プロローグ ‐全てが始まった日‐
『銃を拾え
片腕を落とし、目が潰え、紅く湿った砂を飲もうとも、止まることはできない
歯を食いしばれ、足が折れれば地面を這え、たとえ何分、何時間、何日、何カ月、何年かかろうと止まることは許されない
生きることに、命を賭けよ
極楽を得る愚かな者と、血肉に溺れる賢き者は、相応しい力を得るであろう』
―――現代より遡ること、八十年前
現代を生きる者たちに尋ねようと、答えられるものはいないだろう。
『悪魔が堕ちてきた日』
後にそう呼ばれるようになった日、世界中からたくさんの赤子が姿を消した。
後に記された記録によると、その人数は百万。当時、この原因不明の消失事件は、いくら調べど理由が分からず、神隠しと呼ばれた。それは今日、この日まで同じだ。それから八十年という月日が流れたが、未だに原因を突き止めるには至っていない。
なぜ、突然消えたのか。
なぜ、赤子だったのか。
なぜ、原因が分からないのか。
世界中のありとあらゆる権威者たちが、もちうる力と知識の粋を集めて立ち向かえど、その片鱗にすら触れられることはなかった。
故に、受け継がれてこなかった。
...否、何者かが操作しているのかの如く、人々はその出来事をすぐに忘れていった。関係する文献も、もはや無いに等しい。
未曾有の脅威を、人々は無かった事のように扱うようになった。
故に、そのことを知る数少ない者たちは、その日のことを『悪魔が堕ちてきた日』と名付けた。誰もが見るような書物にも載るくらいに、その言葉は広まった。
だのに、よっぽどの物好きでもない限り、改めて尋ねられでもしない限り、そのことを口にすることはなくなった。
そうして、たったの十年で、悪魔が堕ちてきた日のことを知る一般の者はいなくなった。そのことを研究した、あるいは捜査したモノたちだけが、その日のことを語り継ぐ。
赤子を失った親であっても忘れたその日の出来事を、権威者たちは『ある本』に記して、自分たちの忘却から逃れたのだ。
そうして全てのモノたちの頭からその日の出来事が消え、ただ一つその書物だけが残された。
―――そう思うだろう?
僕ら百万人は、あの日、まだ生きていた。
大人の体を手にし、進化した知識を植え付けられ、まるで蟲毒のように争いをさせられ、最後の一人になるまで、膝が埋もれる程の血に浸かった、ただ一人立っている人間が生まれるまで、争いは止まなかった。
生き残りは、ただ一人。
だが、その人間の命はそこで事切れた。
それは確かにこの争いを生んだその者の思惑通り。その者は、最後に生き残ったその一人の体から、魂と血を抜き取り、ヤドリギに似た器に移した。
そうして究極の叡智と力を宿した器が完成した。
それは、その者が手に入れたかった『アヴァロン』の為に必要不可欠な鍵。その者は、遂に達成したと歓喜したが、同時に張りつめていた気が抜けていた。
その瞬間、黒装束を着た一人がそのヤドリギをかすめ取り、闇へと消えていったのだ。
その者は、天上から天下へと堕ち。
すぐに奪って行ったものを追いかけたが、ついに捕まえることは出来ず、逃がしてしまった。
その者は、怒り、憎しみで満たされ、その者が率いる組織の全てを動員し、ヤドリギの奪還に心血を注ぐ。
あのヤドリギは、その者の全てだ。なにに変えてでも奪い返しに来ることだろう。
なにせ全ては、あのお方のため。
このヤドリギは、相応しい器を持った者に移し替えることで真の力を目覚めさせるのだから。
―――だけど、僕らの物語はまだ終わっていない。
その者がいなくならない限り、人の運命を左右する代理戦争は、終結しないんだ。