プロローグ2
天鳥 織翔はかつてない程に命の危機に瀕していた。
かれこれ数時間、全速力で走り続けているが不思議と体力の消耗は感じていない。
強いて言えば足が少しだけ重く感じるが、後数時間はこのトップスピードを維持することは造作もない事だった。
しかし、状況はとても余裕と言える程易しい物では無かった。
背後から感じる複数の怪しい気配。
自分を捕まえようとしつこく追いかけ回してくる奴らに捕まればどうなるか…。
もはや言うまでも無いその恐ろしい結末を回避する為、織翔は走り続ける足の速度を更に加速させる。
今、奴らとの距離はどれくらい離すことが出来たのか…。
それを確認する為振り返った織翔の目に映ったのは_。
全裸でツインテール、強面の顔にたっぷりのお化粧が乗った筋肉盛々のムキムキマッチョ軍団の姿だった。
「ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
そこで織翔の意識は覚醒し、悪夢から現実へと解放されていた。
汗が染み込み、ベタついて気持ちの悪いパジャマを脱ぎ捨ててから時計を確認する。
時刻は午前5時を少し過ぎた頃合。
それを確認してから目覚まし設定を切り、重い溜息を吐いた。
「はぁぁぁー……とんでも無い夢を見た…………シャワー浴びるか」
意識がまだ完全には覚醒しておらず、半分寝ぼけ眼で浴室へと向かう。
そういえば昨日の記憶が何故か思い出せそうで思い出せないと、不思議に思いながらパジャマを洗濯機の中へ放り込み、ふと何気なく洗面所の鏡を覗き込んで硬直した。
「なんだこりゃ!?」
天鳥 織翔という青年の容姿は黒髪に黒い瞳といった普通の日本人らしい見た目だ。
しかし、どうだ。
今、目の前の鏡に写っているのは金髪に綺麗な緑色のグリーンアイの青年。
顔の輪郭はいつも通りの自分だが、それ以外が明らかにいつもとは違っていた。
「え?これ、俺!?昨日俺髪染めたっけ!?しかもなにコレ…カラコン!?」
思わず目の中に指を入れてみるが、そこにコンタクトの感触は無く、生の眼球に指が触れてしまった。
「うわっ痛っ!?っ〜〜……カラコンじゃないのかよ…どうなってんだ…」
そこでようやく意識が完全にハッキリと覚醒し、昨日あった出来事がありありと思い出される。
後輩にメントスコーラを仕掛けられた。
事件のあった場所へ向かおうとした。
しかし、後輩の忠告を思い出して引き返そうとした。
その時、目の前が光り奇妙な青年が中から現れた。
そして______。
「そうだ!!あの時あの変な奴と引き寄せられて…そんで……そっからの記憶が無ぇ!?」
互いに引き寄せられあってぶつかった所までしか思い出せなかった。
その後のことはどうやって自分の家へ帰宅する事が出来たのか、それすら思い出すことは出来ずにいた。
「一体……なんだったんだ?……あの変なやつ…確か名前が………オル…オルオ?あ、オレオ・スイカランドだったか!?」
…………オルフェン・スカイバードだよ…。
織翔の呟きに対して、突如何処からかそんな声が聞こえてきた。
驚いて織翔が辺りを見渡すも、周囲から人の気配は全く感じられない。
「誰だ!?何処にいる!?」
洗面器下の戸棚を開けたり、洗濯機の中を覗き込んだりしている織翔に再び声が聞こえてきた。
……ここだよここ。
「っ!?だから……何処から話しかけてんの!?英語で言うとwhere?の何処?って聞いてんの!!」
(そりゃあ…君の中からだよ)
「………は?俺の…中?」
織翔は自分の体に視線を落とし、自分の胸や腹をさすってみるが何の違和感も感じない。
(なんだ…?さっきから聞こえてくるのは空耳か?)
(いいや。確実に今、君に話し掛けているのは僕自身だよ。但し、君にしか聞こえない声なんだけどね)
(!?)
織翔は驚愕した表情を浮かべる。
今この声の主は、自分の心の中で思った事に対して返してきた。
間違いなく、今自分の身に非常識な事態が起こっている事を確信する。
(おい…まさかお前、オルフェン・スカイバードか?)
(そうだよ。ようやく思い出せたみたいだね織翔。あと、僕のことはオルフェンで構わないよ)
間違い無い……コイツ俺の中にいる。
(マジかよ……一体何で俺の中にお前がいるんだ?)
(当然の疑問だね。でも結論から言うと僕も全ては把握出来ていないんだ……いや、本当の事言うと殆ど何も理解出来ていない)
(なんだそりゃ)
(分かっている事は織翔と僕があの時接触した事で、何らかの反応が起き、互いに引き寄せられて今のような状態……つまり融合してしまったと言うことさ。髪の色や瞳の色の変化はそれが原因かな)
それは俺でも分かっている事なんだよ。
そうじゃなくてそれ以外の事を知りたいんだ。
(あの後、目を覚ました僕は驚いた。体格から顔までまるっきり変わってしまった体に、頭に流れ込んでくる僕の物では無い誰かの記憶。まぁすぐにそれは全て織翔の物と理解したよ)
(ウンウン)
(取り敢えずこの世界の事はまるっきり無知だった僕は織翔の記憶を頼りに君の自宅へ帰り、君の代わりにテスト結果についての説教を散々受けた後、ベッドの上で休憩していた訳さ)
家の母さん…怒るとかなり怖いんだよなぁ。
(………なんかすんません)
(いいよ気にしてないから。…それから突然身体の自由が効かなくなった。丁度君の意識が覚醒し始めた頃にね。そして君が夢から覚める頃には完全に、この身体の主導権は君に移っていたという訳さ)
成程、それはつまり___。
(つまり、君が寝ている間は僕がこの身体を自由に動かせて君が起きている間は君がこの身体を自由に動かせるという訳だ。何故こんなことになっているのかは本当に分からないよ)
お手上げさ。
そうして心の中でオルフェンが困り顔で両腕を上げている光景が、織翔の頭の中に浮かんだ。
(オーケー。昨日の記憶が途中から無い理由は分かった。……それで?)
(ん……なんだい?)
(お前は結局の所何なんだ?異世界人がどうとか言ってたがそこん所がまだ曖昧だろ)
しばらくの間沈黙。
それからようやく、オルフェンの声が返ってきた。
(ふーん……昨日は信じてなかったくせに)
今度はジト目でこちらを睨んでくるオルフェンの姿が頭の中に浮かんできた。
痛い所を付いてくるな…。
(ぐ!?……あれはその、まだ半信半疑だったというか、さ?ほら、あれだよあれ!)
(ふん…!)
この野郎…根に持ってやがる。
(あーもう!ごめんってば!今度は信じるよ絶対!流石にもう疑えないくらいの非常識は経験してしまってるから!)
……どうだ?
(……まぁ別に全然気にしてないから良いけどね)
嘘つけ絶対気にしてただろ。
(でも全部話し出すとかなり長くなるから、大まかに説明するね?)
(ウンウン。聞かせてくれ)
軽くシャワーを浴びながら、織翔は自分の中にいるオルフェンの言葉に耳を傾ける。
(まず、基本知識として知っておいて欲しいんだけど、この世に“世界”はここだけじゃ無く、別の次元に幾つもの世界が存在しているんだ)
(わお)
(“創造神”と呼ばれる存在が一つの世界を創造し、存在する創造神の数だけ世界も同数存在する。これはどの世界にも共通していて、この世界も同じように創造神によって創造されているよ)
(……神様ホントにいたのか)
(いるよ。この世界ではその存在を隠しているみたいだけどね…まぁそれは珍しいことじゃない。話を戻すけど基本的には創造神と、その創造神に仕える神族しか世界から別の世界へと移動する事は出来ないんだ)
シャワーを浴び終わり、脱衣所で軽く身体の水気を拭く。
(じゃあ何でお前はこうして移動する事が出来たんだ?)
(“神器”を使ったからさ)
(神器?)
そう言えば昨日、オルフェンの独り言の中に“神器”というワードが入っていた事を思い出す。
(僕のいた世界には物作りが趣味の神様がいてね?その神様が創った魔法の力が込められた道具の事を神器って呼ぶんだ)
(へぇ…よくそんな大層な物を手に入れられたな)
部屋着に着替え、カロリーメイトを戸棚なら取り出す。
(まぁ、色々あったんだよ。ただ僕の手に入れた神器、使うまでは単なる転移効果のある物って事しか分からなくて、まさか世界と世界を移動する事が出来る物とは知らなかったんだ)
(……ま、普通はそう思うよな。…いや転移出来る時点で俺にとっちゃもう普通じゃないんだけれども)
(ハハ…それは異世界ギャップってやつだね。今思えば彼奴らはそれを知ってて僕を狙ったのかもねぇ…)
ここで聞き捨てならないワードが出てきた。
(彼奴ら?)
(あぁ。僕が例の神器を使うことになった理由だよ。簡単に言うと悪い奴らに殺されそうになったから慌てて神器を起動して逃げてきたんだよ)
上にジャージを羽織り、家を出て、普段はやらないランニングを始める。
(…それさ、結構一大事じゃね?)
(うん。まさに急死に一生を得る、だったよ)
(んな重大な事をサラッと言うなって…)
内心呆れながら織翔は走るペースを徐々に上げていく。
(そういやさオルフェン)
(うん?)
(関係無い事かもしれないけどよ、俺の記憶を共有出来てんなら知ってると思うが…最近この国で起きてる怪奇現象ってもしかしてその“異世界”と関係あったりするのか?)
息を飲んだかのようなオルフェンの驚く声が聞こえた気がした。
(いやはや…鋭いね君。僕の見立てではその可能性はかなり高いよ。僕を殺そうとした奴等の親玉が何処かの世界に部下を送り込んでいる、て話を向こうの世界では耳にしたことがあるんだ……もしかするとこの世界がそうである可能性は充分に高いね)
当てずっぽうで言ってみたんだが…マジかよ。
(もしそうだとして…なんでそんな事をそいつはしてるんだ?)
(さぁ?僕はあくまで一般市民だったから風の噂程度の事しか分からないね。だからそいつがどうやって別世界へ部下を送り込んでいるのかも分からないし…もしかしたら単なるガセネタかもしれない)
(ほーん)
結局の所、今一分からないことが多過ぎるという事が分かった。
だが、一つだけどうしても確認しておかなければならない事がある。
(で、俺らはどうやった元の別々に戻る事が出来るんだ?)
(………僕がそれを知ってるとでも?)
それがオルフェンから返ってきた答えだった。
(ですよねー)
何となくそう返って来るだろうとは予想していた。
故に、最後まで取っておいた質問だったが現実は非情である。
(……手が無い訳じゃない)
続けて発されたオルフェンの言葉に、織翔は僅かな希望を抱く。
(僕の元いた世界に戻れたなら、何かしらのヒントが得られるかもしれない)
そうか!それなら…。
(おいオルフェン!だったらお前もう一度その神器ってやつを使って俺をその世界へ連れてってくれよ!)
簡単な話だ。その神器をもう一度使えばオルフェンのいた世界に行けるかもしれない。
試してみる価値は充分にある。
(…持ってない)
(はぁ?)
聞き間違いかな?
そうであって欲しいという気持ちを込めて、織翔は間抜けな声でもう一度聞き返す。
(あくまで使用者を別世界へと転移させるってだけで、神器自体は転移する事が出来なかった…みたいなんだ)
結論、無理。
それが現実だった。
(なんじゃそりゃ!?片道切符とかただの欠陥品じゃねーか!!SIT!何が神器だよこんちくしょうめ!)
(その気持ち、激しく同意するよ)
僅かな希望も泡のように消えてしまい、二人同時に溜息を吐く。
気がつけば隣町の丘の上まで走ってきており、朝日が昇る時間になっていた。
「それにしても…いつの間にか足が早くなってんだな俺……息切れも全然してないし…体力増えたな」
織翔はオルフェンとの会話を一旦止め、朝日を見ながら独り言を零す。
(それはおめでとう。そして朝日が綺麗だ…向こうの世界でも見晴らしの良い丘で朝日を良く見てたっけ……)
「………」
オルフェンの言葉に、何か思うことがあったのかしばらくの間、織翔は沈黙した。
そして、短く深呼吸してから徐ろに口を開く。
「なぁ、オルフェン」
(なんだい?)
心の中で念じるだけでも会話は成立するが、この時織翔はしっかりと声に出して言葉を発した。
「お前…元の世界に戻りたいか?」
(…難しい質問だね。出来るか出来ないのかも分からないし、向こうの世界には僕を狙ってくる奴等もいる。それに__)
そうじゃないだろ。
「…なぁ」
織翔は途中でオルフェンの言葉を遮る。
何を言おうとしているのか、そんな事はオルフェンも分かっていた。
(…うん。分かってるよ。そうだね……戻りたい、かな。僕の故郷はあそこだけだから)
「そうだよな。故郷だもんな」
それが紛れも無いオルフェンの本心だった。
気丈に振舞っているようだが、不安なのは織翔もオルフェンもまた同じ事だった。
だからこそ、次に自分が言う言葉はこれから先の事を考える上で、とても重要な物になる。
______一つ、深呼吸し気持ちを落ち着かせる。
拳を握り、力を込めて、決意する。
「良いかオルフェン。よく聞いてくれよ」
(なんだい?いきなり)
もう一度だけ深呼吸。
大丈夫、覚悟は決まった。
「俺が絶対にお前のいた元の世界へ、お前を帰してやる。そして、絶対に元の二人に戻って……そっから先の事はその時になって一緒に考えようぜ。だから…それまでしばらくの間、よろしく頼むぜ相棒!」
元の世界へ帰り、元の二人へ戻ればオルフェンは危ない身だ。
だが、それでも戻りたいと思うなら…せめてその想いだけでも叶えてやりたい。
それから先の事はその時になってみないと分からないから後回しだ。
だから織翔は、自分に出来ること、しなければならない事をやる。
その覚悟は、オルフェンにも充分に伝わっていた。
(あぁ…優しいんだな君は。ありがとう。けど…これは僕の問題でもあるから、君に任せっきりという訳にもいかない……だから、相棒として僕からもよろしく頼むよ織翔!)
「あぁ!」
本当ならここで固い握手でも結びたい所だが、如何せんオルフェンは現在自分の中にいて、その実体は存在しない。
そのことに織翔は苦笑いを浮かべながら、自身の右手と左手の両拳を打ち合わせた。
「お前は俺の中にいるからな、だからこれが握手代わりだ」
(うん。……ハハ、本当不便だね。早く元に戻らなくちゃ)
「だな。ハハハ!」
ひとしきり笑った後、そろそろ家へ戻ろうかと織翔は元来た道へ戻ろうとした。
____その時だった。
背後から突然轟音が響き渡り、土の欠片や土煙が凄まじい勢いで後ろから飛んでくる。
「何だ!?」
(!?)
すぐに、織翔は先程オルフェンの言っていた話を思い出す。
__僕を殺そうとしていた奴等の親玉が別の世界へ部下を送り込んでいる。
__この世界がそうである可能性が高い。
__そして、日本全国で起きており、最近になって自分の住む地域でも発生した怪奇事件。
「まさか……!」
恐る恐る織翔は轟音のした背後へと、ゆっくりと振り向く。
そこには、まさに“怪物”と呼んでも差し支えの無い見た目をした、巨大な生物がいた。
そして、その生物は織翔の事をまるで獲物を見つけたかのような目付きでずっと睨み続けていた。
天鳥 織翔×オルフェン・スカイバード。
序盤からまさかの大ピンチ!