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 夏場にあっついコーヒーをなみなみ注いで出されることが友好のしるしであると捉えられるかは、受け手の心の広さや、人間関係に対する楽観度合いなどに左右される。


「遠慮しないでくれ。味には自信があるんだ」


「……はあ」


 勧められてはさすがに手をつけないわけにはいかない。小さなカップに手を滑らせないよう、手汗を服に吸わせてから、沙季はそれに手をつける。


 唇を火傷するかと思った。


 次は口の中を火傷するかと思って、その直後、舌がぶっ壊れるかと思った。


 ゆっくりとカップを置いた。たしかにこれなら味に自信も芽生えるだろう、と思う。風邪を引いてなにも味を感じなくなってる病人だって、これを口に含めば一発で味覚の存在を思い出す。


 味覚の機能が、喜びにではなく、驚きにあると考えているのなら、の話。


「あの、ルウは」


「となりの部屋で少し眠ってもらっている。ずっとあの調子で暴れられてはさすがに敵わないからな」


 言ってから、シロファニアはカップを口元に運ぼうとした手を止めて、


「いや、手荒なことはしていない。ほんとうにただ、魔法で眠ってもらっただけだ。私は子どもに対する暴力に否定的な立場を取っている。……こんな風に、強制的に拘束していて、まるで説得力はないかもしれないが」


「いや、そんなことは」


 なかった。実際に、この公民館だかなんだかよくわからない部屋に連れこまれるまでに、直接的な暴力は一度も振るわれなかった。


 すごく怖い人が来たのかと思っていたのだ。


 魔法が使えなくなったらしいルウは、それこそ野生の動物みたいにシロファニアに飛びかかって、それも途中で力を失って抱き留められて。


 腕の中でそれでももがいているルウをゆるく抑えながら、シロファニアはこう言ったのだ。


――七瀬沙季さん。このたびはこちらの不手際でお詫びのしようもないことをした。勝手ながら、事態の終息を図りたい。私についてきてくれないだろうか。


 想像していたよりもずっと優しい声で。


 ルウがなにもできなくなったら、もう沙季にできることなんかなにもなくて。


 ついてきたら、これだった。


「――きみには、ほんとうにすまないことをした」


 たぶん、見た目よりずっと穏やかな人――死神なんだろうな、と沙季は思う。


 そして同時に、この死神からは逃げられないだろうな、とも思った。


「死した『物質界』の人間を『心霊界』へと連れ回す――。当該児童の担当教員から話は聞いているが、『たまひも』の補充によって蘇生させることが示唆されていたと。


 申し訳ないことをした。死してなお、精神的に多大なる苦痛を与えてしまったこと、心からお詫び申し上げる」


「あ、いや。全然全然。あたしが自分でついていっただけですから」


「そう言っていただけると……」


 だって、この声は聞いたことがある。


 申し訳なさそうではあるけれど、もう動かしようがないことを伝えてくる人の声。


 病院の人なんかと、おなじ声。


「ついては、改めて私が『魂送り』を担当させていただきたく思う。もしも嫌ということであれば、別の職員を派遣することもできるが」


 この死神は、もう、譲歩する最終ラインを決めている。穏やかで、優しい声色で、こっちを気遣ってくれているのはわかるけれど、それと同時に、その一線は決して動かさないと決めているってことも、はっきりわかる。


「七瀬沙季さん。改めてこうして伝えることもひどいことだとは思うが、言わなければならないから、言わせてもらう。




――――きみは、死ななければならない。一度死んだ以上、死んでもらわなければ困る」




 沙季は。


 そう言われて。


「……まあ、ふつうに考えたら、そうですよね」


 ただ、苦笑だけをした。


「重ね重ね、申し訳ない」


「ああ、いや。元はと言えばこっちが悪いんですから。むしろ、その、お手数?かけちゃって申し訳ないみたいな。死んだんだからちゃんと死ねって、当たり前の話ですよね。だいじょうぶです。わかってますよ。ええっと、シロファニアさんでいいんでしたっけ。お仕事ですもんね。だいじょうぶです。べつにあたし、なにも怒ったりしてないんで。こっちこそすみません。迷惑かけちゃって」


 シロファニアが口を開こうとするのを待たずに、


「あの、じゃあ、すぐですか。『原初海』でしたっけ。そこまでいまから行く感じですか」


「……いや。きょうは一旦ここに滞在してもらいたい。かまわないか?」


「そりゃいいですけど」


 どうして、と聞けば、シロファニアは答える。


『心霊界』に戻ってきた時点での引力に逆らってしまうと、そのあと『原初海』に送り込むには結構な力が必要になる。この先の街のロカッタフォンフォンにそのための装置があるのだけれど、もう今日は夕方になり、装置の稼働スタッフの労働時間外になってしまう。だから、今日のところはここで眠ってもらって、明日の朝、ロカッタフォンフォンにむけて出発する形にしたい。


「いずれにせよ、ルウ少女だけを置いていくこともできないし、今日のところは少し休んでもらいたい。明日になれば彼女の両親と、それから担当教員が来られるようですから」


「あの、その話なんですけど」


 沙季は机に身を乗り出す。カップの上に覆いかぶさるようにして、


「ルウのこと、あんまりひどく罰しないでやってくれませんか。あたしが言えた義理じゃないってことはわかってるんですけど、でも、あの子、あたしが連れ回したようなものなんで」


「……報告では、ルウ少女が自分の意思できみを『心霊界』に連れ去ったと聞いてるが」


「や、まあそうなんですけど。あたしがその、やってることの重大さを認識できてなかったんです。深く考えもせずに、ルウの言ったことに乗っかっちゃって」


「それはきみの落ち度ではなく、深く説明せずに人間を連れ回したルウ少女の責任だ。『物質界』と『心霊界』の常識は当然異なるし、きみが『魂送り』をせずに人間を生き返らせるという行為の重大性を認識できなかったとしても、それは恥じたり、詫びたりするようなことではない。悪いのはルウ少女の方で、」


「でも、あたしの方が大人だから」


 きっぱり言って、シロファニアを黙らせた。


「大人だから、責任はあたしにあります。その、これから改めてもう一度死ぬ人間に罰とか、そういうのができるのかも、ごめんなさい。不勉強だから知らないんですけど、もしそういうことができるんだったら、ルウに与える分の罰、ぜんぶあたしに与えてほしいです」


 お願いします、と沙季は深く頭を下げた。


 ここがシロファニアにとって、譲れる線だったらいいな、と思いながら。


 だって、自分のことを友だちだと、ルウは言ってくれたのだ。それが、こんな風に終わって、罰も受けて、そんなのはやり切れない。


 自分のことはいい。自分が悪いのはわかる。どのくらいそれがとんでもないことなのかわからなかった、なんて言い訳だ。死んだらそこで終わり。もう一度生き返ったりはしない。そこにはまちがいなく明確な一線が引かれている。


 もっと早くに、そういうことを認識するべきだったのだ。


 溜息が聞こえた。


「――顔を上げてくれ」


「でも、」


「罰なんて大層なものは与えない。きみにも、ルウ少女にもだ。だから、顔を上げてくれ」


「……いいんですか」


「いいもなにも、できないんだ。『蘇生級』の扱いは危なっかしくてね。功績も問題も、大々的には取り上げにくい。法規制の外側で行われた話だし、はっきり言って、『御魂回送局』内部で揉めて、それで終わりだ。そっちは私が責任を持って収める。……まさか、ルウ少女が両親に叱られるのまで肩代わりするつもりではないだろう?」


「あ、はい。それはもちろん」


 よかった、と胸をなでおろす。


 聞きようによってはなんとも大人の都合アリアリの薄暗い話だなあ、とは思うけれど、いまはそれがルウのためになっているのだから、とやかく言うこともない。


「それよりきみ、いま、思いきり髪がコーヒーに……」


「え、あっ」


 見ると、確かに右のひと房に、たっぷりと真っ黒な液体が含まれていた。興奮して身を乗り出して、そのとき気付かないうちに髪先がカップの中に浸ってしまっていたらしい。全然気付かなかった。


「わ、どうしよっ」


 使うといい、とシロファニアがティッシュ箱を差し出しながら、


「きょうはここに泊まってもらうから、少し落ち着いたら浴室を使うといい。環境設備が整ったところなんだ。こっちは私が、」


 処理しておく、とカップに手をつけようとしたのを、沙季は先手を取ってつかんで、


 ぐいーっ、と。


 一気に喉を反らして、飲み干してしまう。


 シロファニアは大きく目を見開いている。


「……いや、あの。もったいなかったんで」


「……そうか」


 それから、ふっと笑って、


「――すまないな」


 寂しそうに。




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