四章 骸駆の将
暗い森の中で真九郎とカーミラは他の術師とともに、骸骨の軍勢と交戦していた。
「こやつら、数もそうだが中々手強いぞ!」
剣を持った骸骨と斬り合いながら真九郎は叫んだ。彼の言葉の通り骨の剣士は明確な意思こそ見せないが、極めて柔軟に真九郎の剣筋に合わせ攻撃してくる。何度目かの打ち合いの末真九郎はようやく相手をのけぞらせ、間髪入れず水の刃叩き込み粉砕した。その隙を突き、樹上から槍を持った骸骨が飛び掛かる。
「破ぁ!!」
すんでのところで味方の術師である青年が放った法力により槍兵が砕かれ、事なきを得た。だが直後狙いすましたように木の陰から無数の矢が彼らに降り注ぐ。今度はカーミラがとっさに二人の前に立ちはだかり、肉体を硬化させすべてはじき落とした。お返しとばかりに指から放たれた骨の弾丸が木の間から顔を出した骸骨の弓兵の頭を撃ち抜く。
「骨の騎士、バーズタイト卿の『身勝手な追憶』です! なんと厄介な……!」
砕けた端から地面に染み込むように消滅していく骨を見て、彼女は舌打ちして呟いた。
「これも吸血鬼の仕業なのか!?」
新たに襲い掛かってきた骸骨を相手しながら真九郎が尋ねる。
「ええ、過酷な修練を積み銀と魔除けを克服した騎士のヴァンパイアロードです。そしてこの軍勢こそ彼の能力、生前率いた騎士団を記憶を基に再現した、一人一人が十分な練度を持った精鋭たち。彼らは指揮官のバーズタイト卿を倒さない限り砕いた数だけ補充され、共有した感覚から最適化されていきます」
彼女は問いに答えつつ、それの背後に回り込み手刀で首を断つ
「つまり早急に本体を倒さねば私たちはじり貧ということですか!」
独鈷杵を手にした坊主頭の法師が結界で彼らに降りかかる矢を弾きながら叫んだ。
「ええ、ですがさらに厄介なことに彼自身も達人クラスの技量を持った武人、魔除けを刻んだ銀剣まで持っているので術師にも化け物にも強いという始末です。私ではひとたまりもありませんし、術師もそれ相応の実力ないし数が必要でしょうね…… いつもは主人に付き従ってほとんど姿を見せない癖に、何故わざわざこんな時に……!」
彼女は心底忌々しそうに顔をゆがめ、もう一度舌打ちする。
『ああ全くだ。各所でこいつらとの戦闘が始まってる。今はみんな持ちこたえてくれてるけど彼女の言う通りなら必ず突破される。敵はそいつ一人ってわけじゃないし、すぐに対処しなきゃいけないが、どうするべきか…… 正攻法で行ってもそいつにたどり着く頃には俺たちの手の内は大半覚えられてるだろうしな……』
カーミラの服の内側、各々に配られた念話の札から辰彦の声が響いた。その困りきった声音から彼が頭を抱えて唸っている様子がありありと想像できる。
『あたしが行くよ』
そこにぼんやりとした少女の声が割り込む。彼らとは別所で戦っている姫塚楓である。
「場所さえ分かればあたしの力でそいつの元にすぐに飛べる。それに、こっちはちょっと余裕があるから、あたしが抜けても大丈夫」
手入れされた形跡がなく荒れ果てた急斜面、視界と動きを遮るシダや茨の藪、およそ常人なら立ち入ることすら難しい悪所に彼女は平然と佇み、札に話しかけていた。一見、その場に彼女一人しかいないように思えるが、周囲の夜闇からは不気味な気配がいくつも漂い、かすかにかちゃかちゃと響く骨の音がここも戦場であることを示している。
『そうか君なら! じゃあ頼む、位置の特定はこっちがやるから君は本体を!』
「決まりだね」
『でも無理はしないでくれよ、西洋東洋の違いはあるとはいえ魔除けの類は君にも効くはずだ』
「心配ないよ」
彼の忠告に楓は少し困ったような微笑みを浮かべた。そして小さく深呼吸したかと思うと、一瞬にしてその姿を変貌させる。
それは首斬り鬼の名にふさわしい正に幽鬼といった風貌だった。血の気を失った土気色の肌に真っ白な死に装束、大きく開いた袖から覗く五指は全て鈍く輝く日本刀に変化しており、額からも同様に短い刃が二本角のように突き出て、その下に並ぶ濁った血錆色の眼差しは昼間とは打って変わってしごく冷たい。
「あたしはあなたよりずっと長生きなんだから、任せなさい」
呟くと同時に一陣のつむじ風と化し、瞬く間に彼女はその場から姿を消した。
「思いの外、手こずるな」
当の骸骨の騎士、バーズタイトは林道を闊歩しながら兵士たちから受け取った情報をもとに戦況を分析していた。集められた精鋭たちによる抵抗は激しく瞬く間に制圧できた神宮での戦いとは違い、戦況は一進一退していた。林道や尾根に陣取る術師たちはまだいい、精強ではあるがその戦法には規則性があり、使う術も多少の色は違えど数多の戦いで見たものとやることはそう変わらず見切るのはたやすい。問題は谷や悪路に進めた兵を襲う怪奇現象だ。見えない壁に道をふさがれたかと思うとどこからともなく倒れてきた大木や転がってきた岩に押しつぶされる、老人が数を数える声を耳にした瞬間足先から樹木と化し感覚が途絶える、などは生温い方で網でできたテントの中に閉じ込められどうやっても出られないなどの奇妙で対処法も検討がつかない怪事に見舞われ使える情報を残すこともできずに部隊は壊滅してしまった。
「人ではないな、土着の化け物たちか? 人に味方するとは珍しい」
彼はその様に自らの故郷欧州の森にすむ妖精を想起した。だとすれば厄介だ。あの類は対処法を事前に知っていれば容易いが、自分にはその知識がない。戦えば戦うほどこちらの有利とはいえ、吸血鬼である彼は日が出てしまえば退くしかない、また時間をかければ援軍が到着し逆に挟撃を受ける可能性もある。だからこそ、自分たちの有利に働く悪路からの奇襲を成功させたかったのだが。
「急がば回れ、か。銀狼がうまくやるやもしれぬしな…… 今侵攻しているものは谷地から退け、術師と交戦している部隊に合流せよ。騎兵を中心に突破するのだ」
幸い、ああいう類の化け物はあまりその場から動きたがらない。バーズタイトは即座に方針転換、足下から前線で砕かれた兵士たちを再生させながら号令をかけた。
「大方の戦況は掴めた。ではそろそろ吾輩も前線に赴かねばなるまい」
最後にそう呟くと骸骨馬を蹴り、走らせた。
しかし、その時空気が少し揺らぐのを彼の骨の身体は敏感にとらえる。
「ぬっ!」
バーズタイトはとっさに前方に剣を構え、防御態勢をとる。吹き荒れる突風とともに刃と刃がぶつかり合う金属音が轟き、鮮やかな火花が飛び散る。
彼は反動を殺すため馬から飛び降り、後方の地面に土煙を巻き上げ着地した。伴っていた周囲の骸骨たちは皆首が斬り飛ばされ、辺りの地面に散らばっている。
「何、者……!」
同じように前方に、しかし重力を感じさせないふわりとした動作で降り立った影を空洞となった眼窩で睨みつけた。
「首斬り鬼」
影――――姫塚風はそう名乗ると、刃と化した五指を構える。そして呟くようにただ一言宣言した。
「お前の首を、斬る」
闇の中で幾度も火花が閃き辺りを照らした。つむじ風と化し襲いかかる楓の斬撃をバーズタイトがそのすさまじい技量で全て受け流しているのだ。
「……粘るね」
吹き荒れるつむじ風の中、平坦な中に少しの焦燥が混じった呟きが響き渡る。
「どれだけ疾かろうと全ての太刀筋が首に向かうのであれば見切るのは容易い」
(だが動きがなければ千日手)
迫りくる斬撃を淡々と捌きながら彼もまた胸の内に焦りを生じさせていた。この戦いに集中しているせいで、兵の供給と指揮が遅れておりこの力の利点である物量と学習が活かせなくなっているのだ。かといって攻めに転ずれば即座に首を斬られてしまう。両者は望まぬ攻防を強いられていた。
そんな膠着状態を先に破ったのは楓の方だった。つむじ風の軌道が大きく変わり、首一点から胴、手足へと斬撃が広がる。
「それを待っていたぞ。やはり首以外は鈍る……!」
バーズタイトは表情のない顔でほくそ笑んだ。手足を狙う小さい斬撃を最低限の動きで回避し、続く胴から頭にかけてを八つ裂きにしようとする五閃を正面に構えた剣で受け止める。それだけではない、つむじ風と化していた楓の身体はいつの間にか実体化させられていた。見るとバーズタイトの腕から無数の骨が生え彼女の指をからめとり、動きを封じていたのだ。彼はそのまま相手を両断せんと剣を振る。
「!」
危機に気づいた楓は驚愕しながらもすぐさま封じられた片腕以外の全身を捻り残った片方の五指を振りかぶる。生み出された風の刃はバーズタイトの首こそ飛ばせなかったもののからみついていた骨と彼の胴体を破壊し、それに乗じて彼女は後方に飛びのいた。
「騎士さん、中々汚い手を使うね……」
楓は痛みで歪んだ顔ですでに再生を終えかけている骨の騎士を睨む。致命傷こそ避けたが彼の剣は彼女の脇腹に食い込み、傷を負わせていた。刻まれた魔除けがその身を侵し、傷口をただれさせている。
「申し訳ない。されど吾輩は騎士である以前に従者であるゆえ、主命とあらばどんな手を使おうと勝たねばならぬのだ」
再生した身体を揺らしながらバーズタイトは平然と返す。その周囲には再び骨の兵士たちが湧き出し、陣形を組み始めていた。
「騎士だとか武士だとか、あなたみたいな連中はみんなそうだね。口ではかっこいいこと並べながら、いざとなったらあれこれ言って薄汚いことを平気でやる」
楓はそれを鼻で笑って吐き捨てる。そして言い終わらないうちに風の刃を飛ばすと自らも同時に矢のように駆け出す。
「同類からなんぞ非道を受けたか? それも同じ立場として謝罪しよう。しかし手は緩めぬ、貴女を下し押し通らせていただく!」
バーズタイトもまた謝罪を述べながらも暗い声を荒立たせてそれを兵士たちとともに迎え撃った。斬撃同士が激しくぶつかり合い、再び大きな火花が辺りを照らした。