X03 美少女が耳澄ます
廉さんが同じクラスの佐矢野さんに告白されてから、数日が経ちました。
私の頭の中に渦巻いていたあらゆる感情も今ではずいぶん落ち着き、私はいつもの調子を取り戻していました。
……ただ。
『負けちゃった』
彼女が最後に見せた涙と、この言葉。
それだけが私には忘れられず、何度も私の頭の中に蘇ってきていました。
結局、彼女が廉さんのどこに惹かれたのかはわかりませんでした。
けれど、私は忘れていたのかもしれません。
いや、きっとどこかでたかを括っていたんだと思います。
廉さんを好きなのは、私だけ。
彼の良いところを知っているのは、私だけなのだと。
しかし、考えてみれば当たり前のことで。
廉さんのことを見ている人だって、たしかにいる。
あの人の良いところに気付いている人だって、きっといる。
私が、そして夏目さんたちが、そうであるように。
……とは言っても。
「……突然告白されてしまうなんて、想定外でしたね」
無意識にこぼれた独り言が、学校の廊下に虚しく吸い込まれます。
とある日の昼休み。
私は借りていた本を返すために図書室に寄って、自分のクラスへと戻る途中でした。
それにしても、果たして廉さんは、モテるのでしょうか。
私はうぅん、と唸りながら腕を組みます。
私という特例を除いたとして、廉さんはどれくらい女の子に人気があるのでしょう。
『楠葉くん、見た目も悪くないんだし、今はけっこうモテると思うわよ?』
これは少し前に、千歳が言っていたことでした。
『表情が柔らかくなったし、大人っぽくも見えるから、惹かれる子もいるでしょうね。それに、優しくて紳士じゃない、楠葉くん』
……そう、なのでしょうか。
いや、もちろん私にとっては、廉さんはこう、なんと言うか……。
……。
ま、まあ、私の意見は置いておくとして……。
廉さんがモテそうか、と聞かれると、やはり頷きにくいものがあります。
夏目さんや一ノ瀬さんは、見るからに女の子に人気がありそうですが、廉さんのようなタイプは……うぅん。
なんだかピンと来ない気持ちのまま、私は普段あまり使わないトイレの前を通りかかりました。
その時。
「え、咲良、楠葉くん好きなの?」
女子トイレの中から突然聞こえてきたその声に、私は思わず足を止めてしまいました。
今、『楠葉くん』と聞こえたような……。
しかも、『好き』とまで……。
盗み聞きは良くない。
それはわかっているのに、私は女子トイレのドアの横の壁にピタッと張り付き、聞き耳をたててしまったのでした。
「ち、ちょっと愛梨ちゃん! 声おっきいよ!」
「大丈夫だって。個室、誰もいないし」
「そ、そうだけどぉ……」
「そういえば、今隣の席だもんね、咲良」
咲良さん、愛梨さん……。
聞き覚えはありませんが、察するに廉さんと同じクラスの女の子でしょうか……。
「でも楠葉くんって、また意外なとこ行ったねぇ。咲良はああいうのがタイプなの?」
「た、タイプって言うか……ちょっと気になってて……」
こ、これは……なんとタイムリーな……。
……。
いや、やっぱりダメです。
こんなプライベートなこと、こっそり聞くなんて……。
しかし……。
「そうなの? アタシ楠葉くんってなんの印象も無いわ。喋ってるのすら見たことないかも」
「う、うん。夏目くんとはたまに話してるけど」
「えっ、そうなの? へぇ、夏目くんと仲良いんだ」
「うん。あと最近だと、美緒ちゃんとかもよく話してるかな……」
おや、その名前はたしか、佐矢野さんの……。
「美緒? なんで? どういう繋がり?」
「保健委員が一緒みたい。ちょっと前から、よく一緒にいる気がする」
「へぇ。なに? 美緒も楠葉くん狙い?」
「そ、それはわかんないけど……違うといいなぁ」
私は、なんとも言えない申し訳なさを感じて、目を閉じてしまいました。
つい数日前、佐矢野さんは廉さんに告白して、そして……。
もう、ここを離れよう。
そう決意して、私はもたれていた壁から身体を離しました。
「どこがいいの? 楠葉くんの」
っ……!
な、なんて気になる質問を……!
……。
もう少しだけ……ほんのちょっとだけ。
吸い寄せられるように、私は再び壁に体重を預けました。
「えぇ……よ、よくないかな?」
「だって、知らないんだもんアタシ。楠葉くんのこと。でも、なんか冷たそう」
「つ、冷たい……かも。で、でもね! この前教室で、私が飲んでたお茶こぼしちゃったとき、すぐにハンカチ出して、一緒に拭いてくれて……」
ほお。
それはお手柄ですね、廉さん。
「へぇ。いいとこあるね、楠葉くん」
「うん……。お礼言ったら、『いいよ』って返ってきて、それだけだったんだけど……」
あらら……。
もう少し愛想良くできないものでしょうか……。
いや、私も人のことは言えないのかもしれませんが。
「私、それまで楠葉くんちょっと怖かったんだけど、ひょっとしてそんなことないのかなって思って……。それで、目で追うようになっちゃって……」
「うわ、めっちゃ乙女じゃん咲良」
「だ、だって……!」
はしゃぐような笑い声が二人分、トイレから聞こえてきました。
「楠葉くんってなんだか、飄々としてるって言うか、落ち着いてて、ちょっとカッコいいかも……なんて思っちゃったりして」
「ふぅん。まあ咲良の趣味は否定しないけどねー」
そろそろ会話が切り上げられる気配がして、私はまた壁から離れました。
「でも確か、楠葉くんってなんか噂なかったっけ? 5組の橘さんと」
「えっ!? なにそれ、知らない!」
おっと……。
本格的にまずそうな展開になり、私は小走りで自分の教室を目指すことにしました。
◆ ◆ ◆
その日の夕食後。
「お、おい……なんだよ」
食器を片付けていた廉さんに後ろから抱きついていた私に、彼は怪訝そうな声で言いました。
「なんだ、とはなんですか」
「いや……どうしたのかと思って」
「どうもしていません」
「じ、じゃあなんでくっついてるんだよ……。濡れるぞ」
カチャカチャとお皿を洗う廉さん。
彼の前に回した私の手に、たびたび水飛沫が当たるのが分かります。
「ありがたみを感じているんですよ、廉さんの」
「ありがたみ?」
「はい。この関係は、誰かの失恋の上に成り立っているんだと、ちゃんと理解しておかないといけませんから」
「……な、なるほど」
廉さんは僅かに首を傾げた後、「なんでいきなり……」と何やらぼやいていました。
私が先に部屋で待っていると、片付けを終えた廉さんがお茶を入れて戻ってきてくれました。
しかし、二つのコップをテーブルに置いてからも、なぜか座ろうとしません。
「どうしたんですか?」
私が尋ねると、廉さんは微妙な表情のままそっぽを向いて、両腕を小さく広げました。
これは……。
「……いや、なんだ……ハグを」
「えっ……は、はい」
立ち上がって廉さんに身体を預けると、私はすっぽりと彼の腕に包まれました。
「……廉さん?」
「……ありがたみ。俺の方こそ、理華のことが好きな人、大勢押しのけてるだろうから……」
私たちはそれからしばらく、黙ったままくっついていました。
誰かを独占するということは、ほかの誰かから、その人を奪ってしまうということです。
もちろん、男女交際とはそういうものなのかもしれません。
しかしだからこそ、私はそれを忘れずに、今の関係に感謝して過ごしていかなければいけないのだと思います。
「……あ」
「ん、どうした?」
「……お隣さんとあまり仲良くしちゃダメですからね」
「……お隣さん?」
廉さんはまた、呑気そうに首を傾げていました。
言葉の意味、今回は教えてあげないことにします。




