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「おおー……」


 思わず感嘆の声を上げた。


 本当に、祭りだった。


 街の入口、というほどはっきりしたものはなかったけれど、気温が上がってくるにつれてにぎやかな空気は増していって、メイン通りらしきところに出たあたりになると、もう完全に沙季の知っているお祭りの光景が広がっていた。


 焼きそば。


 たこ焼き。


 いか焼き。


 わたあめ。


 りんごあめ。


 金魚すくいに型抜きに――、


「って、これ縁日じゃん」


「縁日?」


「えーっと、なんていうか、日本の寺とか神社とかでやるやつ。出店とか並んでて、」


 ほんとこんな感じ、と言えば、ルウはうなずいて、


「じゃあ日本のお祭りをやる日だったんだね」


「え?」


「ここ、年中毎日お祭りしてるんだって。『物質界』のお祭りをたくさん見てきた人たちが、ここでそれをやってるらしいよ」


 これに書いてある、とルウは『わくわく! 魂送り体験学習』を掲げる。なんて細かい遠足のしおりなんだ、と沙季は思う。これをつくった人……、人じゃないか、死神は、めちゃくちゃ几帳面にちがいない。ほとんど観光ガイドブックだ。


 それにしても、ずいぶんご機嫌な街だ。一年中……はわからないけれど、しばらくの間はここに飽きることはないだろうと思う。


 でも、


「だらだらしてるわけにもいかないよな。とっととこの街抜けて次の……ヒナケートだっけ? 行くんだろ?」


「ううん、ちょっと待って」


「なんかあるのか?」


 聞いた沙季の頭の中には、ぼんやりとこんなイメージが過っている。


 実は『よすがの塔』は特別ななんか……玉みたいなやつ。そういうのを四つ集めないと入れないようになっている。そしてその玉はこれからめぐっていく四つの街にそれぞれ配置されていて、しかもそれを守るゴーレムのガーディアンがいて、自分たちはそれと知恵と勇気を振り絞って倒さなきゃいけない――、


「お金、あんまりない」


 イメージは風船みたいに儚く破けた。


 ルウは自分のマジックテープの財布をばりばりと開いて、中身を見せてくれる。残念ながら沙季は死神の使うお金に詳しくなかったので、それが具体的にどのくらいなのかはわからなかったが、とりあえず、乏しいことはわかった。


「……いるのか、こっから塔まで行くのに」


「たぶん。きょうの予定表のなかに、バス使うって書いてあるから。ヒナケートからフロロダルル……、二番目の街から、三番目の街に行くまでのところで」


「足りない?」


「足りるかもしれないし、足りないかもしれない。けっこうギリギリ。学校のじゃないバス、ここのは乗ったことないから、わかんない」


 ううん、と沙季はうなって、髪をがりがりとかいた。


「そうかー……。お金は大事だかんな。どうすっかな」


 ここで立っていても空からお金は降ってきたりしない。それはわかっている。いや死神の住んでいる世界なんだから、自分の常識とはちがってそういうことが起こりうる可能性もあったけれど、死神ネイティブのルウがそういうのをあてにしている様子がないのを見れば、まずありえないということはわかる。


 現実的に、お金がないときになにをするのかという話だ。


 労働。一般的にはそれ。


 祭りの場なのだ。急な人手がいるという場合も考えられなくもない。忙しそうな人を見つけて、売り子をやるだとか、店番を代わるだとか言って、時給八百円分くらいのお金をもらえたりしないだろうか。


 でも、ふたり分だ。バスの料金設定が日本とそこまで変わらなかった場合、片方が子ども料金でいけるとしたって、一時間分くらいじゃあ不安が残る。ルウの財布の中身を合わせればいけるのかもしれないけれど、やっぱり余裕を持って、二時間分くらいは稼ぎたい。


 でも、職を得るのにだって時間はかかるわけだし、


「ルウ。おまえの先生たちって、どのくらいすぐ追いかけてきそう?」


「『物質界』と『心霊界』だと時間の流れ方がちょっとちがうんだ。こっちの方がかなり早いから、しばらくぐずぐずしてても追いつかれはしないと思うけど」


 それでも『しばらく』か。


 沙季はほかの方法も考え始める。


 貸してもらう。まあこれもそこまで無理な話じゃないかもしれない。自分はともかく、ルウは子どもだし、調子に乗ってお金を使いすぎて家に帰るお金がなくなった、とか言えば親切な死神――いや、ここにいるのはみんな死神って認識でいいのか? というかそこに売ってるイカ焼きってなんのイカを焼いてるんだ? イカの死神? いやまあいい、それは。重要なのは誰かしらにお金を借りられるかもしれない、ということだ。


 でも、それはなあ。


 沙季は悩む。借りるということは返すということだ。自分ではたぶん返せないだろうから、つまりルウが借りて、ルウが返すという形になる。小学生くらいの子どもに、借金をさせることになる。これはよくない。まったくもってよくない。額の問題じゃない。この行動そのものに問題がある。自分より年下の子どもに借金を背負わせるのは倫理的にまずい。


 となると、返さなくていいお金をもらうという手を考えることになる。さっきの借りるパターンとおなじやり方で、子どもだから、千円くらいだからと返済不要でお金をもらうという手がある。たぶんこれもいける。祭りに来る人間なんて、みんな財布の口に強烈な麻酔がかかっている。閉じられない。中身がたれ流しになっている。


 でも。これもまた。


 正直に理由を言うことはできないと思う。ルウの行動が、学校の先生が止めるようなことなら、良識ある大人の死神はみんな反対するだろうから。


 だから、嘘の理由を言うことになる。


 嘘をついて、お金をせしめる。


 スリと大して変わらない。名前がサギに変わるだけだ。


 沙季はこのことをきっぱり自慢に思っているが――、犯罪にだけは手を染めたことがない。自分ひとりですらそうなのに、ましてや自分より年下の子どもを連れて、そんなことをする気にはなれない。なるつもりもない。さらさらない。


 やっぱり労働か。


 そう、沙季は結論づけた。


 だいじょうぶ、バイトでその手の動きには慣れている。はじめてやるようなことでも、そこまで悲惨な結果になることはないはずだ。


 よし、決めた。


「ルウ。ちょっと周り見てさ、忙しそうな人のいるとこ――、」


 周りを見た。


 ルウがいなくなっていた。


「――は?」


 きょろきょろどころの話ではない。


 ぐるんぐるんと沙季はあたりに視線を向けて、ルウを探す。どこに行ったんだ。そしてなんて落ち着きのないガキだ、と焦りながら、結局その場からは見当たらなくて、そのあたりを歩き回る羽目になる。


 案外近くにいたけれど、すぐには気付けなかった。すっかりルウは下を向いて、髪の毛で顔が隠れていたから。


 型抜きの店にいた。


「――はいっ、できた! 五百ソルちょーだい!」


「ダメだな。この角のところが丸くなってる。これじゃ五百ソルはやれねえよ」


 ここのお金の単位、ソルっていうんだ。


 沙季は後ろからルウに近づく。なにも言わずにはぐれるんじゃないよ、と文句のひとつでもつけてやろうと思ったが、新しく渡されたそれに集中している様子だったので、邪魔しちゃ悪いか、と無言のまま。


 ひょろ長いあごひげを生やした男が店主らしい。にやにやしながらルウが型を抜くのを眺めている。


 夏祭りに行ったのなんてもうずっと昔のことだけれど、型抜きがなにかくらいは、沙季もうっすら覚えていた。


 砂糖菓子みたいなものを渡されるのだ。板状で、そこには傘とか飛行機とか、まあなにかしらの絵が彫りこんである。それを針とかつまようじとか、鋭いものを使って削って、切り抜く。うまくいったら店主に見せて、景品や、ひょっとすると現金なんかと交換してもらえる。そういう遊びだ。


 店頭には、一回五十ソルの貼り紙。


 料金設定表。最大で三万ソル。


 三万ソル。


「さっ……!」


 驚愕して、沙季はそれを食い入るように見る。


 一回五十ソル。たぶん円とレートは同じくらいだろうと思う。それで三万ソル。三万円。さすがにその下にある型はちょっと常人では不可能だというくらい複雑――、いや見たことあるなこれ。なんだっけ。そうだ、平等院鳳凰堂。砂糖菓子から平等院鳳凰堂が抜けるわけがないから単なる見せ札なんだろうけど、それにしたって賞金が高すぎる。


 絶対だまされてる。


「おっちゃん、くじらできた! 千ソル!」


「……ダメだな。噴水の部分がまっすぐになっちまってる」


「ぶー!」


「ルウ、ちょっと」


 また五十ソルなんだろう、硬貨をルウが、店主に渡そうとする前に、沙季が手招きをした。


 店主に聞こえないように、顔と顔を近づけて、耳打ちする。


「――あのさ、これ、おまえが思ってるみたいにちゃんとお金がもらえるところじゃないぞ」


 きょとん、としたルウと、顔を離して見つめ合う。


 今度はルウが手招きをしたので、沙季は膝を曲げて、耳を差し出す。


「なんで?」


「あたしの地元にもあったけどさ。こういうの実際には取れないようになってるんだよ。くれるのは百円――、百ソルか。そのくらいまでで。それ以上高いのは難癖つけて払わないようなシステムになってんの」


 そんな話をしている間も、店主の男はにやにやとこっちを見ている。嫌味ったらしい笑い方ではなかった。子どもをからかって遊んでる、親戚のダメな中年みたいな笑い方。


「だいじょうぶだよ」


 胸を張って、ルウは言った。


「コツ、つかんだもん。ぐうの音も出ないくらい完璧に切り抜けばいいんでしょ? わたし、図工の成績学年でいちばんいいもん。任せてよ」


 そういう話じゃないんだよ、と言おうとしたところで、ルウは勢いよく、


「次は二千円のちょーだい!」


「あいよ」


 出てきたのは首長竜の型。それを見ただけで沙季は、う、と鼻白む。首のところが細すぎる。あんなの絶対抜けっこない。


 けれど、ルウはものすごい勢いでそれに針を押しつけて、削り始める。ものすごいスピードで、ものすごい集中力だった。指の力にムラが見られない上、まばたきひとつすらしていないように見える。


 いたなあ、と沙季はちょっとしみじみしてしまった。学年にひとりはいた。天才児、みたいに言われている子は、こんな感じだった。人の話を聞く前から自分の考えがあって、自分の考えを実現させられるだけの行動力とパワーがあって、まわりのことはあんまり気にしない、みたいな。


 そして店主の方を見ると、こんなにパワフルな子どもでも、たかが年の功ごときにここまでいいようにされてしまうんだな、という寂しさや悲しみに似たなにかが押し寄せてくる。店主が愚かな子どもの様子を見て笑っている顔の楽しそうなことと言ったら。子どもは無力だ。店主と目が合う。ウインクされる。うへえ、と思わず顔に出てしまう。店主は傷ついた顔をする。


「できた!」


 しばらくして、ルウが胸を張った。まったくもって欠けのない、完全な形の首長竜を掲げて、


「あ、」


「あっ」


 ぱき、とそれが折れた。


 これはさすがになんの言い訳もきかなかった。折れるだろうなあ、と思ったところから折れた。


 やっぱりここでお金を稼ぐのは無理そうだ、と沙季は思う。同じ方向性でいくんだったら、まだ大食いチャレンジとか、激辛チャレンジとか、その手の完食したら五千円系のところを探した方がいい気がする。沙季は基本的にお腹を減らしているから、食べる量には自信があるし、ついでに舌が鈍いのか、激辛系もそこまで苦ではない。そのあとのトイレはしんどいけれど。


 ちょうどお腹もぐーぐーになってきたし(死んでからもお腹って減るんだ、という驚きもある)、見込みのないところはさっさとやめにしてしまおう。


「ルウ、」


「――おっちゃん、いま魔法使ったでしょ」


 問い詰め始めた。店主を見つめて、じっと。


 魔法。そういうのもあるのか、と沙季はちょっと感動した。


「わたしが見てないところで、型抜きの型にひび入れる魔法、使ったでしょ」


 なんか感動して損したな、とも思った。


 なんだよ、型抜きの型にひび入れる魔法って。しょぼすぎる。生まれて初めて、というか死んでから初めて見た魔法がそれかよ。さっきのルウがこっちの世界につながる扉を開けたのは魔法としてカウントしていいのかな、と淡い期待を持ち始める。どっちかって言ったら、そっちを初めて見た魔法にしたい。


「おいおい、言いがかりだぜ」


 わはは気付かれちまっちゃしょうがねえ、でもお嬢ちゃん、ちょっと気付くのが遅かったみたいだな、という調子で、そう言った。ここまで隠す気のない人間もすごい、と沙季は思う。


 むむ、とルウはふくれて、黙る。証拠はなにもないらしい。


 仕方ない、と沙季は思う。縁日なんてこんなもんだ。子どもに小遣いを与える場所ではなく、子どもの小遣いを奪う場所なのだ。ヨーヨーすくいだとか射的だとかではちゃんと形のある対価を渡してくれるけれど、型抜きではちらつかせた期待感しか戻してくれない。現代社会とほぼ一致する。非道な場所なのだ。そういうものなのだ。


 行こうぜ、と声をかけようとして、


「――三万ソルの、やる」


 おまえマジか。


「沙季ちゃん、ちょっとどっか行ってて。集中する」


「いや、どっかって言ったって」


「おねがい。お金ちょっと渡すから」


 小学生からお小遣いを渡されてしまった。


 さすがにそれはまずいだろ、と思いつつ、ルウの手から自分の手のひらにねじこまれたものを見て、


「――――」


「おねがいね」


 店主が平等院鳳凰堂の刻まれた型を取り出してくる。


「できるまでやるよ」


 気合を入れて、ルウはそれに取りかかり始める。


 沙季は、少し悩んでから、その場を離れた。




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