゃんを目にしたのは、もちろん初めてのことだ。
「可愛いなぁ・・・。内緒にされてましたけど、女の子だったんですね。おめでとうございます。」
冷静に祝辞を述べる夕陽に、俺もハッとなって続いた。
「あ、おめでとうございます。母子ともにお元気で本当に安心しました。」
「ありがとう。」
「ふふ、二人も元気そうでよかったわ。さ、立ちっぱなしなのはなんだし、お茶淹れるからゆっくりしてね。」
俺たちがソファに腰かけると、天使を抱いた美咲さんも、俺の隣に腰かけて言った。
「そういや・・・こないだ咲夜がうちに来た時、滅多に連絡を取らないから、元気にしてるだろうかと、薫くんのことを話してたよ。」
さっき話していたこともあり、俺は反射的に夕陽を一瞥すると、彼はポーカーフェイスが上手いもので、何でもない表情をしていたので、俺も何でもなく答えることにした。
「ああ・・・そうなんですか。確かに最後に会ったのはここでだったので・・・。」
何か濁した言い方をすると、喧嘩でもしたのか心配されるかなと思ったけど、美咲さんは赤ちゃんの背中をトントンしながら、静かに落とすように呟いた。
「・・・いや、すまない朝野くん。」
「・・・え・・・いえ・・・・全然・・・。」
その一瞬で何かを見抜かれた気がした夕陽は、驚きを隠せない様子だったけど、慌てて赤ちゃんのために購入した手土産で、話を変えるのだった。