ローレンス・アローン 〜祝福の呪いを背負う令嬢を公爵様は離さない〜
夜の帳も下りて、王都の街も寝静まりしばらくのこと。
凶悪犯を見失い、静まり返った真っ暗な通りに残ったのはうっすらとした月明かりと電灯に照らされた二人の影。無風であるが、肌に当たる空気は少しひんやりと肌寒い。
手早く花瓶に生けてあった花を使った即席の簪で髪を束ね、綺麗に着飾ったドレスも引き裂いていたローレンス・アローンはしくじったなと窮地に落とされていた。
「ローレンス嬢……?」
大変驚いた顔をした艶めく黒髪の麗しい美丈夫がこちらを見て信じられないように呆然としていた。
——こんな所でエドワーズ公爵に会うなんて
万事休すか。ローレンスは小さく唇を噛んだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ガヤガヤと賑わう王都の街中。歴史的なクラシックな建造物が建ち並ぶ中、高さのある近代的なビルもちらほらと見受けられる。道先には花を売る人、大道芸をする人や、風船を配るおじさんから喜んで貰う子供たちの姿が見えた。
そこへ長い白銀の髪と薄緑色のワンピースの裾を靡かせ歩く。透き通るような白い肌に整った目鼻立ち。宝石のような翡翠色の瞳。その姿につい目で追ってしまう者もいた。その視線も気にもせずローレンス・アローンは足を止めずに歩く。街は平和だ。澄み切った青空の下、少しだけ清々しい気持ちになる。そんな時だった。
「あの子みて」
その声に振り返る。立派な馬車の中から降りてきたのは可愛らしい少女。その左手首にはリボンが包帯のように何重か巻かれていた。少女の降り立った場所には、一つ小さな花が生まれた。舗装された道の隙間から、ひょっこりと。その声の主がまた囁く。
「《ギフト持ち》よ」
「初めて見たわぁ……でも可哀想ね」
彼女が乗ってきた馬車が通った道の街路樹や花壇は見事に綺麗な花が咲き、木々は緑豊かに茂っていた。馬車の家紋とその能力で、ローレンスは少女がヒラリー侯爵家の令嬢であると理解した。
――この世界には、現実には考えにくい、科学では解明できないような事ができる者がいる。
その能力の事を皆神からの贈り物と呼ぶ。ただ、そのギフトが贈られた人間は決まって皆長くは生きられなかった。それどころか、生まれた頃から既に寿命が定められていた。ギフト持ちの人間は、その体のどこかに余命となる数字が刻まれていた。ギフト持ちは必ずその数字までしか、生きれなかった。
そういう人間を人は、短命に生まれてしまった人間を神様が哀れんで、ギフトを送ってくれたのだと言い、祝福人と呼んだ。そのギフトの種類も人それぞれで、超能力以外にも優れた頭脳や並外れた身体能力、芸術的センスまで多岐にわたる。
賑わいの中ヒソヒソと話す声を背中にして、ローレンスは再び歩き出した。恐らくあの子の寿命は左手首に記されているんだろう。人目に触れる場所に記されていると何かと不便だろうなとローレンスは思った。
大通りを曲がろうとした時、ふと目に入った男性が笑みを浮かべた。
「『ルーズウィンの噴水は今日もきれいですね』」
通りすがりの中年の男性にそう声をかけられる。
「ええ、『そうですね』」
ローレンスもにこりと小さく笑って答えた。そのまま男性は通り過ぎる。大通りを曲がったローレンスは人混み外れた小道に入り込む。すると彼女をオレンジ色の半透明な壁が囲い込んだ。瞬間的にその奇妙な箱の中に閉じ込められたローレンスは、一瞬でその箱と共に姿を消した。まるで、瞬間移動をしたかのように。
再び彼女の姿が見られたのは、王都の小さな古書店だった。チリンチリンとベルを鳴らしその扉をくぐり、中にいた老父の店主へ彼女は声をかける。
「『ルーズウィンの噴水は今日もきれいでしたよ』」
「……そうかい」
「今日の新聞を下さらない?」
そう微笑むと、寡黙そうな店主は後ろの棚の奥から重なる本の下から新聞らしきものを抜き取り、ローレンスに渡した。彼女はすぐさまその新聞を広げ文字を追う。
『件の女性連続殺人事件の犯人について、諜報部より極秘に我が部隊による命が下った。対象はパーティー帰りの貴族を狙っており、本日の夜会後の犯行が注視される。伯爵令嬢は参加後、参加者の動向を注意し、犯人を至急取り押さえ穏便に解決せよ』
ここ数ヶ月、若い女性、主に貴族を狙った連続殺人事件が起きていた。真夜中の犯行であり、目撃者もおらず捜査は難航。犯人は未だ捕まっておらず、現在4名ほどの犠牲者を出し、その犠牲者は増え続けていた。解読した文字に、ローレンスは目を細め小さく息をついた。そして新聞を折り畳み再び店主へ渡す。
「ありがとう。燃やしておいて」
新聞はマッチなどで火をつけずとも店主の手の中であっという間に燃えて塵となる。店主もギフト持ちだ。
「……気をつけてな」
店主の言葉に頷き返して、チリンチリンとまた来たときと同じように彼女はドアベルを鳴らして出ていった。
――神から人間に贈られる《ギフト》。
しかし中でも、ローレンスの能力は非常に特殊で稀有だった。
アーロン伯爵家の一人娘であったローレンス。華やかな貴族の一員であるのと同時に彼女には別の顔もあった。
彼女は、この国の機密部隊の一員だった――
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
歴史長き、オズウィリア帝国。
この国では身分制度こそ残ってはいるものの、その貴族の権力というものは弱体化していた。特に最近では、実権を移られた皇太子により掲げられた自由競争と経済的自由権の制度により、庶民による商売や事業主になる事も許され、富を築く者も出てきた。しかしそれに反発する者によってのクーデターも危惧されるようになってきた。
一方で、さらに王帝制度を廃止する声も上がっている。この国にも、他国からやってきた資本主義の波が押し寄せていた。
そんなオズウィリアには、国の治安と平和を守る為、秘密裏に設立されている《ギフト》を持つ者達だけで形成されている秘密特殊部隊がある。その実態や存在は公にされておらず、一般には隠されている。そして、ローレンスはその組織のメンバーの一人であった。ちなみに先程の古書店の店主は、任務を伝える仲介屋。情報屋としても大事な構成員の一人である。街の中には他にもこのような形で協力者が潜んでいる。
普段はその姿を隠し、伯爵家の娘として普通に過ごしているローレンス。しかし伯爵家の娘といっても、ローレンスは養子だった。よって伯爵家と血筋は繋がらない。
貧民街のスラムで彷徨い、身寄りのない彼女を引取ってくれたのがローレンス伯爵だった。妻は若くして他界、その後息子も事故で亡くし、長く独り身だった。跡を継ぐものもおらず寂しく一人過ごしていた伯爵が、どこの馬の骨ともわからない孤児を養子に迎えるなんて普通は考えられる事ではなかったが、彼は親代わりのようにローレンスを育ててくれた。そしてローレンスも、彼を実の家族のように思っていた。
ドレッサーに用意していたイヤリングを摘み、鏡を見ながら慣れた手つきで耳につける。ついでにその隣に置いておいたハンドナイフを、ドレスをたくし上げて顕になった白い左太ももへ括りつける。
本日の夜会の準備をすませ、比較的肩回りに自由のきくオフショルダータイプのドレスを身に纏う。足回りも足軽にフリルの少ないデザインの控えめなフレアタイプにした。色も夜に溶け込むような目立つことのない落ち着いたダークグリーン。鏡を今一度確認し、家を出ようと玄関の戸を押した時、伯爵がローレンスへ近づいてきた。眉間に皺を寄せ、その顔はいつも以上に渋く険しい。
「ローレンス。無茶だけはするなよ」
……脚に忍ばせたナイフに気付いているのだろう。全く目の鋭い人だ。多くは語らないが、聡明で敏い。彼の尊敬する所だけれど。ローレンスにとって時にそれは厄介だ。彼は彼女が特殊部隊員である事を知っているが、具体的に今何の任務についているかは知らない。家族にも言えない機密事項だからだ。
「わかってるわお祖父様」
そう言って、家のドアを閉めた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
今回の夜会はバレンス侯爵主催の夜会。彼から招待され、かなりの貴族が参列していた。ローレンスも令嬢達と他愛なく会話に入りながらそれなりに過ごしていると、夜会の中でざわりと周囲がざわついた。
「エドワーズ公爵。ようこそ来てくださいました」
「バレンス候、招待感謝する」
バレンス侯爵が挨拶にやってくる。本日の大物が到着したようだ。相手はカイル・エドワーズ公爵。身分、実力申し分ないこの国の数少ない権力者の一人である。その姿に会場の女性達は釘付けだ。
月夜に溶け込む漆黒の艷やかな髪。ハンサムで美丈夫。その上聡明で剣術の腕も立つ。その麗しく完璧な彼は社交界で絶大な人気を誇っていた。
しかし治安部隊を総括する国の治安捜査局長でもあるエドワーズ公爵は、ローレンスにとって厄介で近づきたくない相手だった。しかし彼の近くにいておいて挨拶をしないのは礼儀として免れない。仕方なくローレンスはカーテシーを行う。
「公爵様、ごきげんよう。ローレンス・アローンでございます」
「ああ」
他の令嬢に混ざり、適当に挨拶を交わす。その短い挨拶は、記憶にも残らないだろう。
彼はあっという間に女性たちに囲まれる。ローレンスはその場を離れ、遠巻きでその彼らの雑談を聞く。彼は先の事件について令嬢達へ注意をしているようだ。
「最近王都で若い女性が襲われる事件が多発しています。皆さんも気をつけてください」
「でもエドワーズ様達が捜査してくださっているんでしょう? それなら私達も安心だわ」
「ええ、私達が責任を持って必ず捕まえる所存なので」
そんなことを言って、犠牲者は増える一方だ。とにかく死の連鎖を止めなくてはならない。公爵の有能さはわかってはいるが、一向に犯人の痕跡もわからず解決の至らない事件に歯痒い気持ちになる。
しかし《こちら》の手負いになったのだ。これで堂々と手が出せる。この国に影を落とす事件を早急に解決せねば。
このまま夜会の終わりを待とうと、風に当たりながら彼女はテラスから街を望んでいた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
夜会も無事終了し、出席者達は各々厳重な警護の中馬車等で帰っていった。夜の明かりも消えた街に一人待つローレンスは、夜会で飾ってあった花瓶から一輪拝借して、それで器用に髪を適当に束ねた。
そして一際高いビルの屋上から、街を見渡す。
件の殺人事件により、真夜中に出歩く者はいなくなっていた。昼はあれほどまで栄えて賑わっていた街が人っ子ひとりおらずこんなにも静まり返っていると少し気味が悪い。しかしローレンスには好都合だ。
「――ッキャァ!?」
女性の叫び声が聞こえた。少し遠い。南西方向だ。
彼女がオレンジ色の半透明な箱に囲まれたと思うと、またその姿を消す。しかし叫び声が聞こえた辺りの建物の屋根に再びオレンジ色の半透明な箱が出現したと同時に、そこへローレンスが現れる。彼女が視界に捉えた先に、ドレス姿の恐らく夜会帰りの令嬢らしき女性がぐったりと倒れ込んでいた。女性の周囲は血溜まりで、恐らくもう助からないだろう。その傍らに立ち尽くす人物と目があった。
「!――」
「っ待ちなさい!」
そのローブを深く被った男はローレンスと目が合うと、走り出す。その判断は早く、足もかなり速い。ローレンスは着ていたドレスの裾を大胆にもビリビリビリっと破った。
「……っ逃がすか」
空中にオレンジ色の半透明の正方形の箱が浮かび上がる。その箱状のものの上を飛び渡りながら、その先にもどんどんと空中へ箱を浮かび上がらせては宙を渡り走る。彼女は上空から犯人を追った。
ローレンスの能力は《ボックス》。空間上に彼女が生み出した半透明のオレンジ色のボックスは結界のように外部からの接触や攻撃から耐え得る。またその箱の中の空間は別次元で、別の場所に作った箱の中へ自由に物の行き来も可能。これによりできるのが物体移動である。また、そのボックスは形状変化も可能で、長方形や円錐、球状にも作り出すことができ、彼女の力量により伸縮も自在。固く、結界や移動手段としても使えれば、落下時などにクッション材として使うことも可能と、非常に応用のきく高いスペックを持つ。
空中で引き続き男を追い続けながら、銃口に見立てた指でパンと撃つ仕草をした。すると、その指から銃弾のようなものが放たれ、男の肩を掠める。これも能力の一つの応用として、銃弾ほどまで小さく球状に作り出し、狙いを定めて超高速で撃ち出したものだ。
その後もパンパンと連続して狙い打つ。その一つが男の足にヒットする。バランスを崩しながら走る男は手負いだ。
ローレンスは地面へと降り、男を追いかけながらその足をかけるようにボックスを生み出そうとした。しかし、完全体になる前にボックスが消える。
「?!――」
ならばいっそ拘束してしまおうと、男自体をボックスで囲おうとするも、今度はギフトが発動しない。
「《ボックス》!――っ」
どんなに力を込めても発動しない。ローレンスの能力が使えなくなっていた。
――ギフトが無効化されている
それに気づいたローレンスは素早く足に忍ばせておいたナイフを取り出し投げつけるも、咄嗟に避けた男には当たらずカランカランと地面に転がる。
そして裏路地へ入った男はその姿を消していた。
取り逃がした――ローレンスはグッと拳を握りしめる。しかしその直後背後から人の気配を感じて、彼女はハッと振り返る。その人物に、思わず息を呑んだ。
――闇夜に溶ける艷やかな漆黒の髪。射抜かれるような真っ直ぐとした魅力的な深い青い瞳。酷く整った造形美のような男らしい顔立ち。そしてスタイル良くスラリと長い足にガッシリとした体つき。
「ローレンス嬢……?」
驚きで固まり、目を疑ったようにこちらを見つめるエドワーズ公爵。――不味った。ローレンスは内心焦っていた。
こんな状況でなければロマンチックと頬でも染まらせ、そのへんの令嬢たちならときめきを覚えていただろう。あの憧れの公爵様が目の前に、しかも月の浮かぶロマンチックな真夜中、二人っきりでいるのだ。しかし生憎、ローレンスはそのような感性を持ち合わせていない。
「……ここで何を……まぁ、言わなくとも予測はだいたいつくが……」
顎に手を当て、ローレンスを上から下まで眺め見る。彼女は裂けて乱れ、ヒールを履く脚が太ももの方まで顕になった足元のドレスを直す。
そもそもなぜエドワーズ公爵が直々にこんな所にいるのだろうか。通常この早さに到着するのは管轄している現場の治安部隊員だけであるだろうに。
「私を覚えてらしたのですね。驚きですわ」
動揺を見せぬようローレンスは笑みさえ浮かべて言う。
「ああ。俺に全く興味を示さない令嬢だったからな」
「……公爵ってそんな性格でしたのね」
自分の容姿に意外にも自信を持っているタイプだったらしい。いやここまで顔が良ければ多少傲慢にもなるし自信も持つか。そんな事を思っていると、彼は口を開く。
「君はギフト持ちだったんだな」
……やはり、バレていた。奴を追っていたところから見られていたのだろうか。
「――どうして、あの犯人を追っていた?」
「……」
口調はゆったりとしているが、鋭く冷たい視線がローレンスに向けられる。秘密部隊については決して口外厳禁。たとえ国家の治安維持の要である警備局長だとしても、その存在は明かされてはならない。国家機密組織だ。
「……あの男は連続殺人犯でしょう」
「ああ」
「私のギフトがあれば捕まえられる。そう思ったんです」
「ほう……一介のご令嬢が、か?」
「ええ、ただの貴族の令嬢が、出過ぎた真似をしてすみませんでした」
そう頭を下げる。しかし公爵はふっと笑った。
「そんな言い訳で通じると思ったのか?」
「言い訳ではないです。どうやら私は自分の能力を過信しすぎていたようです」
「面白いな、令嬢は」
何を言ってるんだこの男。何故か彼女に笑みを浮かべる姿に不愉快になる。いっそ組織のギフト持ちに頼んで記憶を消してもらおうか。一方頭の片隅でどう逃げようかと考え巡らすローレンスはぎりっと奥歯を噛む。
互いに視線が交差する。その時、ある声が響く。
「そこまで」
黒い羽がはらりと舞い、鴉が一羽、飛んでくる。ファサリと大きく翼を広げ、電灯の上へと着地した。電灯の上に留まった鴉は真っ黒な目でじっとこちらを見つめる。闇夜に溶けるその姿は少し不気味だ。しかしローレンスは気づいていた。組織の遣いだ。
「……なんだ、この鴉は」
公爵は怪訝な顔で睨みつける。しかしその反対にローレンスは膝をつき頭を垂れていた。その姿に公爵は目を見張る。
「申し訳ございません」
「もうよい」
鴉はローレンスへそう答える。
「……これはどういう事だ」
公爵は鴉を睨みつけたまま凄む。
「エドワーズ公、悪かった。そなたの持ち場を荒らしてしまってな」
「お前達は何者だ」
「少なからず敵ではない。目指す志は共に同じといったところだ」
その答えに顔をより一層顰める公爵はより詳しい説明をしろと社交界では見たことのないような冷たく怒気を孕んだ表情を見せる。
「マスター」
「これ以上隠す事もできまい」
口を開きかけたローレンスを止めるように鴉は言う。そして公爵を見つめた。
「『ファクルタース』へ招待しよう」
鴉がそう告げると、ローレンスと公爵の足元に文字が現れ光る。その光に包まれ、二人は一瞬にして姿を消したのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
王都内某所に秘密裏に作られた秘密特殊部隊の地下施設。それは地下神殿のような作りになっていて、敷石が敷かれた長い道が幾重にも続く。万が一でも知らぬ者が迷い込んだとしても、戻れないような難解な構造だ。そもそも入り口も、《ギフト持ち》によって隠されているため普通の人間は入る事もできないが。
その道を進んだ先に、組織長の部屋がある。壁沿いに本棚が置かれ、書類や古書などが机に多く重なっている。長きに渡り《ギフト》について調べ、またそれを持つ者を束ね、この国を秘密裏に守ってきた歴史ある長。白髭を貯え、皺が深く刻まれたその顔は酷く威厳がある。そして広い部屋の中、その彼と対面する、公爵とローレンス。先程組織のメンバーのギフトにより遠隔で移動させられたのだった。そして、公爵は彼から事の顛末を聞かされる。
「我が組織の命により、彼女は動いただけだ」
ローレンスの所属する国家の超機密部隊である特殊部隊は、《能力》を意味する『ファクルタース』と呼ばれる。国家直属の組織で構成員は全て《ギフト持ち》に限られており、その存在も国の極限られた者にしか知られていない。遡ればかなり昔から、国家における犯罪や、一般に手に負えないギフト持ちによる事件などを秘密裏に調査し、暗躍している組織である。
「――っは、私にも知らされていない機密部隊が存在していたんですね。それもずっと前から」
公爵は嘲笑するように笑う。まあそうだろう。彼は国の治安を守るトップだ。治安部隊、時に軍部だって動かせる。そんな彼にも知られていない極秘部隊があったなんて、気が悪くなるだろう。
「この国の機密事項だ。悪く思うな」
「――まあ前々から、《ギフト》持ちによる特殊部隊があるのではないかと思ってはいましたがね」
威厳ある長に対しても怯まず、鋭い視線を向ける公爵。互いに相容れぬような空気が流れるが、ここで長がローレンスへと話を変える。
「――それでローレンス。対象はどうだった」
「既に犠牲者が出てしまった後ですが、その後を並走して追いました。しかし仕留める直前、ギフトが使えなくなったんです」
「……何?」
その言葉に長は声色を変える。眉間の皺が深くなった。
あの時、直前まで確かに使えていたギフトが発動できなくなった。間違いなく、ギフトを無効化する能力を持つ者がいる。
「恐らく、あの現場から考えて彼の仕業ではない。彼に手引をする者がいたようです」
「ギフトの無効化の能力がある、と」
「それが物質によるものなのか、誰かのギフトによる能力なのかはわかりません。しかし、かなり厄介です」
男の裏に別の人物や強大な組織か何かがついているのかは定かではないが、ギフトが無効化されてしまうのはこちらとしては非常にやりにくい。今後のためにも、捜査を続けて暴くべきだろう。
考えるように口を閉ざした長は、公爵の方も見てやがて口を開く。
「ローレンス。エドワーズ公爵と共同して任務を遂行せよ」
「なっ?!……」
「これまでの事件の捜査記録や概要については、治安部隊の方が詳しいだろう」
この国の治安組織の長と共に連続殺人犯を捕まえろというのか。無理な話だ。
ファクルタースはこの国を守らんとする警備局長の命も無視して動ける独立部隊、言わば彼とは犬猿の仲になる。彼もいい思いは感じないだろう。それにこれまで自分達が必死に追って集めてきた捜査記録や証拠をみすみすそう簡単に見せたい訳がない。
「それについては、エドワーズ公爵の意見も聞かなくてはなりません。それに表と手を組むのは――」
「構わない。その方がいいだろう」
え――とローレンスは公爵を見る。必死に止めようとした矢先、何故か公爵はこの話には前向きで肯定的だった。治安組織の長としては、自分達だけで解決させたいものではなかったのだろうか。
「ですが、公爵様――」
「相手もギフト持ちが絡んできているんだろう? こちらとしても、精通している者と協力するのは悪くない」
満更でもない様子でローレンスを見つめて笑みを浮かべる公爵に、信じられない顔をする。この男、本当に何を考えているんだ。
「――よろしく、ローレンス嬢」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
図らずも、こうして国家の治安維持のトップの表の顔であるエドワーズ公爵と協力することになったローレンス。早速その翌日、捜査資料を見せてもらう約束になった。協力を快く承諾した事に、未だ理解がし難い。
「ローレンス嬢。こんにちは」
「エドワーズ公、すみませんおまたせしてしまいましたか?」
「いいえ、俺も今来たところだ。気にするな」
王都中央の広場の時計台の下で待ち合わせて合流する。約束の時間前に着いたローレンスだったが、もう既に公爵はついていたようだ。スラリとスタイルよく着こなしたラフなジャケットとスラックスがよく似合っている。彼はローレンスの腰に手を添え、歩き出した。立場的にその手は払えられない。ローレンスはまだこの男の事を計りかねていた。
ただでさえ女性たちにモテ、一人でいても目立つ公爵に、まるでエスコートを受けられているように隣を歩いていると、周囲からの視線が痛い。まず公爵も女性とこうして普段から並んで歩くような男ではないのだ。どの女性にも見向きもせず、令嬢達にとって高嶺の花のような存在である。隣は公爵の恋人かなんてヒソヒソ話す声も聞こえる。変な噂を立てられたまったもんじゃない。噂でも広まって令嬢達からやっかみを受けたらどうしよう。ローレンスは頭が痛くなりそうだった。
そもそもどうしてわざわざこんな所で会う必要があったんだろうか。伯爵邸か公爵邸でよかったんじゃないのか。
「私が公爵邸に出向きましたのに」
「君の足を使わせるつもりはない。互いに王都の街の方が勝手がいいだろう」
いえ、できれば人目のつかない場所でひっそりと資料を確認して帰りたかったとローレンスは思う。こうなったらさっさと捜査資料を見させてもらってお暇しよう。そう考えていると、彼が突拍子もないことを言い出した。
「さて、せっかくだし仕事の前に腹ごしらえでもしないか? この辺りに行きつけの店があるんだ」
「は?……」
思わず声をもらして彼を見る。彼はフッと笑っていた。
「共に仕事をするんだ。それには信頼関係が大切だろう?」
そのこちらの心を伺うような目に、ヒク、と頬が引き攣る。
「我々の仲を深めないとと思ってね」
するり……とローレンスの手を撫で、そして持ち上げてキスを落とす。完璧なウィンクまでキザに添えて。それも酷く楽しそうに余裕げに笑みを浮かべて。
ローレンスは唖然とした。
これまで感じていた違和感の正体がやっとわかった。ファクルタースを良くは思っていない事は確かに事実なのに、ローレンスへの態度はまたその組織の一員としてとは違っていた。まるで嫌悪よりは好意寄りのその態度。
この男、ローレンスが靡かない事から落とす事が楽しくなって完全に人で遊んでいる。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「まあ、幸い貴族達が開く夜会もしばらくない。犯行が行われることはないだろう」
何故か立場上対立関係であるこの男と仲良く顔を合わせて食事をしなくてはならなくなったローレンスは、彼の行きつけだという品のいいレストランの個室で素晴らしい加減でローストされたカモ肉を器用に切り分け口に運んでいた。料理はとても美味しいのだが、店に入るなりのVIP対応に恐縮してしまい、更に公爵が女性と二人で現れた事で少しざわついたようで居心地が悪い。
「……そうですね。犯行は全て夜会があった日に行われていたんでしたっけ?」
「ああ。帰り客を狙うように真夜中にな」
公爵も小さく肉を切り取って口に運ぶ。目で追ったその姿も無駄に気品ある。女性にモテるのもわかるわ、と隠れて彼女は呆れた。
「しかし驚いた。まさかご令嬢が祝福人で秘密部隊のメンバーだとは」
「……くれぐれも、国家機密ですので。あまり話さないでいただけますか?」
「失敬」
彼が口を閉ざす。グラスを取ってワインを流し込んだ公爵にふと、ローレンスは問いかける。
「……公は、ギフトは初めて見たんですか」
「カイルでいい。いや、少し見た事があったが、実際にあんな風に使う者を見たのは初めてだ」
ギフトはかなり珍しいもの。その存在さえ奇跡に近い。一般にはあまりギフト持ちに出会う確率も少ないし、ギフトについて詳しく知るものも少ない。それにローレンスは、自身がギフト持ちである事は周りには隠している。話してもいいことはないからだ。
「君のギフトは多様性があるようだな」
「これまで訓練して、使いこなしてきたんです。広範囲における強度はまだ改善の余地などがありますが」
ふーん……とカイルが頷く。そしてテーブルに肘をつき、組んだ両手に顎を乗せる。
「興味があるな」
「私の能力は特殊ですしね」
「いや、君自身にもだ」
彼女がグラスに口をつけながら返すと、彼は笑みを浮かべる。それにローレンスもにこりと笑みを返す。
「またまた、ご冗談を」
「俺が冗談を言うタイプだとでも?」
じっと公爵を見つめた。にっと笑うカイルと彼を図りかねるローレンスの間にデザートが運ばれてきて、二人の膠着状態が解かれる。デザートはアップルパイだった。ナイフを入れるとさっくりと音がする。中には甘く柔らかく煮溶けた温かいりんごが蕩け出した。とても美味しい。味わっていると、カイルが口を開いた。
「ローレンス嬢は今23歳だったか?」
「はい」
「適齢期も過ぎた頃だが、婚約者もいないようだな」
何だ、大きなお世話だ。自分だって29歳と、もう所帯を持って落ち着いてもいい頃なのに。ローレンスは素知らぬ顔で答える。
「ええ、結婚については祖父にもたまにつかれる事ですが……もうこの年ですから。相手もいませんし」
「なら俺はどうだ」
その言葉に思わず二度見してしまう。何を言ってるんだ、この男は。
眉目秀麗容姿端麗、博識晃文で武術にも長け、この王国で多大なる権力も持つ王国人気一の公爵が、たかが一介の伯爵令嬢と婚約? 結婚? ありえない。
そんな事想像だけで顔が引き攣ってしまう。
「冗談も休み休みにしてください」
その姿にククッとカイルが笑う。
「やはりいいな。君は」
不敬でも知らんとローレンスは睨みつけるも、カイルは気にもせず機嫌良さそうに喉を鳴らす。
「君を口説くのには骨が入りそうだ」
「は?」
「これが事件資料だ。治安部隊が捜査しまとめたものが全部乗っている」
彼女の本気の呆れと多少の苛立ちを見事に躱し、ここでようやく、事件概要についての話をする。カイルは捜査資料を机の上に取り出した。ローレンスはそれらを掴んで読む。
犠牲者は5人。クリムト男爵令嬢、ロント男爵令嬢、ドニチカ子爵令嬢――いずれも下流貴族の令嬢だ。全て夜会や舞踏会に参加した後、帰宅中に襲われている。
金のない貴族たちは馬車を使わずそのまま歩いて帰ることもある。最近では従者も付けない事も普通に多く見られた。貴族社会が廃れている状況を現している。しかし言えば、皆が平等である世の中になりつつあるという事だ。むしろそれを良しと考える貴族もいる。しかし、今回の事件はそれが仇となったというところか。犯人は従者を従えない徒歩で帰る無防備な貴族令嬢を狙っていた。
現場写真を見てもその犯行は卑劣極まりないものだった。令嬢達は皆刃物により執拗に何度も刺され、大量の血を流し息絶えていた。犯人の酷い残忍性を感じさせる。資料に目を通すローレンスは静かに顔を歪めた。
許せない。
「……犯人は貴族女性に恨みを持っていての犯行でしょうか」
「断定はできないが、恐らくそうだろうな。令嬢達にはその夜に夜会に参加していたという共通点しかない。特定の人物を狙ったというよりは、『貴族女性』を狙った無差別的な犯行だ」
やはり夜中であることから目撃者はいない。更に有力な証拠もない。街には治安部隊が巡回しているにも関わらず、犯人はどうやってその目を掻い潜って来たのだろうか。
顎に手を当て考え込むローレンスに、カイルはその口を開いた。
「その資料には書かれていないが、うちの部隊員の二名がかろうじて出くわしたのだが、犯人はかなりの手練だったらしい。身のこなし的には武術に相当精通した人物だろう」
「!――犯人と鉢あっていたんですか」
「その時も相手はローブを被っており、顔は見えなかったと言うがな」
そう息を吐いて腕を組み、背もたれに持たれるカイルに、ローレンスは更に問いかける。
「他にギフトなどを使った形跡などはなかったのですか?」
「ああ。ギフトなんて話が出てきたのはこの間で初めてだ」
ローレンスが犯人に対峙した時は犯人以外にギフトの無効化をさせられた。あのタイミングでギフトが使えなくなったのは、間違いなく誰かに手引があったからこそだ。何者かがローレンスを妨害した。別に協力者がいるはずだ。しかし男の協力者はギフトを無効化する能力を持つ者だけなのだろうか。
「でもそもそも犯行を行っているのは一人なんですよね」
「そうだ。我々もずっと単独犯によるものだと完全に考えていた」
しかしここに来て、犯行に関わっている人物が複数いる。だがカイルはこう言った。
「しかしギフトの無効化をさせる人物にも注視すべきだが、今回は殺人鬼を捕まえるのが最優先だ。共犯者については後で奴を捕らえて吐かせればいい話だ」
「はい。私の今回の任務も連続殺人鬼を捕まえるという事だけですから」
先々月に最初の犯行、先月に二件、今月に入っては既に立て続けに二件と、その犯行頻度は日に日に短くなっている。早急に解決しなくてはならない。
「では次は、犯行現場を巡るか」
デザートを食べ終え、捜査資料も確認しこれで解散かと思った矢先、カイルが立ち上がり、ローレンスに告げる。
「なんだ、どうせ行くつもりだったんだろう」
思わず驚いて見つめてしまっていると、カイルはそうふっと息を吐いて笑う。確かに自分で実際に現場を確認しに行こうとしていた。考えを読まれたようでなんともいい気はしない。聡く腹が立つほど顔もいい挙句聡明な男だ。ローレンスは少し不貞腐れたような気持ちになった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「――ここが四人目のアボット子爵令嬢の襲われた犯行現場だ」
そこは王都でも夜間は人通りの少ない住宅地の近い場所だった。他三人の犯行現場となった場所も巡ったが、同じように夜間人通りは少ないが、どこもそこまで奥まった場所や隠れた場所ではなく普段普通に人の行き来する道端で行われた犯行だった。そして全員、それぞれ夜会の開催場所から自宅までの道筋だった。
しかし来てみてわかった事だが、どこも周囲に高い建物が一軒はあり、その最上階からよく見える見渡しのよい通りであった。
「……犯人は毎回スポットを決めて張り込んでいるようですね」
「ああ。ビルの上で張り込んでターゲットになる相手を見つけているんだろうな」
流石気づいたか、とカイルは言う。
「だとしても、次に犯行を起こす場所はわかりません。次回の夜会の場所と出席者を全て調べたとして、該当箇所に全て治安部隊を配員させる事も現実的ではないですし」
随分熱心に前のめりだな、とカイルは見下ろす先に細目で彼女を見て思う。ただの伯爵家の令嬢にしては、事件についての姿勢やのめり方が尋常じゃない。カイルはその姿に危うさを感じた。
再び考え込み熟考するローレンスに彼はこう口を開く。
「しかし今回合同捜査であれば治安部隊による囲いとギフトを効率的に使って追い詰めるのがベスト。ギフトに対しては向こうも前回の事からすぐに対策をしてくる。しかし顔が割れている自分が出てしまえばすぐにバレてしまう。だろう。ローレンス」
いつ名前で呼ぶ事を許したとキッとカイルを見て思うも、彼女は答える。
「ええ、でしょうね」
「他のギフト持ちを頼めば対策をしようもできるが……協力をあぐねるには組織的に許可がいるだろう」
ファクルタースは国家機密である秘密組織。その存在が公になるような行動はご法度であり、あまり大きくは動きたくはないだろう。
「一応掛け合ってみます。恐らくいい返事はもらえないかと思いますが……」
「頼んだ。こちらも他の計画を考える」
流石治安捜査局局長だけあり、やはり心強い。頼りがいがありその捜査手腕も長けている。
その後、遠慮するローレンスは結局カイルに紳士らしく伯爵家まで丁重に送り届けられ、二人は別れた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
伯爵家の自室の机の上で、ローレンスは事件について自分で纏めた紙を広げて考えていた。
ファクルタースからギフト持ちをこちらに送る事を頼めないかと言っていた件だったが、他のメンバーもそれぞれ任務についている事もあり、やはり組織から人員を確保してくるのは難しいとの回答がきた。あくまでこの件に対してはファクルタース側からはローレンスのみで解決しろという意向だ。この件はファクルタースではなく、ローレンス個人と治安部隊の合同捜査という形を取りたいらしい。こちらの立場上致し方ない。
どうしたものかと、はあと息を吐いた時に部屋の外から侍女が声をかけた。
「お嬢様、お手紙が届いております」
「ありがとう」
ドアをノックして入ってきた侍女が手にしていた青色の手紙を受け取る。随分と上質紙の封筒だ。
「舞踏会の招待状……?」
しかし裏返しその差出人を見て思わず目を疑う。主催はエドワーズ公爵家だったのだ。
犯行が行われるのが夜会なら、こちらから誘い込んで先手必勝と言う事だろうか。それに自ら主催するのであれば、参加者をこちらで精査する事ができる。できるだけ馬車での帰宅や従者との帰宅が可能である家門を選べば良い。そうすれば的を絞れるといったわけか。
中身の招待状を確認すると日時は5日後、19時から。なかなかに準備する期間は短い。
「それと、こちらも……」
おずおずと侍女が視線を向けた先を見ると、何やらリボンのかけられた大きな箱が届いていた。
何だと不思議に思いながらその箱を開けて、ローレンスは顔を引きつらせた。一方侍女はまぁと嬉しそうに顔を明るくさせ感嘆の声を上げる。
「公爵様からのプレゼントだそうです」
中には美しいブルーのドレスが入っていた。おめでとうございますお嬢様と嬉しそうな笑みを浮かべる侍女。カイルが直々に招待状とドレスまで贈ってきた事に恐らく彼女は勘違いしてるだろう。ローレンスは慌てて再び送られてきた手紙を確認すると、招待状の他に別の紙も入っていた。そこには別途ドレスを送ったから舞踏会に着ていくようにという事と、当日は彼のパートナーとして参加するようにという旨が書かれていた。
……パートナー、だと?
こんなの嫌がらせに代わりない。お嬢様にもついに春がと喜ぶ侍女を尻目に、任務もあるというのにローレンスは頭が痛くなってきていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「――すまなかったな。主催で抜ける事ができず迎えにも出向けなくて」
「……いえ……」
今日も今日とてキラキラと眩しいくらいに素敵で完璧な姿の公爵は部屋へやって来たローレンスにそう話す。片方だけ髪をバッグに流し、黒のジャケットに青いシャツにタイを付けた礼装姿は腹が立つほど似合っている。一方不機嫌そうに、というか沈んだ顔持ちのローレンスはそう小さくつぶやくように答える。
「よく似合っているな。では、行こうか」
カイルの差し出してきた腕を仕方無しに掴んで寄り添う。細身に見えながら割とガッシリとした腕。並んでみると背が高く、その大きさを改めて感じた。
あれから5日後、公爵家主催の舞踏会当日。ローレンスはカイルから送られたドレスを着てやってきた。仕立て上げられたかのようにピッタリと彼女にあったドレスは、ワンショルダータイプのタイトめな作りであるものの、足元はフレアになっている上、更に片方にはスリットも入っているため動きやすい。まったく、いつの間にサイズを調べたのだが。しかし実用性だけでなく、ドレスの細部にまで拘っているデザイン刺繍には小さな宝石がつけられており、美しさと絢爛さも兼ね揃えていた。一体いくらするドレスなのか考えるのも恐ろしい。
会場に到着すると早速皆がざわついた。順々に挨拶してくる者たちの相手をしながら、ローレンスも顔に笑みを浮かべて受け流し乗り切る。
「お隣の女性は伯爵家のローレンス嬢でいらっしゃいますか? とても美しいですね。ドレスもとてもよく似合ってらっしゃいます」
「ありがとうございます」
エドワーズ公爵家の家門カラー、そしてカイルの瞳の色である青色を纏って彼にピッタリとエスコートされていたら、まるでカインの恋人だとでも言っているようなものじゃないか。
もうすでに影で何かヒソヒソ言われている。令嬢達のこちらを見る目が痛い。これまで他の令嬢達とも当たり障りなく上手くやってきたのに。
もういっそ考えないようにしようと考えたローレンスは悟りを開く。今後の事は今後考える事にしよう。
挨拶にやってくる相手をするだけで早々にぐったりとしてしまった。そんなローレンスを労うようにカイルはシャンパングラスを持ってきて片方彼女に渡す。それを受け取りながらも、ローレンスは問いかける。
「この後捜査なのにいいんですか」
「このくらい大丈夫だろう。せっかく用意したんだ。下戸じゃないだろ」
グラスを傾けるカイルに、ローレンスも口をつけた。こういう所は緩いんだなと思う。すると、ふと彼が口にこぼす。
「どうして婚約者を作らなかったんだ」
振られたその話題に彼女は視線を落とす。
「縁談だって、いっぱい来ていただろう?」
「カイル様もご存知でしょうが、私は伯爵家の実の娘ではありませんので、評判もそこまで良いわけではありませんわ」
「それでも何件かは来ていただろう。容姿も美しくこんなに魅力的なんだ、それに君は養子といえどアローン家の唯一の後継者だ」
確かに、ローレンスが養子だと言えど縁談はそれなりに多く来ていた。それに今でも時たま数件来ている。しかしそれもローレンスは全て断っていた。
「結婚は考えていませんので」
ホールでは楽しく、仲睦まじく談笑し合う男女の姿が多く見られた。その姿を映しながら、そうきっぱりと口にするローレンスをカイルは見つめる。
「君はご令嬢らしくないな」
そして何かを量るように彼女を伺い見る。
「普通令嬢なら、いい人と結婚して愛され、幸せな家庭を持つのが夢なんじゃないのか」
「生憎、普通の令嬢ではないので」
「確かにな」
カイルはその答えにふっと笑った。何がそんなに楽しいのだろうか。この人はローレンスの前でいつも笑っている気がする。遠目から見ていた時は、こんなんじゃなかった。滅多な事で笑顔を見せるような人じゃないのに。そんな少し感じたもやつきを飲み込むようにローレンスはシャンパンを喉に流し込む。
「まあ、だからといって諦めるのは違うと思うがな」
「――え?」
「おっと、曲が始まったようだ」
ホールから音楽が流れてくる。その音に続き、皆がホール中央ヘと集まってきていた。ローレンスは先程呟かれた言葉に一瞬ドキリとした。まるで、見透かされてるような。
「それでは一曲、手合わせ願えますか」
そう恭しくこちらへ手を伸ばす魅惑的な男性の手を、ローレンスは取った。
「案外上手いな」
「公爵様にお褒め頂き光栄です」
手を引かれてやってきたホールでダンスをしながら、ローレンスは今回の作戦について彼に問いかける。
「やつを誘き出すには、囮となる人物が必要になりますよね?」
「それについては治安部隊の女騎士の隊員についてもらう手筈になっている」
「失礼ですが、犯人は貴族女性を狙っています。上手く扮せたとしても、軍人のふとした振る舞いや歩き方は隠せません。これまでの犯行から男は聡くも緻密に計画を立てている理性派。見抜かれてしまう恐れがあります」
「……それ以上は聞きいれない」
言わんとすることがわかったのだろう。カイルが顔を顰めて口を閉ざす。重い空気に互いに口を閉ざし、曲が終わりダンスを終える。
しかし手を離し、ローレンスは再び彼に向かい直って言った。
「私が囮になります」
「やめろ。相手はギフトを無効化する能力を持っている。丸腰で向かうようなものだ」
「ギフトが使えなくとも私も多少の武術は心得ております」
鋭く見つめる彼にも臆せず、彼女は真っ直ぐに彼を見つめる。
「それにこれ以上なんの関係もない令嬢が犠牲になるのを見ていられません」
罪もない女性達が、一体何故こんな目に合わなければならなかったのか。一人で薄暗い静かな帰路の中、犯人と出くわした彼女達はものすごく怖かっただろう。だったら自分が、そのターゲットになる。彼女達の無念を晴らしたい。これ以上多くの女性達を犠牲に出したくない。
「……わかった。治安部隊に作戦の変更を伝える」
その強い思いが伝わったのか、カイルは苦々しくも渋々ローレンスの意見を受け入れた。しかし彼は条件を出した。
「ファクルタースとの約束もあるから治安部隊は近づかせない。ただし、お前の近くには俺が待機する。絶対に一人で行動を起こして無茶をするな」
「わかっています」
そう言って背中を向け、一人会場を後にするローレンス。準備に向かうその後ろ姿があの夜会った時の姿と重なる。
彼女は命をなげうってでもいいと思っているような、どこか諦めているような、そんな素振りをカイルは端々に感じていた。放っておけば無茶をして、どこかへ消えてしまいそうな、そんなあやうさ。
立ち去る彼女を見つめながら、カイルは静かに目を細めた。
あの夜見た、鮮やかな身のこなし。その姿はとても美しいと思った。髪も乱雑に纏め上げ、ドレスも破いてボロボロだと言うのに、今まで見たどんな美しく着飾った女性よりも気高く凛々しく、美しく見えた。胸を一瞬で掴まれ目が離せなくなるような、そんな姿。
あの一瞬で心を奪われた事を、君は知らないだろう。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
目の引く美しい銀髪をすっぽりと隠して金髪女性に変装し、つばの広い帽子も深く被りばっちり変装をして、ローレンスは犯人を迎え撃つ準備はできた。
舞踏会もお開きとなり、他の貴族達は続々と馬車などで帰宅する。そんな中、ローレンスも早速会場を後にし、作戦に移る。
今回の舞踏会の参加者はあえて北西エリア以外の貴族に絞り、皆同じ方向へ帰っていくような人達を選出し招待した。それにより人目が多くなる道は犯人も犯行を避けるようになる。よって、他の帰宅者と被らない、北西方向へと向かう道をローレンスは歩き、犯人を誘き寄せようとする作戦だった。ローレンスがギフトを使う以上、他の人達には知られるわけにはいかないので、治安部隊の配備はローレンスが去ってからになるため街の少し外れの方へ待機させた。代わりに物陰近くから犯人に気づかれぬようカイルがローレンスを追尾する形を取っている。
しかし犯人は神出鬼没。犯行場所も全てバラバラで、今回ローレンスが囮となったとしても相手と出くわせるかはわからない。運良くローレンスのもとに現れてくれるかどうかは五分五分だ。
気を抜かず、ローレンスは北西方向へ歩みを進める。こちらの道は道幅は広く、昼は店が立ち並び非常に活気づいた場所だが、夜はシャッターが下りてほとんど人通りもなく、昼とは対象に薄暗く少し薄気味悪さも感じる。
すると背後に気配を感じ、振り返りざま後ろに構えていた男に向かって高く蹴り上げる。しかしそれは躱され、今度はナイフを振りかざされる。その腕を止め、横蹴りを入れるも避けられた。彼女はちっと舌打ちをして邪魔なかつらを剥ぎ取る。月夜に反射して輝く美しい銀糸が現れた。
距離を取られローレンスがギフトを使い手拳銃で彼を狙う。それも躱した男は走り出すも、その先でパンと拳銃を撃たれ足踏みする。更にその先の暗闇の中からカイルが現れ、犯人の前で銃を下ろし仁王立ちをする。
「そこまでだ」
その姿に犯人は走り出し、カイルに襲いかかった。カイルは剣を抜き、犯人のナイフと交戦する。その隙にローレンスが援護へ回ろうとギフトを使おうとした時、またあの時と同じように発動できなくなった。無効化をされたのか。
「カイル様!」
犯人の振りかざすナイフをカイルは受け止め、更に男を斬りつけるも男は既の所で後ろへ跳ね避ける。その後も両者激しく刃を躱すも、カイルがやや優勢。犯人を攻め追いつめながら進むと男のローブが一部破けた。一瞬怯んだその隙を狙い、ローレンスが足に忍ばせていた短剣を背後から男の首筋に立てる。カイルが声を上げた。
「ローレンス!」
「大人しくしなさい」
ローレンスは犯人へ告げる。ゆっくりと振り返った男のその口元は、笑みを浮かべていた。
「——っ?!」
カイルは目を見張ったローレンスの顔を見えたのを最後に、その目の前から一瞬にして犯人とローレンスは姿を消した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
不敵な犯人の笑みに、はっと気づいた時にはもう、ローレンスは見慣れぬ景色の中にいた。一瞬何が起きたか事態が把握できなかったが、ローレンスはピンとくる。
瞬間移動――?!
その時後ろから風のようにナイフをきられ、ローレンスは瞬時に反射で難を逃れる。振り向きざまに距離を取り、犯人と再び対峙する事となる。
彼女は辺りを見回す。時計台の位置からして、恐らくここは先程までの場所と反対方向。今いる場所は、先程までの街並みと少し違って会社などが入る近代的な高い建物の多くみられた。
――不味い、カイルと別れてしまった。
そしてローレンスは若干の焦りを浮かべる。こちら側は舞踏会参加者が多く、比較的安心だったため治安部隊の配備が少ない。そしてもう参加者達は無事家路についている頃だ。
ギフト無しで取り押さえる事ができるだろうか。採算を考える。こちらには短剣一本に、相手もナイフ一本。ギリいけるかといったところか。しかし勝算は厳しい。ここは治安部隊と合流するか――とローレンスが巡らせていると、犯人は彼女へ襲い掛かってくる。刃を受け流しながら、治安部隊の配備される市街地の方へ誘導しようと走るも、ナイフを躱した先に犯人の手にこちらへ向ける黒いものが見えた。ローレンスが息を止める。
拳銃――?!
瞬時に避けようと動いたが、銃口を向けられた事に気づいた時にはパンパンッと銃弾を撃たれる。
ローレンスは顔を歪めた。前回ギフト持ちに遭遇したから今回は隠し持っていたのか。
「グゥッ……!!――」
二発の銃弾はローレンスの肩を打ち抜き、足を掠めた。その場に崩れ落ちるローレンス。その元へ、ゆっくりと犯人は近づいてくる。痛みを耐えて奮い立たせるように必死に立ち上がり対峙し距離を取るローレンスだが、銃を捨てた犯人が刃物を持ち直して襲いかかる。振りかざす刃を躱すも、手負いの状態で動きが鈍り、最終的には犯人に地面に押し倒される。ギフトはやはり今も効かない。撃たれた肩からはドクドクと大量の血が流れている。押し倒された衝撃で頭はもうクラクラしていた。――嗚呼、死ぬな。冷静にそう悟った。どうせろくな死に方はしないと思っていた。ギフト持ちに生まれたからには、もうそういう運命だとわかって生きてきたから。この道を選んだ時に、覚悟した。
絶体絶命の中、犯人に上から跨がり乗られたローレンスは振りかざされた刃物に目を瞑ったその時だった。
カキン――と甲高い音が響いた。目を開くと、今度は乗りかかっていた男が吹っ飛んでいくのが見えた。そして近くには刃が折れたナイフの先が落ちている。
「この殺人鬼が」
地に響くような低い声。そしてその先に、見慣れた大きな背中が見えた。尋常ではない恐ろしい怒りと殺気を纏ったその姿に、ローレンスも軽く震えた。
彼は倒れ込んだ男の顔を容赦なくガッと足で踏みつけた。ゔっと男が鈍く唸る。
「非力な女を狙うなど許せない」
彼の青い瞳が鋭く光る。今まで見てきた中でも別人のように見えるその姿は確かに治安部隊を収める長の姿だった。
彼は顔から足を離し、腹に蹴りを入れて更に男を転がす。もう反抗できる状態ではなかった。そこへ試しにローレンスはダメ元で犯人を拘束する為にギフトを使うと、犯人の両手にボックスを発動させる事が出来た。ギフト無効化の能力が切られたようだ。
「カ……イル様……」
カイルを見て、撃たれていない方の腕でどうにか起き上がろうとした彼女に気づき、彼は走ってこちらへやってくる。
「ローレンス!!」
体を起こそうとする彼女を止め抱き抱えて彼は開口一番こう怒鳴った。
「令嬢が! こんな無茶をするな!! 死にたいのか!?」
すごい凄みだった。そう言われても仕方ない。彼が来なければ確実にあの世行きだったのだから。
「……でも、私は秘密組織ですから」
それで死んでも本望だ。そう言うように告げるローレンスに、カイルは強く顔を顰めた。
「国を守る秘密部隊の一員だとしても、その前に君は一人の女性だろう!!」
「……!——」
そのカイルの言葉に、ローレンスは息を止めた。
「俺はこの国で誰もが笑顔で幸せでいてほしいと思う。その国民の中には君も勿論入るだろう」
彼の力強く、吸い込まれてしまいそうな青い綺麗な瞳が、じっと見つめる。
「それは、誰かの犠牲の上で出来ていいものじゃない。俺達騎士や、国を守る軍人だって、平等にその権利はあるはずだ」
ぐっと、彼の彼女を抱き抱える力が強くなる。
「どうして……自分を犠牲にするような事ばかりするんだ。もっと自分を大事にしろ」
切実そうに歪むその顔に、胸が締め付けられた。どうして、貴方がそんな顔をするのか。何も知らない貴方が、どうして。
わからない、けれど、同時に胸がジンとした。何故だか泣きそうになった。
こんな風に心配してくれる人、お祖父様以来初めてだ――
遠くから治安部隊が向かってくる音や声がする。それを耳にしながら、段々と遠くなっていく意識にローレンスは落とした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
鼻につく、ツンとしたあの独特な匂い。目に入るのは真っ白な天井。病院のベッドに横たわるローレンスは、腕に管を繋げられ、ぼうっとしていた。銃弾は貫通していたが、出血も多く肩の傷はかなり重症で暫く入院が必要であると判断された。
絶対安静を告げられ何もできずに暇を過ごす中、病室のドアがノックされた。
「『ルーズウェンから迎えに来ました』」
「……ありがとうございます」
そう言って入ってきたのはローレンスも見知らぬ好青年だった。彼はにこやかな笑みを浮かべたまま、そっとドアを閉める。これは組織の隠語だ。彼の正体は――
「具合はどうだ」
「少々入院が必要だそうです」
「そうか。この機会にゆっくり休養しろ」
椅子に座ると、貼り付けていたような笑みをスッと消した。好青年の顔を落とした男は、ローレンスと同じ、組織に関わる人物だった。ちなみにギフトにより顔と姿を変えている。ローレンスも体を起こした。
「犯人はどうなりました?」
ずっと気になっていた事を聞くと、彼は息を吐き、顔を渋くした。
「殺されたよ」
「――殺された?」
その衝撃の事実を聞かされ、ローレンスは耳を疑う。
あの夜ローレンスが意識を失った後、治安部隊が到着し、改めて犯人を拘束しようとした時遠方から狙撃され、男は息を引き取った。しかも銃弾は正確に頭を撃ち抜いており、即死だったそうだ。
用済みになったから、消された。
そうとしか考えられなかった。
「しかし犯人の身元はわかった。海外で傭兵をしていた経験のある男で、元は孤児だった。酷い人生を送っていたようだな。母親はまだ若い貴族の娘だったが、平民の男とできてしまった子供である事から、幼い頃に捨てられたようだ。悲惨で歪んだ幼少期を育った事から、それで恐らく貴族女性に恨みを抱いていたのだろう」
「そんな……とんだ八つ当たりでは」
だからあくまであの時狙いはローレンスだったのか。手助けがあると踏んで、敢えてローレンスに油断させた。女が殺せれば、男はそれで良かったのか。
胸糞悪いとふうと息を吐く男。話を変えるようにローレンスへ問いかける。
「現場はどうだった。ギフトの無効化は使われたようだな」
「はい。しかし今回ギフトの無効化だけでなく、空間転移系のギフトも使われました」
「……そうか」
「恐らくあの殺人犯の後ろには別の何か組織がついているのでしょう。使われているだけかと」
逃しきれないとなると、奴らは男をあっさり捨てた。ギフト持ちの組織集団。恐らく裏にいたのはそれだろう。
「――奴らが関わっていたんだろうな」
伏目がちに男は呟きながら胸ポケットに探るように手を入れた。
「……葉巻、やめてください。ここ、病院ですよ」
そう顔を顰めるローレンスに咎められると、男はチッと舌打ちをついて取り出した葉巻にジッポーで火をつけかけたところを止める。極度のヘビースモーカーなのだ、この男。この好青年顔で、愛想のないすました似合わぬ面のまま煙草を吸おうとするな。
「引き続き、俺達は奴らを捜査する。お前はしっかり身体を治せ」
葉巻を胸ポケットに戻し男は立ち上がり、病室を出ていった。
ベッドの上で一人、ローレンスは思い巡らす。
話に上がった『奴ら』こそ、ファクルタースが長らく追っている、《ギフト持ち》で構成された謎の犯罪組織だ。むしろ彼らを捕まえるために、ファクルタースは動いている。まさか今回の連続殺人にも関わっていたなんて。しかし少し手助けする程度。奴らの狙いは一体何だ。狂ってしまった哀れな殺人鬼に手を貸す理由がわからない。
鎮痛剤を打っていてもじくじくと痛む包帯を巻かれた痛々しい肩を見る。早く、早く復帰して、奴らを止めなくては。神から贈られた、稀有な贈り物を持っているんだから。自分にしか、できない事がある。腕の一本や二本、どうしたって構わない。
グッと、肩を握った。その時、あのカイルの言葉が蘇る。
『――誰かの犠牲の上で出来ていいものじゃない』
彼の言う事は理想論だ。そんな事無理に決まってる。事実、この皆が享受している平和は、誰かの犠牲の上で成り立っているのだ。ならば犠牲になるのは、自分でいい。自分だけで、十分だ。
傍らにある、サイドテーブルの上に置いた短剣とそのベルトに触れる。
立ち止まったら、そこで終わりなのだ。
その時、再びドアが叩かれた。許可をすると、入ってきたのはよく見た黒髪の美丈夫だった。
「目が覚めたのか。よかった」
「わざわざ見舞いに来てくださりありがとうございます」
ローレンスの話す姿を見て、変わらぬ表情の中、少しホッとしたような顔を見せたカイル。
「当然だろう」
彼はベッドの傍らの椅子に座った。そう平然と答えるカイルに、ローレンスは少し心がざわついた。
「そうだ、報告がある」
そう言って彼はジャケットの胸ポケットから4つ折りにした書類を取り出す。それを広げてローレンスに見せた。
「アローン家へ、求婚を申し込んだ」
「え?」
「既に伯爵とも話がついている。君が退院して近いうちに婚約の儀を執り行う」
「は……?!」
ローレンスは声を上げる。その婚約書類を見て固まった。ご丁寧に伯爵家のサインと判子まで押してある。驚きで声も出ない彼女に、カイルはこう告げる。
「君は生きることに、執着ないように見える」
彼女を見つめるのは、真っ直ぐとした深い青の瞳。サファイヤのように美しく、魅力的だった。
「だから、俺が生きる理由になろう」
ローレンスは言葉が出ない。困惑の中、カイルはこう言い切った。
「ローレンス、俺が君の生きる理由になる」
ふっと笑うカイルに、ローレンスはもう自過剰具合についていけない。相当自分に自信がないと言えないセリフだ。
ハイスペイケメンなのか? いやそうだった。彼は誰もが認める超絶ハイパーハイスペックイケメンだった。
しかし公爵家が、あのエドワーズ公爵家が伯爵家と婚約。あり得ない。誰か何かの間違いだと言ってくれ。
「幸せにするぞ。ローレンス」
誰もが頬を染め、卒倒でもしそうなセリフと顔で笑う彼。
顔良し家良し立場良し、三拍子揃った公爵様に、まんまと捕まり婚約者となってしまった。こんな事、一体誰が予想しただろうか。
今は驚きと事態の呑み込めなさに、ただただ唖然と固まるローレンスだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
長い療養の末、ようやく退院の許可が出て、ローレンスは自宅へと帰ってこれた。
あの一件から色々あり、伯爵にも問いただしたが、彼は元からローレンスの結婚を望んでおり、そこへ話が舞い込み、相手がしかもあの公爵家からだとなって受けたようだ。まあ、例え乗り気ではなくとも、うちのような伯爵家は公爵家からの申し出は断れない。なるべくしてなってしまった結果だ。抗議は一応したが、彼は聞く耳を持たなかった。全く、頑固な祖父だ。
結婚なんて、人並みの幸せなんて望んでなかった。そんな夢物語のような事、ギフト持ちの自分じゃ、手にできない。
ローレンスは自室で一人、広げた手に小さなボックスを浮かび上がらせ、握りしめる瞬間に消してその拳を見つめた。
――祝福人は短命だ。ギフトは哀れな彼らに、神が贈ってくれた奇跡なのだから。
「……『奇跡』なんて、呪いだわ」
フッと彼女は哀しく鼻で笑った。幸せを語る、カインが彼女には少し眩しく映った。笑顔で幸せに、なんて。ローレンスには酷く眩しい。
私の寿命は、あと少ししか残ってないもの
それでもほんの一瞬だけ、微笑む彼の隣に立つ自分を想像してしまった。それがどうにも、悔しい。
彼女のキャミソールの短い裾からちらりとめくれて見えた左太ももに、25と浮かび上がるように数字が刻まれていた。
END
最後までお付き合い頂きありがとうございました!
今回異能を合わせたなんちゃって事件もの、元から好きなので楽しく書かせていただきました。楽しんで頂けていたら幸いです(*´ω`*)
また今回明かされていないローレンスと伯爵家との経緯や、アローン伯爵家の事、謎の国家機密組織ファクルタースについて、更にギフトについてなども実は細かな設定があったりします。
連載版の更新始めました!よろしくお願いします(*^^*)♡
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