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「先生、なんでカーブのたびにブレーキ踏むの!」


「ふ、不安なんですぅ~」


「もっと危ないでしょ! どうやって免許取ったのっ?」


「泣きながら取りました~」


 免許を取ってから数年、いまだ無事故無違反のアーミラが運転する車は、自転車以下の速度でとろとろと坂を上っていた。


「もう! そんなのだからあの怪しいめがねの人の車、もう行っちゃったわよ!」


「めがねは悪いことじゃないんですぅ~」


「そういう話をしてるんじゃなくて……」


 めそめそと泣きながらアクセルをやんわり踏むアーミラ。いいから貸して、といつ言い出してもおかしくなさそうな様子のソーニャ。


 そのふたりが乗る車に、ふっと影が差した。


 ふたりとも、最初はなんとも思わなかった。夏だといっても、日のかげるときだって時にはある。入道雲だって風物詩のひとつなのだから。


 ソーニャが先に気付いた。


 あれ、さっきまでめちゃくちゃ晴れてなかったっけ。


 身を縮めて、フロントガラスの下から、車の上の方を見てみた。


 ところで、ソーニャは虫が苦手である。


「――――」


 絶叫。





「うーわ」


 と沙季は思わず声に出してしまった。


 同年代と比べれば、割と虫は平気な方だと思っていた。バイト先に出てきたゴキブリを単独で近接戦闘で打ち倒したこともある。


 でも、これはちょっと引くわ。


 目の前に映る景色はこうだった。


 小さな、白い車がとろとろと走っている。


 それに、車よりでかいカブトムシが並走している。


 縦に。


 車の上空一メートルに、カブトムシが重なるようにして飛んでいる。


 鳥と虫だったら捕食一歩手前だなとか、カブトムシってあの固そうな部分だけじゃなくて、その下に薄い羽がしまってあるんだとか、それをばさばさやって飛ぶんだとか、なんかコウモリに似てるなとか。


 そんなことを考えている場合ではなかった。


「先生、急いでよ!」


 助手席から身を乗り出した水色の髪の女の子が叫んでいるのが聞こえる。あれがソーニャだろう。運転席にむかって叫んでいるけれど、自分の頭上を見上げるたびに、ひぃいいいとそれよりも大きな声で絶叫している。


 気持ちはわかる、と沙季は思った。


 ただでさえ自分よりだいぶ巨大な生き物に追いかけられているのだ。そのうえもし、元々虫が苦手だったりすれば、不快感は超絶だろう。


 山の少し上のところから、それを見ていた。


 もうすぐ、曲がりくねった道を走って、ここまでやってくる。


「大ピンチだな」


 沙季はそう言ったけれど、横から反応がなかった。


 まさかこっちも虫が苦手ってわけじゃないだろうし、と思ってルウを見る。


「どした。すごい顔してるけど」


 めちゃくちゃハラハラしていた。


 手に汗握る、とはこのことで、いまにも手の爪をぜんぶかちかち噛み始めそうな、そんな顔をしていた。


「そんなにあのカブトムシ……『ゼタ・ビートル』ってヤバいのか?」


「どうしよう。沙季ちゃん、ふたりとも襲われてるよ」


「そうだな」


「……助けちゃっても、いいかな」


「は?」


 なに言ってんだ、と思った。


 思って、思ったよりも怖い声が出たのか、怯えたようにルウが肩を震わせた。


「やっぱり、」


「なんとかできるなら助けてあげればいいじゃん。なんかダメなことあんの?」


 今度は口をぽかん、と開いて。


「――いいの?」


「なにがダメなんだよ?」


「だって、見つかっちゃうし」


「おまえ、変なとこでめちゃくちゃ気にしいだなあ」


 このやりとり何度目だろう、と沙季は思った。


 また自分のことを気にしている。巻きこんだ責任とか、そういうものを感じているんだろうか。この年で。偉いことだとは思うけれど、いやこういうことをしている時点で偉いという評価は得られず、せいぜい根はいい子止まりなのかもしれないけれど。


 でも、自分はまるで気にしていないのだし。


「いいじゃん。あたしも虫取り見たいわ」


 そういうことで、話は進む。





 はっきり言っていまにも吐きそうだった。


 ただでさえ嫌いな虫が異様に巨大になったあげく、自分のことをストーカーしてきているし、しかも個人的にいちばん気持ち悪い部分だと思っているお腹側をこれでもかってくらい見せつけてくるし。


 頼りにしていた先生の運転だって、ゆっくりゆっくりこれでもかってくらいにゆっくり走っているっていうのに、遊園地のジェットコースターの百倍くらい怖いし。


 吐きそうだったし、泣きそうだった。


「先生、そっちガードレール!」


「はわわわわ」


「はわわわわじゃなーい! もうっ、なんでこんなことになるのよーっ!」


 きょうは大事な実習のはずだったのに。


 将来のことを考える大事な時間になるはずだったのに。


「それもこれも……、」


 人のせいにできたらもっと楽だったろうに。


 こういうとき、ソーニャはこんな風に考えてしまう子どもだった。


 ほんとうは、自分が悪いんじゃないのか?


 ルウがいなくなったから、なんだっていうんだろう。そんなのは人の勝手だ。受けたくない授業は受けなければいいし、自分がそれを気にしなくちゃいけないなんてルールはどこにもない。


 自分で勝手に責任を感じて、自分で勝手に追いかけてきて、自分で勝手に怒っている。


 ばかみたい。


 自分が心配する意味なんて、ほんとうはぜんぜんないのに。


 ルウは自分よりよっぽど魔法が上手くて、とんでもないことばかりするのにいろいろ考えつくしていて、自分が怒ったり、止めたりすることにもちゃんと自分なりの理由を持ってるはずなのに。


 こんなのいらないお節介だって、わかってるのに。


「…………ばか」


 でも。


 そんなこと、素直に思ってしまうほど、ソーニャは弱くないから。


 めいっぱい。


「ルウの、ばぁーーーーーかっ!」


「ごめんなさい」


 ひょいっ、と。


 そのとき、車の上に飛び乗ってきた生き物がいる。


 とぼけた顔をしていた。


 小さな鼻、小さな口。ただでさえたれ気味の眉も目も、いまは申し訳なさそうによりいっそうたれ下がっている。


 ソーニャの瞳にたまった涙が、風で乾いて、


「……ルウ?」


「ルウです」





 子どもって身軽なんだなあ、と沙季は思った。


 まあどう考えてもそういう問題じゃないんだろうな、とは知りながら。いくら鈍行運転だったとしても、ふつうは走っている最中の車に飛び乗ることはできない。


 とりあえず、背伸び。


 もう自分にできることはない。


 最後にはあれだけ自信満々で行ったんだから、心配するだけ無駄だろう。心配したところで、心配以上のことができるわけではないのだし。


 でもまあ、あのまま捕まっちゃうかもな、なんて思いながら、ぼんやり見ている。


「それはそれでいいけどさ」


「なにがよろしいのですか?」


「うわっ」


 びっくりした。


 気付かない間に、ぬうっ、と後ろから人――死神――が出てきた。


 セラドニクスだった。


 沙季の隣に立って、ルウと『ゼタ・ビートル』と車を見下ろしている。めがねをくいっ、と上げて、


「素晴らしいですね、あのお嬢さんは」


「はあ……。あの、もう身体、だいじょうぶなんですか?」


「ええ、おかげさまで。……ひょっとして、僕が倒れているところに、治療の魔法を?」


「あ、そうですね。このままじゃちょっと、ってルウが……」


「最初のときも?」


 沙季がうなずくと、得心いった、という顔でセラドニクスはうなずく。


「死んだと思っていたんです」


「え?」


「最初のとき。僕が『ゼタ・ビートル』を見つけたのは、サナギから羽化する寸前だったのですよ。思わず捕獲を焦ったところ、」


 セラドニクスは前髪をかきあげるようにして、額を触り、


「正面衝突です。なにしろあのサイズですからね。僕のフィールドワーカーとしてのキャリアもここで終わりかと思いました。……でも、あのお嬢さんが治してくれたんですね」


 そうですね、組織再構成式がどうたらとか言ってました、と口にしようとして、沙季は止めた。


 どうも話の流れがおかしいと思ったのだ。ルウはなにげないことのように言ったけれど、ほんとうにそれは、なにげないことなのか?


 答えはすぐに、セラドニクスが言ってくれる。


「信じられないな。この地域には飛び級制度がないとは聞いていましたが、『蘇生級』に足をかけている子どもがこんなところにいるなんて……」


「『蘇生級』?」


「通常、死神の医療は『物質界』におけるのと同様に科学を用いて行われます。あの小さな女の子がしたように、治療の魔法自体は存在しているのですが、それによる医療は発展していない……。難しすぎるからです。とてもではないが、それによって十分な医療従事者を確保することはできない。同時代に十数人がいいところでしょうね」


 さすがに、沙季は驚いた。


 あんなに小さいのに、同時代に十数人の魔法の使いっぷり。同世代じゃなく時代だというのがセラドニクスの言いまちがいでないんだったら、よっぽどだ。


 はあ、と気のない返事になる。まるで実感が湧いてこない。いまだって、あのちびっこは車の上でソーニャから怒られてしょんぼりしているのに。


「『蘇生級』というのは、『物質界』での生き死にに関わることができる、強力な死神のことを指しています。我々死神は魔法によってしか『物質界』の有機物に干渉できませんが、魔法による治療が可能な死神であれば、『たまひも』の補充さえどうにかしてしまえば、一度死んだ人間を蘇らせることができてしまう」


 そこで、じっとセラドニクスは沙季を見た。


「あなたのようにね」


「…………」


 なにも答えられなかった。


 終わったな、とは思った。


「さっきまでは確証がなかったのですが、さすがに『心霊界』に対する知識がなさすぎますね。あなたが『心霊界』の出身だとしたら、ちょっとつじつまが合わない。


――言っておきますが、『蘇生級』だからといって、実際に『物質界』の生き物を生き返らせても構わない、なんて法はありませんよ」


 魔法があるないの問題ではない。大の男と一対一。しかもむこうは体力全快。若さのパワーでどうにかできるラインじゃない。頼みの綱のルウは、真剣な顔で『ゼタ・ビートル』をにらみつけているし。


 万事休す。


「なんて、ね」


 言って、セラドニクスは肩をすくめた。


「――は?」


「『物質界』の生き物を生き返らせても構わない、なんて法はありませんが、同時に生き返らせちゃいけない、なんて法もないんですよ。なにしろそれができる死神の数が少なすぎて、ほとんど刑罰の対象が狙い撃ちになってしまいますからね。元々『蘇生級』に権力者が多いこともあって、議会でうまく法整備できていないんです。いろいろ荒れているトピックではありますが、とりあえずのところ、あなたにとってはいい方向に働いています」


「……はあ」


「あちらのお嬢さんがあなたにだまされているようなら、とも思いましたが、『蘇生級』が人間に脅されるはずもありませんし。丸めこんでいる、というのもちょっと考えないではありませんでしたが……」


 セラドニクスは笑って、


「なにしろ、お二方とも僕の命の恩人ですから。信じることにしました」


 はあ、ともう一度沙季は言った。


 知らない間に危機に陥って、知らない間に脱してしまった。気持ちは下がって上がってプラマイゼロ。フラットな状態になる。


 眼下では、アーミラが運転しているはずの車が、突然頭のおかしくなった三十五歳の猫みたいな挙動を見せ始めている。『ゼタ・ビートル』はなにが悲しくてそんな車に張りついているのか、大きな羽をぶんぶんさせながらドリフト、旋回、曲芸飛行。


「――シロファニアという名の死神に、お気をつけなさい」


「え?」


 突然言われて、固有名詞を理解するのだけでせいいっぱいだった。


 シロファニア。たぶん名前。


「僕の高校と大学の後輩だったんですがね。後にも先にもあんなに魔法の上手い死神は初めて見ました」


 だから、忠告してくれてるんだ、とは遅れて気が付いた。


「……ルウより?」


「年季がちがいますね。才能自体はおなじくらいかもしれませんが、経験がものを言う。


――彼女、ルウさんより魔法の上手い死神は、まずこの近隣一帯には存在しないでしょう。もしもルウさんが出し抜かれるようなことがあるとすれば、それはまちがいなく『蘇生級』の使い手が相手の場合です」


 車の上に立っていたルウが、しゃがみこんでなにごとかを助手席にむかって言った。


 助手席の窓から伸びてきた手で、ばちこん、とビンタされた。


「…………」


「……いえ、人間関係による強弱は無視するとしての話です」


 沙季が無言でその光景を指差すと、言い訳するようにセラドニクスはめがねを上げた。


「『蘇生級』はおおむね重要な役職についてしまいますから。もしもあなた方の障害になるものがあるとすれば、それはシロファニア――『御魂回送局』という死神の『魂送り』の管理管轄をしている部署で、いまだに現場現役の『蘇生級』死神、彼女くらいです」


「いいんですか、そんなの教えちゃって」


「僕は恩返しに真摯な男ですからね」


 さて、とそこで話を切り替えるようにして、


「他になにか、必要なことはありませんか?」


 セラドニクスは、そう言った。


 え?と訊き返してみれば、


「いえ、あなたはおそらく、この蘇りの旅が成功したとしても失敗したとしても、僕ともう一度会うことはないでしょう。できる限りの恩を返しておこうと思いましてね」


「って、べつにあたしはなにもしてないですけど。ルウがやってくれただけで」


「そんなにケチくさい死神ではありませんよ、僕は」


 なんなりと、と言われれば、断り続けるほど謙虚でもなくて。


 というか、できればやってほしいということもあって。


「じゃあ、できればでいいんですけど……」



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