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あんまりいい天気だったので、ちょっとくらい罪を犯してもいいんじゃないかと思えてきた。
「いい? ルウ、あなた、きょうこそはおとなしくしてるんだからね!」
「うーん。どうしよっかな……」
「どうしよっかな、じゃない!」
学校の昇降口から、ぞろぞろと校庭に向かって子どもたちが歩いている。
その中に、水色の髪の、ふたつ結びの小さな女の子がいた。彼女は、彼女よりもさらに小さな、たぬき顔の女の子の手を引きながら、ぷんぷん怒っている。
水色の髪の女の子の名前が、ソーニャ。たぬき顔の女の子の名前を、ルウといった。
「あなたいつもいつもアーミラ先生に迷惑かけて……、先生だって困ってるのよ! わかってるの、そこのところ?」
「うーん。悩むなあ……」
青い空、白い雲。季節感の薄い、白っぽい光。
ありきたりな爽やかさの下、先頭に立つ紫の髪の、眼鏡をかけた若い女性に従って、カルガモのように行列はゆく。
子どもたちの数は、三十人に満たないくらい。ちょうどひとクラスぶんくらいで、実際にひとクラスだった。死神の学校は、少子高齢化の波を受けているわけではないけれど、慢性的に人が少ない。ひと学年ひとクラス。それがふつうのことで、この子どもたちはふつうのクラスに所属していた。
「悩むなあ、じゃないわよ!」
ソーニャは振り返る。とぼけた顔でぼんやり空を見ているルウの目の前に、ぴっ、と人差し指を立てて、器用に後ろ歩きしながら、
「今日がどういう日だか、あなたちゃんとわかってる? 実習の日なのよ? わたしたち死神が生涯にわたって付き合っていかなきゃいけない儀式――『魂送り』を、はじめて見せてもらえる日なんだから! これができなかったらあなた、いくらわたしに成績でちょーっと、ほんとうにちょーっとだけ勝ってるからって、社会で生きていけないんだから! おちこぼれになっちゃうんだから!」
「そりゃたいへんだあ」
「そうよ! そのうえ、きょうはアーミラ先生だけじゃなくて、外部の先生も来てくれるんだから! シロファニアさんって方、『御魂回送局』のエリートなんですって! もしここで変なことしたりしたら、将来に響いちゃうんだから!」
わかった?と語りかけるソーニャ。
うん、わかった。とルウは答えた。
ほんとうは全然、話を聞いていなかった。ぼんやりと、考えごとをしていた。
だからそのまま、アーミラが号令をかけて、校門のところにぐるぐると鎮座していた渦巻に子どもたちが飛び込んでいく緊張の場面でも、特に何を感じるでもなく飛び込んだ。
予告もなしに飛び込んだものだから、手を繋いでいたソーニャがびっくりしてとんでもない悲鳴を上げたことも、渦の先に辿り着いてからソーニャがあなたって人はどうしていちいちやることなすこと突飛で突然で前触れがないのと怒り散らしているときも、クラスのみんながこれまで見たことのなかった『物質界』の景色――何かのビルの屋上なのだろう、やけに見晴らしがいい――に歓声をあげてまわりを見渡しているときも、どこか宙を見たまま、ずっと考えごとをしていた。
もちろんそれは、いつも考えているようなこと。
「は~い! みなさ~ん、静かにして、こっちを見てくださ~い」
ぱんぱん、と手を叩く音。ふにゃふにゃした声。それで、子どもたちの三分の一がそっちの方を見た。全員の視線を集めるまでに、もう三回ほどみなさーん、とふにゃふにゃした声が響いた。
「うんうん。みなさん、きょうもちゃんと静かにできてえらいですよ。それじゃあ、ここからは……、あの、ルウちゃん。こっち見て~。ルウちゃ~ん」
「ルウ! ちゃんと先生の方見る!」
がっし、と音が出るような勢いでソーニャがルウの頭を両手で挟んで、ぐきっ、と音が出るような勢いで、その頭を子どもたちの前に立つ紫の髪の――アーミラの方に向けさせた。
されるがままのルウは、特にそれでどう思った、ということすら表情には出さず、ただ、たまたま視線の先にアーミラがいる、とでもいうような無関心さで、みんなと同じ方向を向いた。
アーミラはソーニャに、気の抜けた声でありがと~と言い、ソーニャはこんなのなんでもないです、とでも言いたげに背筋をぴしっと伸ばした。
「大事なことだから、よく聞いてくださいね。きょうの授業は、前から言っていたとおりですが、『魂送り』の実習をします。
みなさん知ってのとおりだと思いますが、『魂送り』というのは、私たち死神みんながする儀式です。
『物質界』で死んだ生き物の『魂』は、そのままにしておくと、ずっとその場にとどまってしまいます。『魂送り』では、その魂を私たちが『心霊界』の『原初海』まで送り届けます。
この儀式がどうして必要なのかといえば、『魂』の量には限りがあって、それをしっかり循環させないと『物質界』も『心霊界』も崩壊してしまうからです。『魂送り』は、私たち死神の行う重要な儀式ですが、なぜ重要かといえば、それが世界全体の均衡と調和を保っているからなんですよ」
うんうん、とソーニャは頷いている。
その横で、別にルウは頷いたりはしていない。
だって、何回も聞いた話だから。
バランス、循環、世界調和。
アーミラがクラス担任になってからというもの、その陽だまりみたいなぽやぽやした声色で何回も説明されたことだったし、いくらルウが授業中にうたたねしがちだといっても、さすがにその内容はばっちり覚えていた。
「……でもなあ」
ぼそり、と呟くと、ぎゅう、とルウの左手が握られた。いっそ握りつぶされたと言ってもいい、そんな強さで握られた。
いたた、と口の中でだけ呟いて、ルウは左側を見る。ものすごい目つきでソーニャがにらみつけてきていた。
ちゃんと聞け。
そんな目をしている。
「――さて、いつものお話はこのくらいにして、きょうの実習をお手伝いしてくれる、講師の先生を紹介します」
その言葉で、ソーニャの注意がルウから外れる。助かった、とルウが息を吐いている間に、コツコツと、コンクリートをブーツで叩くようにして、背の高い、銀髪の女が前に出てきた。
「『御魂回送局』のシロファニアだ。今回は前途ある諸君らの実習に同行できることをうれしく思う」
言って、ぐるり、と生徒たちを見回した。
特段、目つきが鋭い人ではなかった。けれど、その背が高いのが理由か、それとも声が低いのが理由か、あるいは直接的になんかこわそうな雰囲気だったのが理由か、目が合った生徒たちは一様に、普段は気の強い学級委員長のソーニャですらも、一瞬、竦むような素振りを見せた。
「…………む」
ただひとり。
ルウだけを除いて。
「…………」
「…………」
ついさっきアーミラの方を向かされたルウは、シロファニアが現れてもずっとそのまま、アーミラの方を見つめている。別にアーミラに興味があるとかそういう視線ではなく、単に視線を変える理由がないから、いま自分が何を見ているのかに思考のリソースを割いていないからそういう態度になっているというのが丸わかりの、ぼけっとした表情で。
それをどう思ったのか、シロファニアはじっとルウを見つめている。
「ちょ、ちょっと、ルウっ」
それに不穏なものを感じたソーニャがささやいて、ルウを肘でつつく。
ほあ?と間抜けた声を上げてルウはソーニャを見る。必死でソーニャは前を見ろというジェスチャーをする。
目が合った。
ルウと、シロファニアの。
目が合っても、ルウは怯えたりしなかった。
まっすぐ、その目を見つめ返した。
「っくしゅ!」
そして、くしゃみをした。
「ソーニャ、ティッシュ持ってる?」
「持ってるけど……、もうっ。なんで自分の持ってこないのよっ」
忘れた、と言ってルウはちーん、と勢いよく洟をかむ。あー、ともらったティッシュでぐしぐし鼻先を拭く。
気付くと、誰もシロファニアの方を見ていない。
生徒たちは、みんなちょっと笑って、ルウを見ていた。
「……さて、それじゃあ今日の説明は私からしよう。資料を配るので、前から後ろに回してくれ」
シロファニアがそう言って真っ白な紙束を取り出す。緊張のほぐれた子どもたちは、宝の地図でももらったみたいにわくわくした様子で、それを手にとっていく。
表紙には『わくわく! 魂送り体験学習!』と書いてある。
「わ、ちいさな生き物からって、虫から始めるの?」
ソーニャはその冊子を几帳面に一ページめからめくりながら、しかし顔をしかめた。ソーニャとは反対に、冊子を後ろから読み始めていたルウにむかって、
「やだなあ。わたし、虫って苦手なのよね。ねえ、ルウって虫得意だったよね」
その言葉に答えることなく、ルウはぴしっと右手をあげた。
「せんせー。トイレ」
それほど目立つことはなかった。もうすっかり子どもたちは渡されたカラー資料を読み込むのに夢中だったから。これから自分たちはどこにいって、どんなものを見せてもらえるんだろう。そればかりに注意がむいていたから。
「ええっ」
困ったのはアーミラだった。シロファニアのことを横目でちらりと見ながら、
「さっき、学校を出る前に行っておかなかったの?」
「ごめんなさい、ふがいない膀胱で」
「い、いいのよ。膀胱の形は死神それぞれなんだから。でも、どうしましょう。シロファニアさん、すこしの間だけ、子どもたちのことお願いしてもよろしいですか?」
ああ、とシロファニアが頷く前に、
「せんせー。ひとりで行けるよ。この資料、うしろにここの地図ついてるもん」
そういえば、とアーミラは資料をめくる。確かに、そこには丁寧にこのビルの構内見取り図がついていた。よほどのことがない限り、これで迷子になることはないだろう、という程度にはわかりやすいものが。
アーミラはほっとしたように、
「そうね。じゃあ、ひとりで行ってこられるかな。迷いそうになったら、すぐ戻ってきてね」
「はーい」
「ルウ、あなた、ひとりでいける? わたしもついてこうか?」
「えー。わたし、トイレはひとりで行きたいタイプ……」
ソーニャが聞いたけれど、ルウはそう答えて、するり、と抜け出してしまう。
なによ、とソーニャが不満そうに唇を尖らせる。その間にルウは、屋上から階下に続く重たい扉を、うんしょ、と体重をかけて開いて、その先へと消えていく。
消えていってしまった。
「シロファニアさん、お騒がせしました」
「……いまの子は」
短い問いかけに、アーミラは苦笑して、
「すみません。ちょっとマイペースな子で……。間違いなく優秀な子ではあるんですけど、自分の世界を持っているタイプなんです」
その言葉に、シロファニアはうなずいて、
「わかります。私も幼いころはそのタイプだと言われました」
「あら、そうなんですか。しっかりされた方だから、なんだか意外ですね」
「生きていれば多少は成長しますから。……にしても、かわいらしい子でしたね」
「え?」
「こう見えて、結構好きなんです。子ども」
はあ、とうなずいたアーミラの表情をどう受け取ったか、シロファニアは急に話を戻して、説明は始めてしまっても?と尋ねた。
アーミラはさらに戸惑ったようだったけれど、あの子なら少し話せば大丈夫だと思うので、と付け加えながら、それにもうなずいた。
シロファニアが手を二回叩く。
ぱんぱん、と音がして、子どもたちのおしゃべりが止まる。視線が前をむく。
「さて、体験学習のしおりも行き渡ったと思う。時間が押してしまうので、早速だがきょうの流れを資料に沿って説明させてもらおう」
シロファニアは『わくわく! 魂送り体験学習!』を掲げながら、そう言った。
☆
さて、これは当然の話なのだけれど、大人になってからしっかりするタイプというのは、子どものころはしっかりしていないものだ。
マイペースで、自分なりの考えを持っていて、その上いろいろと優秀。そんな子どもなんて、しっかりしていないどころか、はっきり言って問題児だったりする。
ほかの生徒たちがシロファニアからの説明を体育座りしながらおとなしく聞いているころ、問題児はとことこ走っていた。
ビルの外を。
手に持った資料は、すでにあるページに折り目がつけられている。
六十六ページ。
十三番目の魂送りの対象者。
七瀬沙季、十六歳と書いてある。
「~~♪」
調子はずれな鼻歌とともに、ルウは走る。
もちろん、行く先はトイレなんかではなかった。




