14
暗闇の中で目を覚ました。
ここはどこだろう。考えるより先に身体が動こうとしたけれど、動けない。ぎし、と軋む音。
「――――」
あ、縛られてる。
と言おうとしたのに、それも声にならなかった。
ベッドに魔法で縛りつけられて、そのうえ声も封じこめられている。
状況はよくわかった。
目を開けてるんだか閉じてるんだかわからないような暗がりの中で、ルウは静かにまぶたを閉じる。
自分は、負けたのだ。
沙季を生き返すための旅の中、大人に負けて、捕まったのだ。
暴れてみる。当然、その程度のことでなんとかできるような拘束を、自分より魔法の上手い死神が使うはずもない。天井側にはまるで力が入らずに、その反動でベッドにぶつかるときだけ、音が鳴る。魔法が使えたらこのくらい、と思うけれど、声も体も封じられていたら、さすがにどうしようもない。
このまま何度も続けていたら、なにかのまちがいでベッドが壊れたりしないだろうか。
どう考えても無理だろう、という案を、しかしそれでも気休めに続けるしかない。後頭部をマットにぎゅうぎゅう押しつけて、ひたすら時間が流れていく。
情けないな、と思った。
自分で連れ出しておいて、この有様。今ごろ沙季はなにをしているだろう。ひどいことをされていないだろうか。されてそうだ。だってあのシロファニアとかいう死神、とんでもなく冷たい目をしていた。魔法がとんでもなく上手いというだけじゃなく、きっと性格もえげつないのだ。そうじゃなかったら自分みたいな子ども相手に、呪文チャージ済みの魔法をいきなりぶつけてきたりするわけがない。
助けに行かなくちゃ。
いけないのに。
首に負荷をかけすぎた。気持ち悪くなって、ルウは動きを止める。
自分には責任があるのだ。ルウは静かに、そう考えている。
どうして死神は『魂送り』なんてことをして、人間を徹底的に殺さなくちゃいけないんだろう。これがものすごく悪い人間だったら、それは多少話がわかる。でも、ソーニャやアーミラ、それに自分の両親みたいないい死神がいるのと同じように、人間にだっていい人間はいるのだ。それぞれがそれぞれに大切な相手や、大切な目標を持って、いっしょうけんめい生きているのだ。
いっしょうけんめい生きている人を応援したいと思って、なにがおかしいのだろう。
どうして、いっしょうけんめい生きている人を、わざわざひどい目に遭わせなくちゃいけないんだろう。
死ぬって、恐ろしいことだ。いつか自分も死ぬということに気付いた日、両親がきっと自分より早くに死ぬだろうことを認めてしまった日、あのとき自分がだれにも見られないように、ひそかに泣いた記憶を、ルウははっきりと覚えている。
ましてや、自分がいま、生き返そうとしているのは、ただの人間じゃないのだ。
七瀬沙季。
すっかり友だちになった、とびきりのいい人なのだ。
もっとゆっくり友だちになれたら、もっとよかったな、とすら思う。もしも近所に住んでいたら、もしも親戚にいてくれたら、もしもおねえちゃんだったら――は、まだ保留。はっきりイメージできないから。
でも、いまではもう、自分の考えてることとか、信じてることを抜きにしても、感情で思う。
生き返るべきだ。
だって、いい人だから。
また、ルウは暴れ始める。もうこうなったら仕方ない。首が折れるまでやろう。やれるだけのことをやるしかない。もしかしたらシロファニアがその音を聞きつけてこの部屋までやってくるかもしれない。そのときはどうにか隙をついて脱出してやろう。だいじょうぶ、そういう方法は冒険小説でたくさん見たことがあるし、
開いた。
「わ、暗っ」
シロファニアじゃない。
そのことがたったの一声でわかったのは、シロファニアの声をはっきり記憶していたからじゃない。
「――――!」
「〈夜ごと掲げて月のてのひら〉――うわ、あなた……、いったいどんなことしたらこうなるの? がちがちじゃない」
聞き慣れた声だったから。
ソーニャ、と名前を呼んだつもりだった。ランタンくらいの小さな灯りが、水色の髪を橙がかって、淡く照らしている。
「ルウ? ……もしかして、声も縛られてるの?」
うんうん、とうなずくと、徹底的ね、とソーニャは呟いて、
「まあでも、そのくらいでちょうどいいわね。あなたいつも変なことしか言わないし」
「――――!」
「冗談よ。……体の方はなんとかなると思うけど、声の方はわたしじゃ無理みたい。それでもいい?」
ぴた、と暴れるのをやめた。
信じられない気持ちで、ルウはソーニャを見る。
「なによ」
なによ、と言われても。
「ああ、話せないんだっけ。じゃあ、そのままおとなしくしてなさい。あなたみたいに上手にはできないけど、このくらいなら五分もかければ外してあげられるから。〈瞳は瞳、鏡じゃなくて見つめるために〉」
言って、ソーニャはルウを縛りつけるひも状の魔法に触れて、ときどき、小さく魔法を唱えていく。そのたび、ルウの体は自由になっていく。
どうしてだろう、と不思議だった。
だって、自分たちのことを追いかけてきたじゃないか。てっきりシロファニア側だと、というか、シロファニアがソーニャたちの側なんだと、そう思っていた。
ばかなことはやめろって。
おとなしく戻ってきて、ルールを守れって。
そう、言うんだと思っていた。
「……はい、おしまい。わたしがしてあげられるのはここまでなんだからね。あとは自分でがんばりなさい」
「――」
「あ! わたしが逃がしたなんて、まちがっても言わないでよね! あなたうそをつくのがほんとうに下手なんだから」
そうじゃなくて。
どうしてたすけてくれたの?
そういう言葉を使うことはできなかったし、手元に書くものもなかったので、とりあえず、自由になった全身を使ってそれを伝えてみようと試みた。
「……ルウ、あなた、声が出せなくてもうるさいのね……」
ひどい。
「べつに大した理由じゃないわよ」
そんなわけがないと、ルウは思った。
ソーニャは自分とちがって優等生だ。先生たちの言うことはちゃんと聞くし、宿題だって一度も忘れたことがない。学級委員長の仕事だって真面目にやってるし、字も上手いし、ピアノも上手いし、絵も上手い。さらには料理も上手くて、調理実習のときはいつも作る係のソーニャと食べる係のルウとして、コンビを組んでもらっている(だいたい途中で「うろちょろしてないで手伝いなさい!」とソーニャが怒りだして、さらにそのあと「うろちょろしないでそこでじっとしてて……」と悲しい声で言われる)。
なにが言いたいのかと言うと、ソーニャはちゃんとした死神で、だから、ちゃんとした死神の側に立つのだと思っていたのだ。
自分の側じゃなくて。
「友だちなんでしょ」
声が出せたら、へ、と言ったと思う。
「――友だちなんでしょ! ちがうのっ?」
突然怒り始めた。
びっくりして、ルウは思わず首を縦に五回振ってしまう。それを見たソーニャは、不満を隠そうともしない顔のまま腕を組んで、ん、とうなずいて、
「もしも……、もしもの話なんだけど」
それからやけに、もしも、という部分を強調した話し方で、
「わたしは、ルウが死んで、どうにかして生き返す方法があるって聞いたら、どんなルールがあっても知らない。絶対に破るし、絶対に生き返す」
「――――」
ひとつ。
ルウには癖がある。
驚いたり、うれしくなったりすると、あごがゆるゆるになって、口をぽかん、と開けてしまうこと。
どう見たってまぬけな顔をしているのだけれど、どうしてだかその表情は顔立ちとやけにマッチしているものだから、だれもその顔止めた方がいいよ、口閉じな、なんて注意してくれる死神がいない。
「――じろじろ見るな!」
ソーニャ以外は。
不意打ち気味に伸びてきた手が、かっこん、と口を閉じさせた。さらにびっくりしたルウは、べろ噛んじゃったらどうするの、と抗議しようと思ったけれど、残念ながらいまは声が出ない。
「がんばれとか、そういうのは言わないから。ただ、わたしは自分がそうなったら、べつの友だちにちょっとくらいはたすけてほしいと思うから、それだけ。ルウが迷惑かけたことは一生忘れてやらないし、一生根に持つからね。ばーか」
べ、と舌を出した。
それに、ルウは笑った。
ありがとう、と言う口もないので、九十度の角度でお辞儀をする。
駆け出す。
見送る。
ちょっとだけ、笑う。




