表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/12

3-11. 王女襲来

「お、王女様!?」


 俺は急いで手を放す。


「痛いじゃない! 何すんのよ!」


 リリアンが透き通るようなアンバー色の瞳で俺をにらむ。


「こ、これは失礼しました。しかし、こんな夜におひとりで出歩かれては危険ですよ」


「大丈夫よ、危なくなったら魔道具で騎士が飛んでくるようになってるの」


 ドヤ顔のリリアン。


 俺は絶対リリアンの騎士にはならないようにしようと心に誓った。毎晩呼び出されそうだ。


「とりあえず、中へどうぞ」


 俺はリリアンを店内に案内した。


「ドロシー、もう大丈夫だよ、王女様だった」


 俺は二階にそう声をかける。


 リリアンはローブを脱ぎ、流れるような美しいブロンドの髪を軽く振り、ドキッとするほどの笑顔でこちらを見てくる。


 俺は心臓の高鳴りを悟られないように淡々と聞いた。


「こんな夜中に何の御用ですか?」


「ふふん、何だと思う?」


 何だか嬉しそうに逆に聞いてくる。


「今、パーティ中なので、手短にお願いします」


「あら、美味しそうじゃない。私にもくださらない?」


 そう言いながらテーブルへと歩き出すリリアン。


「え? こんな庶民の食べ物、お口に合いませんよ!」


「あら、食べさせてもくれないの? 私が孤児院のために今日一日走り回ったというのに?」


 リリアンは振り返って透明感のある白い(ほほ)をふくらませ、俺をにらむ。


 孤児院のことを出されると弱い。


「分かりました」


 俺はそう言って椅子と食器を追加でセットした。


 リリアンは席の前に立つとしばらく何かを待っている。そして、俺をチラッと見ると、


「ユータ、椅子をお願い」


 なんと、座る時には椅子を押す人が要るらしい。


 俺は椅子を押しながら、


「王女様、ここは庶民のパーティですから、庶民マナーでお願いします。庶民は椅子は自分で座るんです」


「ふぅん、勉強になるわ。あれ? フォークしかないわよ」


「あー、食べ物は料理皿のスプーンでセルフで取り分けて、フォークで食べるんです」


「ユータ、やって」


 さすが王女様、自分では何もやらないつもりだ。


 ドロシーがちょっと怒った目で、


「私がお取り分けします」


 と、言いながらリリアンの前の取り皿を取ろうとすると、


 リリアンはピシッとドロシーの手をはたいた。


「私はユータに頼んだの」


 そう言ってドロシーをにらんだ。


 二人の間に見えない火花が散る。


 王位継承順位第二位リリアン=オディル・ブランザに対し、一歩も引かない孤児の少女ドロシー。俺もアバドンもオロオロするばかりだった。


「のどが渇いたわ、シャンパン出して」


 俺を見て言うリリアン。


「いや、庶民のパーティーなので、ドリンクはエールしかないです」


「ふーん、美味しいの?」


「ホップを利かせた苦い麦のお酒ですね。私は大好きですけども……」


「じゃぁ頂戴」


 するとドロシーがすかさず、特大マグカップになみなみとエールを注ぎ、


「王女様どうぞ……」


 と、にこやかに渡す。


 いちいち火花を散らす二人。


「と、とりあえず乾杯しましょう、カンパーイ!」


 俺は引きつった笑顔で音頭を取る。


「カンパーイ!」「カンパーイ!」「カンパーイ!」


 リリアンは一口エールをなめて、


「苦~い!」


 と、言いながら、俺の方を向いて渋い顔をする。


「高貴なお方のお口には合いませんね。残念ですわ」


 ドロシーがさりげなくジャブを打ってくる。


 リリアンがキッとドロシーをにらむ。


「あ、エールはワインと違ってですね、のど越しを楽しむものなんです」


「どういうこと?」


「ゴクッと飲んだ瞬間に鼻に抜けるホップの香りを楽しむので、一度一気に飲んでみては?」


「ふぅん……」


 リリアンは半信半疑でエールを一気にゴクリと飲んだ。


 そして、目を見開いて、


「あ、確かに美味しいかも……。さすがユータ! 頼りになるわぁ」


 そう言って俺にニッコリと笑いかけた。


「それは良かったです。で、今日のご用向きは?」


 俺はドロシーからの視線を痛く感じ、冷や汗を垂らしながら聞いた。


「そうそう、孤児院の助成倍増とリフォーム! 通してあげたわよ!」


「え? 本当ですか!?」


「王女、嘘つかないわよ」


 そう言ってドヤ顔のリリアン。


 俺はスクッと立ち上がると、


「リリアン姫の孤児院支援にカンパーイ!」


「カンパーイ!」「カンパーイ!」「カンパーイ!」


 ドロシーも孤児院の支援は嬉しかったらしく。


「王女様、ありがとうございます」


 と、素直に頭を下げた。


「ふふっ、Noblesse obligeノブレス・オブリージュよ、高貴な者には責務があるの」


「それでもありがたいです」


 俺も頭を下げた。


「で、今日は何のお祝いなの?」


「お祝いというか、慰労会ですね」


「慰労?」


「南の島で泳いで帰ってきて『お疲れ会』、帰りにドラゴンに会ったり大変だったんです」


 ドロシーが説明する。


「ちょ、ちょっと待って! ドラゴンに会ったの!?」


 目を丸くするリリアン。


「あれ、ドラゴンご存じですか?」


「王家の守り神ですもの。おじい様、先代の王は友のように交流があったとも聞いています。私も会うことできますか?」


 リリアンは手を組んで必死に頼んでくる。


「いやいや、レヴィア様はそんな気軽に呼べるような存在じゃないので……」


「えぇ、リリアンのお願い聞けないの?」


 長いまつげに、透き通るようなアンバー色の瞳に見つめられて俺は困惑する。


『なんじゃ、呼んだか?』


 いきなり俺の頭に声が響いた。


「え? レヴィア様!?」


 俺は仰天した。名前を呼ぶだけで通話開始? ちょっとやり過ぎじゃないだろうか?


『もう会いたくなったか? 仕方ないのう』


「いや、ちょっと、呼んだわけではなく……」


 と、話している間に、店内の空間がいきなり裂けた。そして、


「キャハッ!」


 と、笑いながら金髪おかっぱで全裸の少女が現れる。唖然(あぜん)とするみんな。


 なぜこんなに大物が次々と客に来るのか……。俺はちょっと気が遠くなった。










3-12. デジタルコピーの限界


「レヴィア様! 服! 服!」


 俺が焦ってみんなの視線を(さえぎ)ると、


「あ、忘れとったよ、てへ」


 そう言ってレヴィアはサリーを巻いた。そして、みんなを見回し……、


「おう、なんじゃ、楽しそうなことやっとるな。(われ)も混ぜるのじゃ!」


 そう言って、ツカツカとテーブルに近づくと、エールの樽の上蓋(うわぶた)をパーン! と叩き割って取り外し、そのまま樽ごと飲み始めた。


 ドラゴンの常軌を逸した振る舞いにみんな唖然(あぜん)としている。


 俺は財布をアバドンに渡すと、


「ゴメン、酒と食べ物買えるだけ買ってきて!」


 と、拝むように頼んだ。


 レヴィアはそのまま一気飲みで樽を開けると、


「プハー! このエールは美味いのう」


 と、満足げな笑みを浮かべた。


 リリアンはおずおずと声をかける。


「ド、ドラゴン様……ですか?」


「そうじゃ、(われ)がドラゴンじゃ。……、あー、お主はリリアン、お前のじいさまはまだ元気か?」


「は、はい、隠居はされてますが、まだ健在です」


「お主のじいさまは根性なしでのう、(われ)がちょっと鍛えてやったら弱音はいて逃げ出しおった」


「えっ? 聞いているお話とは全然違うのですが……」


「あやつめ、都合のいいことばかり抜かしおったな……」


 レヴィアはそう言いながらステーキの皿を取ると、そのまま全部口の中に流し込み、()むことなく丸呑みした。


 そして、舌なめずりをすると、


「おぉ、美味いのう! シェフは肉料理を良く分かっておる!」


 と、上機嫌になった。丸呑みで味なんかわかるのだろうか?


「おい、ユータ! 酒はどうなった? あれで終わりか?」


「今、買いに行かせてます。もうしばらくお待ちください」


「用意が悪いのう……」


 渋い顔を見せるレヴィア。王女もレヴィアもいきなりやってきて好き放題言って、なんなんだろうか? 俺はムッとしてエールをゴクゴクと飲んだ。


 リリアンがおずおずと声をかける。


「あのぅ、レヴィア様は可愛すぎてあまりドラゴンっぽくないのですが、なぜそんなに可愛らしいのでしょうか?」


「我はまだ四千歳じゃからの。ピチピチなんじゃ。後二千年くらいしたらお主のようにボイーンとなるんじゃ。キャハッ!」


「あ、龍のお姿にはならないんですか?」


「なんじゃ、見たいのか?」


 リリアンもドロシーもうなずいている。


 確かにこんなちんちくりんな小娘をドラゴンと言われても、普通は納得できない。


「龍の姿になったらこの建物吹っ飛ぶが、いいか?」


 レヴィアは部屋を見回しながら、とんでもないことを聞いてくる。いい訳ないじゃないか。


「ぜひ、あの美しい神殿で、レヴィア様の偉大なお姿を見せつけてあげてください」


 そう言って、開きっぱなしの空間の裂け目を指さした。


「お、そうか? じゃ、お主ら来るのじゃ」


 レヴィアはそう言うと、リリアンとドロシーを飛行魔法でふわっと持ち上げる。


「うわぁ!」「きゃぁ!」


 そして、そのまま連れて空間の裂け目の向こうへと行った――――。


 直後、『ボン!』という変身音がして、


「キャ――――!!」「キャ――――!!」


 という悲鳴が裂け目の向こうから聞こえてきた。そして、


「グワッハッハッハ!!」


 という重低音の笑い声の直後、


『ゴォォォォ!』


 という何か恐ろしい実演の音が響いた。


「キャ――――!!」「キャ――――!!」


 また、響く悲鳴。


 そして、二人が逃げるように裂け目から出てきた。


 まるでテーマパークのアトラクションである。


 二人はお互い両手をつなぎながら、青い顔をして震えている。


「レヴィア様の凄さがわかったろ?」


 俺が聞くと、二人とも無言でうなずいていた。


「我の偉大さに恐れ入ったか? キャハッ!」


 上機嫌で戻ってくるレヴィアだが、また全裸である。


「レヴィア様、服、服!」


 俺が急いで指摘すると、


「面倒くさいのう……」


 と、言いながらサリーをまとった。


「お待たせしましたー」


 アバドンがまた両手いっぱいに酒と料理を持ってきた。


「お、ありがとう」


 俺が隣に台を広げて、調達した物を並べてると、レヴィアはウイスキーのビンを一本取った。そして、逆さに持つと、指をビンの底の所でパチッと鳴らす。すると、底の部分がきれいに切り取られ、まるでワイングラスのようになった。ビンの底からそのまま飲み始めるレヴィア。


 ゴクゴクと一気飲みすると、


「プハー! 最高じゃな!」


 と、素敵な笑顔で笑った。


 ドラゴンはやることなすこと全部規格外で思わず笑ってしまう。


「カーッ! のどが渇くわい! チェイサー! チェイサー!」


 そう言いながらエールの樽のフタを『パカン!』と割って、また一気飲みしようとする。


「レヴィア様! ちょっとお待ちを! それ、我々も飲むので、シェアでお願いします」


「もう……ケチ臭いのう」


 レヴィアはそう言うと、両手を樽に置いたまま何か考え込んでブツブツ言いだした。


 すると、隣に『ボン!』といって、全く同じ樽が現れた。


「コピーしたからお主らはそれを飲むのじゃ」


 そう言って現れた樽を指さした。


「コ、コピー!?」


 俺が驚いていると、


「なぜお主が驚くんじゃ? なぜコピーできるか、お主なら知っておろう?」


「いや、まぁ、原理は分かってますよ、分かってますけど、初めて見たので……」


「ならいいじゃろ」


 そう言ってコピー元の樽を丸呑みしようとするレヴィア。


「ちょっとお待ちください」


「何じゃ?」


「我々がそっち飲んでもいいですか?」


「な、何を言うておる。デジタルコピーは寸分たがわず本物じゃぞ」


「なら、そっち飲んでもいいですよね?」


「いや、ほれ、気持ちの問題でな、コピーしたものを飲むのはちょっと風情に欠けるのじゃ……」


 バツが悪そうなレヴィア。


「折角なので飲み比べさせてください」


 俺がニッコリと提案する。


「仕方ないのう……」


 俺は交互に飲み比べた。


 確かに、コピーした物もちゃんとしたエールである。そこそこ美味い。でも、なぜかオリジナルの樽の方が味に奥行きがある気がするのだ。


「やはりオリジナルの方が美味いじゃないですか」


「なんでかのう?」


 レヴィアも理由は分からないらしい。以前、成分分析をしたそうだが違いは見つからなかったそうだ。


 でもまぁ、酔っぱらってしまえば分からないくらいのささいな違いなので、気にせず、俺たちはコピー物を飲むことにした。ついでにレヴィアに料理やほかの酒もどんどんコピーしてもらって店内は飲食物でいっぱいになった。


 次々にコピーされる料理にリリアンたちは唖然(あぜん)としている。


 俺はスクッと立ち上がると、


「偉大なるレヴィア様に感謝の乾杯をしたいと思いまーす!」


「うむ、皆の衆、お疲れじゃ! キャハッ!」


 レヴィアも上機嫌である。


「カンパーイ!」「カンパーイ!」「カンパーイ!」「カンパーイ!」「カンパーイ!」


 俺たちはレヴィアの樽にマグカップをゴツゴツとぶつけた。


 こんな豪快な乾杯は生まれて初めてである。


 レヴィアは美味そうにオリジナルのエールの樽を一気飲みする。


「クフーッ! やはりオリジナルは美味いのう」


 そう言って目をつぶり、満足げに首を振った。数十リットルのエールがこの中学生体形のおなかのどこに消えるのか非常に謎であるが、まぁ、この世界はデータでできた世界。管理者権限を持つドラゴンにとっては何でもアリなのだろう。俺もいつか樽を一気飲みしてみたいと思った。








3-13. 月明かりのキス


 宴もたけなわとなり、みんなかなり酔っぱらった頃、レヴィアが余計なことを言い出した。


「こ奴がな、我のことを『美しい』と、言うんじゃよ」


 そう言って嬉しそうに俺を引き寄せ、頭を抱いた。


 薄い布一枚へだてて、膨らみ始めた胸の柔らかな肌が頬に当たり、かぐわしい少女の芳香に包まれる。マズい……。


「ちょ、ちょっと、レヴィア様、おやめください!」


「なんじゃ? 『幼児体形』にもよおしたか? キャハッ!」


 レヴィアはグリグリと胸を押し付けてくる。抵抗しようとしたがドラゴンの腕力には全くかなわない。とんでもない少女である。


「レヴィア様、飲み過ぎです~!」


 レヴィアは俺を開放すると、


「どうじゃ? まぐわいたくなったか?」


 と、小悪魔な笑顔で俺を見る。


「そんな、恐れ多いこと、考えもしませんから大丈夫です!」


 俺はドキドキしながら急いでエールをあおった。


「ふん、つまらん奴じゃ。なら、誰とまぐわいたいんじゃ?」


「え!?」


 全員が俺を見る。


「いや、ちょっと、それはセクハラですよ! セクハラ!」


 俺が真っ赤になって反駁(はんばく)していると、リリアンが俺の手を取って言った。


「正直におっしゃっていただいて……、いいんですのよ」


 リリアンも相当酔っぱらっている。真っ赤な顔で嬉しそうに俺を見ている。


「え!? 王女様までからかわないで下さい!」


「なんじゃ? リリアンもユータを狙っておるのか?」


 レヴィアはウイスキーをゴクゴクと飲みながら言った。


「私、強い人……好きなの……」


 そう言ってリリアンは俺の頬をそっとなでた。急速に高鳴る俺の心臓。


「王家の繁栄には強い子種が……大切じゃからな」


 そう言って、レヴィアがウイスキーを飲み干した。


「ちょっと、(あお)らないで下さいよ!」


「あら何……? 私の何が不満なの? 男たちはみんな私に求婚してくるのよ」


 そう言って、リリアンはキラキラと光る瞳で上目づかいに俺を見る。透き通るような白い肌、優美にカールする長いまつげ、熟れた果実のようなプリッとしたくちびる、全てが芸術品のようだった。


「ふ、不満なんて……ないですよ」


 俺は気圧されながら答える。こんな絶世の美女に迫られて正気を保つのは男には難しい。


 ガタッ!


 ドロシーがいきなり席を立ち、タタタタと階段を上っていく。


「ドロシー!」


 俺はみんなに失礼をわびるとドロシーを追いかけた。


      ◇


 二階に登ると、真っ暗な部屋の中、月明かりに照らされながらドロシーが仮眠用ベッドにぽつんと座っていた。


 俺は大きく息をつく……。


 そして、そっと隣に座り、優しく切り出した。


「どうしたの? いきなり……」


「……」


 うつむいたまま動かないドロシー。


「ちょっと飲みすぎちゃったかな?」


「王女様……放っておいちゃダメじゃない……」


 ドロシーが小声でつぶやく。


「ドロシーを放ってもおけないよ」


「不満……無いんでしょ? 良かったじゃない。王国一の美貌(びぼう)羨望(せんぼう)の的だわ」


「あれは言葉のアヤだって」


「私なんて放っておいて下行きなさいよ!」


 俺はドロシーの手を取って言った。


「俺にとって……一番大切なのはドロシーなんだ。ドロシーおいて下なんて行けないよ」


「……。本当?」


 恐る恐る顔を上げるドロシー。


「本当さ、そうでなければ追いかけてなんて来ないだろ?」


 俺はドロシーに微笑みかける。


 ドロシーは涙をいっぱいにたたえた目で俺を見る。透き通るような肌が月明かりに照らされ、まるで妖精のように美しく、そして愛おしく見えた。


 俺はそっと頭をなでる。


 次の瞬間、いきなりドロシーがくちびるを重ねてきた。


 いきなりのことに驚く俺。


 でも、熱く情熱的な舌の動きに俺もつい合わせてしまう。


 甘い吐息を吐きながら俺を求めてくるドロシー。


 負けじと俺の手は彼女の背中をまさぐる。


 月の青い光の中で俺たちは舌を絡め合わせ、しばらくお互いをむさぼった……。


「うふふ……ユータ……好き」


 くちびるを離すと、そう言ってドロシーは俺に抱き着いてきた。


 俺はドロシーを抱きしめ、豊かな胸のふくらみから熱い体温を感じる。心臓がドクドクと早打ちし、このまま押し倒してしまい衝動にかられた。


 しかし……このまま行為に及ぶわけにもいかない。


 俺が激しく欲望と戦っていると……、スースーと寝息が聞こえてくる。どうやら寝てしまったようだ。よく考えたら、ドロシーは飲み過ぎなのだ。


 俺はホッとしつつ……、


「くぅっ!」


 同時にこのやりきれない思いをどうしたらいいのか、持てあました。


 ドロシーをそっとベッドに横たえ、毛布を掛ける。


 幸せそうな顔をしながら寝ているドロシーをしばらく見つめ、


「おやすみ……」


 そう言いながらそっと頬にキスをすると、俺は下へと降りて行った。








3-14. 心だけが真実


 席に戻ると、レヴィアがニヤッと笑って小声で耳打ちしてくる。


「お盛んじゃの」


 俺は真っ赤になりながら、


「のぞき見は趣味が悪いですよ」


 と、応えた。


「我にもしてくれんかの?」


 そう言って、可愛いくちびるを突き出してくるレヴィア。


「本日はもうキャパオーバーです」


「なんじゃ? つまらん奴じゃ」


「え? 何をしてくれるんです?」


 酔っぱらったリリアンが割り込んでくる。


「王女様、そろそろ戻られないと王宮が大騒ぎになりますよ」


「えぇ――――、帰りたくなーい!」


 そう言いながら、俺にもたれかかってくるリリアン。もう泥酔状態である。


 俺はリリアンをハグして、落ちないようにしながらレヴィアに頼む。


「ちょっと、レヴィア様、彼女を王宮に運んでいただけませんか?」


 ふんわりと香ってくる甘い乙女の香りに理性が飛びそうである。


「面倒くさいのう……」


 レヴィアはそう言って宙に指先でツーっと線を描いた。裂けた空間を広げるとそこは豪奢な寝室で、綺麗に整えられた立派なベッドがあった。


「ヨイショ!」


 レヴィアはそう言うと、リリアンを飛行魔法で持ち上げる。


「きゃぁ!」


 驚いて空中で手足をバタバタさせるリリアン。


 レヴィアは、そのままリリアンをポーンとベッドに放りだして言った。


「じいさまに『美化すんなってレヴィアが怒ってた』って伝えておくんじゃぞ」


「えー、待って!」


 すがるリリアンを無視して、レヴィアは空間をシュッと閉じた。


「これで邪魔者は居なくなったのう、ユータよ」


 嬉しそうに笑うレヴィア。


 影の薄かったアバドンは、


「私はそろそろ失礼します……」


 と、言って、そそくさと魔法陣を描いて中へと消えていった。


「あー、そろそろお開きにしましょうか?」


 俺はテーブルの上を少し整理しながら言う。


「あ、お主、あの娘と乳()り合うつもりじゃな?」


 レヴィアは俺をジト目で見る。


「ドロシーはもう寝ちゃってますから、そんなことしません!」


 俺は赤くなりながら言う。


「起こしてやろうか?」


 レヴィアはニヤッと笑って言う。


「だ、大丈夫です! 寝かせてあげてください!」


「冗談じゃよ。で、あの娘とは今後どうするんじゃ? 結婚するのか?」


「えっ?」


 俺は考え込んでしまった。まさに今悩んでいることだからだ。


「私は彼女が大切ですし、ずっと一緒にいたいと思っていますが……、私と一緒にいるとまた必ず命の危険に遭わせてしまいます。大切だからこそ身を引こうかと……」


「ふん、つまらん奴じゃ。好きにするがいいが……、人生において大切なことは頭で決めるな、心で決めるんじゃ」


 レヴィアはそう言って親指で自分の胸を指さし、ウイスキーをゴクリと飲んだ。


「心……ですか……」


「そう、心こそが人間の本体じゃ。身体もこの世界も全部作り物じゃからな、心だけが真実じゃ」


 言われてみたら確かにここの世界も地球も単に3D映像を合成(レンダリング)してるだけにすぎないのだから、自分の心は別の所にある方が自然だ。


「心はどこにあるんですか?」


「なんじゃ、自分の本体がどこにあるのかもわからんのか? マインド・カーネルじゃよ。心の管理運用システムが別にあるんじゃ」


「そこも電子的なシステム……ですか? それじゃリアルな世界というのはどこに?」


「リアルな世界なんてありゃせんよ」


 レヴィアは肩をすくめる。


「いやいや、だってこの世界は海王星のコンピューターシステムで動いているっておっしゃってたじゃないですか。そしたら海王星はリアルな世界にあるのですよね?」


「そう思うじゃろ? ところがどっこいなのじゃ」


 そう言ってレヴィアは嬉しそうに笑った。


 俺はキツネにつままれたような気分になった。この世が仮想現実空間だというのはまぁ、百歩譲ってアリだとしよう。でも、この世を作るコンピューターシステムがリアルな世界ではないというのはどういうことなのか? 全く意味不明である。


 首をひねり、エールを飲んでいると、レヴィアが言う。


「宇宙ができてから、どのくらい時間経ってると思うかね?」


「う、宇宙ですか? 確か、ビッグバンから138億年……くらいだったかな? でも、仮想現実空間にビッグバンとか意味ないですよね?」


「確かにこの世界の時間軸なんてあまり意味ないんじゃが、宇宙ができてからはやはり同じくらいの時間は経っておるそうじゃ。で、138億年って時間の長さの意味は分かるかの?」


「ちょっと……想像もつかない長さですね」


「そうじゃ、この世界を考えるうえで、この時間の長さが一つのカギとなるじゃろう」


「カギ……?」


「まぁ良い、我もちと飲み過ぎたようじゃ。そろそろ、おいとまするとしよう」


 レヴィアはそう言って大きなあくびを一つすると、サリーの中に手を突っ込んでもぞもぞとし、(たた)まれたバタフライナイフを取り出した。


「今日は楽しかったぞ。お礼にこれをプレゼントするのじゃ」


「え? ナイフ……ですか?」


「これはただのナイフじゃない、アーティファクトじゃ」


 そう言うと、レヴィアは器用にバタフライナイフをクルリと回して刃を出し、柄のロックをパチリとかけた。するとナイフはぼうっと青白い光をおび、ただものでない雰囲気を漂わせる。


「これをな、こうするのじゃ」


 レヴィアはエールの樽をナイフで切り裂く。すると、空間に裂け目が走った。その裂け目をレヴィアはまるでコンニャクのように両手でグニュッと広げる。開いた空間の切れ目からは樽の内側の断面図が見えてしまっている。エールがなみなみと入ってゆらゆらと揺れるのが見える。しかし、切れ目に漏れてくることもない。淡々と空間だけが切り裂かれていた。


「うわぁ……」


 俺はその見たこともない光景に()きつけられた。


「空間を切って広げられるのじゃ。断面を観察してもヨシ、壁をすり抜けてもヨシの優れモノじゃ」


「え? こんな貴重なもの頂いちゃっていいんですか?」


「お主はなぁ……、これから多難そうなんでな。ちょっとした応援じゃ」


 レヴィアはそう言ってナイフを畳むと俺に差し出した。


「あ、ありがとうございます」


 うやうやしく受け取ると、レヴィアはニッコリと笑い、俺の肩をポンポンと叩いた。


「じゃ、元気での!」


 レヴィアは俺に軽く手を振りながら、空間の裂け目に入っていった。


「お疲れ様でした!」


 俺はそう言って頭を下げる。


「今晩はのぞかんから、あの娘とまぐわうなら今晩が良いぞ、キャハッ!」


 最後に余計なことを言うレヴィア。


「まぐわいません! のぞかないでください!」


 俺が真っ赤になって怒ると、


「冗談のわからん奴じゃ、おやすみ」


 と、言って、空間の裂け目はツーっと消えていった。


 俺は試しにバタフライナイフを開いてその辺を切ってみた。確かにこれは凄い。壁を切れば壁の向こうへ行けるし、腕を切れば腕の断面が見える。そして、切るのはあくまでも空間なので、腕もつながったままだ。単に断面が見えるだけなのだ。そして放っておくと自然と切れ目は消えていく。なんとも不思議なアーティファクト、この世界が仮想現実空間である証拠と言えるかもしれない。


 俺はナイフをしまい、椅子を並べてその上に寝転がるとドロシーとのキスを思い出していた。熱く濃密なキス……思い出すだけでドキドキしてしまう。しかし……、ドロシーのことを考えるなら俺とは距離を取ってもらうしかないのだ。俺は大きく息をついた。そして、やるせない思いの中、徐々に気が遠くなり……、そのまま寝てしまった。








3-15. ウサギのエプロン


 翌朝、山のようにある食べ残しやゴミの山を淡々と処理しながら、俺はこの店やドロシーをどうしようか考えていた。武闘会とは言え、貴族階級である勇者を叩きのめせば貴族は黙っていないだろう。何らかの罪状をこじつけてでも俺を罪人扱いするに違いない。であれば逃げるしかない。リリアンが味方に付いてくれたとしても王女一人ではこの構図は変えられまい。事前に彼女の騎士にでもなって貴族階級に上がっていれば別かもしれないが……、そんなのは嫌だ。


 であれば、店は閉店。ドロシーは解雇せざるを得ない。


 そして今後、ヌチ・ギや王国の追手から逃げ続けなければならない暮らしになることを考えれば、ドロシーとは距離を置かざるを得ない。危険な逃避行に18歳の女の子を連れまわすなんてありえないのだ。どんなに大切だとしても、いや、大切だからこそここは身を引くしかない。


 悶々(もんもん)としながら手を動かしていると、ドロシーが起きてきた。


「あ、ド、ドロシー、おはよう!」


 昨晩の熱いキスを思い出して、ぎこちなくあいさつする。


「お、おはよう……なんで私、二階で寝てたのかしら……」


 ドロシーは伏し目がちに聞いてくる。


「なんだか飲み過ぎたみたいで自分で二階へ行ったんだよ」


「あ、そうなのね……」


 どうも記憶がないらしい。キスしたことも覚えていないようだ。であれば、あえて言及しない方がいいかもしれない。


「コーヒーを入れるからそこ座ってて」


 俺がそう言うとドロシーは、


「大丈夫、私がやるわ」


 と言って、ケトルでお湯を沸かし始める。


 俺はまだ食べられそうな料理をいくつか温めなおし、お皿に並べた。


 二人は黙々と朝食を食べる。


 何か言葉にしようと思うが、何を並べても空虚な言葉になりそうな気がして上手く話せない。


 ドロシーが切り出す。


「こ、このテーブルにね、可愛いテーブルクロスかけたら……どうかな?」


 なるほど、いいアイディアだ。だが……もうこの店は閉店なのだ。


 俺は意を決して話を切り出した。


「実はね……ドロシー……。このお店、(たた)もうと思っているんだ」


「えっ!?」


 目を真ん丸に見開いて仰天するドロシー。


「俺、武闘会終わったらきっとおたずね者にされちゃうんだ。だからもう店は続けられない」


 俺はそう言って静かにドロシーを見つめた。


「う、うそ……」


 呆然(ぼうぜん)とするドロシー。


 俺は胸が痛み、うつむいた。


 ドロシーは涙を浮かべ、叫ぶ。


「なんで!? なんでユータが追い出されちゃうの!?」


 俺は目をつぶり、大きく息を吐き、言った。


「平民の活躍を王国は許さないんだ。もし、それが嫌なら姫様の騎士になるしかないが……、俺、嫌なんだよね、そういうの……」


 嫌な沈黙が流れる。


「じゃ……、どうする……の?」


「別の街でまた商売を続けようかと、お金なら十分あるし」


「私……、私はどうなるの?」


 引きつった笑顔のドロシー。透き通るようなブラウンの瞳には涙がたまっていく。


「ゴメン……、ドロシーの今後については院長に一緒に相談に行こう」


 ドロシーがバンッとテーブルを叩いた。


「嫌よ! せっかくお店の運営にも慣れてきたところなのよ! 帳簿も付けられるようになったのに! これから……なのに……うっうっうっ……」


 テーブルに泣き崩れるドロシー。


「お金については心配しないで、ちゃんとお給料は払い続けるから……」


「お金の話なんてしてないわ! 私もつれて行ってよ、その新たな街へ」


「いや、ドロシー……。俺のそばにいると危険なんだよ。何があるかわからないんだ。また(さら)われたらどうするんだ?」


 ドロシーがピタッと動かなくなった。


 そして、低い声で言う。


「……。分かった。私が邪魔になったのね? 昨晩、みんなで何か企んだんでしょ?」


「邪魔になんてなる訳ないじゃないか」


「じゃぁ、なんで捨てるのよぉ! 私のこと『一番大切』だったんじゃないの!?」


 もうドロシーは涙でぐちゃぐちゃになっていた。


「す、捨てるつもりなんかじゃないよ」


「私をクビにしていなくなる、そういうのを『捨てる』って言うのよ!」


 そう叫ぶと、ドロシーはエプロンをいきなり脱いで俺に投げつけると、俺をにらみつけ、


「嘘つき!!」


 涙声でそう叫んで店を飛び出して行ってしまった。


「ドロシー……」


 俺はどうすることも出来なかった。ドロシーが一番大切なのは間違いない。昨日の旅行で、熱いキスでそれを再確認した。しかし、大切だからこそ俺からは離しておきたい。俺はもうドロシーがひどい目に遭うのは耐えられないのだ。次にドロシーが腕だけになったりしたら俺は壊れてしまう。


 もう、ドロシーは俺に関わっちゃダメだ。俺に関わったらきっとまたひどい目にあわせてしまう。


 そして、ここで気が付いた。ドロシーが『一番大切』という言葉を覚えているということは、昨晩のこと、全部覚えているということだ。記憶をなくしたふりをしていたのだ。俺は自分がドロシーの気持ちを踏みにじっていて、でも、それはドロシーのために譲れないという、解決できないデッドロックにはまってしまったことを呪った。


 俺はため息をつき、頭を抱える。


「胸が……痛い……」


 なぜこんなことになってしまったのか? どこで道を誤ったのか……。


 俺はドロシーが投げつけてきたお店のエプロンを、そっと広げた。そこにはドロシーが丁寧に刺繍したウサギが可愛く並んでいる。


「ドロシー……」


 俺は愛おしいウサギの縫い目を、そっとなで続けた。








3-16. 新居開拓


 それから武闘会までの一か月、俺は閉店作業を進めつつ新たな拠点の確保を急いだ。しばらくは人目に触れない所でゆっくりするつもりなので、山奥をあちこち飛び回りながら住みやすい場所を探す。


 御嶽山(おんたけさん)山麓(さんろく)を飛んでいたら小さな池を見つけた。この辺は強い魔物が出る地域のさらに奥なので人はやってこないし、実は魔物も出ない。さらに、あちこちから温泉が湧いているからかクマなども寄り付かないようだ。


 降り立ってみると、池の水は青々と澄んでいて、ほとりからは遠くに御嶽山の荒々しい山肌が見え、実に見事な景観となっていた。


「あー、いい景色だ……。癒されるねぇ……」


 俺はとても気に入って、ここに拠点を築くことにした。


 まずはエアスラッシュで池のほとりに生えている木々を一瞬で刈り取った。パンパンパンパンとデカい木々がボーリングのピンみたいに一斉に倒れていく。


 そして、竜巻を起こす風魔法『トルネード』で刈り取った木々を一気に巻き上げると、ファイヤーボールをポンポンと連打して燃やしてみる。


 左手でトルネードを維持しながら右手で「ソレソレソレ!」とファイヤーボールを当てていくと、木々はブスブスと(くす)ぶり始め、さらにファイヤーボールを撃ち込んでいくとやがて炎を吹き出し、燃え始めた。


 高い所でグルグルと回りながら燃え上がる木々はやがて炎の竜巻となり、壮観な姿となっていく。激しい炎は見てると顔が熱くなってくるほどである。うねりながら天を焦がす巨大な炎のアートに俺は思わず見入ってしまった。


 しばらくキャンプファイヤーのように楽しんでいるとやがて火の勢いは収まり、ほどなく灰となって霧散していった。魔法の焼却炉は思ったよりうまくいった。これで敷地は確保完了である。


 続いて建物の基礎を作らないとだが……池のほとりはちょっと地盤が柔らかい。しっかりとした基礎が必要のようだ。


 俺は岩肌をさらす御嶽山の山頂付近を飛んで、良さげな岩を探した。しかし、さすがにそんな都合のいい岩が転がってはいない。仕方ないので崖から切り出すことにした。俺は水を高速で噴き出す魔法『ウォーターカッター』を使い、バシュ!バシュッ!と断崖絶壁に切れ目を入れていく。固い岩もまるで豆腐のように簡単に切れていくのだ。これは面白い。


 良さげな所を10メートル四方切り取ってみると、ズズズズと周辺もろとも崩落しはじめた。


「ヤバい!」


 俺は落ちて行く巨岩を飛行魔法で支えるが……、千トンはあろうかという重さはさすがにキツイ。上に覆いかぶさってくる他の巨岩に押されて落ちそうになるのを何とかこらえる。


 何とか切り抜けると次に、よろよろとしながら敷地上空まで運んでいった。


 フラフラと空を飛ぶ巨大な四角い岩。実にシュールな光景である。


 上空についたら「そーれっ!」と派手に落とした。すごい速度で落ちて行く巨岩……。


 ズズーン!


 激しい衝撃音が山々にこだまし、巨大な岩は半分地中にめり込む。やや斜めだが設置完了だ。最後にウォーターカッターで上面を慎重に水平に切り取り、岩のステージの出来上がりである。


 ここを見つけてから一時間も経っていないのにもう基礎までできてしまった。魔法の力とはとんでもない物だ。素晴らしい。


       ◇


 俺は広い岩のステージの上に座り、そこから雄大な御嶽山を眺めた。


 チチチチ、という小鳥の鳴き声が響き、森の香りが風に乗ってやってくる。


 俺はこの風景をドロシーにも見せたいなと、つい考えてしまう。きっと、『すごい! すごーい!』って言ってくれるに違いないのだ……。


「ドロシー……」


 不覚にも涙がポロリとこぼれる。


 知らぬ間に自分の中でドロシーが大きな存在になっていることを思い知らされた。大切な大切な可愛い女の子、ドロシー。離れたくない。


 でも、俺の直感は告げている、恐ろしいトラブルは必ずやってくる。この波乱万丈の俺の人生に18歳の少女を巻き込むわけにはいかないのだ。


 俺は大きく息をつき、頭を抱えた。


      ◇


 翌日、俺は田舎の中古建物の物件をいくつか見て回り、小さめのログハウスを買うことにした。一人で住むのだからそんなに大きな家は要らない。部屋は一部屋、キッチンがついていて、トイレと風呂が奥にある。玄関の前はデッキとなっており、イスとテーブルを置いたら森の景色を快適に楽しめそうである。


 契約が終わった夜にさっそく拠点にまで移築した。月の光を浴びながら空を飛ぶログハウス、なんともファンタジーな話である。


 家具や食料、日用品も揃えないといけない。ベッドにテーブルに椅子に棚を運び、日用品は自宅から持っていく。


 水回りも大切である。裏の貯水タンクには水魔法で生成した水をため、排水は簡易浄化槽経由で遠くの小川まで配管を伸ばした。


 一週間くらい忙しく作業して何とか生活できる環境が出来上がった。暇な時間ができるとドロシーのことを思い出してしまうので、忙しくしていた方が気が楽だった。


      ◇


 俺はデッキの椅子に腰かけ、グラスにウイスキーを注いだ。


 夕焼けに染まる御嶽山の岩肌は荒々しくも美しく、ログハウスの竣工(しゅんこう)を祝ってくれているかのようだった。


 あれからドロシーとは会っていない。アバドンが警備をしているから無事なのはわかっているが、毎日家に引きこもっているらしい。


 ドロシーのいない暮らしは、心に何か穴があいたような空虚さが付きまとう。とは言えドロシーと距離を取ると決めたのは俺なのだ。心の痛みは甘んじて受ける以外ない。それがドロシーのためなのだ……。


 俺は自然と思い出されてしまうドロシーの笑顔をふり払い、ウイスキーをキューっと空けた。


      ◇


 翌日、俺は久しぶりに孤児院を訪れる。屋根の瓦を直して降りてくると院長が待っていた。


「ユータ!」


 そう言いながら俺をハグしてくる院長。昔は院長の胸の高さまでしかなかった俺も今や俺の方が背が高い。


 俺は院長の背中をポンポンと叩きながら、


「お久しぶりです。お元気ですか?」


 と、聞いた。


「元気よ~! ユータのおかげで助成も増えてね、悩みの種も解消したのよ」


「それは良かったです」


 俺はニッコリと笑った。長らくお世話になってばかりだった俺も、少しは恩返しできたようだ。


「実は今日は相談がありまして……」


「分かってるわ、部屋に来て」


 院長は真っ直ぐ俺を見つめると、そう言った。


 さすが院長、全てお見通しのようだ。


 俺は院長室で、事の経緯と今後の計画について話した。


「ユータの考えはわかったわ。でも、その計画にはドロシーの気持ちが考慮されてないのよね」


「いや、おたずね者と縁があるのは凄い危険なことですよ」


 俺は力説する。


「ユータ……、リスクのない人生なんてないのよ。人生はどのリスクを取って心を熱く燃やすかという旅なのよ。ユータの判断だけで決めるのは……どうかしら?」


 確かにそうかもしれない。でも、腕だけになってしまったドロシーを見ている俺からしたら、そんな理想論など心に響かない。人は死んだら終わりなのだ。


「いやいや、本当に命が危ないんです。実際ドロシーは一度死にかけているんですから」


「分かるわよ。でも、それをどう評価するかはドロシーの問題じゃないかしら?」


「何言ってるんですか! 次、ドロシーに何かあったら俺、正気じゃいられないですよ!」


 俺は半分涙声で叫んだ。


 院長は目をつぶり、大きく息をつく……。


 窓の外から子供たちの遊ぶ声が響いてくる。


 そして、院長はゆっくりとうなずいた。


「分かったわ……。そうしたら、武闘会の後、またここへ寄って。そこでもう一度ユータの気持ちを聞かせて」


 院長は優しい目で俺を見る。


「……。分かりました」


 俺はそう言って大きく息をした。










3-17. 強すぎた商人


 武闘会の最終日がやってきた。武闘会は二日かけて予選、そして最終日に決勝トーナメントがある。トーナメントといっても勇者はシードなので決勝にしか出てこない。そして俺は王女の特別枠で準決勝のシードとなっている。予選を勝ち抜いた四名の中で勝ち残った者が俺と戦う段取りだ。


 お昼に闘技場へと歩いて行くと、街全体がお祭り騒ぎになっていた。


 ポン! ポン!


 どこまでも透き通った青空に魔法玉が破裂し、武闘会を盛り上げる。


 石畳のメインストリートの両側は屋台がずらりと埋め尽くし、多くの人出でにぎわっていた。武闘会はこの街最大のお祭りであり、街の人たちみんなが楽しみにしているイベントなのだ。特に今年は優勝特典が絶世の美女リリアン姫との結婚となっているため、街の人たちは口々に優勝者の予想やリリアンの結婚について盛り上がっていた。優勝候補ナンバーワンは何といっても勇者だ。人族最強の称号を欲しいままにする圧倒的強者、その強さに子供たちは憧れ、大人たちも頼りにしているのだ。


 ただ……。実際に会えば幻滅してしまうような最低の男なのだが。


 集合場所の控室へ行くとすでに四名の屈強な男たちが万全の装備で座っており、鋭い眼光で俺をにらみつけてくる。


 案内の男性は、普段着のままのヒョロッとした貧相な体格の俺を見て


「え? あなたがユータ……さんですか?」


 と、驚いた。


「そうですが?」


「えーと……これから戦うんですよね? 装備とかは……?」


「装備なんていりませんよ、こぶし一つあれば十分です」


 俺はそう言ってこぶしを握って見せた。


 すると、四名の男たちはバカにされたと思い、ガタガタっと立ち上がってやってくる。


 いかつい金属製の(よろい)に身を包んだ男が俺の前に立ち、にらんで言った。


「おいおい……、なめんのもいい加減にしろよ! なんでお前みたいなのがシードなんだよ!」


「俺が一番強いからですね」


 俺は淡々と返す。


「じゃぁ、今お前ぶっ倒したらシード権くれるか?」


 鎧兜の中でギラリと眼光が光る。


 何だか面倒なことになってしまったが、ちょっと気持ちがクサクサしていたので挑発してみる。


「倒さなくてもいいです、一太刀でも入れられたらシード権はプレゼントしますよ。来てください」


 俺はニヤッと笑って、控室の裏の空き地に歩き出した。


「えっ!? ちょ、ちょっと困りますよ!」


 案内の男性は焦って制止しようとするが男たちは止まらない。ゾロゾロと俺の後をついてくる。


 俺は四人を索敵の魔法でとらえた。みんな殺気がかなり高い、やる気満々だ。この武闘会で上位に入るということは大変に名誉なことだし、仕官の口にもつながるという、ある意味就活でもあるわけだ。必死なのは仕方ない。


 一人の男の殺意が一気に上がる。


 鎧の男はいきなり奇襲攻撃で俺の背後を袈裟(けさ)切りにしてきたのだ。


「もらいっ!」


 しかし、剣が俺に届く直前、俺は彼の視界から消える。


「えっ?」


 俺は瞬歩で彼の背後に移動すると、


「遅すぎ、残念!」


 と、言いながら、手刀で後頭部を打った。


 気絶し、倒れる男。


 と、その向こうから二刀流の長髪の男が中国の雑技団のパフォーマンスのように刀をビュンビュンと振り回し、迫ってきた。


「当てりゃいいんだろ?」


「そうだよ」


 俺はニッコリと笑って男の攻撃をそのまま受けた。


 キ、キン!


 俺に触れた刀は刀身が粉々に砕け、飛び散る。


「はぁ!?」


 驚く男に俺は、


「武器屋は選ぼう」


 と、言いながら、パンチ一発お見舞いして吹き飛ばした。


 直後、後ろから


「マジックキャノン!」


 と、叫び声がして、白く輝く野球ボール大の魔法の球が吹っ飛んできた。


 俺はその球を素手でキャッチすると、そのまま投げ返した。飛行魔法の応用で魔法のエネルギーをそのまま包んで処理することができるのだ。まぁ、俺くらいしかそんなことできないのだが。


「なぜ爆発しない!?」


 驚く魔剣士は自らの魔法をまともにくらって吹き飛んだ。


 十秒もたたず三人の男たちが戦闘不能になった。


 四人目の男はその惨状を唖然(あぜん)として見つめ、ゆっくりと両手を上げる。


「あれ? かかってこないんですか?」


 俺がニッコリと話しかけると、


「こんなの……勝負になりませんよ……。棄権します」


 と、言って首を振った。


「一体どうしてくれるんだ!? 試合ができないじゃないか!!」


 案内の男性は頭を抱え、天をあおぐ。


「ごめんなさい。今日は決勝だけやればいいじゃないですか」


 俺がそう言うと、男性はキッとにらみ、


「た、大会委員長に報告しないと!」


 と言って、駆け出した。そして途中でクルッと振り返って叫ぶ。


「決勝はちゃんと闘技場でやってくださいよ!」


 なんだか本気で怒っている。悪いことしてしまった。


「善処します」


 俺はペコリと頭を下げた。段取りをぶち壊したのは申し訳ないとは思うが……、因縁つけてきたのはあいつらだし、俺のせいじゃないよなぁと釈然としない思いが残った。
















3-18. 心晴れぬ完勝


「あの……武器屋のマスターですよね?」


 棄権した男性が話しかけてくる。


 持っている武器を鑑定してみると、俺が仕込んだ各種ステータスアップが表示された。どうやらお客さんだったようだ。


「そうです。ご利用ありがとうございます」


「そんなに強いのになぜ……、商人なんてやってるんですか?」


 心底不思議そうに聞いてくる。


 彼は理想を超えた強さを俺の中に見出したようだが、そんなはるか高みにいる俺が商人なんてやっていることを、全く理解できない様子だった。


「うーん、私、のんびり暮らしたいんですよね。あまり戦闘とか向いてないので」


「向いてないって……、さっきの技を見るに勇者様より強いですよね? もしかして勝っちゃう……つもりですか?」


「勝ちますよ……、勇者にはちょっと因縁(いんねん)あるので」


 俺はニヤッと笑いながら言った。


「えっ!? 商人が勇者様に勝っちゃったらマズいですよ! 捕まりますよ?」


「分かってます。残念ですが、貴族が支配するこの国では貴族に勝つのはタブーです。でもやらんとならんのです」


 俺はそう言って目をつぶり、こぶしを握った。


 彼は俺のゆるぎない信念を悟ると、


「なるほど……。素晴らしい剣をありがとうございました。また、どこかでお会い出来たらその時は一杯おごらせてください」


 そう言って右手を差し出した。


「ありがとうございます。こちらこそご愛用ありがとうございます」


 俺はそう言って固く握手をした。


「ご武運をお祈りしています。」


 彼は深々と頭を下げ、会場を後にした。


    ◇


 ガランとなってしまった控室で一人、お茶を飲む。


 会場にはすでに多くの観客が詰めかけているようで、ざわめきが響いてくる。


 いよいよ運命の時が近づいてきた。一世一代の大立ち回りをして、俺はこの街を卒業する。


 トクントクンといつもより早めの心臓の音を聞きながら、ただ、時を待った。


    ◇


 ガチャ!


 ドアが乱暴に開けられ、案内の男性が叫ぶ。


「ユータさん、出番です!」


 俺は一つ大きく息をすると、フンッと言って立ち上がった。


 いよいよ、俺は引き返せない橋を渡るのだ。ありがとう、アンジューのみなさん、ありがとう、俺のお客さんたち、そして、ありがとう……ドロシー……。


 ゲートに行くと、リリアンが待っていた。


「王女殿下、ご機嫌麗しゅうございます」


 俺はひざまずいてうやうやしく挨拶する。


「ユータ、任せたわよ!」


 リリアンは上機嫌で俺の肩をポンポンと叩いた。


「お任せください。お約束通りぶっ倒してきます」


 俺はこぶしを見せて力を込めた。


「それから……、勝った後『私との結婚は要らない』とかやめてよ?」


 上目づかいでそう言うリリアン。俺が結婚を辞退すると勇者に口実を与えてしまうのが嫌なんだろうと思うが、単に大衆の前で辞退されることにプライドが許さないのかもしれない。


「配慮します」


「ふふっ、良かった……でも、勝った後どうするつもりなの? 今からでも……、騎士にならない?」


 リリアンは懇願するような眼で俺を見つめる。


「大丈夫です。俺には俺の人生があります」


 俺は苦笑いを浮かべる。


「そう……」


 リリアンは少ししょげて俺のシャツのそでをつまんだ。


 ウワァ――――!!


 大きな歓声が闘技場全体を揺らす様に響き渡る。


 見ると、向こうのゲートから勇者が入場してきていた。


 勇者は金髪をキラキラとなびかせ、剣を高々と掲げながら舞台に上がり、場内の熱気は最高潮に達した。


「いよいよです。お元気で」


 俺はリリアンのクリッとしたアンバー色の瞳を見つめ、言った。


 瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。


「もっと早く……知り合いたかったわ……」


 リリアンはうつむいて言った。


『対するは~! えーと、武器の店『星多き空』店主、ユータ……かな?』


 司会者がメモを見ながら俺を呼ぶ。


 案内の男性は俺の背中をパンパンと叩き、舞台を指さす。


 俺はリリアンに深く一礼をし、会場へと入っていく。


 リリアンは真っ白なハンカチで涙を拭きながら手を振ってくれた。


 石造りのゲートをくぐると、そこはもう巨大なスタンドがぐるりと取り囲む武闘場で、中央には特設の一段高い舞台が設置されていた。スタンドを見回すと、超満員の観客たちは俺を見てどよめいている。


 決勝なのだからどんな屈強な戦士が出てくるのかと期待していたら、まるで会場の作業員のようなヒョロッとした一般人が入場してきたのである。防具もなければ武器もない。一体これで勝負になるのだろうか、と皆首をひねり、どういうことかと口々に疑問を発していた。


 俺は何とも居心地の悪さを感じ、手をパンツのポケットに突っこんだままスタスタと歩いて舞台に上る。


 勇者と目が合う……。


 ドロシーを虫けらのように扱い、最後には仲間ごと爆破をさせたロクでもないクズ野郎。俺は腹の底からふつふつと怒りが湧き上がってくるのを感じた。


 二度と俺たちに関わらないように、圧倒的な力の差を見せつけ、心の底に恐怖を叩きこんでやるのだ。全身にいまだかつてないパワーが宿ってくるのを感じていた。


 そして、試合が始まった……。


 超人的な強さを見せる勇者、それは確かに『人族最強』だった。だがそれでもレベル千を誇る俺の前には赤子同然なのだ。


 怒りを込めた俺のこぶしがズン! ズン!と勇者の身体にめり込み、勇者は顔を歪ませる。俺のこぶしが入るたびに観客席からは悲鳴が漏れた。


 圧倒的なワンサイドゲーム。俺は勇者を完膚なきまでにボコボコにし、勝利のコールを得た。


 ここに俺は歴史に残る大番狂わせを打ち立てた……が、俺の心は晴れない。


 出る杭は打たれる。俺は予想通りおたずね者となった。












3-19. 覚悟と決断


 全てが終わった後、俺は闘技場を後にする。警備兵が追ってくるが、俺は空へと飛んで振り切った。


 孤児院につくと孤児がワラワラと集まってくる。可愛い奴らだが今日は『また今度ね』と、断りながら奥の院長室へと急ぐ。


 ノックをしてドアを開けると、院長が待ちかねたように座っていて、ソファに目をやるとなんとドロシーがいた。一か月ぶりのドロシーはすっかり憔悴(しょうすい)しきって()せこけており、悲しそうにうつむいていた。


「待ってたわ、まぁ座って」


「いや、ここにも追手が来ると思うので、長居はできませんよ」


「分かったわ、手短にするから座って」


 院長ににこやかに諭され、俺は大きく息をつくとドロシーの横に座った。


「武闘会はどうだったの?」


 院長は、俺の向かいに座りながら聞いた。


「問題なく勇者をぶちのめしてきました」


「はっはっは、すごいわね。人族最強をあっさりとぶちのめすって、あなたどんだけ強いのよ」


「人間にはもう負けませんね。でもこの世は強いだけではどうしようもないことの方が多いです」


「うんうん、そうよね。で、これからどうするの?」


「お話した通り、しばらくは山奥に移住します」


 院長はうなずくと、優しく静かに言った。


「ドロシーがね……、ついていきたいんだって」


 ドロシーが静かに俺の手に手を重ねた。


 俺はドキッとする。久しぶりに触れたドロシーの肌は心にしみる柔らかさをもっていた。


 しかし、危険に遭わせるわけにはいかない。


「連れていきたいのはやまやまですが……、とても危険です。俺には守り切る自信がありません」


 ドロシーがキュッと俺の手を強く握る。


 重い沈黙の時間が流れる……。


 ヌチ・ギは不気味だし、王国軍だってバカじゃない。逃避行に女の子なんて連れていけない。


 ドロシーが小さな声で言った。


「ねぇ、ユータ……。あの時、私のことを『一番大切』って言ってくれたのは……本当……なの?」


「もちろん、本当だよ。でも、大切だからこそ危険には()わせられない」


 俺はドロシーの手を取り、両手で優しく包む。


「やだ……」


 そう言ってドロシーはポトリと涙を落した。


「ドロシー……、分かってくれ。俺についてきたらいつかまたひどい目に遭う。殺されるかもしれないよ」


「構わない……」


「か、構わない? そんなことあるかよ! 本当に、比ゆなんかじゃなく、殺されるんだぞ!」


「殺されたっていいわ! このまま別れる方が私にとっては地獄だわ」


 そう言ってドロシーは涙いっぱいの目で俺を見た。


「ドロシー……」


 『殺されても構わない』と言われてしまうと、もう俺には返す言葉がなかった。


「ユータのいないこの一か月、地獄だったわ。コーヒーいれても自分しか飲む人がいないの。笑い合う人もいないし、一緒に夢を語る人もいない……。私もう、こんな生活耐えられない!」


 そう言ってドロシーがしがみついてきた。


 懐かしい温かく柔らかい香りにふわっと包まれる。


「ドロシー……」


 俺は小刻みに震えるドロシーの頭を優しくなでた。


「俺だって一緒だったよ。ドロシーがいない生活なんてまるで色を失った世界だったよ」


「ならつれてってよぉぉぉ!! うわぁぁぁん!」


 俺は目をつぶり、ドロシーの柔らかな体温をじっと感じていた。


「ユータ……、連れて行ってあげて」


 院長が温かいまなざしで俺を見る。


「いや、でも、新居にはベッド一つしかないし、女の子泊められるような環境じゃないですよ」


「結婚すればいいわ」


 院長は嬉しそうに言う。


「け、結婚!? 俺まだ16歳ですよ!?」


「商売上手で最強の男はもう子供なんかじゃないわ。それにあなた……、本当は16歳なんかじゃないでしょ?」


 院長は俺の転生を感づいているようだ。俺は苦笑いをすると、


「それはドロシーの意見も聞かないと……」


「バカねっ! まず、あなたがどうしたいか言いなさい! 結婚したいの? したくないの?」


 いきなり人生の一大決断を迫られる俺……。


 俺は目をつぶり、考える。


 ドロシーと共に歩む人生、それは俺にとって夢のような人生だ。危険を分かっても『ついて行きたい』と言ってくれるドロシー、正直俺には過ぎた女性だ。そのドロシーの覚悟に俺はどう応えるか……。


 俺はドロシーをそっと引き離し、涙で溢れている綺麗なブラウンの瞳を見つめた。


 ヒックヒックと小刻みに揺れるドロシー。


 愛おしい……。


 こんなにも愛おしい人が俺を頼ってくれている。もう悩むことなど無いのだ。レヴィアは『大切なことは心で決めよ』と言っていた。その通りだった。


「俺はドロシーを命がけで守る。必死に守る。でも……、それでも守り切れないことがあるかもしれない……」


 俺は丁寧に誠実に言った。


「覚悟はできてる、十分だわ」


 ドロシーは固い決意を込めた声で答える。


「分かった」


 そう言うと俺は大きく息をつき、ドロシーをまっすぐに見て、


「ドロシー、心から愛しています……。僕には……、あなたしかいません。結婚してください」


 と、言った。言いながら自然と涙が湧いてきてしまう。


 ドロシーは目にいっぱい涙を浮かべ、俺に飛びついてきた。そして、


「お願い……します」


 と、震える声で答えた。


 二人とも涙をポロポロとこぼし、お互いをきつく抱きしめた。


 院長ももらい涙をハンカチで拭いながら、嬉しそうにうなずいていた。


         ◇


 院長が嬉しそうに大声で言った。


「そうと決まったら結婚式よ! 急いで裏のチャペルへ移動するわよ!」


「えっ!?」「えっ?」


 俺もドロシーも驚いて院長を見つめる。


「もうすでに準備は終わってるわ。これを着て!」


 そう言って院長はソファーの脇の大きな箱から白い服を出し、


「ジャーン!」


 そう言って広げると、なんとそれは純白のウェディングドレスだった。レースにはふんだんに花の刺繍が施され、腰の所が優美にふくらむベルラインの立派なつくりに、俺もドロシーもビックリ。


「ユータは白のタキシードよ、早く着替えて!」


 うれしそうに指示する院長。


 俺とドロシーは微笑みながら見つめ合い、『院長にはかなわないな』と目で伝えあった。


         ◇


 俺たちは急いで身支度を整える。


「あー、もうこんなに泣きはらしちゃって!」


 院長は、少しむくんでしまったドロシーのまぶたを一生懸命化粧で整えていく。


 俺はタキシードに着替え、アバドンを呼んだり、カバンにドロシーの身支度を入れたり、準備を進める。


 院長はドロシーの銀髪を編み込み、最後に頭の後ろに白いバラをいくつか()して留め、うれしそうに言った。


「はい、完成よ!」


 ドロシーは嬉しそうに俺を見る。俺はドロシーのあまりの美しさに言葉を失い、ポロリと涙をこぼしてしまう。


 それを見たドロシーもウルウルと涙ぐんでしまう。


「新郎が泣いてどうすんのよ! ドロシーも化粧が流れちゃうからダメ! はい! 行くわよ!」


 院長はそう言って俺たちを先導し、チャペルへと移動する。


 孤児院は組織的には教会の下部組織だ。なので、チャペルも壁をへだてて孤児院の隣にある。


 小さな通用門をくぐると花壇の向こうに三角屋根の可愛いチャペルが建っていた。ずっと孤児院で暮らしていたのにチャペルに来たのは初めてである。


 俺はドロシーの手を取り、色とりどりの花が咲き乱れる花壇を抜け、入口の大きなガラス戸を開けた。


「うわぁ! すごーい!」


 ドロシーが思わず感嘆の声を漏らす。


 正面には神話をモチーフとした色鮮やかなステンドグラスが並び、温かい日差しが差し込む室内は神聖な空気に満ちていた。中に入ると、たくさんの生け花からのぼる華やかな花の香りに包まれ、思わず深呼吸してしまう。


 俺たちは見つめ合い、人生最高の瞬間がやってきたことを喜びあった。










3-20. 高らかに鳴る鐘


 ギギーっとドアが開いた。アバドンだ。


「こんにちは~! うわっ! (あね)さん! 最高に美しいです~!」


 絶賛しながら駆け寄ってくるアバドン。


 照れるドロシー。


「ごめんね、急に呼び出して。結局、結婚することにしたんだ」


「正解です。ずっとヤキモキしてたんですよぉ! お似合いです」


 アバドンは嬉しそうに言った。


 院長はいきなり現れた魔人にビビっていたが、俺が説明すると仰天しながら首を振っていた。


「はい、じゃ、そこに並んで!」


 院長は壇上に上がり、俺たち二人を並ばせると開式を宣言した。


「ユータさん。あなたは、夫としての分を果たし、常に妻を愛し、敬い、慰め、助けて、変わることなく、その健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、死が二人を分かつときまで、命の灯の続く限り、あなたの妻に対して、堅く節操を守ることを約束しますか?」


「死が二人を分かつとき……?」


 俺はこの言葉に心臓がキュッとした。腕だけになったドロシーが脳裏にフラッシュバックする……。


 決意が揺らぐ……。


 俺は目をつぶり、大きく息をつく……。


 すると、ドロシーがワザと茶目っ気たっぷりに言う。


「なぁに? もう浮気しようとか考えてるの?」


「な、何言うんだよ! 俺はドロシーを裏切ることなんてしないよ!」


「なら、誓って……。私はもう子供じゃないわ。全て分かった上でここにいるの」


 ドロシーは俺をまっすぐに見つめた。


 そう……。そうだよ……な。


 俺は軽くうなずき、もう一度目をつぶり、心を落ち着けた。


 そして、ドロシーをしっかりと見つめ、ニッコリとほほ笑えんで力強く言った。


「誓います!」


 院長は優しくうなずくと、ドロシーに向かって言った。 


「ドロシーさん。あなたは、妻としての分を果たし、常に夫を愛し、敬い、慰め、助けて、変わることなく、その健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、死が二人を分かつときまで、命の灯の続く限り、あなたの夫に対して、堅く節操を守ることを約束しますか?」


 ドロシーは愛おしそうに俺をじっと見つめ、潤む目で言った。


「誓います……」


 そして、院長はさっき俺たちから集めた『魔法の指輪』をトレーに載せて差し出した。


 俺は自信をもってドロシーの白くて細い左手の薬指にはめた。


 ドロシーはニコッと笑うと、お返しに俺の薬指にはめてくれる。


「はい、では、誓いのキスよぉ~!」


 院長が嬉しそうに言う。


 俺は照れながらドロシーに近づく。ドロシーは静かに上を向いて目をつぶった。


 まるでイチゴみたいなプリッとした鮮やかなくちびる……。俺はそっとくちびるを重ねた。


 柔らかく温かなくちびる……。この瞬間俺たちは正式に夫婦となったのだ。


「おめでとうございまーす!」


 アバドンがパチパチと手を叩きながら祝福してくれる。


「おめでとう、これであなたたちは立派な夫婦よ」


 院長は感慨深げに言った。


 と、その時だった、ドカッと入り口のドアが乱暴に開いた。


「いたぞ! あの男だ!」


 王国軍の兵士たちがもう()ぎつけてやってきてしまった。


 院長は、


「何だお前たちは! ここは神聖なるチャペルよ! 誰の許可を得て入ってきてるの!?」


 と、すごい剣幕で叫んだ。


 俺は裏口から逃げようとドロシーの手を取ったが、アバドンが先に裏口に走って、


「ダメです! 裏口にも来ています」


 と、叫びながら裏口のノブを押さえた。


「その男はおたずね者だ! かばうなら重罪だぞ!」


 兵士長が院長に喚く。


「教会は法王の管轄、王国軍といえども捜査には令状が必要よ! 令状を見せなさい!」


 兵士長は、


「構わん! ひっとらえろ!」


 と、兵士たちに指示を出す。俺たちに向け駆け出す兵士たち。


「なめんじゃないわよ! ホーリーシールド!」


 院長はチャペルいっぱいに光の壁を作り出す。兵士たちは壁に阻まれ動けない。


 驚いた兵士長は聞いてくる。


「あなたはもしや……『闇を打ち払いし者・マリー』?」


「あら、よく知ってるじゃない。あんたらが束になっても私には勝てないわよ!」


 吠える院長。


「いや、しかし、あの男はおたずね者で……」


「そんなの知らないわよ! 教会内で捜査するなら令状を持ってきなさい!」


 そんなやり取りを聞きながら、俺は逃げ出す算段を必死に考える。壁を壊してもステンドグラスをぶち抜いてもいいんだが、この神聖なチャペルを壊すのは気が引ける。どうしたものか……。


 と、ここでバタフライナイフを思い出した。


 俺は手提げカバンからナイフを取り出すとツーっと壁を切った。コンニャクのようにベロンと切り口を見せる白い壁。俺は切り口を広げるとドロシーを通し、おれも壁をくぐる。


 壁の外は色とりどりの花が咲き誇る花壇の真ん中だった。夕方、傾いた日差しに花壇の花々にも陰影が付いてきている。


「外に逃げたぞ! 追え――――!」


 中から声が響いてくる。


 俺はすかさずドロシーをお姫様抱っこした。


「きゃぁ!」


「それでは奥様、これからハネムーンですよ!」


 俺は少しおどけてそう言うと、隠ぺい魔法と飛行魔法をかけてふわりと浮き上がった。徐々に高度を上げていく。


 下ではたくさんの兵士たちが俺を探しているが、もはや気にもならない。アバドンに聞いたが院長も無事らしい。お膳立てをして最後に体まで張ってくれた院長。いつか必ず恩返しをしなくては。


「もう二度と見られないかもしれないから、しっかりと目に焼き付けて」


 俺はそう言って孤児院の周りをゆっくりと回った。


 長年お世話になった石造り二階建ての古ぼけた孤児院、子供たちの遊んでいる狭い広場に、いろいろあった倉庫……。溢れんばかりのエピソードが次々と思いこされてくる。


 ありがとう……。


 次に俺の店の跡、そしてドロシーの部屋の上を飛んだ。


 ドロシーは何も言わず、静かに思い出の場所たちをじーっと眺めていた。


 俺はゆっくりと街を一巡りする。


 夕陽を受けてオレンジに輝きだす石造りの街。


 武闘会の余韻の残るメインストリートはまだ賑わいを見せていた。まさか優勝者が頭上をタキシード着て飛んでるとは、誰も思わないだろう。


「この街ともお別れだな……」


 俺が感傷的につぶやくと、


「私は、あなたが居てくれたらどこでもいいわ」


 と、ドロシーはうれしそうに笑った。


「あは、それを言うなら、俺もドロシーさえ居てくれたらどこでもいいよ」


「うふふっ!」


 満面の笑みのドロシー。夕日を受けて銀髪がキラキラと(きら)めいた。


 見つめ合う二人……。


 そして、ドロシーが目を閉じた。


 俺はそっとくちびるを重ね、舌をからませる。


 すると、ドロシーは一か月間の寂しさをぶつけるように、熱く激しく俺をむさぼってきた。


 俺もその想いに応える。


 カーン! カーン!


 教会の鐘が夕刻を告げる。それはまるで二人の結婚を祝福するかのように、いつもより鮮やかに高く街中に響きわたった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ