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「ほんとうっ? 見たのねっ! たぬきみたいにすっとぼけた顔してるのにやることなすこと周りのことなんてちっとも考えてなくて迷惑かけっぱなしのちんちくりんの女の子!」


「あ、ああ……。たしかにたぬきみたいな顔をした女の子ならうちの店に来たぜ」


 でもなにも友達のこと、そんな言い方しなくてもいいんじゃねえか、と型抜き屋台の店主は遠慮がちに言った。そんな言葉を、ソーニャは鼻息ひとつで吹き飛ばす。


「事実なんだからっ。で、それからどっちに行ったの?」


「さすがにそこまではわかんねえなあ」


「それがわかんなかったら意味ないじゃないのよー!」


「そ、ソーニャちゃん、おちついて……。すみません、騒がしくしてしまって」


「あ、いや全然かまわねえが。祭りは騒がしいもんだしな。……あんた、その子らの先生かい」


 ソーニャの両肩に手を置きながらぺこぺこと謝るアーミラに、店主は聞いた。


「ええ、そうです」


「とすると、あの子はさしずめ脱走少女ってとこか」


「まあ……」


「そうよっ! あの子ったらいつもいつも先生たちのこと困らせてばっかり……!」


 ああ、と店主は笑う。


「だろうなあ。俺もまさかあんなチビガキに一杯食わされるとは思わなかったぜ」


「一杯……? 食わされ……?」


 怪訝な顔をしたアーミラに、店主は慌てて、あいやなんでもねえや、と誤魔化してから、


「ま、でもよ。外から見た感じじゃ、あんまり心配いらなそうだったぜ。頭も回りそうだったし、ストッパーになりそうな姉ちゃんもついてるみたいだったしよ」


 ソーニャとアーミラは顔を見合わせる。


「姉ちゃん? ルウのほかに、誰かいたの?」


「ま、まさかほんとうに誘拐……」


 あわわわ、と口元を押さえ始めたアーミラに、店主は笑って、


「いやあ、そんな感じには見えなかったぜ。姉ちゃんって言っても、あっちのたぬきの子と比べりゃって話さ。十代の……まあ、中盤くらいか? とんでもなく歌が上手くてよ。音楽なんか俺もあんま詳しくないけど、歌手ってのはあれよりすごいもんなのかね。とてもじゃないが、同じ生き物とは思えねえような声だったな、ありゃ」


 十代の、歌の上手い、女の子。


 心当たりなんてまるでないふたりだから、そろって首をかしげる。


「その人の、名前とかわかりますか?」


「んん、なんつったかな……。たしかに呼んでたところは聞いたと思ったんだが……」


「おっちゃん、傘のやつ抜けた!」


 店主があごひげをぞりぞりとさすっているところに、小さな子どもが勢いよく顔を上げた。


「おう。どれどれ……、げっ、うまいこと抜いたじゃねえか、坊主。しゃーねえ、五百ソルだ」


「やった! 焼きそば買える!」


「転ぶんじゃねえぞー」


 たたた、と走り去っていく子どもの背中を見ながら目を細める店主は、ふと、


「思い出した。あの姉ちゃん。たぬきの方から、サキ、って呼ばれてたな」





「へー」


「びっくり?」


「びっくり」


 信じられないほど駐車場がでかいコンビニを出て、飲み物の入ったビニール袋をぶら下げながら、ふたりはだらだら歩いていた。夏の日差しはかげることなく、ついさっき水浴びしたばかりだというのに、お互い顔から汗が噴き出している。沙季は首筋に、ルウは額に、ペットボトルを押し当てていた。


 とにかく何もない道。


 強いて言うなら田畑くらいはあるけれど、信号すらない一本道。ところどころのあぜ道は、大きな車じゃ通れないくらいの心細さで、もう三分くらい歩いているはずなのに、ちょっと振り向けばさっきのコンビニの看板がはっきり見える。


「なんかそれ、『心霊界』に生まれた方が得な感じしないか?」


「そうなってるのがおかしいと思うんだ、わたし」


 道すがら、沙季はルウ先生からありがたい『心霊界』事情を聞いていた。説明が上手かったかと言われればそんなでもなかったけれど、時間だけはたっぷりあったので(なにせこんなにのどかな景色ですらまだ街はずれではないのだ。コンビニの店員が言うには、次の街、フロロダルルまでには山ひとつを越えなければならないらしい。さすがに歩いていくのは不可能で、いまはその山を越えるためのバスが出る場所をめざしている)、沙季もある程度の事情は呑みこめてきた。


 基本的に、あんまり違いはないらしい。『物質界』も『心霊界』も。ただし、いくつか明確に異なる点もあって、


①『物質界』の生き物は『体』と『魂』と『たまひも』でできているが、『心霊界』の生き物は『魂』だけでできている。


②『物質界』の生き物が死んだときは、『原初海』まで死神が『魂』を連れていくが、『心霊界』で死んだ『魂』は『物質界』における循環のイメージのまま、自然のサイクルに取り込まれる。


③死神は『物質界』では人間として扱われる生き物のことを指す。


④魔法がある(これはよくわからなかった。でも沙季だって、科学ってなに?と科学のない世界の人間に聞かれたら困りたおすことはまちがいないので、そんなものなのかもしれない)


⑤『心霊界』は『物質界』の存在を知っているが、『物質界』は『心霊界』の存在を知らない。


「死神がいるから、なんとなく『物質界』より『心霊界』の方がよさそうに聞こえちゃうんだよ。形だけ見たら、『魂』が死ぬ前に一枚壁がある分『物質界』の人の方が有利なのに」


「あー、なるほどね。たしかにそうかもな」


「そうなの。わたしはそういうのおかしいと思うから、ぜったい言うこと聞かないんだ」


 わはは、クソガキだなあ。


 声には出さずに笑う沙季を、ルウは不思議そうに見る。でも、その考えのおかげでいまこうして死んでからのロスタイムを過ごせてるんだよな、と思うと、感謝する気持ちも生まれてきて、その鼻の先をちょん、とつまんでみたりする。


「ふぐ、」


「あはは、かわいい」


 そう?とまんざらでもなさそうな顔をするルウに、さらに笑って、


「あ、」


 気付いた。


 バス停。


 わーい、と言ってルウが先に駆けだした。あとからゆっくり沙季が行くと、辿りついたときにはもうルウが落ちこんでいる。


「なに、次のバス遠いの」


「一時間ある……」


 うへえ、とルウが嫌そうな顔をする一方で、沙季はさして気にする様子もなく、停留所の小さな軒下、青いプラスチックのベンチに腰を下ろした。


「観光地っていっても、割と田舎なんだな。急いでもしょーがないし、ゆっくり待ってようぜ。……うわ、危な。このベンチ割れてんじゃん」


 不服げなルウは、一度は言われたとおりにちょこんと沙季の隣に腰を下ろした。


 けれどすぐにきょろきょろ落ち着きなくあたりを見回り始めて、


「このポスター、すごい古そう」


「ん?」


 壁に貼られたポスターを指差す。


 古そう、というよりどう見ても古かった。黄色く変色しすぎて、ほとんど元に書いてあった絵も文もさっぱりわからなくなっている、そんなポスター。


 どうせちゃんと保存されていても、そこに書かれている文字は読めなかったのだけれど、雰囲気で判断できた。


「こっちにも政治ってあるんだ」


「そりゃあるよ」


 そりゃそうか、とうなずけば夏。


 目の前いっぱいに田園。


 青い空。


 白い雲。


 生ぬるい風が、前髪をすり抜けていく。


「…………ひま」


 せっかくちょっと、気持ちよくなったのに。


「ひまーーーーっ!!」


 大きな声で、ルウが叫んだ。ぱったんぱったん足を揺らしながら。


 今度は沙季がまわりをきょろきょろ眺める番だった。なにか興味を引けるものはないかなと、ほとんど赤ちゃんをあやす親の気分で。


 席を立つ。


「ルウ、ほら。駅ノートみたいなのあるぞ」


「なにそれ?」


 あんまりにも素直に寄ってきたのでちょっと言葉を失った。アメをあげるからついてきな、と言えばほんとうについてきちゃいそうだなこのちびっこ、と思って、実際のいまの自分はアメもあげずに連れ回していることに気付いて、記憶は封印はいさようなら。


 古びたノートだった。夏雨の湿気を吸い続けたのか、ごわごわした手触りがして、なんとなくかびくさい。


 開けばわかる。文字はわからないけれど、数字の並びで、それが日付であることがわかる。


 むかし、ニュース特番で見たことがあった。廃線になる田舎の駅舎に、旅行客がなにかを書き残していくノートがあるってこと。廃線にならないような場所にも置いてあるのか、とちょっと疑問だったけれど、となりにボールペンが置いてあったからまちがいはないと思う。


 ほほう、とルウは興味深げにそれを手に取って、さっそく読み始めた。一ページめくって、二ページめくって、


「つまんない」


「おまえ、こらえ性ないなー」


「よく言われる」


 よく言われんのかい、とつっこみながら、沙季もそのノートに目をやって、


「どんなこと書いてあんの?」


「田舎、サイコー! 景色、サイコー! みたいな」


 つまんなそう。


 いま自分で言ったことを棚上げして、沙季はそう思った。ルウはもうひとつページをめくって、そこから読み上げ始める。


「『三月七日。失恋旅行です』


『三月十三日。同じく、失恋旅行です』


『三月二十四日。私も失恋です……』」


「ここ失恋スポットかなにかなのか?」


「いや、そんなことないと思うけど……。


『四月四日。春、サイコー!』


『四月九日。景色、サイコー!』


『四月二十四日。どうして花と花の恋愛ごときで僕はこんなにつらい思いをしなくちゃいけないんだろう……。花粉症で鼻水が止まりません』」


 それでもだんだん楽しくなってきたのか、ルウはどんどん音読を続ける。


「『五月十日。仕事をやめてここまで来ました。それでも生活は続く』」


 沙季は気楽な気持ちになって、ルウから視線を外す。音だけ聞きながら、青田が風に傾くのをなにとはなく見つめていた。


「『六月七日。バス停に紫陽花が咲いていて綺麗。枯れる頃には夏が来るんですね』」


 そののどかな景色を、真っ黒な車が猛烈な速度で横切っていった。


「『六月三十日。行動開始。じっくり進めたいところだがそうもいかない』」


 ぶわっ、と髪の毛が広がって、沙季は猫のように目を大きく広げた。


 不釣り合いな光景だった。こんなに静かで穏やかな光景の中で、とんでもない速度だった。


 となりのルウに同意を求めようとしたけれど、ノートを読むのに夢中で、まるで目の前で繰り広げられたシーンに気付いた様子がない。髪の毛がぴょこんと乱れてはねたのだけ、ぽすぽすと沙季は直してやった。


「『七月三日。まったく見つからない。本当にいるのか?』


『七月七日。自分以外に誰かが来ている?』」


 そしてもう一台、立て続けに通り過ぎていった。


 今度は猛スピードというほどでもなかった。というか、軽トラだった。全速力の軽トラ。うぃいいん、とうなりを上げて走っていった。


 運転席には、よく日焼けしたごま塩頭の老人が乗っていた。


 助手席は、一瞬だけ見えたけれど、たぶん知っている人だった。


 窮屈そうに身体を縮めていたのは、さっき名刺を渡してきた、ハリガネ体型のめがねの男、セラドニクスだった。はずだ。


 なんかすげえ面白そうなことしてる、と沙季は思った。


「『七月九日。のっぴきならないことになってきた。なんとしてもヤツらよりも先に目標を確保しなくてはならない』


『七月十一日。あっつ。田舎に来たら涼しいのかと思ったけど全然そんなことなかった。夏考えたやつって絶対休日地元の仲間とバーベキューとかやってるタイプだろ。すげえ嫌いだわ』


 ……ねえ、これってどういうタイプ?」


「え、ああ」


 よくわかんないけど、と言おうとしたタイミング。


 もう一台が、走っていった。


 さっきまでの猛スピードとはちょっとちがう。やたらに大きなワゴン車で、おっかなびっくりの運転だった。運転席には運動神経がよくなさそうな若い女、助手席には水色の髪の毛の小さな女の子が乗っていた。


 ふたりとも、運転に夢中でこちらのことなんかちらりと見もしなかったけれど、


「――ソーニャと先生だ」


 ちょうど顔を上げていた、ルウは目にした。


「先生?」


「追いかけてきたんだ」


 早いな、と沙季は思った、なんだかんだ言って特にここまで大きく寄り道をしてもいないはずだったけれど、むこうは車を使ったからだろうか。四つの街をめぐるはずが、ふたつ目の街で追いつかれてしまった。


 でも、


「あっちは気付いてなかったみたいだし、このままやり過ごせそうだな」


 待ち伏せの可能性はあるけれど、むこうは自分たちが先に行ったと思っているはずなのだ。だから、そういう手段は取りにくいだろう。このままのんびり進んでいるだけで完璧に接触を避けられる可能性がある。


「そうだね」


「ああ」


「…………」


「……」


 なのに、落ち着かないたぬきがひとり。


 見ればすぐにわかる。ぱたぱたと足を伸ばしたりたたんだり。脈絡のない鼻歌を口ずさんでみたり、視線は車の走り去った方にむけていたり。


「……気になんの?」


「いや、でも、見つかっちゃたら危ないし……」


 もごもご言いながら、そわそわ。


 しばらくじーっとその様子を沙季は見ていたけれど、その視線にも気付かないらしいルウに、やがて、


「よし」


 立ち上がって、


「行くか」


 ぽかん、と小口を開けて、ルウが見上げた。


「……なんで?」


「あたしも気になるから。さっき、覚えてるかな。セラドニクスさん。倒れてためがねの人。あの人が別の車追っかけてびゅーって、そっちにさ」


 もにゃっとした顔のままのルウにむけて、


「――気になるだろ?」


「気になる、けど……」


「んじゃ行こうぜ」


 あたしも気になるんだ。


 そう言って、沙季はルウに手を差し出した。




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