7、宗教勧誘はどこから
まるでNHKのようだ
妻は娘が死ぬ何年か前からキリスト教を信仰するようになっていた。
厳密にはキリスト教ではなく、エホバの証人だ。
簡単にいうと、聖書を崇めて、キリスト自体はそこまで崇めていないキリスト教だ。
カトリック・プロテスタントからは異端扱いされている。
リビングで聖書を見つけ聞いた所、ずいぶん前から始めたという話をされた。
基本的には家にきて一緒に朗読しているだけのようで、
集まりに参加しないのか聞いた際には、妻自身がよくわかっていなかった。
カトリック系の知人は日曜日に礼拝に行っていたので聞いたのだが、
勧めてきた人も熱心に勧誘しているわけではないようで、
平日に偶然会っても私自身が勧誘されたことは今のところない。
大人になると何度か宗教の勧誘を受けたことがあるだろう。
新興宗教のような無名なものから、三大宗教も熱心な人がたまにいて声をかけてくる。
選挙シーズンも割と多いかもしれない。
あの法案は我々が通したものだ。等と集まりに参加するよう声を掛けられる。
娘が死んで少しした後、何度か勧誘があった。
娘が死んだことを知っている素振りの者もいた。
ああいうのはどこからか情報が流れていくのだろうか。
たびたび玄関口でプレゼンが始まる。
簡単にいえば、「娘さんの供養のためにうちの団体にお金入れませんか」という内容がほとんどだ。
言い回しは様々だ。布施・喜捨・浄財・祈りの対価。
入信しなくても金だけだせば、賽の河原に地蔵以外の救助がいくらしい。
それで天国にいけるのであれば、天国の沙汰も金次第だ。
「自殺を認めているか」で5割は帰る。
「救われたとする証明」の話をだらだらしているとさらに3割は帰る。
それでも残る人には「納得するプレゼンをされたら」として話をするが、
諦めて帰るか、脅迫要員が追加されるかの2択しかまだ出会っていない。
生き返らせてほしい。しかこちらの要望がない以上、
説得なんてできないだろうと考えた上での無茶ぶりをしている。
パッと道が開けました!という体験がしたいものだ。
金を出さなければ苦難にまみれるそうだが、既に生きようと思っていない人間にとってはどうでもいいことだ。
金を出さないと死んでからも苦難に会うらしいが、親より先に死んだら賽の河原行きなのだから最初から苦難が決定している。
先に死んだのに賽の河原にいかないのであれば、逆説的に娘も河原にはいないという証明になるだろうか。
そういった態度が娘さんを不幸にした。と言いだした人もいた。
それは因果の考え方。
「親の因果が子に報う」とは仏教のことわざだ。
仏教がお勧めという事ですね。というとめちゃくちゃ早口で否定する。
しかも既に娘の死として報われているのであれば、私は徳を積む必要があるのだろうか。
このプレゼンが行き止まりに向かったのが確定した瞬間だった。
余談だが、子供に生命保険をかけていなかったので、大金は元からないのだよ。