3章 真実への旅
3-1. 空飛ぶ夢のカヌー
「あの人、なんなの!?」
ドロシーはひどく腹を立てて俺をにらむ。
「王女様だよ。この国のお姫様」
俺は肩をすくめて答える。
「お、お、王女様!?」
目を真ん丸くしてビックリするドロシー。
「なんだか武闘会に出て欲しいんだって」
「出るって言っちゃったの!?」
「なりゆきでね……」
「そんな……、出たら殺されちゃうかもしれないのよ!」
「そこは大丈夫なんだ。ただ……、ちょっと揉めちゃうかもなぁ……」
「断れなかったの?」
「ドロシーの安全にもかかわることなんだ、仕方ないんだよ」
俺はそう言って、諭すようにドロシーの目を見た。
ハッとするドロシー。
「ご、ごめんなさい……」
うつむいて、か細い声を出す。
「いやいや、ドロシーが謝るようなことじゃないよ!」
「私……ユータの足引っ張ってばかりだわ……」
「そんなことないよ、俺はドロシーにいっぱい、いっぱい助けられているんだから」
「うぅぅ……どうしよう……」
ポトリと涙が落ちた。
俺はゆっくりドロシーをハグする。
「ごめんなさい……うっうっうっ……」
俺は優しく背中をトントンと叩いた。
店内にはドロシーのすすり泣く音が響いた。
「ドロシー、あのな……」
俺は自分のことを少し話そうと思った。
「……。うん……」
「俺、実はすっごく強いんだ」
「……」
「だから、勇者と戦っても、王様が怒っても、死んだりすることはないんだ」
「……」
いきなりのカミングアウトに、ドロシーは理解できてない感じだった。
「……、本当……?」
ドロシーは涙でいっぱいにした目で俺を見つめた。
「本当さ、安心してていいよ」
俺はそう言って優しく髪をなでた。
「でも……、ユータが戦った話なんて聞いたことないわよ、私……」
「この前、勇者にムチ打たれても平気だったろ?」
俺はニヤッと笑った。
「あれは魔法の服だって……」
「そんな物ないよ。あれは方便だ。勇者の攻撃なんていくら食らっても俺には全く効かないんだ」
「えっ!? それじゃあ勇者様より強い……ってこと?」
「もう圧倒的に強いね」
俺はドヤ顔で笑った。
ドロシーは唖然として口を開けたまま言葉を失っている。
「あ、今日はもう店閉めて海にでも行こうか? なんか仕事する気にならないし……」
俺はニッコリと笑って提案する。
ドロシーは呆然としたまま、ゆっくりとうなずいた。
◇
俺はランチのセットを準備し、ドロシーは水着に着替えてもらった。
短パンに黒いTシャツ姿になったドロシーに、俺は日焼け止めを塗る。白いすべすべの素肌はしっとりと手になじむほど柔らかく、温かかった。
「で、どうやって行くの?」
ドロシーがウキウキしながら聞いてくる。
俺は、用意しておいた防寒着を渡し、
「裏の空き地から行きまーす」
そう言って裏口を指さした。
◇
俺は店の裏の空き地のすみに置いてあったカヌーのカバーをはがした。
「この、カヌーで行きまーす!」
買ってきたばかりのピカピカのカヌー。朱色に塗られた船体はまだ傷一つついていない。
「え? でも、ここから川まで遠いわよ?」
どういうことか理解できないドロシー。
俺は荷物をカヌーに積み込み、前方に乗り込むと、
「いいから、いいから、はい乗って!」
そう言って、後ろの座布団をパンパンと叩いた。
首をかしげながら乗り込むドロシー。
俺は怪訝そうな顔のドロシーを見ながらCAの口調で言った。
「本日は『星多き空』特別カヌーへご乗船ありがとうございます。これより当カヌーは離陸いたします。しっかりとシートベルトを締め、前の人につかまってくださ~い」
「シートベルトって?」
「あー、そこのヒモのベルトを腰に回してカチッとはめて」
「あ、はいはい」
器用にベルトを締めるドロシー。
「しっかりとつかまっててよ!」
「分かったわ!」
そう言ってドロシーは俺にギュッとしがみついた。ふくよかな胸がムニュッと押し当てられる。
「あ、そんなに力いっぱいしがみつかなくても大丈夫……だからね?」
「うふふ、いいじゃない、早くいきましょうよ!」
嬉しそうに微笑むドロシー。
「当カヌーはこれより離陸いたします」
俺は隠ぺい魔法と飛行魔法をかけ、徐々に魔力を注入していった……。
ふわりと浮かび上がるカヌー。
「えっ!? えっ!? 本当に飛んだわ!」
驚くドロシー。
「何だよ、冗談だと思ってたの?」
「こんな魔法なんて聞いたことないもの……」
「まだまだ、驚くのはこれからだよ!」
俺はそう言って魔力を徐々に上げていった。
カヌーは加速度的に上空へと浮かび上がり、建物の屋根をこえるとゆっくりと回頭して南西を向いた。
「うわぁ! すごい、すご~い!」
ドロシーが耳元で歓声を上げる。
上空からの風景は、いつもの街も全く違う様相を見せる。陽の光を浴びた屋根瓦はキラキラと光り、煙突からは湯気が上がってくる。
「あ、孤児院の屋根、壊れてるわ! あそこから雨漏りしてるのよ!」
ドロシーが目ざとく、屋根瓦が欠けているのを見つけて指さす。
「本当だ、後で直しておくよ」
「ふふっ、ユータは頼りになるわ……」
そう言って俺をぎゅっと抱きしめた。
ドロシーのしっとりとした頬が俺の頬にふれ、俺はドギマギしてしまう。
高度は徐々に上がり、街が徐々に小さくなっていく。
「うわぁ~、まるで街がオモチャみたいだわ……」
気持ちよい風に銀色の髪を躍らせながら、ドロシーが嬉しそうに言う。
石造りの建物が王宮を中心として放射状に建ち並ぶ美しい街は、午前の澄んだ空気をまとって一つの芸術品のように見える。ちょうどポッカリと浮かぶ雲が影を作り、ゆったりと動きながら陰影を素敵に演出していた。
「綺麗だわ……」
ドロシーはウットリとしながら街を眺める。
俺はそんなドロシーを見ながら、これから始まる小旅行にワクワクが止まらなかった。
3-2. クジラの挨拶
「これより当カヌーは石垣島目指して加速いたします。危険ですのでしっかりとシートベルトを確認してくださ~い」
「はいはい、シートベルト……ヨシッ!」
ドロシーは可愛い声で安全確認。
俺はステータス画面を出し、
「燃料……ヨシッ! パイロットの健康……ヨシッ!」
そしてドロシーを鑑定して……、
「お客様……あれ? もしかしてお腹すいてる?」
HPが少し下がっているのを見つけたのだ。
「えへへ……。ちょっとダイエット……してるの……」
ドロシーは恥ずかしそうに下を向く。
「ダメダメ! 今日はしっかり栄養付けて!」
俺は足元の荷物からおやつ用のクッキーとお茶を取り出すと、ドロシーに渡した。
「ありがと!」
ドロシーは照れ笑いをし、クッキーをポリっと一口かじる。
そよ風になびく銀髪が陽の光を反射してキラキラと輝く。
「うふっ、美味しいわ! 景色がきれいだと何倍も美味しくなるのね」
ドロシーは幸せそうな顔をしながら街を見回した。
ドロシーがクッキーを食べている間、ゆっくりと街の上を飛び、城壁を越え、麦畑の上に出てきた。
どこまでも続く金色の麦畑、風が作るウェーブがサーっと走っていく。そして、大きくカーブを描く川に反射する陽の光……、いつか見たゴッホの油絵を思い出し、しばし見入ってしまった。
「美味しかったわ、ありがと! 行きましょ!」
ドロシーが抱き着いてくる。
俺は押し当てられる胸に、つい意識がいってしまうのをイカンイカンとふり払い、
「それでは行くよ~!」
と、言った。
防御魔法でカヌーに風よけのシールドを張る。この日のために高速飛行にも耐えられるような円錐状のシールドを開発したのだ。石垣島までは千数百キロ、ちんたら飛んでたら何時間もかかってしまう。ここは音速を超えて一気に行くのだ。
俺は一気に魔力を高めた。急加速するカヌー。
「きゃあ!」
後ろから声が上がる。
カヌーを鑑定すると対地速度が表示されている。ぐんぐんと速度は上がり、十秒程度で時速三百キロを超えた。
景色が飛ぶように流れていく。
「すごい! すご~い!」
耳元でドロシーが叫ぶ。
しばらくこの新幹線レベルの速度で巡行し、観光しながらドロシーに慣れてもらおうと思う。
俺はコンパスを見ながら川沿いに海を目指す。
◇
しばらく行くと海が見えてきた。
「これが海だよ、広いだろ?」
俺は後ろを向いて声をかける。
すると、ドロシーは身を乗り出して俺の肩の上で黄色い声で叫んだ。
「すご~い!!」
もはや「すごい」しか言えなくなっている。
俺は、目をキラキラと輝かせながら海を眺めるドロシーを見て、つれてきて良かったと思った。
それにしても、日本だったらこの辺に中部国際空港の人工島があるはずなのだが……、見えない。単純に地球をコピーしたわけではなさそうだ。
俺は海面スレスレまで降りてきてカヌーを飛ばした。新幹線の速度でかっ飛んでいく朱色のカヌーは、海面に後方乱気流による航跡を残しながら南西を目指す。
ドロシーは初めて見る水平線をじーっと眺め、何か物思いにふけっていた。
どこまでも続く青い水平線……、18年間ずっと城壁の中で暮らしてきたドロシーには、きっと感慨深いものがあるのだろう。
「あ、あれ何かしら?」
ドロシーが沖を指さす。
見ると何やら白い煙が上がっている……。
鑑定をしてみると、
マッコウクジラ レア度:★★★
ハクジラ類の中で最も大きく、歯のある動物では世界最大
と、出た。
「クジラだね、海にすむデカい生き物だよ」
「え、そんなのがいるの?」
ドロシーは聞いたこともなかったらしい。
俺は速度を落とし、クジラの方に進路をとった。
近づいていくと、綺麗な海の中に長く巨大なマッコウクジラの巨体が悠然と泳いでいるのが見えた。その長さはゆうに十メートルを超えている。デカい。そばに小型のクジラが寄り添っている。多分、子供だろう。
「うわぁ! 大きい!」
嬉しそうにクジラを見つめるドロシー。
「歯がある生き物では世界最大なんだって」
「ふぅん……あっ、潜り始めたわよ」
クジラはゆったりと潜っていく……
「どこまで潜るのかしら?」
「さぁ……、深海でデカいイカを食べてるって聞いたことあるけど……」
などと話をしていると、急にクジラが急上昇を始めた。
「え? まさか……」
クジラはものすごい速度で海面を目指してくる。
「え、ちょっと、ヤバいかも!?」
クジラはその勢いのまま空中に飛び出した。二十トンはあろうかと言う巨体がすぐ目の前で宙を舞う。巨大なヒレを大きく空に伸ばし、水しぶきを陽の光でキラキラと輝かせながらその美しい巨体は華麗なダンスを披露した。
「おぉぉぉ……」「うわぁ……」
見入る二人……。
そのまま背中から海面に落ちていくクジラ……。
ズッバーン!
ものすごい轟音が響き、多量の海水が巻き上げられた。海水がまともにカヌーを襲って大きく揺れる。
「キャ――――!!」
俺にしがみついて叫ぶドロシー。
シールドは激しく海水に洗われ、向こうが見えなくなった。シールドがなかったら危なかったかもしれない。
「はっはっは!」
俺は思わず笑ってしまう。
「笑いことじゃないわよ!」
ドロシーは怒るが、俺はなぜかとても楽しかった。
「クジラはもういいわ! バイバイ!」
ドロシーは驚かされてちょっとご機嫌斜めだ。
「ハイハイ、それでは当カヌーは再度石垣島を目指します!」
俺はそう言うとコンパスを見て南西を目指し、加速させた。
ブシュ――――!
後ろでクジラが潮を吹いた。まるで挨拶をしているみたいだった。
3-3. タコ刺し一丁
バババババ……
新幹線並みの速度で海面スレスレを爆走する。シールドのすそから風をばたつかせる音が響いてくる。
日差しが海面をキラキラと彩り、どこまでも続く水平線が俺たちのホリディを祝福していた。
「ふふふっ、何だか素敵ねっ!」
ドロシーはすっかり行楽気分だ。
俺も仕事ばかりでここのところ休みらしい休みはとっていなかった。今日はじっくりと満喫したいと思う。
「あ、あれは何かしら!」
ドロシーがまた何か見つけた。
遠くに何かが動いている……。俺はすかさず鑑定をした。
キャラック船 西方商会所属
西洋式帆船 排水量 千トン、全長五十二メートル
「帆船だ! 貨物を運んでいるみたいだ」
「へぇ! 帆船なんて初めて見るわ!」
ドロシーは嬉しそうに徐々に大きくなってきた帆船を眺める……。
だが、急に眉をひそめた。
「あれ……? 何かおかしいわよ」
ドロシーが帆船を指さす。
よく見ると、帆船に何か大きなものがくっついているようだ。鑑定をしてみると……、
クラーケン レア度:★★★★★
魔物 レベル280
「うわっ! 魔物に襲われてる!」
「え――――っ!」
俺は帆船の方にかじを切り、急行する。
近づいていくと、クラーケンの恐るべき攻撃の全貌が明らかになってきた。二十メートルはあろうかという巨体から伸ばされる太い触手が次々とマストに絡みつき、船を転覆させようと引っ張っている。船は大きく傾き、船員が矢を射ったり、触手に剣で切りつけたり奮闘しているものの、全く効いてなさそうだ。
「ユータ! どうしよう!?」
ドロシーは自分のことのように胸を痛め、悲痛な声を出す。ドロシーにそう言われちゃうと助けない訳にはいかない。
「イッチョ、助けてやりますか!」
俺はクラーケンに近づくと、飛行魔法を思いっきりかけてやった。
クラーケンの巨体は海からズルズルと引き出され、徐々に上空へと引っ張られていく。ヌメヌメとうごめくクラーケンの体表は、陽の光を受けて白くなったり茶色になったり、目まぐるしく色を変えた。
「いやぁ! 気持ち悪い!」
ドロシーはそう叫んで俺の後ろに隠れる。
クラーケンは「ぐおぉぉぉ!」と重低音の叫びをあげ、触手をブンブン振り回しながら抵抗するが、俺はお構いなしにどんどん魔力を上げていく……。
何が起こったのかと呆然とする船員たち……。
ついにはクラーケンは巨大な熱気球のように完全に宙に浮きあがり、船のマストにつかまっている触手でかろうじて飛ばされずにすんでいた。
★5の凶悪な海の魔物もこうなってしまえば形無しである。と、思っていたらクラーケンは辺り一面に墨を吐き始めた。
まるで雨のように降り注ぐ墨、カヌーにもバシバシ降ってくる。さらに、墨は硫酸のように当たったところを溶かしていく。
「うわぁ!」「キャ――――!!」
多くはシールドで防げたものの、カヌーの後ろの方は墨に汚され、あちこち溶けてしまった。
「あぁ! 新品のカヌーが――――!!」
頭を抱える俺。
ものすごく頭にきた俺はクラーケンをにらむと、
「くらえ! エアスラッシュ!」
そう叫んで、全力の風魔法をクラーケンに向けて放ってやった。
風の刃が空気を切り裂きながら音速でクラーケンの身体に食い込み……、
バシュッ!
派手な音を立てて真っ二つに切り裂いた。
「ざまぁみろ! タコ刺し、一丁!」
俺は大人げなく叫んだ。
無残に切り裂かれたクラーケンは徐々に薄くなり……最後は霧になって消えていった。水色に光る魔石がキラキラと輝きながら落ちてくるので、俺はすかさず拾う。
「倒した……の?」
ドロシーはそっと俺の肩の上に顔を出し、聞いてくる。
「一発だったよ。どう? 強いだろ俺?」
俺は美しい輝きを放つ魔石を見せながら、ドヤ顔でドロシーを見る。
「うわぁ……、綺麗……。ユータ……もう、言葉にならないわ……」
ドロシーは圧倒され、軽く首を振った。
「大魔導士様! おられますか? ありがとうございます!」
船から声がかかる。船長の様だ。
隠ぺい魔法をかけているから、こちらのことは見えないはずだが、シールドに浴びた墨は誤算だった。墨は見えてしまっているかもしれない。
「あー、無事で何よりじゃったのう……」
俺は頑張って低い声を出し、答えた。
「このご恩は忘れません。何かお礼の品をお贈りしたいのですが……」
俺は浮かれてドロシーに聞く。
「お礼だって、何欲しい? 宝石とかもらう?」
ドロシーは少し考えると、
「私は……特に欲しい物なんてないわ。それより、孤児院の子供たちに美味しい物をお腹いっぱい食べさせてあげたいわ……」
と、俺を見つめて言った。俺は欲にまみれた俺の発想を反省し、
「そうだよ、そうだよな……」
と、言いながら目をつぶってうなずく。
パサパサでカチカチのパンしか無く、それでも大切に食べていた孤児院時代を思い出す。後輩にはもうちょっといいものを食べさせてあげる……それが先輩の責務だと思った。
俺は軽く咳払いし、言った。
「あー、クラーケンの魔石はもらったので、ワシはこれで十分。ただ、良ければアンジューの孤児院の子供たちに、美味しい物をお腹いっぱい食べさせてあげてくれんかの?」
船長はそれを聞くと、
「アンジューの孤児院! なるほど……、分かりました! さすが大魔導士様! 私、感服いたしました。美味しい料理、ドーンと届けさせていただきます!」
そう言って、嬉しそうにほほ笑んだ。
やはり、恵まれない子供たちに対する支援というのは人の心を動かすらしい。
孤児のみんなが大騒ぎする食堂を思い浮かべながら、俺も今度、何か持って行こうと思った。
3-4. 右手の薬指
「では、頼んだぞ!」
俺はそう言うと、カヌーに魔力を込めた。
カヌーはするすると加速し、また、バタバタと風を巻き込む音を立てながら海上を滑走した。
「ありがとうございました――――!」
後ろで船員たちが手を振っている。
「ボンボヤージ!」
ドロシーも手を振って応える。まぁ、向こうからは見えないんだが。
「人助けすると気持ちいいね!」
俺はドロシーに笑いかける。
「助かってよかったわ。ユータって凄いのね!」
ドロシーも嬉しそうに笑う。
「いやいや、ドロシーが見つけてくれたからだよ、俺一人だったら素通りだったもん」
「そう? 良かった……」
ドロシーは少し照れて下を向いた。
「さて、そろそろ本格的に飛ぶからこの魔法の指輪つけて」
俺は懐のポケットから『水中でもおぼれない魔法の指輪』を出した。
「ゆ、指輪!?」
驚くドロシー。
「はい、受け取って!」
俺が差し出すとドロシーは
「ユータがつけて!」
そう言って両手を俺の前に出した。
「え? 俺が?」
「早くつけて!」
ドロシーは両手のひらを開き、嬉しそうに催促する。
俺は悩んでしまった。どの指につけていいかわからないのだ。
「え? どの指?」
「いいから早く!」
ドロシーは教えてくれない……。
中指にはちょっと入らないかもだから薬指?
でも、確か……左手の薬指は結婚指輪だからつけちゃマズいはず?
なら右手の薬指にでもつけておこう。
俺は白くて細いドロシーの薬指にそっと指輪を通した。
「え?」
ちょっと驚くドロシー。
「あれ? 何かマズかった?」
「うふふ……、ありがと……」
そう言って真っ赤になってうつむいた。
「このサイズなら、薬指にピッタリだと思ったんだ」
「……、もしかして……指の太さで選んだの?」
「そうだけど……マズかった?」
ドロシーは俺の背中をバシバシと叩き、
「知らない!」
そう言ってふくれた。
「あれ? 結婚指輪って左手の薬指だよね?」
俺が聞くと、ドロシーは俺の背中に顔をうずめ、
「ユータはね、ちょっと『常識』というものを学んだ方がいいわ……」
と、すねた。
「ゴメン、ゴメン、じゃぁ外すよ……」
そう言ったらまた背中をバシバシと叩き、
「ユータのバカ! もう、信じらんない!」
と言って怒った。女性と付き合った経験のない俺に乙女心は難しい……。
俺は何だか良く分からないまま平謝りに謝った。
どこまでも続く水平線を見ながら、
『帰ったら誰かに教えてもらおう。こんな時スマホがあればなぁ……』
と、情けないことを考えた。
◇
さらにしばらく海面をすべるように行くと、断崖絶壁の上に立つ灯台が見えてきた。本州最南端、潮岬だ。灯台は石造りの立派な建築で、吹き付ける潮風の中、威風堂々と海の安全を守っている。
潮岬を超えたら少し右に進路を変え、四国の南をかすめながら宮崎を目指そう。
「うわー! あれ、灯台よね?」
ドロシーは初めて見る灯台に興奮気味だ。機嫌が直ってきたようでホッとする。
「よし、灯台見物だ!」
俺は灯台の方向にかじを切る。徐々に近づいてくる灯台……。
「しっかりつかまっててよ!」
「えっ!? ちょっと待って!」
ギリギリまで近づくと俺は高度を一気に上げ、断崖絶壁をスレスレにかすめる。生えていた草がパシパシっとシールドを叩く。
そして、ぐっと大きく迫ってくる灯台のすぐ横を飛んだ。
視野を大きく灯台の石壁が横切る。
「きゃぁ!」
俺にしがみつくドロシー。
ドン!
カヌーが引き起こす後方乱気流が灯台にぶつかって鈍い音を放つ。
「ははは、大丈夫だよ」
「もぉ……」
ドロシーは俺の背中をパンと叩き、振りむいて、ぐんぐんと小さくなっていく灯台を眺めた。
「なんだかすごいわ……。ユータは大魔導士なの?」
「大魔導士であり、剣聖であり、格闘家……かな?」
俺はニヤッと笑う。
「何よそれ、全部じゃない……」
「すごいだろ?」
俺がドヤ顔でそう言うと……
「すごすぎるのも……何だか怖いわ……」
そう言って、俺の背中に顔をうずめた。
確かに『大いなる力は大いなる責任を伴う』という言葉もある。武闘会で勇者叩きのめしちゃったらもう街には居られないだろう。
リリアンの騎士にでもなれば居場所はできるだろうけど、そんな生き方も嫌だしなぁ……。
俺はぽっかりと浮かんだ雲たちをスレスレでよけながら高度を上げ、遠くに見えてきた四国を見つめた。
3-5. マッハを超えるカヌー
俺はグングンと速度を上げ、さらに高い空を目指す。
「これより、当カヌーは超音速飛行に入りま~す。ご注意くださ~い!」
「え? 超音速って……何?」
ドロシーがバタつく銀色の髪を押さえながら、不安そうに聞いてくる。
「音が伝わる速さを超えるってことだよ、とんでもない速度で飛ぶってこと」
「もっと速くなるの!? 音より速い!? なんなのそれ!?」
ドロシーがまん丸い目をして俺を見る。
「しっかりつかまっててよ!」
俺はそう言うと注入魔力をグンと増やした。
カヌーはビリビリと震えながら速度を上げていく。表示速度もガンガン上がっていく。
対地速度 500km/h
:
対地速度 600km/h
:
対地速度 700km/h
どんどんと上がっていく速度。さらに高度を上げていく。
雲のすき間をぬって飛んでいくが、大きな雲が立ちふさがった。
「雲を抜けるよ、気を付けて!」
「く、雲!?」
ボシュ!
いきなり視界がグレー一色になる。
「きゃぁ!」
俺にしがみつくドロシー。
雲の中に突っ込んだのだ。
俺は構わずさらに速度と高度を上げていく。
対地速度 800km/h
:
対地速度 900km/h
ジェット旅客機の速度に達し、船体がグォングォンとこもった音を響かせ始める。
すると急に視界が開けた。
真っ青な青空に燦燦と照り付ける太陽、雲の上に出たのだ。
「ヒャッハー!」
俺は思わず叫んだ。
「すごーい……」
ドロシーは初めて見る雲の上の景色に圧倒される。
「ここが雲の上だよ」
「なんて神秘的なのかしら……」
ドロシーは雲と空しかない風景にしばし絶句していた。
その間にも速度はぐんぐんと上がる。
対地速度 1000km/h
:
対地速度 1100km/h
:
対地速度 1200km/h
:
カヌーの周りにドーナツ状の霧がまとわりつく。亜音速に達したのだ、いよいよ来るぞ……。
ドゥン!
激しい衝撃音が響き、カヌーが大きく揺れる。ついに音速を超えたのだ。
「キャ――――!!」
ドロシーが叫ぶ。
俺は
「Yeah――――!!」
と、叫び、さらに魔力を上げた。
対地速度 M1.1
:
対地速度 M1.2
:
対地速度 M1.3
:
速度表示がマッハ(M)に変わり、どんどん増えていく。
音速を超えるとシールドにぶつかってくる空気は逃げられない。尖がったシールドの先端では圧縮された空気が衝撃波を作り、周りに広がっていく。この衝撃波は強力で、遠く離れていても窓ガラスを割ることがあるらしいので、なるべく海上を飛んでいく。
ギュゥゥゥ――――!
カヌーからきしむ音が響く。ピカピカの朱色のカヌーは今、超音速飛行船となって空の上高く爆走しているのだ。カヌーを作ったおじさんにこの光景を見せたら、きっとぶったまげるだろうな……。俺はそんなことを思いながらニヤッと笑った。
雲の合間に四国の先端、室戸岬を確認できる頃にはマッハ3に達していた。そこから宮崎まで約5分、さらに南下して種子島・屋久島を抜け、奄美大島まで5分。戦闘機レベルの高速巡行は気持ちいいくらいに風景を塗り替えていく。
空から見る奄美大島はサンゴ礁に囲まれ、淡い青緑色の蛍光色に縁どられて浮いて見える。この世界は文明があまり発達していないから環境汚染もないだろう。まさに手付かずの美しい自然、ありのままの姿なのだ。
ドロシーにも見てもらおうと後ろを見たら……、俺にしがみついたまま動かなくなっている。
「ドロシー?」
「う~ん、ちょっと気分が……」
どうやら船酔いのようだ。これはまずい。
「ヒール!」
俺は治癒魔法をかけた。ボワッと淡い光に包まれるドロシー。
「これでどう?」
「うん……、良くなったわ」
力のない笑顔を見せるドロシー。
「ごめん、もう少しで着くからね」
俺は優しくそう声をかけた。
沖縄列島の島々を次々と見ながら南西に飛び、10分程度するとヒョロッと長い半島が突き出た独特の島、石垣島が見えてきた。俺は学生時代、一か月ほど石垣島で民宿のアルバイトをやったことがあった。石垣島の人たちは温かく、優しく、ちょっとひねくれていた学生時代の俺をまるで自分の子供のように扱ってくれた。暇なときは海に潜って遊び、夜は満天の星々を見ながら、オリオンビールでいつまでも乾杯を繰り返した。それは今でも大切な記憶として俺の中では宝になっている。
はるばるやってきた懐かしの島が徐々に大きくなっていく。
俺は速度と高度を落としながら石垣島の様子を観察する。サンゴ礁に囲まれた美しい楽園、石垣島。その澄みとおる海、真っ白なサンゴ礁の砂浜の美しさは俺が訪れていた時よりもずっと輝いて見えた。
一通り島を回ってみたが、誰も住んでいないし魔物がいる気配もない。手つかずの無人島の様だ。
「ドロシー、着いたよ!」
俺は半ば寝ていたドロシーを起こす。
「う?」
ドロシーは目をこすりながら周りを見回し……
「うわぁ!」
と、歓声を上げた。
「ようこそ石垣島へ」
俺はドヤ顔でドロシーを見つめる。
「すごい! すごーい!」
エメラルド色に輝く海、それはドロシーが想像もしたこともない、まさに南国の楽園だった。
3-6. マンタが語る真実
俺は美しい入り江、川平湾に向けて高度を落としていく。徐々に大きくなっていく白い砂浜にエメラルド色の海……。俺は船尾から先に下ろし、静かに着水した。
カヌーは初めて本来の目的通り、海面を滑走し、透明な水をかき分けながら熱帯魚の楽園を進んだ。
潮風がサーっと吹いて、ドロシーの銀髪を揺らし、南国の陽の光を受けてキラキラと輝いた。
「うわぁ……まるで宙に浮いてるみたいね……」
澄んだ水は存在感がまるでなく、カヌーは空中を浮いているように進んでいく。
俺は真っ白な砂浜にザザッと乗り上げると、ドロシーに言った。
「到着! お疲れ様! 気を付けて降りてね」
ドロシーは恐る恐る真っ白な砂浜に降り立ち、海を眺めながら大きく両手を広げ、最高の笑顔で言った。
「うふふ、すごいいところに来ちゃった!」
俺はカヌーを引っ張っり上げて木陰に置くと、防寒着を脱ぎながら言った。
「はい、泳ぐからドロシーも脱いで脱いで!」
「はーい!」
ドロシーはこっちを見てうれしそうに笑った。
軽装になったドロシーは白い砂浜を元気に走って、海に入っていく。
「キャ――――!」
うれしそうな歓声を上げながらジャバジャバと浅瀬を走るドロシー。
俺はそんなドロシーを見ながら心が癒されていくのを感じていた。
「はい、じゃぁ潜るよ」
俺はそう言って自分とドロシーに、頭の周りを覆うシールドを展開した。こうしておくと水中でもよく見えるし、会話もできるのだ。
俺はドロシーの手を取って、どんどんと沖に歩く。
胸の深さくらいまで来たところで、
「さぁ、潜ってごらん」
と、声をかけた。
「え~、怖いわ」
と、怖気づくドロシー。
「じゃぁ、肩の所つかまってて」
そう言って肩に手をかけさせる。
「こうかしら……? え? まさか!」
俺は一気に頭から海へを突っ込んだ。一緒に海中に連れていかれるドロシー。
「キャ――――!!」
ドロシーは怖がって目を閉じてしまう。
俺は水中で言った。
「大丈夫だって、目を開けてごらん」
恐る恐る目を開けるドロシー……。
そこは熱帯魚たちの楽園だった。
コバルトブルーの小魚が群れ、真っ赤な小魚たちが目の前を横切っていく……。
「え!? すごい! すごーい!」
「さ、沖へ行くよ」
俺はドロシーの手をつかみ、魔法を使って沖へと引っ張っていく。
サンゴ礁の林が現れ、そこにはさらに多くの熱帯魚たちが群れていた。白黒しま模様のスズメダイや芸術的な長いヒレをたくさん伸ばすミノカサゴ、ワクワクが止まらない風景が続いていく。
透明度は40メートルはあるだろうか、どこまでも澄みとおる海はまるで空を飛んでいるような錯覚すら覚える。太陽の光は海面でゆらゆらと揺れ、まるで演出された照明のようにキラキラとサンゴ礁を彩った。
「なんて素敵なのかしら……」
ドロシーがウットリとしながら言う。
俺はそんなドロシーを見ながら、心の傷が少しでも癒されるように祈った。
さらに沖に行くと、大きなサンゴ礁が徐々に姿を現す。その特徴的な形は忘れもしない俺の思い出のスポットだった。
俺はそのサンゴ礁につかまると言った。
「ここでちょっと待ってみよう」
「え? 何を?」
「それは……お楽しみ!」
しばらく俺は辺りの様子を見回し続けた。
ドロシーはサンゴ礁にウミウシを見つけ、
「あら! かわいい!」
と、喜んでいる。
ほどなくして、遠くの方で影が動いた。
「ドロシー、来たぞ!」
それは徐々に近づいてきて姿をあらわにした。巨大なヒレで飛ぶように羽ばたきながらやってきたのはマンタだった。体長は5メートルくらいあるだろうか、その雄大な姿は感動すら覚える。
「キャ――――!」
いきなりやってきた巨体にビビるドロシー。
「大丈夫、人は襲わないから」
優雅に遊泳するマンタは俺たちの前でいきなり急上昇し、真っ白なお腹を見せて一回転してくれる。
「うわぁ! すごぉい!」
巨体の優雅な舞にドロシーも思わず見入ってしまう。
ただ、俺はその舞を見ながら気分は暗く沈んだ。このスポットは前世で俺が遊泳していてたまたま見つけたマンタ・スポットなのだ。広大な海の中でマンタに会うのはとても難しい。でも、なぜか、このスポットにはマンタが立ち寄るのだ。そして、地球で見つけたこのスポットがこの世界でも存在しているということは、この世界が単なる地球のコピーではないということも意味していた。地形をコピーし、サンゴ礁をコピーすることはできても、マンタの詳細な生態まで調べてコピーするようなことは現実的ではない。
俺はこの世界は地球をコピーして作ったのかと思っていたのだが、ここまで同一であるならば、同時期に全く同じように作られたと考えた方が自然だ。であるならば、地球も仮想現実空間であり、リアルな世界ではなかったということになる。そして、この世界で魔法が使えるということは地球でも使えるということかもしれない。俺の知らない所で日本でも魔法使いが暗躍していたのかも……。
しかし……。こんな精緻な仮想現実空間を作れるコンピューターシステムなど理論的には作れない。一体どうなっているのか……。
もう一頭マンタが現れて、二頭は仲睦まじくお互いを回り合い、そして一緒に沖へと消えていった。
俺は消えていったマンタの方をいつまでも眺め、不可解なこの世界の在り方に頭を悩ませていた。
3-7. 吸いつくようなデータの手触り
「そろそろランチにしよう」
俺はそう言って、ドロシーの手を取って陸へと戻る。
海から上がると、真っ白な砂浜に空に太陽が照りつけ、潮風が気持ち良く吹いてくる。
「海はどうだった?」
俺はカヌーへと歩きながら聞く。
「まるで別世界ね! こんな所があるなんて知らなかったわ!」
にこやかに笑うドロシー。
俺は木陰に小さな折りたたみ椅子を二つ並べ、湯を沸かしてコーヒーを入れ、サンドイッチを分け合った。
ザザーンという静かな波の音、ピュゥと吹く潮風……。ドロシーはサンドイッチを頬張りながら幸せそうに海を眺める。
俺はコーヒーを飲みながら、いったいこの世界はどうなっているのか一生懸命考えていた。
仮想現実空間であるなら誰かが何らかの目的で作ったはずだが……、なぜこれほどまでに精緻で壮大な世界を作ったのか全く見当もつかない。地球を作り、この世界を作り、地球では科学文明が発達し、この世界では魔法が発達した。一体何が目的なのだろう?
そもそも、こんな世界を動かせるコンピューターなんて作れないんだから、仮想現実空間だということ自体間違っているのかもしれないが……、ではプランクトンが個体識別され管理されていたのは何だったのか?
俺が眉間にしわを寄せながら考えていると、ドロシーが俺の顔を覗き込んで言った。
「どうしたの? 何かあった?」
俺はドロシーの肩を抱き、背中に顔をうずめると、
「何でもない、ちょっと疲れちゃった」
そう言って、ドロシーの体温を感じた。
ドロシーは肩に置いた俺の手に手を重ねると、
「ユータばかりゴメンね、少し休んだ方がいいわ……」
と、言った。
◇
よく考えたら地球で生きていた俺の魂が、この世界でも普通に身体を得て暮らせているということは、地球もこの世界も同質だという証拠なんだよな……。では、魂とは何なのだろう……。
分からないことだらけだ。
「この世界って何なのだろう?」
俺は独り言のようにつぶやいた。
「あら、そんなことで悩んでるの? ここはコンピューターによって作られた仮想現実空間よ」
ドロシーがうれしそうに答え、俺は仰天する。
「え!? ドロシーなんでそんなこと知ってるの?」
「なんだっていいじゃない。私が真実を知ってたら都合でも悪いの?」
いたずらっ子のように笑うドロシー。
「いや、そんなことないけど……、でも、コンピューターではこんなに広大な世界はシミュレーションしきれないよ」
「それは厳密に全てをシミュレーションしようとなんてするからよ」
「え……? どういうこと?」
「ユータが超高精細なMMORPGを作るとして、分子のシミュレーションなんてするかしら?」
「え? そんなのする訳ないじゃん。見てくれが整っていればいいだけなんだから、見える範囲の物だけを適当に合成して……、て、ここもそうなの!?」
「ははは、分かってるじゃない」
ドロシーはニヤリと笑う。
「いやいや、だって顕微鏡で観察したら微細な世界は幾らでも見えるよね……って、それも見た時だけ合成すればいいのか……、え? 本当に?」
「だって、そうやってこの世界は出来てるのよ。それで違和感あったかしら?」
「いや……全然気づかなかった……」
するとドロシーは俺の手をシャツのすき間から自分の豊満な胸へと導いた。
「どう? これがデータの生み出す世界よ」
絹のようにすべすべでしっとりと柔らかく、手になじむ感触が俺の手のひらいっぱいに広がった。
「これが……データ……?」
「そう、データの生み出す世界も悪くないでしょ? キャハッ!」
俺は無心に気持ちのいい手触りを一生懸命追っていた。
「データの手触り……」
これがデータ? こんな繊細で優美な手触りをシミュレーションのデータで表現なんてできるのだろうか?
俺は一心不乱に指を動かした……。
バシッ!
いきなり誰かに頭を叩かれた。
「ちょっとどこ触ってんのよ! エッチ!」
目を開けると真っ赤になったドロシーが怒っている。
「え?」
気が付くと俺はドロシーにひざ枕をされて寝ていた。そして手はドロシーのふとももをもみもみしていた。
「あ、ごめん!」
俺は急いで起き上がると平謝りに謝った。
「こ、こういうのは恋人同士でやるものよ!」
ドロシーが赤くなって目をそらしたまま怒る。
「いや、その通り、夢を見ていたんだ、ごめんなさい」
平謝りに謝る俺。
一体あの夢の中のドロシーは何だったのだろうか?
妙にリアルで的を射ていて……それでメチャクチャなことをしてくれた。
「もう! 責任取ってもらわなくちゃだわ」
ジト目で俺を見るドロシー。
「せ、責任!?」
「冗談よ……、でも、どんな夢見たらこんなエッチなこと……するのかしら?」
ドロシーは怖い目をして俺の目をジッとのぞき込む。
俺は気圧されながら聞いた。
「コ、コンピューターって知ってる?」
「ん? カンピョウ……なら知ってるけど……」
「計算する機械のことなんだけどね、それがこの世界を作ってるって話をしていたんだ」
ドロシーは眉をひそめながら俺を見ると、
「何言ってるのか全然わかんないわ」
と、言って肩をすくめた。
やはり知る訳もないか……。と、なると、あの夢は何だったんだろう……?
「夢の中でドロシーがそう言ってたんだよ」
「ふぅん、その私、変な奴ね」
ドロシーはそう言って笑うと、コーヒーを飲んだ。
「ごめんね」
「もういいわ。二度としないでね。……、もしくは……」
「もしくは?」
俺が聞き返すと、
「なんでもない」
そう言って真っ赤になってうつむく。
俺は首をかしげながらコーヒーを飲む。
そして、海を眺めながら、「もしくは……?」と、小声でつぶやいた。
それにしても、夢の中のドロシーは非常に興味深いことを言っていた。確かに『見た目だけちゃんとしてればいい』というのであれば必要な計算量は劇的に減らせる。現実解だ。その方法であればこの世界がコンピューターで作られた仮想現実空間であることに違和感はない。もちろん、そう簡単には作れないものの、地球のIT技術が発達して百年後……いや、千年後……安全を見て一万年後だったら作れてしまうだろう。
と、なると、誰かが地球とこの世界を作り、日本で生まれた俺はこちらの世界に転生されたということになるのだろう。しかし、なぜこんな壮大なシミュレーションなどやっているのだろうか。謎は尽きない。あのヴィーナという先輩に似た女神様にもう一度会って聞いてみたいと思った。
先輩は白く透き通る肌で整った目鼻立ち……、琥珀色の瞳がきれいなサークルの人気者……というか、姫だった。サークルのみんなから『美奈ちゃん』って呼ばれていた。
ただ、あのダンスの上手い姫がこの世界の根幹に関わっている、なんてことはあるのだろうか……? どう見てもただの女子大生だったけどなぁ……。美奈先輩は今、何をやっているのだろう……。
ん? 『美奈』?
俺は何かが引っかかった。
『美奈』……、『美奈』……、音読みだと……『ビナ』!?
そのままじゃないか! やっぱり彼女がヴィーナ、この世界の根底に関わる女神様だったのだ。
確かにあの美しさは神がかっているなぁとは思っていたのだ。でもまさか本当に女神様だったとは……。俺は何としてでももう一度先輩に会わねばと思った。
3-8. 神代真龍の逆鱗
食後にもう一度海を遊泳し、サンゴ礁と熱帯魚を満喫した後、俺たちは帰路についた。帰りは偏西風に乗るので行きよりはスピードが出る。
鹿児島が見えてきた頃、ドロシーが叫んだ。
「あれ? 何かが飛んでるわよ」
見るとポツポツと浮かぶ雲の間を、巨大な何かが羽を広げて飛んでいるのが見えた。
鑑定をしてみると……。
レヴィア レア度:---
神代真龍 レベル:???
「やばい! ドラゴンだ!」
俺は真っ青になった。
レア度もレベルも表示されないというのは、そういう概念を超越した存在、この世界の根幹にかかわる存在ということだ。ヌチ・ギと同じクラスだろう、俺では到底勝ち目がない。逃げるしかない。
俺は急いでかじを切り、全力でカヌーを加速した……。
「きゃぁ!」
ドロシーが俺にしがみつく。
直後、いきなり暗くなった。
「え!?」
上を向くと、なんと巨大なドラゴンが飛んでいた。巨大なウロコに覆われた前足の鋭いカギ爪がにぎにぎと獲物を狙うように不気味に動くのが目前に見える。
さっきまで何キロも離れた所を飛んでいたドラゴンがもう追いついたのだ。
逃げられない、これがドラゴンか……。俺は観念せざるを得なかった。
「いやぁぁぁ!」
ドロシーは叫び、俺にしがみついてくる。
やがてドラゴンは横にやってきて、3メートルはあろうかと言う巨大な厳つい顔を俺の真横に寄せ、ばかでかい真紅の燃えるような眼玉でこちらをにらんだ。
「ひぃぃぃ!」
あまりの恐ろしさにドロシーは失神してしまった。
「おい小僧! 誰の許しを得て飛んでいるのじゃ?」
頭に直接ドラゴンの言葉が飛んでくる。
「す、すみません。まさかドラゴン様の縄張りとは知らず、ご無礼をいたしました……」
俺は必死に謝る。
ドラゴンは口を開いて鋭い牙を光らせると、
「ついて来るのじゃ! 逃げようとしたら殺す!」
そう言って西の方へと旋回した。
俺も渋々ついていく……。この感覚は……そうだ、スピード違反して白バイにつかまった時の感覚に似ている。やっちまった……。
ドラゴンは宮崎の霧島の火山に近づくと高度を下げていった。どこへ行くのかと思ったら噴火口の中へと入っていく。ちょっとビビっていると、噴火口の内側の崖に巨大な洞窟がポッカリと開いた。ドラゴンはそのまま滑るように洞窟へと入っていく。俺も渋々後を追う。
洞窟の中は神殿のようになっており、大理石でできた白く広大なホールがあった。周囲の壁には精緻な彫刻が施されており、たくさんの魔法の照明が美しく彩っている。なるほどドラゴンの居城にふさわしい荘厳な佇まいだった。
これからどんな話になるのだろうか……、俺は胃がキュッと痛くなりながらカヌーを止めた。まだ気を失っているドロシーにそっと俺の上着をかぶせ、トボトボとドラゴンの元へと歩いた。
ドラゴンは全長30メートルはあろうかと言う巨体で、全身は厳ついウロコで覆われ、まさに生物の頂点であった。そして高い所で真紅の目を光らせ、俺をにらんでいる。
「素晴らしいお住まいですね!」
俺は何とかヨイショから切り出す。
「ほほう、おぬしにこの良さが分かるか」
「周りの彫刻が実に見事です」
「これは過去にあった出来事を記録した物じゃ。およそ四千年前から記録されておる」
「え? 四千年前からこちらにお住まいですか?」
「ま、そうなるかのう」
俺は大きく深呼吸をすると、
「この度はご無礼をいたしまして、申し訳ありませんでした」
と言って、深々と頭を下げた。
「お前、いきなり轟音上げながらぶっ飛んでいくとは、失礼じゃろ?」
「まさかドラゴン様のお住まいがあるなど、知らなかったものですから……」
「知らなければ許されるわけでもなかろう!」
ドラゴンの罵声が神殿中に響き渡り、ビリビリと体が振動する。マズい、極めてマズい……。
返す言葉もなく悩んでいると……、
「……んん? お主、ヴィーナ様の縁者か?」
そう言いながら首を下げてきて、俺のすぐそばで大きな目をギョロリと動かした。
冷や汗が流れてくる。
「あ、ヴィーナ様にこちらの世界へと転生させてもらいました」
「ほう、そうかそうか……、まぁヴィーナ様の縁者となれば……無碍にもできんか……」
そう言って、また首を高い所に戻すドラゴン。
「ヴィーナ様は確か日本で大学生をやられていましたよね?」
「ヴィーナ様はいろいろやられるお方でなぁ、確かに大学生をやっていたのう。その時代のご学友……という訳じゃな……」
「はい、一緒に楽しく過ごさせてもらいました」
俺は引きつった笑いを浮かべる。
「ほう、うらやましいのう……。我も大学生とやらになるかのう……」
「え!?」
こんな恐ろしげな巨体が『大学生をやりたい』というギャップに俺はつい驚いてしまった。
「なんじゃ? 何か文句でもあるのか?」
ドラゴンはギョロリと真紅の目を向けてにらむ。
「い、いや、大学生は人間でないと難しいかな……と」
「何じゃそんなことか」
そう言うとドラゴンは『ボン!』と煙に包まれ……、中から金髪でおカッパの可愛い少女が現れた。見た目中学生くらいだが、何も着ていない。ふくらみはじめた綺麗な胸を隠す気もなく、胸を張っている。
「え? もしかして……レヴィア……様……ですか?」
「そうじゃ、可愛いじゃろ?」
そう言ってニッコリと笑う。いわゆる人化の術という奴のようだ。
「あの……服を……着ていただけませんか? ちょっと、目のやり場に困るので……」
俺が目を背けながらそう言うと、
「ふふっ、我の肢体に欲情しおったな! キャハッ!」
そう言いながら腕を持ち上げ、斜めに構えてモデルのようなポーズを決めるレヴィア。
「いや、私は幼児体形は守備範囲外なので……」
俺がそう言うと、レヴィアは顔を真っ赤にし、目に涙を浮かべ、細かく震えだした。
逆鱗に触れてしまったようだ。ヤバい……。
「あ、いや、そのぉ……」
俺はしどろもどろになっていると。
「バカちんがー!!」
と叫び、瞬歩で俺に迫ってデコピンを一発かました。
「ぐわぁぁ!」
俺はレベル千もあるのにレヴィアのデコピンをかわすことも出来ず、まともにくらって吹き飛ばされ、激痛が走った。
HPも半分以上持っていかれて、もう一発食らったら即死の状態に追い込まれた。何というデコピン……。ドラゴンの破壊力は反則級だ。
「乙女の美しい身体を『幼児体形』とは不遜な! この無礼者が!!」
レヴィアはプンプンと怒っている。
「失言でした、失礼いたしました……」
俺はおでこをさすりながら起き上がる。
「そうじゃ! メッチャ失言じゃ!」
「レヴィア様に欲情してしまわぬよう、極端な表現をしてしまいました。申し訳ございません」
「そうか……、そうなのじゃな、それじゃ仕方ない、服でも着てやろう」
レヴィアは少し機嫌を直し、サリーのような布を巻き付ける簡単な服を、するするっと身にまとった。それでも横からのぞいたら胸は見えてしまいそうではあるが……。
「これでどうじゃ?」
ドヤ顔のレヴィア。
「ありがとうございます。お美しいです」
俺はそう言って頭を下げた。
3-9. 海王星の衝撃
実際、彼女は美しかった。整った目鼻立ちにボーイッシュな笑顔、もう少し成長したらきっと相当な美人に育つに違いなかった。
「そうじゃろう、そうじゃろう、キャハッ!」
『キャハッ!』? 俺はこの独特の笑い方に心当たりがあった。夢の中のドロシーが同じ笑い方をしていたのだ。
「もしかして……夢の中で話されてたのはレヴィア様でしたか?」
「ふふん、つまらぬことに悩んでるから正解を教えてやったのじゃ」
「ありがとうございます。でも……ふとももを触らせるのはマズいですよ」
「あれはお主の願望を発現させてやっただけじゃ」
「私の願望!?」
「さわさわしたかったんじゃろ?」
無邪気に笑うレヴィア。
「いや、まぁ……、そのぉ……」
「ふふっ、我にはお見通しなのじゃ」
ドヤ顔のレヴィア。
「参りました……。で、おっしゃった正解とは、この世界も地球も全部コンピューターの作り出した世界ということなんですね?」
俺はさりげなく話題を変える。
「そうじゃ。海王星にあるコンピューターが、今この瞬間もこの世界と地球を動かしているのじゃ」
いきなり開示された驚くべき事実に俺は衝撃を受けた。具体的なコンピューター設備のこともこのドラゴンは知っているのだ。さらに、その設置場所がまた想像を絶する所だった。海王星というのは太陽系最果ての惑星。きわめて遠く、地球からは光の速度でも4時間はかかる。
「か、海王星!? なんでそんなところに?」
俺は唖然とした。
「太陽系で一番冷たい所だったから……かのう? 知らんけど」
レヴィアは興味なさげに適当に答える。
「では、今この瞬間も、私の身体もレヴィア様の身体も海王星で計算されて合成されているってこと……なんですね?」
「そうじゃろうな。じゃが、それで困ることなんてあるんかの?」
「え!? こ、困ること……?」
俺は必死に考えた。世界がリアルでないと困ることなんてあるのだろうか? そもそも俺は生まれてからずっと仮想現実空間に住んでいたわけで、リアルな世界など知らないのだ。熱帯魚が群れ泳ぐ海を泳ぎ、雄大なマンタの舞を堪能し、ドロシーの綺麗な銀髪が風でキラキラと煌めくのを見て、手にしっとりとなじむ柔らかな肌を感じる……。この世界に不服なんて全くないのだ。さらに、俺はメッチャ強くなったり空飛んだり、大変に楽しませてもらっている。むしろメリットだらけだろう。あるとすると、ヌチ・ギのような奴がのさばることだろうか。管理者側の無双はタチが悪い。
「ヌチ・ギ……みたいな奴を止められないことくらいでしょうか……」
「あー、奴ね。あれは確かに困った存在じゃ……」
レヴィアも腕を組んで首をひねる。
「レヴィア様のお力で何とかなりませんか?」
「それがなぁ……。奴とは相互不可侵条約を結んでいるんじゃ。何もできんのじゃよ」
そう言って肩をすくめる。
「女の子がどんどんと食い物にされているのは、この世界の運用上も問題だと思います」
「まぁ……そうなんじゃが……。あ奴も昔はまじめにこの世界を変えていったんじゃ。魔法も魔物もダンジョンもあ奴の開発した物じゃ。それなりに良くできとるじゃろ?」
「それは確かに……凄いですね」
「最初は良かったんじゃ。街にも活気が出てな。じゃが、そのうち頭打ちになってしまってな。幾らいろんな機能を追加しても活気も増えなきゃ進歩もない社会になってしまったんじゃ」
「それで自暴自棄になって女の子漁りに走ってるってことですか?」
「そうなんじゃ」
「でも、そんなの許されないですよね?」
「我もそうは思うんじゃが……」
「私からヴィーナ様にお伝えしてもいいですか?」
レヴィアは目をつぶり、首を振る。
「お主……、ご学友だからと言ってあのお方を軽く見るでないぞ。こないだもある星がヴィーナ様によって消されたのじゃ」
「え!? 消された?」
「そうじゃ、一瞬で全部消された……それはもう跡形もなく……」
「え? なぜですか?」
「あのお方の理想に合致しない星はすぐに消され、また新たな別の星が作られるんじゃ。もし、お主の注進で、気分を害されたら……この星も終わりじゃ」
「そ、そんな……」
俺は全身から血の気が引くのを感じた。この星が消されるということは、俺もドロシーもみんなも街も全部消されてしまう……そんなことになったら最悪だ。
「元気で発展しているうちはいい、じゃが……停滞してる星は危ない……」
「じゃぁここもヤバい?」
「そうなんじゃよ……。わしが手をこまねいてるのもそれが理由なんじゃ……。消されたら……、困るでのう……」
俺は絶句した。
美奈先輩の恐るべき世界支配に比べたら、ヌチ・ギのいたずらなんて可愛いものかもしれない。サークルでみんなと楽しそうに踊っていた先輩が、なぜそんな大量虐殺みたいなことに手を染めるのか、俺にはさっぱりわからなかった。
「そもそも、ヴィーナ様とはどんなお方なんですか?」
「神様の神様じゃよ。詳しくは言えんがな」
神様とは『この星の製造者』って意味だろうが、単に製造者ではなく、そのまた神様だという……。一体どういうことだろうか……。
「ちと、しゃべり過ぎてしまったのう、もう、お帰り」
レヴィアはそう言うと、指先で斜めに空中に線を引いた。すると、そこに空間の切れ目が浮かび、レヴィアはそれを両手でぐっと広げる。向こうを見ると、なんとそこは俺の店の裏の空き地だった。
そして、レヴィアはドロシーが寝ているカヌーをそっと飛行魔法で持ち上げると、切れ目を通して空地に置いた。
「何か困ったことがあったら我の名を呼ぶのじゃ。気が向いたら何とかしよう」
レヴィアはニッコリと笑った。
「頼りにしています!」
俺はそう言うと切れ目に飛び込む……。
そこは確かにいつもの空き地だった。宮崎にいたのに一歩で愛知……。確かに仮想現実空間というのはとても便利なものだな、と感心してしまった。
「では、達者でな!」
そう言ってレヴィアは、俺に手を振りながら空間の切れ目を閉じていった。
「ありがとうございました!」
俺は深々と頭を下げ、思慮深く慈愛に満ちたドラゴンに深く感謝をした。
それにしても、この世界も地球も海王星で合成されているという話は、一体どう考えたらいいのか途方に暮れる。俺を産み出し、ドロシーやこの街を産み出し、運営してくれていることについては凄く感謝するが……、一体何のために? そして、活気がなくなったら容赦なく星ごと消すという美奈先輩の行動も良く分からない。
謎を一つ解決するとさらに謎が増えるという、この世界の深さに俺は気が遠くなった。
3-10. ドロシーの味方
さて、帰ってきたぞ……。
午前中、飛び立ったばかりの空き地なのに、何だか久しぶりの様な少し遠い世界のような違和感があった。それだけ密度が濃い時間だったということだろう。
俺はすっかり傷だらけで汚れ切った朱色のカヌーに駆け寄り、横たわるドロシーの様子を見た。
ドロシーはスースーと寝息を立てて寝ている。
「はい、ドロシー、着いたよ」
「うぅん……」
俺は優しく髪をなで、
「ドロシー、起きて」
と、声をかけた。
ドロシーはむっくりと起き上がり、
「あ、あれ? ド、ドラゴンは?」
と、周りを見回す。そして、
「うーん……、夢だったのかなぁ……?」
と、首をかしげる。
「ドラゴンはね、無事解決。ところで、今晩『お疲れ会』やろうと思うけどどう?」
ドラゴンは置いておいて、今晩の予定に話しを振る。
「さすがユータね……。お疲れ会って?」
「仲間一人呼んで、美味しいもの食べよう」
そろそろアバドンも労ってあげたいと思っていたのだ。ドロシーにも紹介しておいた方が良さそうだし。
「え? 仲間……? い、いいけど……誰……なの?」
ちょっと警戒するドロシー。
「ドロシーが襲われた時に首輪を外してくれた男がいたろ?」
「あ、あのなんか……ピエロみたいな人?」
「そうそう、アバドンって言うんだ。彼もちょっと労ってやりたいんだよね」
「あ、そうね……助けて……もらったしね……」
ドロシーは少し緊張しているようだ。
「大丈夫、気の良い奴なんだ。仲良くしてやって」
「う、うん……」
俺はアバドンに連絡を取る。アバドンは大喜びで、エールとテイクアウトの料理を持ってきてくれるらしい。
◇
日も暮れて明かりを点ける頃、ドロシーがお店に戻ってきた。
「こんばんは~」
水浴びをしてきたようで、まだしっとりとした銀髪が新鮮に見える。
俺はテーブルをふきながら、
「はい、座った座った! アバドンももうすぐ来るって」
と言って、椅子を引いた。
「なんか……緊張しちゃうわ」
ちょっと伏し目がちのドロシー。
カラン! カラン!
タイミングよく、ドアが開く。
「はーい、皆さま、こんばんは~!」
アバドンが両手に料理と飲み物満載して上機嫌でやってきた。
「うわー、こりゃ大変だ! ちょっとドロシーも手伝って!」
「う、うん」
俺はアバドンの手からバスケットやら包みやらを取ってはドロシーに渡す。あっという間にテーブルは料理で埋め尽くされた。
「うわぁ! 凄いわ!」
ドロシーはキラキラとした目で豪華なテーブルを見る。
アバドンは
「ドロシーの姐さん、初めて挨拶させていただきます、アバドンです。以後お見知りおきを……」
と、うやうやしく挨拶をする。
ドロシーは赤くなりながら、
「あ、あの時は……ありがとう。これからもよろしくお願いします」
そう言ってペコリと頭を下げた。
俺は大きなマグカップに樽からエールを注いで二人に渡し、
「それでは、ドロシーとアバドン、二人の献身に感謝をこめ、乾杯!」
「カンパーイ!」「カンパーイ!」
俺はゴクゴクとエールを飲んだ。爽やかなのど越し、鼻に抜けてくるホップの香りが俺を幸せに包む。
「くぅぅ!」
俺は目をつぶり、今日あったいろんなことを思い出しながら幸せに浸った。
「姐さんは今日はどちら行ってきたんですか?」
アバドンがドロシーに話題を振る。
「え? 海行って~、クジラ見て~」
ドロシーは嬉しそうに今日あったことを思い出す。
「クジラって何ですか?」
「あのね、すっごーい大きな海の生き物なの! このお店には入らないくらいのサイズよね、ユータ!」
「そうそう、海の巨大生物」
「へぇ~、そんな物見たこともありませんや」
「それがね、いきなりジャンプして、もうバッシャーンって!」
「うわ、そりゃビックリですね!」
アバドンは両手を広げながら上手く盛り上げる。
「で、その後、帆船がね、巨大なタコに襲われてて……」
「巨大タコ!?」
驚くアバドン。
「クラーケンだよ、知らない?」
「あー、噂には聞いたことありますが……、私、海行かないもので……」
「それをユータがね、バシュ!って真っ二つにしたのよ」
「さすが旦那様!」
「いやいや、照れるね……、カンパーイ!」
俺は照れ隠しをする。
「カンパーイ!」「カンパーイ!」
「で、その後ね……ユータが指輪をくれたんだけど……」
『ブフッ』っと吹き出す俺。
ドロシーは右手の薬指の指輪をアバドンに見せる。
「お、薬指じゃないですか!」
アバドンが盛り上げる。
「ところが、ユータったら『太さが合う指にはめた』って言うのよ!」
そう言ってふくれるドロシー。
「え――――! 旦那様、それはダメですよ!」
アバドンはオーバーなリアクションしながら俺を責める。
「いや、だって、俺指輪なんてあげたこと……ないもん……」
そう言ってうなだれる。持ち上げられたと思ったらすぐにダメ出しされる俺……ひどい。
「あげたことなくても……ねぇ」
アバドンはドロシーを見る。
「その位常識ですよねぇ」
二人は見つめ合って俺をイジる。
「はいはい、私が悪うございました」
そう言ってエールをグッと空けた。
「私、アバドンさんってもっと怖い方かと思ってました」
酔ってちょっと赤い頬を見せながらドロシーが言う。
「私、ぜーんぜん! 怖くないですよ! ね、旦那様!」
こっちに振るアバドン。確かに俺と奴隷契約してからこっち、かなりいい奴になっているのは事実だ。
「うん、まぁ、頼れる奴だよ」
「うふふ、これからもよろしくお願いしますねっ!」
ドロシーは嬉しそうに笑う。
その笑顔に触発されたか、アバドンはいきなり立ち上がって、
「はい! お任せください!」
と、嬉しそうに答えると、俺の方を向いて、
「旦那様と姐さんが揉めたら私、姐さんの方につきますけどいいですか?」
と、ニコニコと聞いてくる。
俺は目をつぶり……
「まぁ、認めよう」
と、渋い顔で返した。これで奴隷契約もドロシー関連だけは例外となってしまった。しかし、『ダメ』とも言えんしなぁ……。
アバドンはニヤッと笑うと、
「旦那様に不満があったら何でも言ってください、私がバーンと解決しちゃいます!」
そう言ってドロシーにアピールする。
「うふふ、味方が増えたわ」
と、ドロシーは嬉しそうに微笑んだ。
と、その時、急にアバドンが真顔になって入り口のドアを見た。
俺も気配を察知し、眉をひそめながらドロシーに二階への階段を指さし、ドロシーを避難させる。
俺はアバドンに階段を守らせると裏口から外へ出て屋根へと飛び、上から店の表をのぞいた。
そこにはフードをかぶった小柄の怪しい人物が、店の内部をうかがっている姿があった。俺は勇者の手先だと思い、背後に飛び降りると同時に腕を取り、素早く背中に回して極めた。
「きゃぁ!」
驚く不審者。
「何の用だ!?」
と、言って顔を見ると……美しい顔立ち、それはリリアンだった。
こんな街外れの寂れたところに夜間、王女がお忍びでやってくる……。もはや嫌な予感しかしない。