電気犬の夢
ポチが我が家に来たのは、クリスマスの前日でした。学校から帰宅した幸恵が家のドアを開けると、白い犬がこちらを向いてしっぽを振っていました。続いて母の声がしました。
「おかえり。やっと届いたのよ。本物そっくりでしょう。」
電気ペットと呼ばれる、本物の犬や猫と見分けがつかないぐらいそっくりの動物を人々が飼うようになった時代のことです。地球環境保護のため、生態系に必要のない動物の数をなるべく減らす必要がありました。動物は存在しているだけで二酸化炭素を排出するからです。一方で、科学技術が発達し、本物そっくりの機械仕掛けの動物が存在していました。この電気動物には人工知能が埋め込まれ、本物の動物に近い頭脳も持っているようです。
本物の動物は希少価値が高く、お金持ちのぜいたく品でした。幸恵の家もそれほど裕福ではなかったため、犬の電気ペットを飼うことになりました。幸恵も最初は反対しました。本物の動物が欲しかったのです。母が幸恵を説得しました。
「いいじゃないの。世話も楽だし、病気にもならない。何より、お別れがないのよ。」
1日1回は檻の中で寝かせなければなりませんでした。檻の底にワイヤレス充電装置が付いているためです。餌も食べなければ、排泄もしません。それ以外は、本物の犬と同じで、躾けられたことは覚えていて、体も成長していきました。幸恵にも次第になついてきて、仲良くじゃれ合って、遊ぶようになりました。ロボットも人間も変わらない。そう思うようになりました。
その犬はポチと名づけられました。幸恵はポチと一緒に近所を散歩するのが楽しみでした。
翌年の夏の夕暮れのこと、ポチを散歩中に同級生の男の子に出会いました。
「おい、幸恵、それ電子犬だろう。だせぇな。おれのは本物だぜ。」
男の子の連れている黒犬はこちらをにらんでいます。そしてポチに飛びかかり、首の付け根にかみつきました。ポチは抵抗もせず、毛皮を引きちぎられてしまいました。幸恵は叫びました。
「やめてー!」
男の子は黒犬のひもをつかんで、引き離しました。ポチは倒れてカタカタと痙攣していました。幸恵はポチを抱いて泣きだしました。
「悪いな。でもただのぬいぐるみだろう。安ものなんだし、また、買ってもらえよ。」
幸恵は、急に怒りがこみ上げてきました。そして黒犬を思いっきり蹴っ飛ばしました。黒犬はきゃんと鳴いて飛びあがりました。
「なんだ、てめぇー。」
今度は男の子が幸恵に殴りかかりました。
「よくもコロを虐めやがったな!かわいそうだろう!」
幸恵は食い下がりましたが、男の子に腕力では勝てません。幸恵は傷だらけになって、動かなくなったポチを抱いて家に帰りました。
「あら、配線がかみ切られているわね。大丈夫よ、新しいのを買ってあげるから・・・」
幸恵は首を振って、ポチを抱きしめました。父が寄ってきました。
「どれどれ、見せてみろ。・・・ほお、これぐらいなら修理できそうだな。毛皮のところはママに直してもらえ。」
次の朝、目が覚めるとポチがしっぽを振ってこちらを見つめていました。幸恵のことも、幸恵が教えたお手も覚えていたのです。幸恵はポチを抱きしめて泣きました。
それから2年が過ぎたある秋の夕暮れに事件は起きました。
ポチを散歩中の幸恵は信号無視をしてきたトラックにはねられました。幸恵は道路にたたきつけられ、倒れて動けなくなりました。それでも意識はありました。
左腕が肩から切断されているようです。血が流れ、痛みを感じました。しかし、想像していたよりも、血の量が少ないように思いましたし、気を失うぐらいの激痛もありませんでした。
幸恵を混乱させたのはその傷口です。配線が飛び出しているのが見えました。
切断されたはずの左腕が道路の反対側からこちらに近づいてきます。ポチの口がそれを咥えているのです。その傷口からも配線が飛び出していました。周りの景色がぐるぐると回り始めました。雑音が頭の中をかけめぐっています。
どうやら病院まで運ばれてきたようです。ベッドで横になっているのがわかりました。雑音に交じって、父の声がしました。
「眼の焦点が合っていない。自分の存在に気付いて、酷いショックを受けたんだな。しかたない。部分的に記憶を消去するか。」
父は幸恵の耳深くに、プラグを差し入れました。そして、備え付けのパソコンの方へ向かいました。幸恵は意識が次第に遠のくのを感じました。
いつからか、道路を渡ろうとする幸恵をポチは警戒するようになりました。幸恵の足に絡みついて、進路を妨害するのです。幸恵にはそれが不思議でした。
ポチは幸恵の左腕が好きなのでしょうか。毎日、すり寄ってきます。そして、ときどき、悪い夢を見たようにうなされながら目を覚まします。そんなとき、幸恵はポチが好きなその左腕でなでてあげるのでした。