二章 集結
紀伊山地は紀伊半島のおよそ半分を占める山地であり、高い所では1000メートルを優に越える急峻な山々が並び東西の交通を大きく制限している。しかし昔から林業が盛んな土地でもあり、林内にはいくつもの道路が敷かれ山深くまで続いている。ジェンキンス一行の乗った車はその中の一つを進んでいた。
「大分奥まで来たぜ。目的の寺ってのはまだかい?」
「もうちょっとのはずだよ。一種の要塞のようなもんだからね、相応に奥深い場所になるのさ」
植林された杉並木に囲まれた未舗装の砂利道に揺られながら運転席のジェンキンスと助手席の辰彦が言葉を交わす。
「あのー、結局最後までご一緒することになっちゃいましたけど気を悪くしてないですか?」
後部座席からミリアがひょこっと顔を出した。
「ん-、なっちゃったものは仕方ないよ。ま、一緒に戦うんだ頼りにするさ」
「頼りに!? な、ならいいんですけどえへへ」
辰彦の鷹揚な返答に彼女はにへらと照れ笑いする。その反応を見て彼は一瞬真顔になったがすぐ元の微笑みに戻す。
「お、道が開けて建物が見えてきたぜ。ようやく着いたか」
前を向いていたジェンキンスが突然声を上げる。視線の先には人も通わぬ山奥には不釣り合いな大きさの寺がそびえたっていた。地面は不揃いな砂利から整然と固められた土と建物の入り口まで続く石畳と階段に変わる。
「ああ、そうさここが俺たちの最後の砦さ」
ほぼ同時にそれを認めた辰彦はようやく一安心、といった具合にため息をついた。
「お、来たね。結構早かったじゃないか」
車を降り階段を登る一行に向けて建物の方から声がかかる。目を向けると本堂の扉付近に座って軽く手を振る少年の姿が見える。幼い見た目とそれと相反する古木のような老いを感じさせる雰囲気を纏うその少年こそ彼らを呼びつけた死神、速水正四郎だった。
「できるだけとばしてきたからな。でこぼこ砂利道にひやひやしながらよぉ、ちったぁ、ほめてほし…… ってお前さんは!?」
泰然とした態度の正四郎に軽口で返そうとしたジェンキンスだったが、その傍らに佇む二人の男のうちの一人、鋭い目つきと険しい顔つきながらどこか優しげな雰囲気を感じさせる青年が誰であるかに気付き目を丸くする。
「――――しんくろーさぁぁぁん! 無事だったんですね! よかった! よかったぁぁぁ!!」
続けて何かを言う前に彼の隣をミリアが駆け抜け、青年――――行方不明だったはずの速水真九郎に飛びついた。涙ぐんだ声で、喜びと安心を身体いっぱいに表して真九郎の胸に顔を埋める。
「おっと……! ああ、無事だとも。ミリア嬢こそ大事ないか? 止めるためとはいえ拙者は貴女に刃を向けた」
突然のことに彼は一瞬戸惑うがすぐにそっと受け止め、慈しむように目を細めた。
「はいどこも! 真九郎さんにはお礼を言いたいくらいです! あなたがわたしを止めてくれなかったら…… だから行方不明になったって聞いてずっと、ずっと心配して……」
真九郎の気遣いにミリアはぶんぶんと頭を振り、抱き着く力を強める。
「おいおいミリアちゃん、気持ちは分かるがそんなにくっつくと旦那が困るぜ? 速水の旦那、オレもお前さんが生きてて嬉しいけどよ、何で生きてここに? そこのお二人さんから直々に行方不明になったとオレは聞いたんだが」
ジェンキンスは宥めるような口ぶりで真九郎にくっついたミリアを引っぺがすと怪訝そうに彼に尋ねた。
「おお、ジェンキンス殿。貴殿も大事ないようでなにより。む……、なぜ生きている、か。それは、その込み入った事情が、あってな……」
尋ねられた彼は打って変わって苦虫を嚙みつぶしたように顔をしかめ、言いにくそうに眼を泳がせる。
「……騒々しい。目が覚めてしまいました。敵襲ではないようですが」
その時気だるげな声とともに彼の背後にある扉の向こう、本堂の暗がりに白い顔が浮かび上がる。
「あら、あなたたちは。まさか術師を助けたというのは…… やれやれ、奇妙な縁もあるものですね」
身に纏うゴシックロリータのドレスに映える透き通るほど白い肌、深い海の底のように暗く冷たい瞳でこちらを見下ろす美しい顔に似合わぬしかめ面。暗闇から姿を現したその少女は正しく数日前ジェンキンスの手足を折り、ミリアを操り真九郎と戦わせた張本人、彼とともに行方不明になったと言われていた吸血鬼カーミラ嬢だった。
「お前さんは吸血鬼の……!」
ジェンキンスは少女が何者か認めるとすぐさまミリアを後ろに回し、自らの能力で生み出した拳銃を彼女に向け臨戦態勢に入った。恐怖のためか緊張のためか表情は強張り、額から冷や汗を流しているが視線と銃口にはブレがなく、しっかりとカーミラを捉えている。
「……銃を下ろせ、ジェンキンス。少なくとも今は、この吸血鬼が我々と敵対することはない」
それを今まで沈黙を保っていた般若面の大男、神羅が重々しい声と剛腕でもって制止した。
「そうそう、真九郎君が言ってたようにふかーい訳があるのさ」
「ジェンキンス殿、拙者が経緯を話すゆえ、どうか収めてほしい」
正四郎、真九郎もまた二人の間に立ちふさがる。
「分かったよ。話してくれ」
それは彼を止めるためでもあり、同じように敵意を発し始めた彼女から守るためでもあると感じ取ったジェンキンスはゆっくりと腕を下ろした。
「かたじけない……」
真九郎は申し訳なさそうに一瞬目を伏せたがすぐさま顔を上げ目覚めてからこの数日間のことを語り始める。カーミラによって傷は治療され命は助かったが彼女に支配されてしまったこと、彼女が力を取り戻すまで用心棒として同行する羽目になったこと、次々と襲い来る刺客たち、それらを下し手がかりを辿ってたどり着いた屋敷であったことを。
「やあ、お二人さん、それと一匹、かな? ご機嫌はいかがかな?」
三人が振り向いた先、暗い廊下の向こうに正四郎は立っていた。月光に照らされ人魂のように浮かび上がる顔は混じりけのないにこやかに微笑みをたたえており、かえって場にそぐわない不気味さを醸し出している。
「セイシロー……!」
カーミラが恐怖と戦慄に声を震わせる。刺客を送り込んでいたのは彼ではないことは分かったが、敵であることには変わりない。さらに彼女の目的が自分よりはるかに強大で世を脅かす存在である屍の姫君と接触することだと知られてしまった今、この死神は容赦なく彼女を始末するだろう。
(シンクロ―と二人がかりで戦う? いや、それでも実力差は覆らない、一矢報いることすらできずに始末される。彼をおとりにして逃走する? いや、すぐさま解放され追手が増えるだけです。カシャの封印を解いてぶつける? 論外、勝った方が私をどこまでも追ってきて殺すでしょう)
カーミラは危機を脱するために必死になって頭を働かせるが、どれも現実的とは言えず冷や汗を流しながら立ちすくむ。何かしてもしなくても殺される、その恐怖が彼女の心を捕えていた。
(この状況は、どうする、べきか……)
一方の真九郎もまたこの僥倖とも言える状況に戸惑いを感じていた。彼が自分を助けるにせよ、カーミラとともに始末するにせよ、凶行に手を貸す前に彼女の下僕という立場から解放され生き残った吸血鬼は滅ぼされる。単純に考えれば喜ばしいことだが、この旅がこのような形であっけなく決着がつくことに彼はどうしてか納得しきれなかった。かといって味方である正四郎に刃を向けられるはずもなく、真九郎は自分にも分からない葛藤に苛まれただ警戒態勢を取り佇むことしかできなかった。
「嬢ちゃん兄ちゃんどっちでもいい俺様の封印を解きな。ここであったが百年目、奴との決着つけてやる」
火車だけがぎらぎらと目を輝かせ、闘志満々で腕を鳴らしている。
「おいおいそう警戒しなくてもいいじゃないか。僕は別に君たちを殺しに来たわけじゃない、殺したとして一人二人、仲間も増やさない吸血鬼をわざわざ追っかけてまで始末する暇はないよ。ここには警報のように働く術式が敷いてあってね、知らせがあったから様子を見に来たのさ。むしろ君たちで安心したよ。火車まで倒してくれたなんて感謝したいくらいだ」
警戒の目を向けられた正四郎は困ったように眉を下げ、両手を上げて敵意がないことを示す。
「では、私たちを見逃すと?」
それを聞いたカーミラは少しだけ警戒を弱め、訝しむように眉をひそめ、尋ねた。。
「ん-それだと少し僕にメリットがないなー。ああ、そうだ、取引をしよう。条件は僕に協力することと真九郎君の開放。あの戦いの後逃げた魔弾を追っていたんだけどあいつ行く先々で危険な化け物どもの封印を解きまくってね、それで奴を追う余裕もなくなっちゃった。加えてなぜか同じようなことが日本全国で起きて協力してくれる術師の集団もてんやわんや、手が全然足りないんだ。飲んでくれたなら騒動が終わった後見逃すだけじゃなく君の目的に僕にできる限りの支援をしよう。君があの戦いで失った力の補填から僕が知る『屍の姫君』の情報、彼女が今いる場所まで。どうだい、悪い条件じゃないと思うけど」
正四郎は彼女の問いにわざとらしく顎に手を当て、やがてぽんと手を叩き元々用意していたことは明らかな取引内容をすらすらと持ち出す。
「……飲まなければ、どうなるんです?」
一見すぐさま飛びつきたくなる理想的な条件にカーミラは息をのむが、しかしうまい話には裏があると思いなおし恐る恐る問いを続ける。
「そうだね、ならわざわざ足を運んだんだしそこまで害がないとはいえ所詮は吸血鬼、生かす必要はないよね。真九郎君を解放して戦力にしたいし、火車も回収したいしねぇ……」
「実質飲まない選択肢がないじゃないですか……!」
予想通りの理不尽な答えをさらりと並べる正四郎にカーミラは憎々し気に睨み、歯ぎしりする。最初からこの男は自分を逃がす気はないのだ。この場で殺すか、駒として使いつぶすかの違いでしかない。改めて自分がどん詰まりな状況であることを再確認する。
「それはあまりに理不尽ではないか正四郎殿、倒すなら倒す、見逃すなら見逃す、取引をするならばたとえ化け物相手であろうと誠実であるべきだ。貴殿がその気なら解放されようと拙者はカーミラの側につくぞ。その上でことが終わった後責をとって拙者の手でこ奴を倒す」
「おめぇはそういう奴だよなぁ! ええ、まったく燃えてねぇ野郎だ気に入らねぇ」
状況を見守っていた真九郎たちも正四郎の柔和に見えて横暴な態度に反感を抱き、両者の前に立ち塞がろうとした。
「待ちなさい、私も少し頭に血が上りましたがせっかく話し合いの余地を残してくれたのです。不意にするのはあまりに愚か。あとシンクロ―、あなたの理屈も大分理不尽ですよ?」
カーミラはその様を見て逆に冷静さを取り戻し、彼らを手で制する。そうだ、これは窮地であってチャンス、この世界で契約は絶対、生き残りさえすれば悲願達成までの距離はぐっと縮まる、そう考えた。
「いいでしょう、飲みましょう。でも私も保険が欲しい、シンクロ―を解放するのはあなたが私への条件を果たした後、つまり屍の姫君の居場所に案内してからです。これを承諾できないなら今すぐカシャを解き放ちます」
そして火車の首根っこを掴むとその首にかかった自らの髪で編んだ封印に刃物のように尖らせた爪を当てる。
「言うねぇ嬢ちゃん、いい度胸だ燃えてるぜ。喰っちまわなくてよかったかもな」
彼女のしたたかな発言に火車は牙をむき出しにし凶暴な笑みを浮かべる。真九郎はあれだけのことをした火車を解き放つことに一瞬難色を示したが、今はその手しかないことも理解し黙殺する。
「それは困るなぁ。仕方ない、その代わりしっかり働いてもらうよ。真九郎君も、解放が少し遅れるし、ものみたいに扱っちゃってすまないがそれでいいかい?」
「無論、拙者は貴殿がくれた救いの手も蹴ったのだ。当然の扱い」
正四郎は言葉とは裏腹にその答えを待っていたと言いたげに腕を広げてカーミラの提案を受け入れ、真九郎にも確認をとる。
「じゃあ取引成立だ。今から僕らは協力関係、よろしく頼むよ」
「というわけで拙者とカーミラはここ数日正四郎殿と行動を共にし、魔眼に封印を解かれた化け物どもと戦っていた。そして今朝、この件を知らされここで貴殿らを待っていたのだ」
「ふーん、そういうことかい。速水の旦那、お前さんも大分難儀なことになってたみたいだな、同情するぜ」
話を聞き終えたジェンキンスはやれやれといった感じで肩をすくませた。
「これで私が今は敵でないと分かったでしょう?」
「ああ、理解したさ。だが納得はしてねぇ。オレのことはいいがお前さんはミリアちゃんにあんなことをさせたからな。そうそう受け入れられるかよ」
「ふん、それは戦場に子供を連れてきたそちらの落ち度でしょうに」
「……!」
未だ敵意の視線を向け続けるジェンキンスにカーミラは吐き捨てるように言った。それは彼女がミリアにした所業を棚に上げて言うようなものではなかったが、ジェンキンスは苦々しげに表情を歪め言い淀む。
「カーミラ!」
一連の様を間近で見ていた真九郎が咎める目つきで睨みつける。彼女は意にも介さずそっぽを向き、そのまま本堂の闇の中に消えた。
「わ、わたし全然気にしてませんから。ジェンキンスさんが代わりに怒らなくていいですよ? わたしのためにしてくれたのは嬉しいですけど」
背中に張り付いていたミリアが気遣うような表情でジェンキンスを見上げる。気にしていないわけがない、彼はそう思ったが口には出さず優しく彼女の頭を撫でた。これ以上自分が怒りを発しても彼女が心を痛めるだけだからだ。
「すまない、ジェンキンス殿」
「お前さんが謝ることじゃねぇさ。正四郎の旦那、オレは少し疲れた! ミリアちゃんも力使ったからいくらか消耗してるだろ。休みてぇから手頃な場所に案内してくれねえか!?」
「あの、わたしはもうちょっと真九郎さんとお話ししたいので残っていいですか?」
「そうかい、じゃ程々にな」
申し訳なさそうな真九郎をあしらい、ジェンキンスは正四郎を連れてその場を離れた。
「やれやれ昨日の敵は今日の友、ことわざにはこうあるけど実際には中々受け入れられるものじゃない、か。世の中は難しいねぇ。おっと、色々あって紹介が遅れたね俺は明神辰彦。速水真九郎さんだったかな? よろしく頼むよ」
離れていくジェンキンスたちを横目で見ながら辰彦はため息をついた。そして真九郎に対し、にこやかな笑みを浮かべて名乗り、手を差し出す。
「人と化け物、そう相容れるものではなかろう。拙者とて支配と契約がなければ敵対している…… 明神と言えばこの国でも力ある術師一族の一つ、そして同じ流れより分かれたかつての同胞。共に戦えることを光栄に思う」
真九郎は言葉とは裏腹に敵意だけではない様々な感情が混じった複雑な表情で俯くが、やがて彼の名乗りに応え敬意を込めた言葉と態度で彼の手を握った。
「俺ははぐれもの、あまり本家とは関わりがないけどね。こちらこそ遥か昔に袂を分かれ、異国に渡った速水の一族とまた巡り会えて嬉しいよ。あなた方は代を重ねてもその正しい意志を守り通したんだね」
辰彦もまた居住まいを正し、尊敬の眼差しとどこかはにかむような笑みで返す。
直後、生暖かさを含む一陣の風が吹いた。強風というほどではないが何故か強い抵抗を感じ、三人は一瞬目をつぶる。
「ん、一番乗りじゃなかったみたい。全力で駆けてきたんだけどな」
風が吹きやみ、目を開けると彼らの目の前に忽然と一人の少女が佇んでいた。高校生ほどだろうか枯草色の髪を後ろにまとめ、ぶかぶかのダッフルコートを着たその少女はぼんやりした目つきで彼らを見回して呟く。景色がそのまま映り込むほど透き通った琥珀の瞳と整った顔立ちがなんとも神秘的な雰囲気を漂わせている。
「妖気!? もしや貴様が!」
突然現れた少女に確かな妖しさを感じ、真九郎はすぐさま身構えた。
「いいや、心配ない。彼女は味方だ」
それを辰彦が手でもって制する。
「だがこの女子は……」
「そう、妖怪だ。でもそれはそう大した問題じゃないさ。辺りを見てごらん、彼女に続いてぞくぞくと集まってきたようだ」
彼の行いに戸惑いながらも真九郎は言われたとおりに周囲を見回す。すると寺の周り、杉と照葉樹、シダで鬱蒼とした林内のそこかしこに淡く光る青白い鬼火やこちらを覗く赤い双眸が浮かんでいるのが目に入った。異様でおどろおどろしい光景に真九郎は一瞬目を見開くが、すぐに目の前の少女を含むそれらが自分たちに何の敵意を持っていないことに気付く。
「皆この周囲の土地に住まう妖怪たちさ。八咫鏡が悪用され国が乱れるのは彼らにとっても不都合だからね、報せを受けて駆けつけてくれたんだろう。あなたはさっき人と化け物はそう相容れるものじゃない、俺はことわざの通りにはいかないと言ったが、この国じゃ珍しいことじゃないんだ。害なすときは戦い、そうじゃない時は助け合う、少なくとも俺たちは昔からそうしてきた」
「そう、なのか? いやしかし……」
あくまで当たり前のことの様に話す辰彦とそう受け取らざるをえない状況に真九郎は困惑する。人に害を為さない、反対に人に益をもたらすような友好的な化け物が存在するのは真九郎も知識として頭にある。しかしきまぐれや契約による協力、使役ではなく個人的な友誼や利害の一致により人間と組織だって協力し合うというような関係があることはあり得ないと考えていたし、完全に飲み込むには人に害なす邪悪な化け物と相対し過ぎていた。
「お、この気配は首切り鬼か? 久しぶりだなぁ!」
その時ひょっこり彼の懐から火車が顔を出し、少女を見て素っ頓狂な声を上げた。どうやら居眠りをしていたが、彼女の気配を感じて起きたらしい。
「や久しぶり、随分可愛くなったね。でも今のあたしには姫塚楓って名前がある、そっちで呼んで欲しい」
小さくなった火車を指先でつつきながら首切り鬼と呼ばれた少女はそう名乗った。
「首切り鬼? 確かそれは乱世の時代虐殺された女たちの怨念が化した妖怪のはずだ。拙者が見た書物には死体を埋めた塚に住み、道ゆく人々を殺した故どこぞの術師に調伏されたとあったが……」
真九郎は火車が呼んだ方の名前に反応して目を見張った。
「ああ、こいつはなぁ……」
「かっわいいー! この子が火車ちゃんなんですか!? ちょ、ちょっと触らせて貰ってもいいですか!?」
火車が何が面白いのかにやつきながら説明しようと口を開いたが、食い気味に声を張らせたミリアに掴まれ阻止される。
「ミリア嬢は動物好きであったな…… うむ、触るなり撫ぜるなり好きにするといい。しかしその首の髪束だけは外してはならんぞ。火車、これも罪滅ぼしだ謹んで引き受けろ」
「わーい! じゃあ火車ちゃんあっち行きましょうねー」
「な、なんだよガキ、俺様は人形じゃねぇんだぜーッ!」
興奮したミリアに一瞬面食らった真九郎だが、ニヤつく火車の顔から不躾な気配を感じ快く送り出す。
「で話していただけるか?」
助けを求める火車の声を黙殺しながら真九郎は少女に向き直る。
「ん、そうだよ。あたしは首切り鬼、恨みと憎悪から生まれて沢山の人を殺してきた妖怪。だけどある人が、言葉を尽くして、命を懸けて教えてくれたんだ。たとえ呪いから生まれた存在でもそれに従う必要はないーーーー自由に駆けて、幸せを語る道もあるんだって。今までその通り生きてきて、大切なものをいくつも見つけた。だから、あたしはそれを守るために戦う」
首切り鬼、姫塚楓は自らの存在に対しそう語った。『ある人』のことを語った時表情の起伏乏しい顔をほんのり紅潮させ、声を弾ませるので火車を遠ざけたのは正解のようだった。
「貴女は、立派な方なようだ。変に疑ってしまい申し訳ない」
彼女の表情と言葉から確かな真摯さを感じ、真九郎は完全に警戒を解く。
「別にいい、慣れてる。それに目を見れば分かる、あなたも揺れている。今までの自分と、新しい自分の間で。だから少し敏感になってるんだ。でもそれは悪いことじゃないよ、迷ってその先にもっといい答えを見つけるのが人間だから」
真九郎の謝罪をさらりと受け取ると、楓は彼の目をじっと見つめるとうっすら微笑んで言った。真九郎はその言葉と透き通った瞳に己すら気づいていない心の内を見透かされたように感じ、息を飲む。
「あと君」
無言で考え込んでしまった真九郎を尻目に今度は火車と戯れるミリアに声をかける。
「はい、なんでしょう?」
毛皮を撫でる感覚に頰を緩ませた顔でミリアは応えた。
「君は、空と友達なんだね。彼は君の味方だから、次声が聞こえたら応えてあげて。きっと力になってくれるから」
真九郎と同様、彼女の目をじっと見つめると懐かしそうな口調で呟く。
「?」
「その時がくれば分かるよ。じゃ」
それだけ言うと風はさっさと正しく風のように奥の方に去っていった。
(……害をなさないなら助け合う……例え呪いから生まれた存在でもそれに従う必要はない……か、ううむ……)
「なんだったんでしょう?」
その場には考え込んで唸る真九郎とぽかんと首を傾げるミリア、それを見て肩をすくめる辰彦とひたすら撫でられる火車が残された。