プロローグ1
返却された塾のテスト結果を見て天鳥 織翔は溜息を吐いた。
全五教科合わせて五百点満点中、彼の合計点は八十点。
その二桁の数字は、つい先程まで謎の自信に満ち溢れていた彼の心を、粉々に打ち砕くのに充分な破壊力を秘めていた。
こうして高校一年目の冬、彼は絶望的な数字と共に冬休みのスタートを切った。
「あーあ。儚くも短い人生だったぜ…せめて彼女は欲しかった」
帰りに立ち寄ったコンビニで購入したよく冷えたコーラを一口飲み込んでから、織翔は呟いた。
「なにが儚く短い人生ですか…テスト結果くらいで大袈裟ですよ先輩」
そんな彼の呟きに呆れた顔で戸村井 天馬は突っ込みを入れる。
天馬は織翔と同じ塾に通っている中学三年生で、昔からなんだかんだと付き合いは長い。
頭の出来が残念故に、毎度の事こうやって打ちのめされる織翔に付き合うのは恒例行事みたいな物だった。
正直面倒くさい先輩だ。
「お前は良いよなぁー全教科満点の優等生でさぁ。いっつも俺より良い点数取りやがって」
「そりゃ先輩と違って毎日予習復習はキチンとしてますんで」
スマホを片手に、隙あらば織翔の持っているコーラが入ったペットボトルにメントスを入れようと狙っている男が、常に満点を維持している優等生なのだ。
ロクでも無い悪戯を仕掛けてくるような後輩が、そうであるという事実を織翔は少々気に入らない。
「お前それ絶対にすんなよ?手と服がベトベトになって気持ち悪いんだからな!」
「はい。善処します」
「善処って何だよ!ヤル気満々じゃねーかこのヤロー」
「わ、私がこんな事するの先輩だけなんですからね!」
「おう、男から言われても嬉しくもなんともねーわ。普通にキモイんだが。鳥肌立ったぞオイ」
天馬の頭を叩こうと伸びた織彼の手を華麗に避けて、天馬はスマホの画面を織翔に見せた。
「ところで先輩、このニュースは既にご存知で?」
「ん?」
スマホの画面に映っていたのは切れた電線に倒れた電柱、そして辺り一面あちこちのアスファルトに、ひび割れた跡のある画像だった。
「あぁ、最近よく起こってる怪奇事件か」
「えぇ」
ここ最近になって、日本全国でいくつもの怪奇現象が多発するようになった。
天馬の見せた画像のような出来事はまだ比較的マシな物だが、酷い物だと建物が半壊したりしている。
中にはそうなる瞬間に居合わせた目撃者もいるのだが、その殆どが口を揃えて「怪物が暴れていた」といった奇妙な事を口にしている。
初めは何らかの自然現象では無いかと日本中の専門家達が検証を行っていたが、結果的に言えば今も詳しい原因は分かっておらず、いつの間にか“未知の未確認生命体が日本に上陸した”だの“妖怪は実在していた”といった都市伝説が日本中に広まっていた。
「確かに気味の悪い事件ではあるけどさ、なんでいきなりこの話題出してきたんだ?」
織翔のその問いに、天馬は苦笑いを浮かべた。
「あー…やっぱりまだご存知ありませんでしたか」
「?」
「実はこの画像、先輩の家の近くの物なんですよ。結構今朝から騒ぎになってたと思うんですが…」
そう言われて、織翔はそういえば今朝はパトカーのサイレンがやけに五月蝿かったという事をようやく思い出していた。
尤も…すぐにまた熟睡して無事に遅刻したが。
「まぁ、そういう事ですので一応気を付けてくださいね?何が原因か分からない事件なんですから」
織翔にそう告げると天馬はスマホをポケットに仕舞い、足元に置いていた鞄を拾い上げ、コンビニの前から歩きさって行く。
「もう行くのか?」
「明日は早朝から朝練なので先に帰ります。お疲れ様でした先輩」
「あいよ」
手を振って去っていく天馬に、織翔も手を振って見送る。
天馬の背中が見えなくなってから、コーラを飲み干そうとした所で織翔は違和感に気付き、慌てて手元を見た。
ペットボトルの口から吹き出た泡。
ペットボトル 底の方を見れば沈殿している粒。
飲んだ量の割には明らかに量の減ったコーラ。
ベトベトになった自身の右手とズボンに靴。
……してやられた。
「あいつ!!メントス入れてやがった畜生!!」
すっかり炭酸の抜けたコーラを一口で飲み干し、走ってコンビニの中の洗面所へ向かい手を洗う。
手のひらのベトベトを流し終わった後、猛スピードでコンビニを飛び出して天馬を追う。
おのれ天馬。
だが既に手遅れで、どれだけ走っても天馬の姿はもう何処にも無かった。
「くっそーやられた。明日覚えてろよ天馬…制服にラー油かけてやるからな」
そんな捨て台詞を吐き、織翔は自宅へ向かう為、別の道を歩き出す。
明日、ラー油臭を体中から放つことになっている後輩の姿を想像してニヤリと悪い笑みを浮かべる。
有言実行が天鳥 織翔の生き様だ。
その途中で見覚えのある場所に出る。
「そういえばこの辺だったかな天馬が見せた画像の場所って…」
怖い物見たさに事件のあった場所へ向かおうとする。
しかし、すぐに先程天馬が気をつけろと言っていた事を思い出して、向かおうとするその足を止めた。
「やめだやめ。今日は大人しく帰ろ」
大人しく帰る。
そしてテスト結果は誰にも見られることが無いように秘密裏に処分する。
そうしてミッションクリアだ。
方向転換して元の方角へ向かって歩き出すが、またしても織翔は足を止めた。
_否、止まったという言い方の方が正しい。
「なんだ!?」
突如として、目の前にある何も無かった空間が一瞬光ったかと思うと、眩しい光を放ち出し織翔は思わず両腕で顔を覆った。
「閃光弾でも炸裂してんの!?」
まともに直視出来ないほどの光はすぐに止み、恐る恐る織翔は目の前を確認する。
元の夜の暗闇に戻り、街頭の明かりだけが唯一の光源となった空間。
開かれた織翔の視線の先には、一人の金髪の青年が先程光が発生した場所に佇んでいた。
「え!?どっから出てきたんだコイツ!?てかさっきの光何だったん!?」
突然の出来事に当然の事ながら織翔は狼狽えていた。
だが、そんな織翔の事はまるで気付いてないのか、突如として現れた青年は夜空を見上げて呟く。
「良かった…無事に間に合ったみたいだ」
そして辺りを見渡して情報を整理していく。
「しかし…ここは何処だろうか?…転移系の神器だったのは分かってはいたけど何処に転移する物なのかは定かでは無かったし……」
顎に手を当て、ぶつくさと呟き始める青年。
そんな青年の様子を目を丸くして見つめ、動くことが出来ずにいる織翔。
しばらくして青年は無言になり、数秒が経過してから勢いよく顔を上げ、織翔の方へと向いた。
「あのさ、そこの君」
「おう!?」
突然目の前にいる奇妙な人物に声を掛けられた織翔は、思わず変な声を出してしまうが、それを気にした素振りを見せることなく青年は続けた。
「ここは何処の国か教えて貰えないかな?」
「………はぁ?いや、まぁ…何処ってここは日本に決まってるだろ?」
「……日本?」
何を当たり前の事を、と思いながらも青年の質問に答えるが、青年は今一ピンと来ていない様子だった。
「それは何かの別名なのかな?出来れば正式名称で答えて欲しいのだけれど…」
……はい?
「いやいや!日本は日本だろ!?ニッポン!ジャパン!それ以上でもそれ以下でもねーよ!」
冗談でも言ってるのかと思ったが、青年の顔は至って真面目で冗談を言っているような顔では無い。
であるならば相当な馬鹿なのか?それとも__。
「ジャパン……?………ッ!?まさかジッパングか!?」
……ホワッツ?
「なんだよジッパングって。だーかーらー…ここは日本なんだよ!」
ジャパンと聞いて青年はたいそう驚いている様子だったが、織翔からすればそんな反応になる理由が全く分からなかった。
正直今自分がどんな顔をしているのか分からないし、上手く表現出来ないだろう。
「ということは……この大地は地球!!そうかそういう事だったんだ!!すごいまさに神器だ!!」
なにが地球だ当たり前な。
そして神器ってさっきから何の話だろう。
独りでに盛りあがっている青年を見つめる織翔の目は、もはや何処までも遠くなっていた。
あぁ…帰りたい。
流石にそんな織翔の様子に青年の方も気付いた。
そして慌てて織翔の元へ近寄る。
「すまない自己紹介が遅れたね。僕の名前はオルフェン・スカイバード。君の名前は?」
名乗りを上げた青年オルフェン・スカイバードに織翔も一応の礼儀として名乗っておくことにした。
「織翔…天鳥 織翔だ。いったい何なんだよお前は?いきなり現れるわ変なことをさっきからブツブツとよ……なんだってんだ!?」
そんな織翔の問いかけに対し、オルフェンは軽く微笑んでみせた。
「そうだね…端的に言うと僕は……君達で言う“異世界”という場所からやってきた“異世界人”だよ。よろしくね天鳥 織翔くん」
あぁ…そういう事だったのか。
その言葉を聞いて、織翔はようやく一連の全ての流れに合点がいった。
全ての点と点が繋がり、一つの解を導き出した。
つまるところ、要するに彼は___
「はい、中二病乙ー」
「へ?」
中二病。
手の込んだ登場に危うく騙されかけたがこの男、オルフェン・スカイバードは単なる通りすがりの中二病だっただけのことだ。
「いやぁ中々面白かったよ。だがちょっと設定が飛びすぎて無茶があるから、もう少し現実味のある内容に修正しておくと尚良しだぜ。それじゃーな」
そうと分かれば別にこれ以上相手をしている理由は無いし時間の無駄だろう。
さっさと話を切り上げて、織翔はこの場から立ち去ろうとする。
「ちょ、ちょっと待ってよ!?」
だが、そんな織翔の事をオルフェンは慌てて引き留めた。
「なーん?」
そして織翔は面倒臭そうな顔をしてオルフェンの方へと振り返った。
「ああ!その顔!僕の話を全く信じてないよね!?」
「当たり前じゃん?」
即答だった。
「な、なんで!!?」
こいつは_本気で言っているのだろうか?
「なんでって…そりゃあそんな非現実的な事を言い出されたら馬鹿でも気付いちゃうの。オーケー?」
織翔のその言葉を聞いて、オルフェンは鳩が豆鉄砲くらったかのような顔になった。
「まさかそんな…こっちの世界では非常識なのか…!?そんな馬鹿なことが……いや、しかし…」
また始まったぶつくさ独り言。
これ以上はもう付き合ってられんとウンザリした顔で織翔は歩き出す。
一人でやってろ。
「だから待ってよ!!」
我に返ったオルフェンが再び慌てて、立ち去ろうとする織翔の手を掴んで引き留めた。
「あぁもう!!しつこい男はモテね___」
文句を言いながら、掴んできたオルフェンの手を振りほどこうとしたその途中で、織翔の動きが止まった。
いきなり二人の身体からプラズマのような蒼い電流が放たれだしたのだ。
そして、同時に二人の身体は薄く発光し始める。
「な、な、なんじゃこりゃぁぁぁぁ!?」
「うわぁ!?」
この現象に驚いて織翔はオルフェンを突き飛ばし、距離を取って、突き飛ばされたオルフェンは地面に尻餅を着いた。
「お前…!!何しやがった!?言え!今度は何を仕掛ける気だってんだ!?」
オルフェンが何か仕掛けたと思っているのか、織翔はオルフェンに向かって大声を出す。
しかし、オルフェンも身に覚えが無いのか勢いよく首を横に振った。
「いや、違う!!これは僕の仕業じゃない!!何もしてないよ!?ホントだからね!?」
全力否定。
だがそんな言葉で織翔の疑心は晴れない。
「嘘つけ!そんな言葉を信じるとで………も!?」
その時だった。
何もしていない織翔の身体が、何かの強い力に引っ張られるかのように前へ前へと引き摺られ出したのだ。
「なに…これ…?なんか引き摺られてんぞ…!?しかも…全然逆らえない!?」
織翔は身体中に全力の力を込めて踏ん張るが、それでも身体は前へと引き摺られて行く一方だった。
そしてそれは__織翔だけでは無い。
「き、奇遇だね!?僕も何かに…前へと引っ張られてる!!」
「前だと?」
丁度同じタイミングで二人の目が合った。
二人の引っ張られていく方向にはそれぞれ、織翔から見ればオルフェンが、オルフェンから見れば織翔がいる。
ということは__。
「な、なぁ…これってもしかして…」
「引っ張られてるのって…」
二人同時に何かを察したその瞬間、引っ張られる力が急に強くなり、二人の足は地面から離れて宙に浮いた。
そして_。
「うわあぁぁぁぁ!?ぶつかるぅぅ!?」
「ちょっと待っ!?あぁぁぁぁぁぁ!?」
もう一度言おう。
二人は向かい合っており、つまり引っ張られていく方向にはそれぞれがいる。
物凄いスピードでまるで引き寄せられるかのように二人の間にあった距離は縮んで行く。
そして__二人の身体がぶつかり合ったその瞬間、夜の暗闇に再び眩い光が放たれた。