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6



「……出てるな」


「……出てますね」


「あ……あのバカーーーっ!」


 シロファニアと、アーミラと、ソーニャが立っている。


 屋上。子どもたちはまだ座らされている。


 シロファニアの手には小さな機械があって、その画面にルウの顔が映し出されている。


『位置情報:検索不能(物質界外)』


 そんな文字も、映し出されている。


 ぺこぺことアーミラは頭を下げている。ごめんなさい、あの子はちょっと奔放なところがあって、でも生命力は強いタイプなのでだいじょうぶだと思うんですけど、魔法だってどんな大人にも負けないし、でもそれってこうして問題行動を起こしたときの言い訳にはなりませんよね、わかってますわかってますとも、もしかしたら誘拐されてしまったのかもしれませんよね事件に巻き込まれてしまったのかもしれませんよねごめんなさいごめんなさい、私が軽率にひとり行動を許してしまったばかりにシロファニアさんここを見ておいてもらってもいいですか私さがしに行きますなにがあっても地の果てまで追いかけてでも私の生徒ですもの迎えに行きます誘拐犯は海にコンクリで固めて捨てます。


「そんなわけないでしょ、先生!」


 シロファニアがその勢いに目を回しているところ、ソーニャがびしっと、


「あいつのことだから、自分で抜け出したのよ! まちがいないわ! だってルウなんだもの! あのすっとこどっこいなんだもの! わたしの人生賭けてもいいわ!」


「そ、そうかしら……。だったらいいんだけど……」


「よくないわよ! あいつ、きょうくらいはおとなしくしてろって言ったのに……。だいたい、トイレにひとりで行きたいとか言い出したあたりから怪しいと思ってたのよ! いいじゃない、トイレくらいついていっても!」


「いや、ちょっと待ってくれるか」


 シロファニアが口を挟む。


「――誘拐の可能性が高いんじゃないか。『物質界』と『心霊界』のゲートは子どもでは開けられないだろう。大型補助器具なしでのゲート開放は『御魂回送局』の採用実技試験に課される項目だし、ましてや一切器具なしとなれば、ベテランだろうが幹部候補生だろうがごくわずかな死神しか――、」


「ルウならできます! あいつはそういうやつだもん!」


「えぇ……」


 あんまりにもきっぱりソーニャが言うのにシロファニアは気圧されつつ、アーミラに視線を送る。アーミラも申し訳なさそうに、しかし迷いなくうなずいた。それをする可能性を最初から考慮しておくべきでした、とまで言う。


「先生、シロファニアさん! わたし、探しに行ってきます!」


 アーミラとシロファニアは、そのまま顔を見合わせる。


「いや、誘拐の可能性がないわけでもないのだし、ここは一旦みんなで――」


「それじゃ体験学習が止まっちゃうじゃないですか! 平気です! わたしひとりで探しに行けます。だいたい、ルウひとりのわがままでみんなこんなに待たされるのだっておかしいことなんだから!」


「いや、しかしそれでは君が参加できなくなってしまうが」


 ぐっ、とソーニャは口をひきつらせたが、


「来年、下の学年といっしょに受けます。ほんとうはもっと早く、ちゃんとやりたいけど……、友達のことだもの。わたしがちゃんと、見つけてきます」


「――――」


 シロファニアは、驚いたように瞳を開いた。


「……いや、君の体験学習は、後日べつに時間を取ろう。私が対応するよ。学習意欲のある子どもに足踏みさせるのは心苦しい。――アーミラ先生」


「は、はいっ!」


「実際のところ、そのルウという生徒、誘拐にあった可能性はまったくありませんか」


「……まったく、という言い方はできませんが、限りなく低いと思います。先ほどシロファニアさんがおっしゃったとおり、『物質界』と『心霊界』のゲートを開くのは特殊技能ですから。大型・小型問わず開放器具の管理は徹底されていますし、器具なしで開けられるのはほんとうに限られた、ごくわずかな死神のみです。そうした死神が誘拐のような行動に及んだ可能性より、ルウちゃ……その生徒が自力でゲートを開放した可能性の方がずっと高いと思います」


「そこまでですか」


「天才です。あの子がもう少し素直な子だったら、私は五年後、子どもたちに彼女の名前が載っている教科書を配ることになると疑いません。……彼女は、高等魔法のほとんどを足し算引き算のように直観で扱うことができるんです」


 頭痛をこらえるように、シロファニアはこめかみに指を当てた。


「――こんなときじゃなければ青田買いしておきたいくらいだが、まあ仕方あるまい。体験学習の方は、予定通りに私が進めておきましょう。これだけの数の子どもを引率するのは初めてで、正直不安もありますが……、なんとかします」


 代わりに、とアーミラとソーニャを見て、


「その生徒――ルウですか。そちらの捜索をお願いします。私もこちらの一連のものが終わり次第、そちらに向かいますので」


「ご迷惑をおかけします」


「いえ。子どもに迷惑をかけられるのも大人の役目ですから。しかし、もしも事件性が出てきた場合は、速やかに私に――、いえ、警察局へ連絡してください。凶悪犯罪の発生率は、『物質界』と比べれば格段に低くはなっていますが、それでも皆無というわけではないですからね」





「ばっしゃーん!」


「やったな、こいつぅ!」


 一方そのころ。


 はしゃぎ倒している子どもがふたり。


 片一方はずぶ濡れで、これ以上ないくらい楽しそうに笑っている。


 もう片方もずぶ濡れで、一見これ以上ないくらい楽しそうに笑っているけれど、内心でこれどうすっかな、と考えている。


 夏の街ヒナケート。


 観光資源は、周辺部の美しい山と川。


 馬鹿ほど暑かったのだ。


 前の街、アルカにいるときは祭りの空気に騙されてあまり感じなかったけれど、夏の街なのだから、当然のように暑い。


 日本の夏よりマシだな、と思いながら歩いていた沙季だったけれど。山とか森って結構日陰があるし、それに木とか生えててマイナスイオンみたいな感じするし、うん、結構いい感じだよな。エアコンに頼らない、昔ながらの夏の涼しさって感じ、なんて思っていたけれど。


 山の上り坂に差しかかれば、自分がどれだけ悠長なことを考えていたのかが、はっきりとわかった。


 夏祭りで収穫してきた飲み物はぬるいラムネしかなかったし。帽子をかぶっているわけでもないから、木々の切れ目では直接日光が髪の毛に当たるし。いま、頭の上に生卵を乗せられたら、そのまま目玉焼きができるだろうことは確信できてしまうし。


 だから、止められなかったのだ。


 元気いっぱいのちびっこ、ルウが川のせせらぎを耳にした途端、全速力で走り始めたのを。そしてそのまま、器用に走りながら靴と靴下を脱いで、ばっしゃん、とダイブして、ひゃっほい、と頭から水に浸かったのも。


 それを見て、同じように走り出した自分も。


 もうぜんぶがぜんぶびしょびしょだ。開き直っている。しょうがない。こういうこともある。でも自分の中の冷静な部分がささやく。どうすんだよ。これで街に入れんのか?


「うおりゃっ!」


「ぶべっ」


「見たかちびっこ! これが年上の足の長さだ!」


 自分の中の冷静でない部分は、ルウと水とかけ合ってはしゃいで、楽しい、涼しい、夏サイコー!と叫んでいる。


 そんな感じ。


 そんな感じではしゃいで、泳いで、川から上がって、地面に座り込んで、ちょっとゆっくりして、水分補給をして、もらってきた屋台の食べ物のうち悪くなりそうなものをばくばく食べて、ようやく人心地ついて、隣でルウがぽんぽことぽんぽんをたたくのを聞きながら、太陽を見て、どのくらいここで休んでれば服乾くかな、と考えて、


「こんなことしてる場合か?」


 気付いた。


 さっき、しばらくしたらルウの先生たちが追いかけてくるって話をしてなかったっけ。


「はしゃいでしまた」


 なぜか片言で、ルウはそう答えた。はしゃいだことに関しては、自分もそうだったので、沙季は深く追求せずに、


「ヒナケートだっけ。ここで何かやることってあんの?」


「特にないけど、飲み物はほしいかも」


「それはあたしもそう。……自販機とかあんの? 死神の世界って」


「あるよ」


 んじゃちょっと行って、怪しまれないうちにさかさか次の街に移動するか、と立ち上がろうとして、


 どぉん、と。


 木々から鳥が飛び立つ。木の葉が降り落ちる。びりびりと水面が揺れて、沙季とルウはびっくりして、ちょっと地面から飛び上がる。


森が揺れた。


「……なに?」


「なんだろね」


 沙季はあたりの様子をうかがったりするけれど、ルウにはそういう選択肢がない。立ち上がって、音のした方にちょろちょろと走っていってしまう。仕方なく、沙季もそのあとを慌てて追いかける。せっかく水浴びしたのに、また汗かいちゃうな、と思いながら。


 進むにつれて、不思議な音が聞こえるようになってきた。ざあざあと、雨のような音。


 上を見ても、青空があるばかり。局地的豪雨とか、そういうわけじゃないだろうし、なんて思いながら、山の森の中を、ルウの背中を見失わないように走っていく。


 開けた場所に出て、そのざあざあ音の正体はわかった。


「滝か……」


 見上げるような景色だった。


 草木の緑に紛れて、薄青い透明な水が、白くあぶくを立てながら、崖下へと滑り落ちている。沙季の視界をすっかり遮るその断崖は、頂上を見ようとすればそのまま後ろに倒れ込んでしまいそうなくらいには高い。森に紛れて、こんなものがあることにさっぱり気付いていなかった。


「倒れてる」


 気を取られていたから、ルウがなにを言ったのか、すぐにはわからなかった。


「え?」


「死神」


 指差す先を見る。


 滝壺の縁に、たしかに死神――沙季の経験的には人に見える――が倒れていた。


 うつ伏せで、動く様子がない。眠っているように見える。けれどこんなところで急に、しかもそんなに寝苦しそうな格好――片腕を肩まで水に浸した状態――で寝ている理由が思い浮かばないから、すぐにその印象は、意識を失っているのかもしれない、に変わる。


「わっ、ちょっ、」


 滝壺の中の水の流れが、その死神の腕を引っ張ったらしい。


 ぐう、とその身体の引き寄せられていくのを見て、沙季はとっさに駆け寄った。ずるずると水底に落ちていこうとするのを、服の裾をがっちりつかんで食い止める。


「おっも――」


「〈夢は六倍、人知れず〉」


「うおっ」


 ルウがむにゃむにゃとなにかをつぶやいて、手ごたえがまるで消えてなくなった。


 勢いよく沙季は尻もちをつく。手から服が離れてしまったわけでもなければ、服がびりびり破れたわけでもなかった。


「いって……」


「〈蛹になるまで、ちょっと待ってね〉」


 顔をゆがめた途端に、またルウがつぶやいて、痛みも消える。


 きょとん、と沙季は目を大きく開いて、


「いまの、魔法?」


「うん。ごめんね。沙季ちゃん、そんなに思いっきりいくと思わなくて」


 へえー、と沙季はついさっきしたたかに地面に打ちつけたお尻をさすりながら、興味深そうに、


「あれ、でもさっきのおじさんとか、全然なにも喋ってなくなかった? 上手い人はそういう呪文みたいなのいらないとか?」


「それもあるけど、魔法の難しさとかもあるよ。数字の暗算とおんなじ。あのおっちゃんが使ってたのは九九みたいなものだから」


「いまのは?」


「反重力式と瞬間組織再構成式くらい」


「天才児じゃん」


「天才児だもん」


 ぜってー嘘、と沙季は思ったけれど、しかしよくよく考えればルウは死神なのだし、そういうこともできるのかもしれないと思い直し、信じてないでしょー、とぽけぽけ背中を叩いてくるルウに、信じた信じた、と返しながら頭をなで、


「って、それどころじゃないだろ!」


 思い出した。


 滝壺からその岸に引き上げた死神。うつぶせ寝をしているけれど、やっぱり起き上がる気配がない。


 近づいてみると、かなり背が高いということがわかった。沙季の目から見てもかなり、だからゆうに百八十センチは超えているだろう。でも、身体が大きいというわけではない。カーキ色の半袖、アウトドア向けらしい服からのぞいている腕は骨ばっていて、全体的にハリガネ人形みたいなシルエット。


 ごろん、と裏返してみると、度のきつそうな、でっかいめがねをかけていた。


「ううん、うーーーーん」


 うなされたように、苦しげな声を上げている。


 ほっと沙季は胸をなでおろす。とりあえず、息はあるし、生きている。よく見ると額のあたりにこぶができている。頭をぶつけて、それで倒れていたのかもしれない。


「ルウ、治せたりする?」


「もちろんですとも。〈蛹になるまで、ちょっと待ってね〉」


 ルウの魔法には、マンガみたいなエフェクトはなにもなかった。


 呪文を唱えて、そうしたらまばたきしている間にこぶが消えて、それでおしまい。


 うなり声が消えて数秒で、めがねの死神のまぶたが、薄く開く。


「こ、ここは……?」


「ここは……、えっと、ヒナケートの近くでいいんだっけ?」


「いいんだよ」


「ヒナケート……。どうして僕はこんなところに……?」


「それはわかんないけど」


 あたしらじゃ答えようがない、と続けようとしたところで、明らかに思いつきでとりあえずクイズに答えてみようという勢いのルウが、


「虫取りじゃない?」


「虫取り……?」


「なに、ルウ、虫取りやりたいの?」


「実はね、えへえへ」


 虫取りかあ、と沙季は繰り返して言う。自分が小学生くらいのころにそういうことをした記憶はないけれど、クワガタを飼っている同級生は結構いた。弟もそういうのをほしがって、夏休みの朝っぱらから森まで付き合わされたことも、一、二回ある。虫が苦手だったら地獄だったろうなとか、虫が食べるあのゼリー、やたらおいしそうに見えたよなとか考えながら昔をなつかしんでいると、


「――それだあぁあっ!!」


 急にものすごい声を上げて、めがねの死神が飛び起きた。沙季は思わずうわっ、と声を出したし、さすがにルウもびくっとつま先立ちになった。めがねの死神は、沙季にむかって、


「そこのお嬢さん!」


「は、はい」


「このあたりで大きなカブトムシを見ませんでしたかっ?」


「いや……、見てないですけど」


「くぅううっ! なんたる不覚! あと一歩のところまで来ていたというのにっ!」


 男はこぶしをぎゅううっと握りしめて、大げさに悔しがった。お子さまむけの舞台俳優みたいだ、と沙季は思う。舞台なんて、学校の校外学習でしか見たことなかったけれど。


「はっ! そうだ、こうしてはいられないぞ!」


 はっ、という部分も、わざわざ声に出して男は言った。さっき自分の口でばっしゃーんと口にしながら水をかけてきたルウと同レベルだ、と沙季は思う。


「やつらに見つかる前になんとしてでも『ゼタ・ビートル』を確保しなくては……! お嬢さん方!」


「はあ」


「はーい」


 男はやたらにたくさんのポケットがついた服を、一から十までひっくり返して、それから二枚、小さな紙切れを差し出してくる。


『ファクタ大学生物学部心霊生物学科教授・セラドニクス』と書いてある。


「僕はこういう者です。どうやらおふたりにご看病いただいた様子。いますぐにでも全身全霊御礼申し上げたいところですが、申し訳ない。火急の任務がありまして……」


「あ、いや。気にしなくても、」


 って、自分が言うのもちがうか、と沙季はルウを見る。けれど、ルウも迷いなく沙季の言葉にうなずいていたので、


「いいですよ」


「いいえ! 受けた恩を忘れぬことこそ世界最高の美徳! 僕はありとあらゆる友人から『恩返しに対して真摯すぎて気持ち悪い』と言われた男! 決してこのご恩は忘れ申しません!」


 すっげー変な人。


 ものすごい勢いでまくし立ててくるのにたじろいで、後ろでルウが、すっごい変な人、と言ったのが聞こえる。こら、口に出すな。


「しかしながら、たいへん心苦しくありながら、すぐには恩を返せる状態ではございません。その名刺をお持ちください。ご連絡いただけましたら、僕のできうる限りのすべてでもってあなた方に恩返しをいたしましょう」


「いや、だからそんな、」


 いいですよ、と言う前に、では!とセラドニクスは敬礼じみたポーズをして、その痩せた身体に見合わない力強い足取りで走り去ってしまった。


 取り残されたのは、ふたり。


「……なんだったんだ?」


「山のもののけ」


「いるの? こっちの世界には」


「ふつうはいない」


 でもふつうじゃない死神だったから、とルウが言えば、たしかに、と沙季も返すしかなかった。


 気付けば服は、乾き始めていた。



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