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ゆうらり、とシロファニアが立ち上がった。
さっきまでとはまるでちがう。さっきまでの、苦しんでいる優しい死神、という印象はまるでなくなって、氷のような瞳だけが夜の闇に薄くきらめいている。
一方で、ルウはと言えば。
「……なんで?」
震える声で。
「……ルウ」
「なんで沙季ちゃん、そんな風にあきらめられるの? 死んじゃうの、わかってたってどういうこと? 急な病気だったんじゃないの?」
「手順を無視したからだ」
沙季の代わりに、シロファニアが答えた。
「きみは本来の『魂送り』の手順を無視して、対象者のバックグラウンドもなにも考えず、自分の気持ちを押しつけた。自分のしたいことに、相手を付き合わせた。ルールの正当性を検討せず、ただ自分のやりたいようにした結果、こんなことになったんだ。
自分がしたことがどれだけ残酷なことかわかるか? 相手のことをよく考えもせずに手を差し伸べることがどれだけ愚かなことか。きみは考えなかったのか? 自分ではできないかもしれないと、自分では叶えられないかもしれないと、自分では希望をチラつかせるだけチラつかせておいて、ただ失望を上塗りするだけで終わるかもしれないと! そうは思わなかったのか!」
「できるもん!」
ルウは、自分の人差し指を複雑な挙動で何度も交差させる。
ぱん、と赤い光がとシロファニアの手前で弾けた。
それを左の手でいなしながら、それでもシロファニアは、一歩後ろに下がる。
「動作魔法……。そんなものまで使えるのか」
「おまえ、うるさい! 邪魔!」
「言っていろ、クソガキ。その鼻っ柱、」
「ちょ、ちょーっと待った!」
へし折ってやる、という言葉の前に、沙季が口を挟んだ。
なんなら体も挟んでいる。ふたりの死神の間に、両手を広げて立ちふさがっている。
こっええ、と思いながら。
「けんかはやめようって! ね!」
ふたりとも、まるで臨戦態勢を解除する様子はない。
なんでやねん、と思う。
自分を間に置いて、そのままにらみ合うふたりに、沙季は、
「一回落ち着こうって。ルウ、ほら。手下ろして」
「なんでわたしからなの」
「いや、おまえの方が急にとんでもないことしそうだから……」
「そんなことないもん! そっちのやつの方が先に魔法ぶってきた!」
ああ、まあそうね、と
「じゃあ、シロファニアさん。先に手を、」
「すまないが、それはできない。私は油断をしないし、ここを譲るつもりも毛頭ない」
「ど、どっちも聞き分けがない……!」
しばらく悩んでから、沙季は溜息をついて、
「……ルウ、聞きたいこと、あるんだろ」
そのまま、話を続けることにした。
「死ぬのを覚悟してたって、どういうこと」
警戒を解かないまま、ルウが聞いた。
沙季は仕方ないよな、と目を閉じて、
「――もともと、最近ちょっとおかしいなと思ってたんだよ。疲れがぜんぜん取れないし、ほんと、立ち上がるのもいやになるくらい。でもバイト勝手に休めないしさ。風邪でもひいたのかな、と思ってたんだけど。
……あたしのうち、お父さんがちょっと前に死んじゃったんだよ。なんかそれで、思ったより簡単に人が死ぬってことがわかって。不安になったら結構、その、そういう『もしかしてその症状はこの病気?』みたいなやつ調べてたんだ。
そしたらまあさ、突然死みたいなのがボロボロ出てくるわけよ。で、不安になって遺書とかそういうの用意して、あたしが突然いなくなってもお母さんと弟がそんなに大変じゃないように……、まあ生前整理みたいなやつ?やったりしてたから。そういうのが、覚悟といえば覚悟なのかな」
まさかほんとうに死ぬとは思ってなかったけど、と軽口で笑ってみれば、
「笑いごとじゃないよ!」
と、あまりにももっともなお言葉が飛んできて、はい……、とうなだれてしまう。
「そんなの絶対おかしい。いっしょうけんめい生きてきて、なんでそんなに簡単にあきらめちゃうの」
「人の傷を抉って楽しいか、ガキ」
「うるさい! おまえに言ってない!」
こことここ相性悪いな、と沙季は呆れる。べつにそれぞれ相手する分にはそんなに疲れないのに、両方同時に相手するのはものすごくしんどい。
「あの、シロファニアさん。ちょっとこう、もうちょっと大人げみたいなものを……」
「……すまない。頭に血が上った」
「怒られてやんの」
こら、と一言。
全然納得していない様子のシロファニアの顔とか、全然反省していない様子のルウの表情なんかを見ていると、自分の弟がどれだけ聞き分けがよかったのかがわかり、同時に、学校の先生ってよっぽど大変な仕事なんだろうな、とここに来ての新しい学びを得られたりする。
「――あの、ふたりで話をさせてもらうことって、できないですか」
とりあえず言ってみるだけ言ってみようと思った。
その直後、ものすごく後悔する羽目になった。
「……させると思うか?」
とんでもない目つきでシロファニアがこっちを見た。
反射的に、膝の裏がぴん、と伸びた。うそです、と言いたくなる。冗談ですよまさかほんとうにそんなこと思ってるわけないじゃないですかあはははは、と言って、話の続きに戻りたくなる。よくもまあルウはこんな相手と正面切って立てるものだ、と信じられないような気持ちになって、
「して、もらいたいんですけど」
最後だから、ちょっとだけ自分を信じて。
ちょっとだけ、自分の背中を押してみた。
十パーセントくらいは可能性があるかな、と思いながら。
さっき気高いとか言われたし。自分で笑っちゃうけど。
「……言っておくが、」
ものすごく渋い顔で、シロファニアは言った。
「『よすがの塔』の付近には常に警戒網が敷かれている。私でも強行突破はできないような、強力な自動魔法だ。もしも逃げようとしても――、」
「しませんって。だいじょうぶです」
あえて強めにそう言葉にする。
なに言ってるんですか、そんなこと寝ぼけてもしませんよ、とでも言うように。実際のところはこんなところまで逃げてきて、なんの説得力もないと思ったけれど。
でもいまは、ほんとうのことでもあるから。
自信たっぷりに。
「……それを持っていってくれ」
ひょい、とシロファニアが投げたなにかを、わっ、と空中で捕まえる。
そうしたら、かちっと手首にはまった。
勝手に。リストバンドみたいに。
「発信機だ。あまり遠くには行かないように」
「……わかりました」
へえ、とくるくる手を回してたしかめてみる。
ハイテク、とつぶやく沙季の元に、とててて、と近づいてきたルウが、それを見て、
「趣味わる」
つくづく相性悪いな、と視線に挟まれて、もう一度思った。




