一章 騒々しい休暇
「いやーやっぱ休み取って良かったなぁミリアちゃん。久しぶりの日本は海は綺麗で飯もうまい! 最高の年末になりそうだ!」
テンガロンハットを被ったカウボーイ風の男、スティーヴン・ジェンキンスは朝日に照らされ輝く海を眺めて感嘆の声を上げた。
「ですねー! 鳥羽水族館、真珠島…… 水族館は可愛いお魚さんやカニさんがいっぱいいてとっても楽しかったです!」
隣に立って同じように海を見つめるリュックサックを背負った金髪碧眼の少女、ミリア・スカイラインは目を輝かせて頷いた。
「お土産もたーっくさん、アリスちゃん喜んでくれるかなぁ?」
そして海洋生物のぬいぐるみを集めている友人を思い浮かべうきうきしたような微笑みを浮かべる。
退院したミリアとジェンキンスは年明けまでの長い休暇をとり、日本観光を満喫していた。現在地は志摩半島、前日水族館や美味しい和食を散々楽しみ、今朝は付近の浜辺で美しい海を眺めてのんびりしているのだった。
(ほんとにな、お陰でだいぶ気分が晴れたみてえだ)
楽しそうに笑うミリアを見て、ジェンキンスは胸中で安堵する。彼女は先の戦いで敵の手に堕ち、味方である速水真九郎と戦わされた。その後速水真九郎と戦った吸血鬼が消息不明となり、ミリアはそのことを自分のせいだとずっと気に病んでいたのだ。本人は気丈に振る舞おうと努力していたが、だからこそジェンキンスの目にはとても痛々しく映り、彼自身も胸を痛めていた。
この休暇はそんな彼女の気が少しでも晴れるようにと、彼が計画したものだ。その目論見は今の所うまくいっているようで、大好きな動物、美しい海に目を輝かせるミリアは悩みごとを忘れ、子供らしく楽しんでいるように見える。
「とりあえず昼まではこの辺りでのんびりするとして、次はどこへ行く? 車借りたからどこへでも好きなところへ行けるぜ」
ミリアの頭を優しく撫でながら、ジェンキンスは次の行き先を尋ねた。
「んーっと、そうだ奈良で鹿さんに会いたいです。町の中をたくさん歩いてるって聞きました!」
撫でられた頭をくすぐったそうに振りながら彼女は答える。
「おーいいねぇ! 俺ぁ奈良なら大仏が見てぇな、馬鹿でけえらしい。その後、大阪や京都へ行っても楽しそうだ。しかし奈良は近いように見えて遠いからな…… 今日のとこは松坂か津に泊まって…… 松坂牛でも食うかぁ!?」
彼女の提案にジェンキンスは指を鳴らし、おどけるように笑った。
「もージェンキンスさん、食べることばっかりですー」
「へんだ、おっさんだから発想力が貧困なのよん!」
呆れた声を出すミリアを抱え上げ、思い切りくすぐる。くすぐられた方もふざけた笑みを浮かべ、腕の中で暴れる。
「ふふふ、くすぐったいですよジェンキンスさんー、やめてくださぁい」
「ははは、思い知ったかー! ……ん、ありゃなんだ?」
ひとしきりくすぐって満足した彼はミリアを下ろし、顔を上げると視線の先、山の方を見つめ怪訝そうに首を傾げた。その目には木々の上を舐めるように這う、黒い雲のようなものが映っていた。
「え? ……ほんとだ、なんでしょう?」
一拍遅れてミリアも異変に気づく。そしてリュックから双眼鏡を取り出すと山の上を移動し続ける黒雲を覗く。
「鳥さんかな? ……虫? あれ、人もいる。 !襲われてます!」
黒雲が何か観察していたミリアはその先端に黒雲に追われ木々の上を飛び跳ねる人らしき影を捉えた。
「な、何だって!?」
「助けに行ってきます!」
突然のことに動揺するジェンキンスを尻目にミリアは早々に周囲の空気を操り、黒雲の元へ全速力で飛び上がった。
「お、おい、ミリアちゃん! ……ッくそっ! せっかくの休みだってのに……! 騒々しくなりそうだぜ……」
止める暇もなく弾丸のように飛んでいったミリアを睨み、彼は舌打ちするとすぐさま後を追い走り出す。
「やぁぁぁぁぁ!!」
掛け声とともにミリアは黒雲のど真ん中に突っ込んだ。それだけで身に纏った暴風によって雲は構成する虫を吹き飛ばされ、形を失う。
「そこの人、危ないので少し離れててください!」
さらにその場で静止、忠告の後一拍おいて手を上げると彼女を中心に激しい竜巻が巻き起こった。周囲の空気を飲み込んで成長した竜巻はある一定の大きさまで育つと急速に収束し、何事もなかったように消えた。その後には虫の群れなど一片も残らず、ただなぎ倒された木々のみが残こる。
「大丈夫ですか? 怪我してないです?」
とりあえず危機は去ったと認めるとミリアは助けた人物の方へ近寄り、心配そうにのぞき込んだ。
「あ、ああ、目立った傷は……」
襲われていた人物————ぼさぼさ髪に無精ひげを生やした僧衣の男————は突然の出来事に戸惑いながらも答えた。
「よかったぁ! では町まで送りますので手を出してもらってもいいですか」
自分の無事を確認してぱっと無邪気な笑顔を浮かべる少女を見て男は警戒を解き、おずおずと手を出す。
「じゃあいっきますよぉ!」
男の手をしっかり掴むと彼女は来た時と同じように風を纏い、麓へと飛んだ。
(この……気配は……)
その時風の音に混じった微かな声をミリアの耳は捉えたが、彼女はそれを空耳と処理し全く気にも留めなかった。
ミリアは目立たないように人気のないところを選んで降り立つと男を離した。
直後、ジェンキンスもまた車で彼女たちに追いつく。
「おいミリアちゃんよ! 勝手に飛ばれちゃ困るぜ!」
ドアを開けるなり咎めるような口調で怒鳴った。
「す、すみません。でもこの人、必死で逃げてたので助けなきゃっていてもたっても……」
ミリアはバツが悪そうに目を伏せて弁解する。
「はぁ…… 何も助けるなって言ってるわけじゃねえさ、でもお前さんが危ない目にあっちゃ本末転倒なんだ。もっと慎重に頼むぜ?」
ジェンキンスは申し訳なさそうに俯く彼女にため息をつくと表情を和らげて語りかける。
「はい、気をつけます……」
彼を心配させてしまったことに気づき、少女はますます肩を落とした。
「あー、取り込み中みたいだがいいかな? 助けてもらって悪いが君ら何もんだい?」
事態の中心でありながら蚊帳の外に置かれていた男が咳払いをして会話を遮ると二人に問いかけた。
「あ、いけねえほっといちまって。 オレの名はスティーヴ・ジェンキンス、お前さんを助けたのが相棒のミリア・スカイラインちゃん、WEOのメンバーさ。で、兄ちゃんお前さんは? 真冬にあの数の虫に追われてんのはただごとじゃねぇ」
今度はジェンキンスがバツの悪そうな顔で男に向かって笑いかけると自分たちの素性を明かした。
「WEO……、ああ超能力者の。俺は明神辰彦、フリーの術師さ。なんであんなことになったのかというと話せば長くなるけど……」
碌に手入れもしてなさそうなぼさぼさ頭に無精髭を生やした目つきの悪い僧衣の男、明神辰彦はそう名乗ると事情を語り始める。
昨晩伊勢神宮が何者かに襲われたこと、恐らく常駐した術師は全滅したこと、そして騒ぎを聞きつけ駆けつけた自分はその一人からある品を託され、追っ手から今まで逃げ延びていたこと、全てを語り終えると辰彦は抱えた木箱を指差す。
「これがそれ。中身は八咫鏡、三種の神器の一つにして天照大御神の御神体さ。神の力を降ろすにはこれ以上ないって代物で、これ自体も桁違いの力を秘めてる。得体の知れない奴には絶対渡しちゃならないものだ。だからこういう時の為に用意された場所まで持っていって、日本中の術師を集めて迎え撃つはずだったんだけど……くそ、真反対の方向に追い立てられてしまった、情けないったらないよ……!」
辰彦は苛立たしげに舌打ちし、自分への怒りで肩を震わせる。
「八咫鏡ねぇ。うーむ、思った以上に深刻な話に関わっちまったみたいだな……」
ジェンキンスは顎に手を当て苦々しげに眉を顰めた。
「ジェンキンスさん、あのわたしたちで……」
そんな彼の顔を横から見上げ、ミリアがおずおずと口を開く。
「ダメだ。吸血鬼退治だって正四郎の旦那に借りがあるから引き受けただけで、オレたちの仕事は化け物と殺し合うことじゃねぇんだ。今回は完全に領分を越えてる。今度こそ死んじまうぞ」
しかしジェンキンスはきっぱりとした口調でそれを遮った。
「助けてもらっておいて申し訳ないが俺も彼に賛成だな。どれだけ強い力を持っていても君はまだ子供だ、血生臭い殺し合いなんかすることない。それに守るべき一般人にそこまでしてもらうなんて術師のメンツ丸潰れだ。気持ちは嬉しいけど断らせてもらうよ」
ジェンキンスの言葉に辰彦も頷く。
「ほら、本人もああ言ってる、ここは抑えろよ。そうしょげるな、オレだってこの兄ちゃんをこのまま放っとくのは気分が悪い。目的の場所の近くまでは車で送って、後は正四郎の旦那に連絡して任せる、ぐらいはしよう。決めるのはオレたちじゃあないが」
彼は腰をかがめしゅんとするミリアと目を合わせ、優しく肩を叩いた。
「じゃ、じゃあ」
ミリアは顔を上げ、すがるような上目遣いで辰彦を見つめた。
「……あの人に知らせてくれるだけでも十分だけどね。だが足が必要なのは事実、それくらいなら喜んで手を貸してもらうよ。協力感謝する」
その様を見て辰彦は一瞬眉をひそめたが、すぐに鷹揚に微笑んで頷いた。笑みを返された彼女の顔もパッと輝く。
「よし決まったな。じゃまずは旦那に連絡だ」
手をぱんと叩くとジェンキンスはスマートフォンを取り出した。ほどなく正四郎と電話で繋がり、一連の経緯を話し始める。
「本当によくやってくれたよ。ここ数日騒動続きでね、今回のこともついさっきようやく気付いた始末さ。大急ぎで周辺の術師に呼び掛けていたところだ。君たちが彼を助けなければこの国は大変なことになっていただろうねぇ」
声の幼さに見合わぬ冷静な口調で正四郎は彼らを称賛した。
「偶然気づいちまっただけさ、オレとしちゃ早くお前さんに全部任せて手を引きたい。待ち合わせ場所を決めてくれ、そこまで彼を連れていく」
「あー、その話なんだけどねぇ…… 君たちにも協力してもらいたいんだ。そのまま彼を連れて来てくれないかい? 場所は紀伊山中にある寺だ、車なら数時間もすれば着くさ」
「ふざけるなよ! 確かに旦那にゃ借りがある、だからこの前は手を貸した。だがそれで貸し借りなしだ、こんな厄ネタにまで関わる義理はねぇだろ!?」
辰彦とは対極に容赦なく二人を巻き込もうとする正四郎に、ジェンキンスは声を荒らげ、怒鳴りつけた。その胸中には彼に任せたミリアが放っておかれた挙句、吸血鬼に嚙まれ利用された怒りがあった。
「戦力が足りないんだよ。虫の群れに襲われてたって言ったろ? そういう数で押してくる相手を殲滅できる力の持ち主はそういないんだ。今は猫の手だって借りたい状況だ、頼みにできるものはなんだって頼るさ。それに君のところはこの国じゃ中々活動しづらい面があるだろ? 僕に恩を売ればこの前みたいにいくらでも便宜を図るよ? そう悪い話じゃないと思うけどなぁ」
いきなり怒鳴りつけられたことを意にも介さず、正四郎は淡々としかし、飲まねばもう決して協力しないと脅しともとれる条件を出しながら要求する。
「ち、お前さんほんといい性格してるよ正四郎の旦那……! わかったよ、だが危なくなったらすぐ逃げさせてもらうからな!?」
確かに諸々の理由でジェンキンスたちの所属する組織、WEOは日本含めたアジアでの立場が弱い。比較的平和な日本を足掛かりにしたいWEOとしては、表裏含めてこの国の様々な組織に強固なつながりを持つ正四郎の協力を得られなくなるのは致命的、彼の一存で(彼の上司たちはそれでも許してくれるだろうが)断ることはできなかった。彼は舌打ちし、不承不承といった態度で承諾した。
「な、何があったんですジェンキンスさん? そんなに怒るなんて……」
「すごい剣幕だったね。ま、あの人のやることだ、大体のことは推測できるけど」
彼の怒鳴り声に反応してミリアは恐る恐る、辰彦は慣れた様子で尋ねた。
「ああ、恐らく兄ちゃんの考えてる通りさ。やれやれ、悪いがお前さんのメンツは守れそうにねー。……さぁ、そろそろ出発しよう。さっきの虫がまた襲ってこねーとも限らないしな」
ジェンキンスは苦々し気に顔を歪めてスマートフォンを懐にしまうと、さっと身をひるがえし車の方に向かった。
「惜しいところで横やりが…… どういたします、追撃しますか? その場合私ではあの風とは相性が悪いので皆さんにも力を貸していただきたいですが」
ミリアが暴風で虫の群れを散らし辰彦を助けた直後、日の当たらない木陰で虫の群れが揺れる人影を形づくり慇懃な口調で声を出した。
「いや、日中は我らの半数以上は力を出せない。それにすでに昨晩のことが察知され力ある術者たちが集いつつある。今襲ってもいい結果は出ないだろう。それより奴らは必ず鏡を守るためにどこかに立てこもり守勢に入る。それを待ち、夜になったら全員で一気に潰しにかかる。抵抗は激しいものになるし我々の力も知られてしまうが、中途半端に襲撃して目的の品を得る前に更に敵を増やしてしまうよりマシだ」
人影の言葉に傍に佇んでいた軍帽の男が重々しい口調で返す。暗い森の中でさらに努めて日を避けているため、顔形ははっきりしない。
「思う存分力を振るえるのだな? 社の連中は期待したほど手ごたえがなく、不満だったのだ」
日中とはいえ気温の低い冬の森の中、タンクトップ一枚で平然とした態度の銀髪の男が喜色をはらませた唸り声をあげる。
「決まりだな。じゃあみんな俺の中に入りな、奴らが気付かない距離から追跡する」
木陰から体を出し、堂々と日光を浴びる金色の眼の大男がにやりと笑い、仲間たちに提案する。
「そうだな、そうしよう。黒竜、貴様と蛇には頭が上がらんな、貴様らのおかげで我々は何者にも気づかれず高速で移動できる―――――」
軍帽の男が金色眼の提案に頷くと今まで木々の間に佇んでいたいくつもの影がたちどころに姿を消し、後には金色眼だけが残った。そして残った金色眼もまた一瞬身体に力を込め背中から巨大な黒い翼を生やすと、凄まじい速さで飛び上がり上空に姿を消した。